ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

今日もアワビ採り

2018-06-29 10:42:46 | Weblog

 

 

  今日も、家内は実家の「わらび山」が盛んに採れるようなので出かけた。直ぐ傍の良く手入れされている本家の豆畑にあらわれた「たぬき」を偶然に撮ったと言って興奮気味に私にみせてくれた。始めは離れていたので犬かと思ったようだったが、この山に良く「たぬき」が現れると聞いていたので、直ぐ狸と分かったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

奥山の栗の花咲く山日和

栗の花白の点在山あかり

 前回わらび狩りの時、山の中腹の少し下の、満開の山栗の花を私が撮った。この山栗を毎年栗御飯にしていただいている。山栗は粒はかなり小さいですが、甘味がありなかなか美味しい。

 

 

 

 


飯笠山神社「茅の輪くぐり」

2018-06-28 14:04:40 | Weblog

 

 

茅の輪参り心重たき梅雨湿り

  病院の定期検診の帰りに飯笠山神社へ回った。飯笠山神社は当地方最古の社といわれており飯山城の守護神として歴代城主から手厚く崇敬され、鎮守として地域の生活と結びつきながら信仰を集めてきた。付近には縄文時代の住居跡もあり、縄文・弥生時代の土器類が多数出土しています。「いいやま七福神」の恵比寿大神も祀っており、江戸時代より地域商業の守護として始まった「えびす講」が現在も行われています。神社に参拝の際、財布に粒銭が入っていなかったので、初めての経験でしたが滑稽にもツケで御参りした。多分、御利益が得られないであろう(笑)

 

 

 

 

 

 

 夏越しの息災願い輪をくぐる

輪潜りて無病を願ふ夏越かな

  の輪くぐり」

  ”水無月の夏越の祓いする人は千歳の命のぶと言うなり〝 六月晦日若くは何建れで七月の晦日に行われる大祓い(夏越の祓い)に右記の言葉を唱えながら茅野輪を三回くぐり抜けることにより年間の罪、汚れ、病気祓い無病息災でこの年内を過せるように袖前に敬礼する行事 一回目左まわり、二回目右まわり、三回目は再度左まわりと記してあった。

 

またネットでは、元々は、茅(ちがや)を束ねて大きな輪としたもの。正月から六月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に使用され、それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれています。と記されていた。

         

      

            

      

     

 

 

 


過疎の部落

2018-06-27 04:46:09 | Weblog

 

 わらび採り深き山々呼んでいる

人々に湧く湧く感のわらび山

  昨日、家内の実家の山へ「わらび」採りについて行った。久しぶりに山のヒンヤリと美味しい空気を身が軽くなるほど胸いっぱいに吸い込満喫した。この数年大半の村民が、便利さを求めて村を離れ、山に隣接する畑を放棄したため、段々と山が畑へ降りてきて、畑が山と化してしまった。以前、義兄さん夫婦がアスパラを作っていた畑の平らな部分を家内が草を刈って手入れをすると、山から降りて来た「わらび」が沢山採れる畑となった。毎年、わらびを収穫した後、たい肥と除草剤を撒き畑を手入れすると次の年は沢山の「わらび」が採れる。この「わらび」を知り合いにお裾分けすると、柔らかく美味しいと評判となった。そんなわけで、この頃、家内は「わらび」採りに喜びと生き甲斐を感じているようだ。

 

 

 

 

 

崩れ家に諸々想ふ青山河

呆然と廃屋に立つ桐の花

 写真は家内の生家があった場所だ。家内の実家は須坂市に  移り住み、早三十年近くとなる。人が住まない家は傷みが進む、実家は数年前に遂に崩壊してしまった。家内はこの場所に立って、しばらく呆然としていた。諸々の思い出が走馬灯のように去来したのだろう。私も家内と一緒になって五十年が過ぎた。当然のように、家内の実家の思い出が沢山蘇ってきた。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和みの花

2018-06-26 06:28:57 | Weblog

 

 丁か半か花の名に賭け花うつぎ

  婆は毎朝四キロ以上歩いているようだ。歩く道筋に珍しい可憐な花を発見、余りにも珍しい花ですの少し興奮気味で撮ったと言う。花に音痴な私は当然のごとくに知らない。早速「花の事典で調べてみるが、なかなか見つからなかったのでPCで「珍しい薄紫の鉢花」と一か八か(丁か半か)で検索すると、下の類似した花が現れた。

 

 

 ネットにあった類似した花の名は「クレマチスマジックフォンテーン」とあった。葉の形が本物と少し違うような気がしたが、花ビラがそっくりでしたので、自分の中で納得することにした。

 

 

 

 

 手を合はす和みの日々や秋となり

御仏の和みの香り百合の花

  

 

 御仏壇にお供えした百合の花は、長きに渡り、家内と親しくお付き合いいただいているTさんから戴いた花だ。この百合は意外と長く、かれこれ二週間は凛としていましたが、今日あたりからボチボチと花びらが散り落ち始めて来た。

 


「あーちゃん」誕生日近し 

2018-06-24 08:35:36 | Weblog

 

 夏の日の孫の笑顔に緩み顔

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

末孫娘の「あーちゃん」はこの月末六月三十日が誕生日だ。さて、何歳になるのだろう?確か八歳だと思うが、・・・」と、無責任な爺である。その「あーちゃん」私の部屋へ来て、「お爺ちゃん私の誕生日にうさちゃんのぬいぐるみプレゼントして」と言って、私のPCから自分で見つけた「うさぎのぬいぐるみ」二匹を頼まれた。あーちゃんはPCをいとも簡単そうに操作するのに少し驚いた爺であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


沖縄忌

2018-06-23 07:47:38 | Weblog

 

断崖は波音ばかり沖縄忌

常田正和「山繭」主宰 

 掲句は今朝の新聞の「けさの一句」の句である。俳人「土井 あき子」さんの句評を簡略すると「沖縄忌は、太平洋戦争においての沖縄本島が激戦地となり、昭和20年6月23日、多くの犠牲のうえに終結した。 ... .. ....戦没者慰霊を慰め、不戦の誓いを新たにする。「沖縄慰霊の日」であるとあった。

 洞窟に心霊宿る沖縄忌

  看護訓練を受けた沖縄の女学生約200人が結成した「ひめゆり隊」は洞窟の防空壕では、戦傷者の看病にあたった。この 洞窟は、今では当時の激戦を語り継ぐために見学の場となっている。またここは、沖縄戦の悲しい歴史の要塞でもある。この戦いで二十数万人の尊い命を亡くしたことを、決して忘れてはならないと今日の六月二十三日の沖縄忌を迎え改めて思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

   沖縄忌いまだ戦争隠れてる

  沖縄戦最後の激戦地”と言われる沖縄県糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)。この地に、群馬県出身の沖縄戦戦没者らを慰霊する「群馬之塔」が建てられている。1963年2月の建立から今月で66年を迎えた。特攻隊員として沖縄戦に参戦し、からくも生き永らえた伊勢崎市の故栗原夏雄さんは改めて反戦への思いを口にした。とネットにあった。


ワールドカップ日本×コロンビア

2018-06-20 04:44:40 | Weblog

 

日本×コロンビア

雪辱の ニッポン男児花柘榴

 サッカーワールドカップロシア大会は、19日の初戦で日本はコロンビアに2―1で快勝し4年前の雪辱を果たすことが出来た。私はテレビを観戦しながら、手に汗を握り握り緊張と興奮を味わった。

今朝の新聞に参敗に打ちひしがれた四年前と明らかに違った。ワールドカップ(W杯)に登場した日本代表は、2014年大会で立ちはだかったコロンビアに2-1で雪辱した。「サランスクの奇跡」を起こした23人の笑みがはじけ、西野明監督も「選手はタフに戦ってくれた」と喜びを見せた。と報道されていた。


MI DO RI

2018-06-19 08:01:12 | Weblog

 

 夏至今日と思ひつつこころ深めたる

 

 

 先日は長野駅構内にある「MI DO RI]に再び用があり出かけた。ここの眼鏡店「HOYA」さんに次男坊の眼鏡の調整をしていただくことがおもな目的であった。店内はリニュアルしたばかりなのか、活気と清潔感に溢れていた。「おとうさん」は休みの様子でしたのでお母さんである娘と私共老夫婦の四人で出かけることになった。お父さんは我が家に来てくれて十三年になりますが、これと言って話す話題の共通点がないのか、普段じっくり世の諸々を話す機会が薄れていたようだ。この機会に双方のコミニケーションを深めようと思いお父さんを誘った。

 

 

 

 

 

 

 

 紫陽花あじわい深くいたわれり

老夫婦背なに咲く花カモミール

  店内に手をつなぎ合い、いたわりあって歩く微笑ましい老夫婦の姿に会った。多分八十歳半ばを超えた御夫婦のように見えた。老夫婦の後ろ姿からは、お二人双方の信頼感と安心感がにじみ出ていた。ふと思う、私共夫婦は金婚が過ぎ五十二年になろうとしているが、この老夫婦のような奥深さを感ずることはまだまだ出来ないでいる。御老人夫婦のように自然体で微笑ましい姿になるには、まだまだ程遠さを感じ得なかった。私共は、枯れ行く老後を自然体で少しでも楽しみながら過したいとあらためて思った日であった。                              二輪のカモミール

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


托鉢

2018-06-18 04:36:13 | Weblog

 

 

 

   飯山が誇る「生受老人」の名庵である「生受庵」の「寛道和尚」が3~4年前に入滅さた以後「お~お~」と托鉢する底深く響いた声が聞くことがなかった。昨日久しぶりに二人のお坊さんの托鉢する姿に出会った。即、私は生受庵にお坊さんが見えたのかと、期待を込めての思いに走った。何時もは、寛道和尚が一人の托鉢であったが、昨日は二人の托鉢坊だった。来庵したばっかのお坊さんなので、どなたかお手伝いで托鉢されているのだろうと、勝手に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 末孫娘の「あーちゃん」(二年生)がこの頃ブロック積をしているようだ。あーちゃん4~5歳のころは、ブロック遊びをよくやっていた姿が見えましたが、以後ほとんどブロックはかまないでいた。この頃、何かを想像し考えることに芽ばえたのか、腕を組み組みグロックに向かっている姿を見かけている。あーちゃんは、昨日突如私の部屋にやってきて「おじいちゃん」カメラを貸してというので、早速、「カメラを丁寧に使い壊さないでね」言いながら手渡した。しばらくすると「おじいちゃんブログにして」と言ってカメラを返しに来た。はてなと思いつつカメラを開けてみると、右のように、数種のブロック造形の写真が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 


夏の花

2018-06-17 05:26:29 | Weblog

 

 雨止んで紫陽花の色なを深し

紫陽花の香りうすうす 雨あがり 

 自宅前のKさん宅の花壇にこれから盛んとなる「あじさい」の花が咲き始めた。この花壇には紫色、ピンク、淡い赤の色の紫陽花と額紫陽花の花がそれぞれ盛んに咲き誇るだろうと思う。あじさいは「手まり咲き」と「額咲」きとがある。いわゆる額咲は「額紫陽花」手まり咲は普通の丸い紫陽花である。ネットに、あじさいの花言葉は、「辛抱強い愛情」「一家団欒」「家族の結びつき」などとあった。

 

 

 

 

 

 

 露草を泪の色とおもひけり

露草の花うつくしくしおらしく

 

 

 

  自宅前の駐車場の小さな花壇に咲く「紫露草」は、シュッと長い葉っぱが垂れ下がり、間から紫色の花をたくさん咲かせ、中心の雄しべが黄色く、花に明かりがともったように咲き落ち着いた雰囲気がある。また、1つ1つの花は1日でしぼんでしまうが、次々と花が開く姿からは、たくましさとしおらしさを感じさせてくれる。

 

 

 

 

 さびしくも凛として咲く夏の菊 

 夏菊のけなげな亡母すがたなり

 右の夏菊は総称「カモミール」はじめ「サンダー」「マーブル」などの数種類が豊富にあるようだ。夏の菊は花びらが小さく、秋菊と違い華やかさがないような気がしている。だが、私には健気に凛として何かを主張しているように咲いているように見える。また、その中でも、ポンポンと丸みをおびて咲く夏菊が愛らしい。夏菊は目立たない白菊が多いが、他にも黄色い菊や淡いピンク色が散りばむ菊もある。

  

 

 

 

 

 

 

 

           写真はネットより  


久しぶりの長野

2018-06-15 11:37:11 | Weblog

 

 

 

車中での夢見る女性杜若

 娘である孫達のおかあさんが、次男坊湧ちゃんの眼鏡の修理に長野駅に併設するMIDORIの眼鏡屋に行くというので、私共爺婆はストレス解消になるかと思い娘と同行することになった。思えば、四年前迄 MIDORIにある長野県カルチャーセンターの俳句教室に通ったことが懐かしい。この教室は「現代俳句協会」の会長をお努めの俳人、信州大学名誉教授の宮坂静生先生が主宰する俳句会「岳」の俳句教室だ。 MIDORはすっかりリニュアルされ綺麗になったことに驚いた。右は朝から車内で爆睡している女性に興味があった。多分、夜遅くまでスマホにでもふけったのか、それとも、仕事で遅くなり睡眠不足なのか、また長い髪で覆われた女性の顔は果たして美人なのかいなかを想像することが楽しかった。そんな、つまらないことを考える老人が飯山線の人となった。

 

 

 

 昼食は長野駅前の風景を眺めながらパスタ専門店でスパゲチィ料理とコーヒーを楽しんだ。                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


リッチな気分に

2018-06-08 04:10:45 | Weblog


  

 

  薫風やホテルのテラス沈めたる

昨日、友人のN君が、赤倉温泉スキー場の赤倉観光ホテルに誘ってくれた。彼は数回となくこの温泉ホテルを訪ねていて、来るたびにリッチな気分を味わうと言う。特に昨日のようなどんよりとした暑い日は、このホテルの庭のテラスでコーヒーを楽しみながら高原の涼し風の中でゆったりと過す時間が楽しいらしい。生憎、コンパクトカメラの映像チップをPCの中に入れたまま抜き忘れてしまい写真を撮ることが出来なかったので、仕方なくネットの写真をお借りした。この日は、ウイークデーにも関わらずお客さんが結構 いなさった。ここも、やはり私たちみたいに退職したか一線を退いたシニアのお客さんが殆どだった。

 

 

 

 

 風薫るたそがれといふ人生に

  やはりこのホテルはスキーリゾートの感じが漂っていて、ホテルの直ぐ傍にスキーリフトが走っていて、四方八方に望む連山の景観が雄大だった。

 

  

 

 

 

 鳥の声森林浴とともにあり

 

 やはりテラスに吹く風が優しく頬を打ち、リッチな気分を味わうことが出来た。今度一度家内を誘いたいと思った。きっと気に入ってくれることだろう。今この業界は人手不足だと聞き及んでいましたが、ここでは、若いスタッフがテキパキと働く姿が好印象だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


孫達の本の紹介

2018-06-07 07:10:29 | Weblog

 

 孫達三人そられぞれに読みたい本をお爺ちゃん、こういう本を買ってと私の部屋へやって来る。先日、NHKテレビの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で、91歳となられた「加古里子」(かこさとし)絵本作家が出演されていた。この分野では、かなり有名らしい「加古里子」さんは、91歳になられても絵本の製作意欲が衰えることなく毎日製作机に向かっている姿に感動した。「かこさとし」さんの代表作を「末孫のあーちゃん」に最適で喜ぶだろうと思い、早速アマゾンより右の「からすのてんぷらやさん」と「だるまちゃんとてんぐちゃん」二冊を購入し、「あーちゃんが大好きそうな絵本を買ってやったよ」と渡すと、あーちゃんは、お爺ちゃん、私この本、図書館から借りてもう読んだよと言う。あーちゃんは直直図書館から本を借りて来ては、読んでいる姿を見ていた爺は、本好きなあーちゃんを知っていたが、まさか、右の「加古里子」の絵本を既に読んでいたことは知らなかった。

 

 

 

 

 

  漫画好きの次男坊の湧ちゃんはやはり漫画が中心の本「Vジャンプ」を所望した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後にバスケットに夢中の椋一兄ちゃんは、やはりバスケの本でした。お兄ちゃんは勉強はソコソコらしいですが、体力が消耗するバスケに夢中すぎて勉強をおろそかにならないことを願う爺である。

 

 

 

 

 

 

 


長野PET画像センター

2018-06-06 13:59:47 | Weblog

 

 癌としてこころ痛みの木下闇

おい癌め酌みかはさうぜ夏の酒

(かって、癌を患った友の句)

 昨日、長野PET画像センターへ癌の早期発見検診に行って来た。ここへは、毎年一回検診をお願いしている。PETセンターの検診料金は拾万円近く掛かるので、かかりつけの病院の紹介だと三分の一の三万円位で出来ると聞き、定期検診戴いている 主治医の先生にお願いすると、癌診察後の経過検診の場合は紹介できるが、癌早期発見のための検診は紹介できないとのことだった。年金受給生活者においては少し高額だと常々思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市民らの尊し月日薔薇に祝ぐ

妖艶の漂ふ薔薇に吸ゐ込まれ

 PETセンターの帰りに開催中の25回目の「中野市のバラ祭り」に寄った。報道ではスペシャルゲストとしてNHK趣味の園芸ナビゲーターの園芸王子・三上真史さんを招いてトークショーや記念植樹を行った。この一本木公園の薔薇祭りは中野市民手作りのお祭りで、それぞれの市民がボランチィアで参加し、年々祭りを盛り揚げ、今では850種3000株のバラが咲き誇る。

 

 

 

皆思ふあでやか薔薇の棘怖し

老婦人薔薇みて拗ねるこころあり

剣よりも鋭き棘の紅の薔薇

 思いあり恋々としたる薔薇嫉み

  

 

 

 


小鳥のさえずり

2018-06-04 05:39:56 | Weblog

爽やかに朝の目覚めに感謝かな

明け朝の清明の声さわやかな

 歳が重なったせいか、朝小鳥の囀りで眼を覚ますことが出来る環境で老生活を送れることのありがたさを痛感している。反面都会の喧騒の中で目を覚ます生活など考えられない私だ。今日はこれと言ってブログの話題がないので御訪問下さった方々、「小鳥のさえずり」をクイックしてお楽しみください。

小鳥のさえずり