戸隠の奥社樹齢400年の杉並木
戸隠の歴史を歩く杉涼み
真夏陽の明かり届かぬ随神門
鏡池夏の連山吸い込めり
涼しさをキャンパスに生む山と湖
戸隠の奥社樹齢400年の杉並木
戸隠の歴史を歩く杉涼み
真夏陽の明かり届かぬ随神門
鏡池夏の連山吸い込めり
涼しさをキャンパスに生む山と湖
戸隠は夏の天蓋火のまつり
吾病神社にあずけ七月尽
一昨日待望の友との再会であった。長野駅の東口で落合、B君の車で戸隠に向かう。土曜日と重なり、子供たちは夏休みにも入り、観光のメッカである上、戸隠の火祭りの日なので道路はかなり混んでいると思っていましたが、さほどの混みでなかった。スムースに戸隠に到着、早速、今夜泊めていただく歴史ある純和風の「中谷旅館」に車を止めさせていただいた。戸隠神社の歴史に触れますと、 戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社で、平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。とネットに説明されています。
夏闌ける戸隠神社火の篝
一連の献上太鼓初め神楽、献上獅子舞など行事が終わった後、いよいよ待望の火祭り、「奥社」「中社」「宝光社」に見立てた三本の柱松に着火、燃え方・倒れた方角により豊凶・景気・平和の行へを占う。写真のように勢いよく燃えて無事に火祭りが終了となった。私達は宿に入り、お風呂を戴き、その後、お酒も入り互いに久しぶりの再会でしたので話が尽きない楽しい夕餉が続いた。
戸隠の夜友と談笑涼をよぶ
友と酒痴れて飲むなと蟾が鳴く
今日は千葉の友「B君」がやってくる。長野駅で長野市の友「H君」と三人で合流して、息子の実家のある「戸隠神社」のそばの宿で一泊し、火祭りの写真を撮るのが目的だが、気の置けない三人が久しぶりに会って、涼しい戸隠高原の風と、美味しい蕎麦をふんだんと味わい、上手いお酒を飲むのが目的だ。わたしはあまり飲んではいけないので、いくら友との談笑でも、心してセーブしてしなければと思う次第ですが、何時も「まあーいいか」と都合良く解釈し、羽目を外すことになる。昨年の10月も友達と酒を飲み「まーいいか」と自分を許してしまって部屋で転んで、ベットの角に頭を打ち「慢性硬膜下血腫」になり麻痺していても健常者に近く歩けた左足が動かなくなり、二ヶ月半ものリハビリ入院となり、いまだ不自由している状態だ。今度こそは気をつけなければと思う。ともあれ、竹馬の友との再会は楽しみである。
このところの俳句教室はさんざんの結果が続く。やっとの思いで今回は一句特選句に選ばれた。105句の掲出句の中ですので、特選句には滅多にありつかない私です。今回の兼題は「夏の虫」でしたが、驚くことに「智子」さんは三句掲出の中三句とも特選句に選ばれた。もう俳句教室10数年以上のベテランさんと聞く、このところ数年なかった快挙だそうだ。
肝座る婆となりし源五郎 智子
昼に飲むオンザロックや蜘蛛の糸 智子
憎しみのふわり浮かぶや蛍の夜 智子
引き返すことの大事や蝸牛 正義
かたつむり男四人の蔵を引く 裕子
次回8月6日の教室の兼題は「炎中、炎天」である。今日お捌に御苦労頂いています「利之」さんにメールで投句しましたが、またも自信のない掲出で終わってしまった。次回の俳句教室に足の重さを感じています。
万緑のすべり落ちたる棚田かな
棚田の田植えの誘いがありましたが、都合で出られなかったせいか、青田になった様子を見たくなり、車を走らせる。万緑の下で稲は順調に伸びているようでしたが、「棚田を育てる会」のボランティアの人達が手が回らないのか、棚田の周りのが草が茫々でした。足が不自由なため少し急な棚田の頂上まで上がることが出来なく、途中からの写真の為、数段の棚田だけしか撮れなかった。残念なことに、薄どんよりとした空でしたので眼下の千曲川とその周辺、北信五岳の山々が霞んで良く撮れなかった。周りには、蝶やトンボなど何種類もの昆虫たちが自由に飛び回っていましたが、生物に造詣の浅い私なので、ただ見るだけのことでした。
梔子の花あーちゃん二歳の誕生日
梔子の花言葉は
「私は幸せ者」「とても幸せです」「優雅」「洗練」「清潔」「喜びを運ぶ」だそうです。
整骨院の先生の庭に盛んに咲いている梔子の花です。中七が字余りですが
あーちゃんに免じて許していただきます。
児の如く鍬形虫と遊びをり
泪目で怒ってをるや雌くわがた
戸隠の女夫クワガタ来たりかな
先週の土・日と、孫達初め2件の幼稚園の友達の家族がパパの実家戸隠高原のキャンプ場でキャンプを楽しんだ。あいにくの雨模様の天気、その上で高地ですので、さんざんのキャンプだったようでした。そんな中、家の兄弟は初めてのことばかりなので、いろいろ体験したようで、「楽しかったと」家へ帰るなり最初の言葉だった。お兄ちゃんは、爺、来年はきっと晴れるよと、もう来年のキャンプに期待しているようだった。爺婆は心配していたより楽しかったようで安堵する。
行々子静かな流れ千曲川
葭切やいそぐはなかれ吾歩み
千曲川の端の石に腰をおろしていると、(前の動画)に似た行々子(葦切)の鳴き声らしき声があちこちから聞こえてくる。。確かに葦原でギョギョシと鳴いているようだが、葦に隠れているのか姿が見えない。なかなか「葦切」の姿は見る機会が少ないようだ。 前のオオヨシキリの動画は葦のやわらかい枝に撓む姿を良く撮ってあると感心する。 今朝も五時少し前から杖を使わず歩いたが、朝の涼しい爽やかな風は何とも言い難い御馳走である。この分だと今日もそんなに暑くなることはなく、クーラーは要らないだろう。歩くに至っては、まず不自由な左足から躓かないようになるべく高く浮かし踏みこみ、地に付いた左足に重力を傾け次に正常の右足に体重を移す繰り返しの歩き方を試みると杖を使わずとも安定した歩きになることを発見、まだまだ歩く速度は元にとはいかないが、毎日の努力で以前の歩きに戻るのではと、先の見える期待感が湧いて来た。葦切(行々子)の話題が何処かえ消えたブログになったが、上手く歩くことが出来てこんなうれしいことがない。
辛きもの苦いきもの食べ暑に耐ふる
牛田修嗣(けさの一句)より
たこ焼の裏返すたび大暑かな
たこ焼きや大署すいこむ卓の上
けさの一句に、今日は大署。立秋までは一年中で最も気温の高い時期である。暑いため食欲がなくなり体力が衰える時期とあった。幸いにしてか、こちら北信州はこの二日間、寒いくらいの陽気である。これで夏が終わったわけではない、今年の暦では、立秋は八月七日であるが、立秋が過ぎてもさらに暑さが本格的になるであろう。また、お盆過ぎて九月に入っても暑さが続く年がある位だ。今日はネットにあった「たこ焼き」の写真を引っ張りだして、そこへ大暑の句を詠んで見たが、どうもしっくりいかない。推敲をしなければと思うが・・・・」期待は出来ない。
炎天下悼みはげます両殿下
東日本大震災翌日の昨年3月12日、震度6強の地震に見舞われた長野県栄村。3人が死亡、10人が負傷した震災から1年4カ月あまり。今も63世帯136人が避難生活を送り、「地域の再生」を目指す同村を19日、天皇、皇后両陛下が訪れ、被災者を励まされた。村は至るところで陥没した道路の復旧工事が行われ、家の倒壊跡には新しい家の建設も進む。昨年は農地に亀裂が入るなどしたため一部で断念された稲作も、今年は村中で青々とした苗が育つ。 一方、地震で橋桁がずれ、雪の重みで崩落した橋や、むき出しになった山肌など、そこかしこに地震の爪痕も残る。「震災の跡は少なくなっても、村民の心はまだ癒えていない」栄村復興支援機構「結(ゆ)い」の代表をつとめる村民の相沢博文さん(65)はボランティアで、家の片づけから農作業まで手伝いを続けている。 震災後に夫(78)が入院、土壁が崩れた築130年の自宅の片づけを相沢さんに手伝ってもらった藤木幸子さん(71)は「足が悪いので1人でできないことも多い。本当にありがたい」と話す。今年6月現在の村の人口は2237人。村の高齢化率(65歳以上)は45%以上で、一人暮らしのお年寄りも多い。集落単位の結びつきが強く、震災以降の人口減少はわずかだったが、主な産業は農業のみで、若者の流出が防げるかが課題だ。相沢さんは「震災を機に村民同士で話し合い、助け合い、問題を解決していくことが本当の意味での復興につながる」と話す。(産経ニュース)
明日に虹かける眼生る勇気
下の写真のように皇后は、必ず笑顔を崩さす、優しい眼差しで声をかけられているお姿を何時も写真で伺う。このように天皇皇后の励ましが、国民にどんなに励みと力になるのだろうと、あまのじゃくの私でも思いさせてくれる。信毎地方新聞でも
「仮設住宅で天皇陛下が「地震の時はどうでしたか」と尋ねると、渡辺加奈子さん(30)は「2階の窓から逃げました」。女児を連れた広瀬佐代子さん(40)は地震当時を「怖かったです」と振り返り、皇后さまは「子どもさんをよくお守りになりましたね」とねぎらった。と言う記事が載っていた。こんな芯からの労いと励ましの言葉が、村民に大きな力となるのだろうと思う。これも両殿下の普段の人柄を国民に浸透しているからだろう。
甚平着て転向という暗部あり (藤田湘子)
甚平を着て口軽くなりしかな
甚平なるものを初めて着た。家内の知り合いの人の勧めで、安くお値打ちに買ったとのこと、甚平は木綿と麻で出来たものがあるそうだが、麻の方が涼しさを呼びそうなのでと、麻のほうをを買ってくれた。昨夜が初めての試着、短い七分袖に半ズボンとゆったりとして、それに袖口が広く、衿はおくみとやらがないので風通しが良く軽くて快適な甚平、いままで何で着たことがなかったのかと思う。テレがあったのかもしれない。良く夏になると甚平を着て外出している人を見かけたが、太り気味の私にはしっくり行かなかったが、痩せ気味のいまだから、家内も薦めてくれたし、自分も着る気になったのかもしれない。夏のホームウエアとして涼しく着れて快適な気分を発見。まだまだ甚平を着て外出する勇気がない。持ち前の照れ屋がそうさせるのだろう。俳人(藤田湘子)の上の句に「暗部あり」とありますが、おそらく私と同じく、気恥さや、照れさだろうと思う。
梅雨あけの日本列島熱中症
日本列島は17日、広範囲で夏の日差しが照り付け、関東を中心に気温が上がった。気象庁によると、群馬県館林市で最高気温39・2度、同県伊勢崎市でも7月観測史上最高タイ記録の同39・1度を記録した。正に日本列島熱中症状態だ。
富山県滑川市の工事現場で車の誘導中の男性(55)が、熱中症とみられる症状で死亡した。
共同通信の集計によると、全国で少なくとも901人が熱中症とみられる症状で病院に搬送された。特に気温の高かった関東甲信越の10都県では369人に達した。
気象庁は関東甲信と東海、近畿、中四国が17日、梅雨明けしたとみられると発表。
君達の頭脳硬直ビヤホール
藤田湘子
君達の世相はどこにビヤホール
正義
以前東京の義息子に(日比谷)に連れて行ってもらった屋上ビヤホール
俳人「藤田湘子」は2005年(平成五年)の4月15日に亡くなっている。1926年の生まれだから79歳の死である。そんなに難しい語彙を使わず、私のような非才な素人にも理解できる句が沢山あり、しかも繊細になにかを訴える「藤田湘子」の句が好きである。平成四年から平成十年の句集「神楽」を手に入れた。出来たらその前の句集を集めたいと思っている。「頭脳硬直」は的確に今の若者を表している。今の難しい世相をお互いにどう考え生きて、どんな世にしたいかなんて考えずに、ビヤホールでビール飲んで、つまらない、テレビで言うバライチィ的な話ばかり、実に平和ボケである。と湘子は言いたいのであろう。