ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

知事選

2014-07-31 06:25:24 | Weblog

 炎天下マイクに熱意伝へをり

 

 先日歯医者さんの治療から帰宅途中に、本町通りの「ぶらり広場」にて知事選の「阿部 守一」現知事候補の立会い演説をやっていましたので、駐車場に車を止めて、少し離れているところで聞くことが出来た。五十三歳と言う若さそのものだった。阿部さんは健康に気を付けているのか中年腹ではなく、なかなかスリムで背が高く、テレビに出てくる印象よりも、ずっと良い男だった。東大法学部卒業後、自冶省に入省のエリート、私はどちらかと言うと、役人上がりは嫌いな方だが、彼は県民の目線に立った行政をこころがけているように思い好印象で受け止めていた。選挙期間中、南北に広い長野県を一巡するには大変な労力と費用が掛かると思う。県政に政策を展開し合い緊張感持つことは大切であるが、阿部候補の相手候補は共産党一党だけが推薦する候補だ。負けるのが分かりきっていて、何時も決まり切った政策を訴え、邪魔をしているように思うのか、県民はなかなか同調しない。いくらお金がある共産党でも大変な無駄をしいているように思うのは私だけだろうか。共産党一党ではなく、他の反対政党が推奨する共同候補を立てるのなら共鳴出来る一面もあるかもしれませんが、どんな選挙も他の政党と組むことはしない、(もっとも他の党が共産党を嫌うのかもしれない)。そこには、中国や北朝鮮のように一党独裁色が見える。それなのに日本共産党は他党を認める民主主義を提唱し容認している。浅学非才の私には理解しがたい一因でもあるように思う。

 


楽しい収獲

2014-07-30 17:06:00 | Weblog

ミニトマトもいでほおばる太鼓腹 

 

 

 

                                                              

 

 

孫達は三人とも夏休みに入った。お兄ちゃんは「あたらしい体験」ごとと言う宿題に、「野菜収獲」を体験すると考えた。先日はその「野菜収獲」体験に弟の「ゆうーちゃん」と妹の「あーちゃん」も仲間入り、家内の兄さん夫婦の丹精込めた畑を収穫に協力していただいた。兄弟は「虫よけスプレー」など振りかけて、万全の支度を整え、張り切って婆と娘のおかあさんに連れられ出かけて行った。おにいちゃんは正に「あたらしい経験」だったようでした。早速「あたらしい体験」と言う題で絵日記に認めたようだった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おじいちゃん大収穫だよと言って、三人で笑顔で帰って来た。妹の「あーちゃんは」特に楽しかったらしく、「おじいちゃんトマトを採ってすぐ食べたんだよ、甘くてとてもおいしかったよ」と少し興奮気味に報告してくれた。自然の中で汗を掻、掻きの「野菜収穫」は初めての経験で本当に楽しかったらしい。

 

 

 


お兄ちゃんの雪だるまの絵

2014-07-29 07:47:32 | Weblog

 婆よりも爺の甘さか夏蜜柑

 

 昨日は水墨画教室の日であった公民館へ出かけますと、公民館の一階の廊下一杯に飯山市の小学校二年生雪だるまの絵が壁一杯に飾ってあった。小学二年生といえば家の孫、お兄ちゃんの学年であることに気が付き、まず一番におにいちゃんの絵を捜した。あったあった「はせがわ りょういち」とまずは、おにいちゃんの絵をよく観賞してから、他の友達の絵を鑑賞する。我田引水とは良く言ったものだ、やはり家のお兄ちゃんの絵が一番良く見えてしまう。馬鹿としか言えない爺でった。

 

 

 

 

 家へ帰って家内(婆に)おにいちゃんの絵は一番上手だったよと   言うと、家内が馬鹿爺振りを見ぬいたのか薄笑いをしていたので、馬鹿爺は少し興奮気味に、それなら、自分で見に行って確かめて来いと間違いなくお兄ちゃんの絵は一番だからとあらためて強調した。おにちゃんに褒めると、お爺ちゃん僕も友達の絵を見たいから連れて行ってと言われたので今日の午後にでも見に連れて行こうと思っている。

 

 

 

  飯山小学校二年二組 はせがわ りょういち

                                 

 

 

 

 

 

             

 

                                                                   

 

 

 


飯山市長選

2014-07-26 06:24:55 | Weblog

 なりわいを洗ひ晒して秋に入る

                  

右の写真は、二回目の市長選に挑戦する「江沢きしお」氏の選挙事務所である。彼は戸狩スキー場の真ん中にある「紫陽花寺で有名となったお寺「高原院」の出である。彼は飯山北高校から茨城大学を優秀な成績で卒業後、行政管理庁に入省、以後、東大卒のキャリアでありませんが、かなりの努力の結果、順調に出世し平成二一年「総務省大臣官房審議官」まで上り詰め、意があることがあり、中央での経験を生かし生まれ故郷発展に寄与したいという大きな目標を持って先回飯山市長選に挑戦されましたが、知名度の無さから副市長の足立氏に善戦空しく破れてしまった。その後、四年間飯山に住み付き地道な選挙運動を展開し、かなりの知名度が上がっているようだ。

 

  

 

  一方、足立新市長の一期目の実績評判は、長い市役所生活からか無難の政策、いわゆる安全で冒険な政策を打つことが出来ず、批判されることが少ない、ただ安全政策そのもののような気がする。過疎化と人口減の止まらない飯山市は今必要としている政策は将来に向かって、思い切った集中政策で市民が驚き心配するほどの政策でなければ、飯山市の将来が心配だと思う。このような、勇気ある政策を実行に移せば敵も味方も増えるであろうが、明日に希望を持てる飯山市にしていだきたい。私から見れば三〇年のぬるま湯の役人生活が身に着き、周りの職員とは、なりあいとなり、思い切った改革が出来なく、漫弁な政策となる。岐路に立つ飯山市の将来に一抹の不安を感じ取る。思い切った政策でなければとヒシヒシと感ずる時代であるが故に、どうも線が細い現市長であるような気がしている。

 

 

 来る9月7日(日)の飯山市長選挙の両立候補予定の選挙事務所は皮肉にも私の家から南北に三十mと離れていない空き店舗に構えた。両候補とも新幹線飯山駅の来年三月に向かっての。ちまちまな政策を掲げていますが、市民は意外と冷ややかな目で見ている。現市長の政策不足と無責任と言っても過言でないと思いますが、来年の三月開業と言うのに、駅前商店街形成がいまだに出来ていないと言う。他の市から見たら笑い者である。やはり、役人根性のなれあいが生んだものだと思う。江沢氏(六十歳)は中央で培った多くの人材との共感と協力が如何に飯山市制に生かすことが出来るかが問われている。いずれにしても両者には、市民あっての飯山市であることを何時も原点においていただきたいと節に思うことである。

                                               前回 平成22.9.5執行 飯山市長選挙開票結果

 

 

党派

候補者の氏名

投票数

無所属

江沢 きしお

6,012

無所属

足立 まさのり

8,234

有効投票数

14,246

無効投票数

65

投票総数

14,311

 

 

 

 

 


二回目の燕の繁殖

2014-07-25 11:34:40 | Weblog

全身が口に隠れて燕の子

 

南風つばめを誘ふ気配かな

 

 

 

今朝歩く途中のS自動車の軒先に今年二回目の繁殖した子燕が今にも巣から飛び出しそうに育っていた。これから沢山飛行訓練をし、南の国へ帰燕してその姿を見られなくなる時期は、当然ながら寒さの早く訪れる北の地方ほど早く、暖かい南の地方ほど遅いと言われている。私共の中部地方はじめ関東地方から北の地方では、多分9月いっぱいでほぼ燕の姿は見られなくなる。ちなみに四国地方や九州の南部地方では、時期がほぼ10月下旬とされているという。従って北の地方で帰燕を始めてから1カ月半もすれば、日本から燕の姿はもう見られなくなる。

 

 

                                       

 

 

 一方、裏の和菓子屋さんの燕は二回目の子作りは、先頃ブログにしましたが色々トラブルがあり二回目の繁殖が遅くなった。左の写真は和菓子屋さんの今朝の燕の巣の様子ですが、餌を運んで来る親ツバメを見ると、子燕は無事孵ったようだ。まだ小さいのか姿が見えない。主人が心配するように、帰燕する九月一杯まで順調に育って南の国まで飛べる体力がつくのか、上の写真のS自動車の燕と比べると私も少し心配になって来た。でも、自然界の摂理、後八月と九月の二カ月ある、きっと和菓子屋さんの燕も九月末の帰燕に間に会うだろうと、思い直す私である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本列島大暑なり

2014-07-24 07:35:39 | Weblog

燃へるよに日本列島大暑来る

納豆の糸のぬるぬる大暑かな

                                     

 

 昨日は暦の上で最も暑い日とされる「大暑」の日、皮肉にも、暦と同じくして、日本列島の南の海上に張り出した太平洋高気圧の影響で、朝から各地で気温が上昇。正午までに東京都心で33・1度、さいたま市で32・1度、千葉市で32度、横浜市で31度を記録。全国927地点のうち、440地点で30度以上の真夏日になったとのこと。こちら、北信州もかなり温度が上がり暑いので、今年初めて部屋に冷房をかけた。わずか二時間くらいで夕方となり、涼しい風に変わった気配がしましたので、冷房を止めて部屋の四方八方全開にして涼しい風を呼び込んだ。

 

  

  

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  孫達は納豆が大好きだ。昨夕食は特にうまそうな納豆が副食で食卓の片隅に乗っていました。以前に写真にして置きました納豆を引用しましたが、私は病持ちの為、常用している薬が納豆を食べると利き目が亡くなりますので、大好きな納豆をかれこれ十六年間も口にしていない。そんなためか、糸の立った納豆を見ると何だか今日のような暑苦しい大暑のように感じを句に詠んでしまった。皮肉たっぷりである。

  

青田風

2014-07-21 17:40:35 | Weblog

故郷は今も昔も青田風

くりかえすくりかえす日々青田成る

 今朝の歩行に夏の爽やかな微風が頬を差し、心地の良い朝を味わった。歩行から帰って来ると、突如何時もの私の好きなスポットに出会いたくなり、車を走らせる。変わることのない田園風景ですが、ここに来るたびにどこか違った顔に出会うことが出来る。多分田圃の成長過程で感じ取るものが違うのだろう。すっかり成長した青田となっていた。頬に射す気持ち良い風はほんの微風の為か、青稲は直立不動で背筋をピンと伸ばしていた。何の変哲もないどこにも見られる田園風景ですが、何故なのか私は好きな風景である。その上、この田圃の耕作している方は何方か分かりませんが、何時も感心することは田圃の畔は何時も奇麗に手入れされていて、この田圃には何か農耕精神を感ずる。


そば処  浅葉野庵

2014-07-20 13:22:51 | Weblog

 

                             涼風の中の喉越し蕎麦鼓                                        

 

 

 この連休に孫達は両親と何処へやら出かけましたので、久しぶりに家内と静かな時を過ごす。良いチャンスと思い思い二人の間が持たない。どうも二人は声なき孫に気が馳せるようだった。やはりわが家はいつの間にか孫が中心の生活になったのだとつくづくと思う。二人きりで何処かえ出かけようと話しては見るのですが、さていざ解放されると出慣れない二人である。それでもと思い、近くの温泉で一泊ゆっくりしたいと思い、行きつけの温泉宿に予約を入れては見る物の余りにも急の上、三連休が重なって、何処も予約客で一杯だった。仕方が無いので、昼食を兼ねて、地元のイベントにでも出かけようかと、まず、木島平村の大賀蓮で有名な「稲泉寺」に行き、帰りに蕎麦の美味しい「小菅神社」入口の「浅葉野庵」にでも寄って美味しい手打ち蕎麦でも舌打ちしてゆっくりしようと決めて出かける気になった。家内の運転で目的の「稲泉寺」に着きましたが、沢山の見物客で駐車場が満杯の上、農道に何十台もはみ出していた。これは駄目だ大賀蓮なんぞ、改めて見なくも良いと思い、蕎麦処「浅葉野庵」へ車を向ける。蕎麦処に到着すると十一時回ったばかりでしたので、店が開いているか心配となりましたが、幸いに開いていた。早速、ざる蕎麦の大盛り、家内は普通盛りを注文する。

                                          

 

来るるたびの思うのですが、この「浅葉野庵」は豪勢な庭ではなく、沢山の自然な木々に囲まれ、ここへ来ると何処か落ちつく。庭にも食卓があるのに気が付きお願して涼しい微風のある外で美味しい蕎麦を舌鼓みした。東京の長女の亭主、つまり私の義理の息子は蕎麦好きも手伝ってか、ここ「浅葉野庵」が大好きだ。この「浅葉野庵」はお金が掛かりませんが、もう一ヶ所「本多のうなぎ」である。来ると必ず「お父さん」と呼ぶ、決まって本多のうなぎへ連れて行けとの合図だ。私よりかなりの多い収入があるはずだから、たまには僕が払いますと、そろそろ言ってもいいはずだが、何時も私が払うはめになる。ウナギは絶滅になることが心配になるほど稚魚が少なくなっている。そんなわけで「本多のうなぎ」の価格は、丼で3000円以上はする、収入減の私としては痛いのですが、ここは我慢のしどころである。

                                                                                       

                                        

                                                                       

                                                                                                   


いただいた採りたての野菜

2014-07-19 08:33:12 | Weblog

 丹性がそのまま届く夏野菜

朝採りのこころいただく夏野菜

 今朝一番でSさんから丹精のこもった夏野菜をいただく、孫初め、家中が大好きな野菜ばかりだ。家内いわく、このところスーパーの野菜は燃料や資材費の高騰で高目の値段だと言う。私共のような七人の大家族は有難いと言う一言に尽きる。Sさんの旦那さんは健康と趣味をかねた野菜造りに生甲斐を感じていなさると聞く、自分で種を蒔き、自分で丹精込めて育てた野菜の成長過程の観察が楽しいのだろう。身体の不自由な私には羨ましい限りである。御主人は有機農法で無農薬野菜造りらしい。苗起こし、種蒔き、特に無農薬の為草取りが大変でしょうが、収穫の喜びはまた一入なのだろう。私は思うところがあってこの二年前から御酒を絶っていますが、Sさんからいただいたような新鮮で瑞瑞しい胡瓜に味噌を付けてビールをいただきながら齧るのが、何よりの楽しみであった。こんな新鮮な胡瓜を見る度にビールを飲みたい衝動にかかりますが、そこは我慢の一念である。今晩の夕食は、いただいた、インゲン豆とお芋さんとの肉じゃを煮てもらいたいと家内に所望する。今晩の夕飯は楽しみである。


早朝の市民公園

2014-07-18 07:21:55 | Weblog

釣り糸を垂らせば夏のものがたり              

                                                          

 今朝は二時頃トイレに起きると、かなり激しい雨でしたので、これは早朝歩行が出来ないだろうと決めつけて、ゆっくり布団に入る。気がつくと午前五時を回っていた。窓を開けると、こらはしまった、すっかり雨が上がり朝の涼しい風が吹く心地よい朝となっていた。こんな遅くなった日は、歩く頻度を変えようとコースを変え、珍しく車を走らせ、市民公園へ行く。公園内の針湖池の冷たい池風が頬を打った。何時もは、街中のコンクリートの上を歩くのですが、写真のように、手入れの行き整った絨毯を敷しめたような土草の上を歩くのは、少し左足が不自由の私には歩きにくいと思いましたが、そのうちに慣れ、足に土の感触が伝わり快適な歩行運動となる。

  

 

   

 

六時少し回っていましたか、池の片隅に釣り糸垂らせている釣人を目にする。そこでコースから少し離れ池の端により、「おはよううございます」と挨拶を交わす、「何釣っているんですか」と訪ねると、釣人は「ブルーギル」ですよと言う。釣った数十匹の魚が水槽に泳いでいたので、釣の経験のない私は、初めて目にする魚だった。多分外来魚だと思い「外来種ですよね」リリースしないんですかと訪ねると、外来種は増えると鯉や鮒の在来魚の成長に影響があるのでリリースしてはいけないんですよ、家へ持ち帰って畑の肥やしでもと思いますと言う。知らないとはそんなもんだ、そこで私はすかさず、ここでヘラを釣っている人を良く見かけますが、ほとんどの方は「リリース」しておいでですよと質問風に聞くと、釣り人は、今、この池をヘラの名所したいらしく、今年この地区の漁業組合が十数万円掛けてヘラの稚魚を放流したんですよと言う。同じ外来魚でも、反対行動ですねと、話題を広げると、釣人はこの池は大きな鯉が沢山いて逆にヘラが負けてしまうらしいですよと笑っておられた。

 

         

 せいっかく教えていただいた魚の名前「ブルーギル」を忘れてはならいと思い、早速、車に戻りメモ用紙と書く物を捜しましたが、何時もは車に俳句手帳とペンを入れておくのですが、今日に限って無かった。このごろ、記憶力が薄れている私ですので、何回となく「ブルーギル」「ブルーギル」と叫び頭に入れ、これで忘れたら仕方無いと諦めた。今朝は毎日歩く距離の半分にも満た無かったですが、時間でしたので帰宅に途についた。早速外来魚の名前を検索しようとPCの前に座ると「ブルーギル」を覚えていた、嬉しかった。こんな小さなことに「一喜一憂」や「喜怒哀楽」することが、このごろの私である。

 

 

 

 

                                                     ネットで検索すると次のようにあった。「ブルーギル」は北アメリカ原産の淡水魚だが、日本でも分布を広げた外来種である。食味は淡泊でしまりはないが軟らかく美味しい。原産地の北米では大型のものが釣れ、体が丸くフライパンにすっぽりと収まり、バター焼きなどに適することから食べられている。日本料理の板前は「ブルーギルの味はタイそっくりの上品な味」と表現していた。しかしながら日本ではあまり食用とはされていない。理由として早期に捕獲するため大型にならず身が薄い一方、骨が多く調理や食べる際に手間がかかる点、また腸の内容物の量が多く、悪臭の強い内容物が身に付着してしまうと風味を損ねるため、小さい個体は食材としては調理しにくいといった点が挙げられる。しばらく養殖して大きく成長させると食材としての価値は高まると考えられる。滋賀県では琵琶湖のブルーギルをビワコブナという名称で鮒寿の材料であるニゴロブナの代用魚として利用したり、揚げ物などの材料としたものが作られており、県のサイトでも調理方法を公開している。また大型の個体を食用に供する釣客もいる。事実、滋賀県農政水産部水産課が発行している「遊漁の手帖」では「大型のものは造りや塩焼きにして食べる」と、生食も含めた食用利用にも適していることが明記されている。

                                                                                               「ブルーギル」の写真はネットより

 

                                    

  


友が逝く

2014-07-17 09:55:15 | Weblog

友の逝く待つこと去りし水中花

ネットから蓮の水中花

 遂には白血病で友人が帰らぬ人となった。ドナーを待ち待ちの五年間の闘病生活だったとのこと、六十八歳の若さ、さぞ心残りのことが沢山あったろうと推察している。彼は私より五歳下でしたが、若い時代から「早起き野球の中心的メンバー」であり、住む街を何とか希望のある街に発展させたいと、選挙運動も一生懸命に戦った同志であった。食堂初め宴会場を経営し、一世を風靡した良き時代を経験した彼であった。息子さん(次男)は彼と同じく修業を重ねアメリカへまで勉強に行き、今は、長野市内で「居酒屋」風宴会場を経営し、なかなか繁盛していると聞く。彼は若き時代から多くの友人を持っている。これと言って話し上手ではありませんでしたが、人に安心感を与える雰囲気のある彼であった。私は元気なころ、彼と同じ酒の会で月一回彼と御酒を交わすのが楽しみであったことが、今では懐かしく思い出す。「淋しさや友の笑み消へ水中花」 水中花は悲しさを表現する句に多く詠われる。水中花を詠いながら淋しさがヒシヒシと私の胸に伝わって来た。


畳一畳の胡瓜畑

2014-07-16 15:40:55 | Weblog

にっぽんの形に曲がる胡瓜かな

日々好日胡瓜一本浮いている

 南九州地方に梅雨明けのニュースが入る。こちら北信州も梅雨は明けたかのように一時青空が覗かせた。家の裏の狭い庭に畳一畳ほどの胡瓜畑の元気な胡瓜を観察、家内は農業の環境で育ったため、実家の義姉から胡瓜の苗付けからいろいろ指導いただいているようで、今年も四本の胡瓜からすでに数回となく美味しい収穫があった。御酒を飲んでいた頃の私は、この頃に、採りたての瑞瑞しい胡瓜に信州味噌を付けて齧りながらの冷たいビールのが何よりの楽しみでしたが、御酒を断った今は、胡瓜の時期になると冷たいビールを飲みたくなる衝動に駆られる。そこは我慢と言う文字の一字である。ですが御酒が無くも「胡瓜味噌」は美味しい。私には夏の風物詩の一つである。

 

 

 


しなのの木

2014-07-14 06:36:07 | Weblog

 我と似し影薄き木の夏木立

先日12日ブログに致しました「古田十一朗先生」に御世話いただいた「銀座の柳二世」の木が元気に成長している隣の木、豆ような実を付けている木は「しなのの木」だと思っております。数年前にここでTさんに会って、教えていただきましたが、私の記憶から消えましたので、この木に合う度に木の名を思い出そうとしていましが、偶然に今朝思い出した名前が「科のの木」でした。Tさんは大変な経歴の持ち主です。尊敬する翁は今年九十歳になられたと娘さんから聞いて驚きを新たにしました。Tさんは百歳までに第二回目の世界一周の距離を歩くと大きなも目標をお持ちで、毎日数十K歩いています。Tさんのブログに毎日記憶されております。 百歳に向かってもう一度歩いて世界一周  Tさん経歴は簡単に添えますと、若い時代から節目節目に大きな目標を持ち、その目標の推敲の為大変な努力を積み重ね「青果市場の事業」も成功なされた方です。私の記憶の中にあるのは、苦労なされた事業を意図も簡単に後継者に譲り、その後、また新たな大きな目標を持って中国へ行き、国民に林檎生産の指導をなされ、今では中国では主要な農業生産になっているとのこと、その功績から中国の最高に与えする勲章をいただいたのこと、今では中国に行く度に「国賓」として歓迎されていると聞き及んでいます。その後も「日中友好協会」の発展に大きな実績と足跡を残された。特に感心することは常に時代の新しいものに挑戦なさるのに感服している。六十歳にして、今から「三十年前」PCが普及する前にPCを使いこなしたこと、今では教える立場にあります。アップルが初めて発売したiPhoneを発売と同時に使いこなすほどの方です。九十歳とは考えられない年を召しながら驚くことばかりの翁である。前段の「科の木」ついては検索すると次のようにありました。古くからシナノキが多くあって、信濃といういい方も、シナノキを多くある野という意味だったのだろうとありましたが、北信州ではあまり見られない「影薄き木」であると思う。

 

 

 

 

 


落語観賞会 「夏の夜噺」

2014-07-13 08:08:47 | Weblog

 夏の夜笑いの渦に時忘れ

                                                                      

 昨夜は「飯山芸術文化協会」が主催しておりますその内容の充実さから私はじめ、多くの市民が毎年楽しみにしております演芸会の日でした。今年は「夏の夜噺」と言うことで落語家三人と太神楽芸と賑やかな漫才を楽しんだ。落語は普段テレビには出演なさらない三人でしたが、真打の御二人の落語はなかなかの物でした。最後を飾った「五街道 雲助」さんの怪談噺に吸い込まれてしまいました。真打のもう一方「春風亭 柳朝」さんもなかなかの演技振りでした。特に、女性漫才師「すず風にゃんこ・金魚」さんの漫才に会場が笑いの渦に覆われた。良く、春風亭、入船亭 、桂 、三遊亭、金原亭、古今亭などの名前は耳にしますが「五街道」一門の名は初めて耳にした名前だった。

 

 

 

 

市民会館ホールは空席が無いほど一杯の御客さんで埋まった、笑いと感動の一時でした。これだけの演劇一行が飯山で講演するには、かなりのお金が掛かるだろう、入場料から推察してもし赤字になるとしたら、どう補填してるのかと毎年思うことであ。、私が教えを戴いている「水墨画」の先生が「飯山芸術文化協会」の会長の重責を背負っていなさるので、何時か一度聞いてみたいと思う。もしかしたら、市の中では大きな団体ですので、市からの補助金が出るのかも知れないと思ったりもして見た。

 

 

   

 

 

 

 

 

 


銀座の柳二世

2014-07-12 06:55:28 | Weblog

柳並木濃みどり薄れ秋近し

 

 写真の柳の木は古田十一朗先生と御縁のある木です。今は亡き「古田十一朗先生」は、飯山市をこよなく愛し、アララギの歌人であり、正受老人の研究家でもありました。日本国有鉄道総裁室勤務の後、生まれ故郷飯山に帰えられて、隠された教養と温厚篤実の性格から、多くの市民に尊敬され、飯山市公民館長初め飯山市区長協議会長、飯山市図書館長の要職を歴任された方です。古田先生の沢山の人脈で、先生のお住まいの町に「銀座の柳二世」の苗を送られ、今は元気に育った「銀座柳の木二世」です。私も古田先生の存命中三年ほどの期間でありましたが、先生のお住まいの愛宕町の人達と月一回の御酒の仲間に入れていただき、古田先生と御付き合いさせていただく時期がありました。先生から「一日暮らしのくふう」という本をいただき、今でもは私の大切な蔵書と成っています。