ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

読みすれた藤田湘子(俳句作法入門)

2016-06-29 17:59:19 | Weblog

 藤田湘子解くまで読もうほととぎす

藤田湘子の基礎的な本がボロボロになるほど何回も読んでいますが、いまだ自分のものにすることが出来ないでいる。読めば読むほどに俳句の深さを痛感するのみである。鳴くまで待とうホトトギスのような心境で、分かるまで読もうホトトフギスでいる。

 


白いホタルぶくろ

2016-06-28 09:02:27 | Weblog

 小さき夢ほのぼの宿す蛍ぶくろ

おぼろげの要所に点る釣鐘草

 



 先日は赤い「ホタルブクロ」をブログにしましたが、ようやく我が家の白いホタルブクロが咲きはじめた。このホタルブクロは隣の中華店の奥さんから分けていただいたものだ。ホタルブクロをネットで調べえ見ると、草原や道ばたなどによく見られる草本で、畦道など人里にも出現する野生植物であるという。関東では赤紫が、関西では白が多いとありましたので、私共、関東地方は白の「ホタルブクロ」は珍しいのかと思った。そういえば、野で見る蛍袋は赤紫が多いような気がした。ホタルブクロは、子どもたちが袋のような花にホタルを入れて遊んだことに由来するとあった。野生のためか元気がよく増えるため、我が家は狭庭ですので、プランタンに根を移し育てたいと思い家内に頼んでみた。


とと姉ちゃん 戦後のひもじい思い出

2016-06-27 08:00:17 | Weblog

 向日葵や我ら受難の幼少期

とと姉ちゃん

 今放映中の朝ドラ「とと姉ちゃん」は戦争の悲惨さのまった中である。改めて戦争は二度と起こしてはいけないと心底思う。私は終戦の年は四歳でしたので、戦争の悲惨さを味わったことは記憶にありませんが、戦後食料難で、いつもひもじいい思いをしたことを鮮明に覚えている。その点は田舎暮らしでしたので、東京の人々はもっと大変だったと思う。幸いにして、母の実家は農家でしたので、母の実家のおばあさんとおじいさんは、私たち孫に、たらふくお米を食べさせてくれた上、ニワトリの首をひねって、御馳走してくれたころを今でも鮮明に記憶にある。そんなわけで、母の実家へ行くのが楽しみであった。私と家内の年代は戦後の不自由さを芯から知っていますので、物を大切にすることと、倹約することが身についておりますが、今の若い夫婦はじめ孫たちを見ていると、これから先は暗い世の中になりそうな気配がする中、困難な時代に耐え生き抜くことが出来るのかと、余計な心配をしている爺である。

 

 


三年目の一匹の金魚

2016-06-26 06:37:27 | Weblog

一匹となりて生きゐる雑金魚

忘られし金魚の命淋しさよ

 右の一匹だけの金魚は三年目に入ったと思う。町内の「秋葉神社」大祭でお兄ちゃんが救ってきた金魚だ。救った時点では十匹以上いたと思いますが、十日たたないうちに一匹だけしか残らなかった。毎年経験することであるが、家での水槽で飼う金魚はほぼ直ぐに死んでしまう繰り返しであったが、どうした分けか、この一匹の金魚だけが生き残って楽しませてくれている。玄関に動くものがあることは、活気があって良いものだ。以前私の母は金魚育ちが上手く、かなり大きくなるまで育てた記憶があるので、その極意を教わっておきたかったと、今では悔いている。この一匹だけ残った金魚が末永く生きて大きくなること祈るのみである。

 

 

 

 また、左の小さな金魚は今年の五月十八日のお祭りに、孫たちが救ってきた極小さな金魚ですが、やはり最初は水槽一杯に居たのですが、今となると総計15~16匹となってしまった。ママであるお母さんは、毎日の餌やりと水の交換に余念がありませんが、日に日に少なくなっていくことが気がかりな私である。


更埴の杏最盛期

2016-06-25 12:33:40 | Weblog

お日様のぬくもりのある杏子捥ぐ

触りたき衝動生まる杏子捥ぎ

      

 更埴のあんずの里ではあんずの収穫が最盛期を迎えています。一目十万本」といわれる日本一の杏で有名な千曲市の森地区の親戚へ所用があり、家内の運転で出かけた。幸いに収穫間近の杏畑を写真に収めることが出来た。農家の話ではやはり今年は例年より収穫時期は十日ほど早いとのことだった。今日の所要の親戚は、杏農家で自宅の裏はアンズ畑が広がっている。家の人の許しを得て杏の木から数個もぎ取って口に入れると、甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。帰りには、捥ぎたての杏と、特産品「杏ジャム」と杏で出来た「杏酒」をお土産に戴いてきた。「杏酒」は飲んだ経験がないので、一口飲みたいと思いましたが、今、アルコール類を絶っていますので、泣く泣く我慢した。お父さんがいたら、さぞ喜んだろうと思った。偶然なことにブログを描き終わってから見た今朝の新聞に千曲市更埴森のアンズのニュースが乗っているのに気がつく、その上、「今朝の一句」の土井 あき子(俳人)が推薦されたアンズの句「あんずあまさうなひとはねむさうな」 室生犀星があった。


雨の紫陽花寺高原院

2016-06-25 01:23:45 | Weblog

淋しくて淋しくて雨紫陽花寺

しずしずと雨のしみいる額の花

 

戸狩温泉スキー場の手前に見える立派な石門。奥には樹齢300年とも言われる大きな一本杉がそびえ、さらに奥に続く杉並木の先に、高源院の本堂はあります。高源院は、平成11(2000)年に開創600年を迎えた戸狩屈指の古刹で、本尊に大恩教主本師釈迦牟尼佛を祀る由緒ある寺院。正式名称は曹洞宗三嶋山高源院といい、寺伝によると、永仁3(1295)年に、前身である真言密院・萬用山慈専院がこの地に開かれ、その後、応永7(1400)年に曹洞宗に改宗。名称を三嶋山興源院とし、さらに大永5(1525)年に現在の三嶋山高源院の名に改称し、今に至ります。本堂は享保4(1719)年に建立され、厳かな佇まいからはその歴史の深さを感じます。

 このように古くから戸狩の地に根ざして来た高源院ですが、地域貢献活動の歴史もまた古く、第26世住職、忠安雄孝大和尚は、高源院から庭続きとなっている戸狩温泉スキー場の祖でもあります。戦後、このあたり一体だった太田村の村長も務めた忠安雄孝大和尚は、地域経済振興のために、住民を苦しめる豪雪を逆に利用して、仲間と共にスキー場を開発。豪雪地域の冬に新風を吹き込みました。
 こういった気概は、戸狩観光協会会長も務めた現28世住職・江澤一遠住職にも伝わっているようで、2005年の新潟県中越地震の際には、戸狩の民宿を利用して十日町市民の無料受け入れを行ったり、東日本大震災では義援金の支援等の活動を行っています。

 さらに、話題になっているのは、最近新たに安置された、本堂前の「ぽっくり観音様」。その名の通り、苦しまずに「ぽっくり」突然にあの世へ逝けることを願った観音で、「病気を持ち、苦しんで長生きするよりも、元気に生きてぼっくりと大往生を遂げた方が幸せじゃないか」という長寿県・長野県における住職の率直な願いが込められています。また、にこやかな観音様は「ぽっくり下駄」を履いており、ウィットに富んだダジャレから「笑って明るく生きよう」という住職の人柄の面白さ、明るさが伝わります。このぽっくり観音の向かいには、悠々自適な生活を願う「ゆうゆうじぞう」も安置されています。肩の力を抜いて悠然と生き、元気にぽっくりとあの世に逝く。誰もが望む実直な願いかも知れません。とネットからの抜粋である。また、この高原院
の前住職は、私の中学時代、三年間担任の先生で、専門はお寺の住職に珍しく英語の先生でした。

 


ダークダックスのマンガさん死去

2016-06-24 13:25:59 | Weblog

離れがたきあのハーモニー花茨

 

      6月20日に亡くなったマンガさん          

バクさん       マンガさん    ゲタさん    ゾウさん

1951年に結成され長い間国民のシンボルであって 、知らないものがいない人がないほどに有名な男性の重唱団ダークダックス、同グループのメンバー数は活動の中心時期には長らく4人だった。その後、メンバーの逝去により、今月の20日にマンガさんこと佐々木行さんが亡くなった現在は、ゾウさんこと「遠山一」さんだけになってしまった。ダークダックスは60年以上にわたり、あの美しいハーモニーで沢山の国民に親しまれてきた。メンバーが変わらなく、日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループとして、ギネス世界記録に認定され、その上、1993年(平成5年)、紫綬褒章受章、これまでにグループ全員による受章は前例が無く話題を呼んだ。


梅雨最中

2016-06-23 09:29:55 | Weblog

梅雨の雨海にいれたる千曲川

 わが故郷は、先日ブログにしましたが、今梅雨の最中ですが、空梅雨で農家はじめ水源の心配までしているようであるが、報道では、九州地方はじめ四国など、西日本中心に大雨の被害が報告されている。特に熊本県はじめ大分は地震被害の上に集中豪雨と、二重の被害に市民の心配が増大するばかりである。孫達のお父さんは、今、会社から派遣され熊本へボランチィア活動に行っている。毎日のように、孫たち始め、お母さんの娘に電話が入っているようですが、話では非難命令が出ている地域でのボランチィア活動らしく、心配している私であるが、本人は毎日勉強になっているようだ。ただただ、無事に帰ってくることを願うのみである。


昨日は夏至、寡黙の友が来る。

2016-06-22 07:01:52 | Weblog

夏至の日にねまがり抱へ友が来る

 

  昨日は「夏至の日」であった。例の寡黙な友が久しぶりにやって来た。私と同様に「日本茶」が大好きな友、何時もは掛川から新茶が届いたころみはらって来るのだが、今年は何故か遅いので、電話でもしようと思っていた矢先に、「ねまがり竹」を抱えてやって来た。今年に入って始めての出会いであったが、相変わらずの元気な姿に一安心。早速出してあげた「掛川茶」を例のごとくに、何も言わずに静かに飲んでいた。孟宗筍(もうそうだけ)、淡竹(はちく)、真竹(まだけ)、根曲がり竹(ねまがりだけ;笹の仲間)などを食用とする。俳句では夏の季語となるが、夏至と根曲がるり竹の季語重ねであるが、「根曲がり」だけだと許せるような気がしまして、承知の上で詠んだ句である。


NHKの撮るしん軽井沢白糸の滝

2016-06-21 08:23:52 | Weblog

 薫風や緑しずめる滝の音

伊藤 千栄さん
撮影日:2016年5月29日
場所:北佐久郡軽井沢町長倉 白糸の滝
そろそろ新緑が綺麗かと見に行ってみました。そうしたら、ちょうど新緑のグリーンと滝のコントラストが綺麗で清々しい気分になれました。とのコメントです。

私は数年前、友人と秋の紅葉の時期にこの白糸の滝に訪れた。小菅川の源流にある「白糸の滝」は、紅葉が大変美しいことで知られるスポットである。名の如くに、白い糸のような清流が何本も分かれて落ちる滝で、周囲は歩きやすいように橋 ...秋の緑の木々の中に真っ赤に染まった楓の木に強烈な印象が残っている。

 


新築して早二十年経過の(格天井)

2016-06-20 07:46:05 | Weblog

        格天井より褐色に風薫る

 今、住んでいる家は新築して二十年以上経過した。このころは、格天井を手つくりで施工出来る大工さんは少なかった。 親方にみっちりついて大工の修業する若い大工さんが少なくなっているのに気がついたものだった。もっとも、格天井をお願いする施工主は少なくなっていたようだ。料理の世界でも言える事ですが、わずか二~三年の修行で、板前として大きな顔で職場を転々とした若者が増えている時代でした。大工さんの世界も厳しい親方の元に修業を重ねる若者が少なくなっていることを痛感した。この頃の高度経済成長の時代の影響かもしれない。幸いに家は若い棟梁でしたが、しっかり基礎を習った大工さんであった。それでも、十二畳の日本間の手作りの格天井を仕上げるのに二十日位かかった。この日本間だけでかなりのお金が掛かってしまったことを、今でも忘れない思い出である。今、目を通している「藤田湘子」の「俳句作法入門」の本の推薦句に「格天井極彩色やほととぎす」 ・・・・・小林成絃さんの句がありましたので、格天井をブログにしようと単純に思ったつまらないブログとなりました。反省。

 


信毎健康フォーラム(温泉で健康になる)

2016-06-19 05:23:18 | Weblog

 温泉は地球のエキス額の花

浴衣着の手ぬぐい肩に外湯かな

北大名誉教授 阿岸裕幸氏                日本温泉地域学会理事 徳永昭行氏

                                     

 

 

飯山市文化交流館「なちゅら」にて

昨日は家内と、初めて、新しく出来た「飯山市文化交流館」(なちゅら)へ講演会に行く。

徳永昭行氏 「温泉とは何か」 温泉は地球からの贈りもの、地球のエキスです。太古の昔から、人々はこの恵みに感謝と畏敬の念をもって利用してきました。今日のように医療がない時代では、経験の積み重ねの上に言い伝えられた温泉に対する「効能への期待」は大きかったはずです。から始まっている。

阿岸裕幸氏 「温泉と健康」 全身を湯に沈めると、浮力によって体重はおよそ9分の1に減少、運動がしやすくなります。一方、泉水そのものの重さ(静水圧)が手足や腹部に加わり、末しょうの血管を圧迫。心臓の循環器系に負担がかかります。しかし半身欲では、心臓に負担がかけずにすみます。から始まってる。

 


自宅周辺

2016-06-18 07:29:25 | Weblog

 気配なき大きな館濃紫陽

どくだみの固まり咲くもさみしけれ     

 

 

 自宅そばに、誰も住んでいない大きな館が建っている。この館はつい最近まで、土建業で成功され、市会議長や商工会議所の会頭までなさり、息子さんと三人で過ごされていた館である。人生は不可解なもの、その社長さんが亡くなり、後を追うようにして、四十歳過ぎた息子さんが不意になくなられた。一人残された奥さんも苦難の中で病に落ち、施設に入るようになり、この大きな白い館は空の状態となっている。主がいなくも紫陽の花が元気に咲いていた。

 

 

駐車場の隣のお宅に、どくだみの可憐な白い花が盛んに咲いております。今でも散そうな薔薇の花を引き立たせている。どくだみの花は沢山咲きながら影のように見える。どくだみ「十薬」の花は薬になるほど強烈な匂いが漂っている。

 

                                                        

 杖が必要となって歩く私は、もし事故を起こしたらと考え車の運転が億劫となってしまっている。従って遠くへの行動が出来なく、益々ブログの話題に苦慮し、どうしても歩ける範囲内の話題となってしまう。運転できるまで仕方ないかとも思っている昨今です。

 


老を楽しむ

2016-06-17 04:28:37 | Weblog

 晩年のしあわせ詰める蛍ぶくろ

 

 何時ものテラスでコーヒーをしていますと、すぐそばに、御夫人方が楽しく談笑なさっているすがたがあった。複雑怪奇な時代、一人一人の御夫人方は多かれ少なかれに、それぞれに悩みをお持ちと思われるが、たまには、こうして仲良し仲間が集い、旅行でも楽しんでおいでになるのかなーと、勝手に想像した私である。                    

 

   

 

 

右は御夫人一人と老紳士二人が飯山線の上りを待ちながら歓談されている微笑ましい姿が見えた。この方三人は、つい先程までテラスに居なさった。私の直ぐ隣でしたが、御老人方は俳句談義に花を咲かせていた。どうも吟行会の帰りのかたがたらしかった。写真の左の紳士が、私が開いて目を通していました俳句小詩「岳」に気がつき、「俳句をやっていなさるんですか」と声をかけてきなさった。私は恥ずかしさが手伝って「まだほんの初心者」ですと答えた。御老人は私も「岳」に入って居ましたが、余りのも大団体になってしまったもで、長野周辺の小さな俳会に変わったのだと言う。どうもこの方々は「吟行」が趣味のようだ。私も元気なころは、良く吟行会に出席したものだった。「吟行」が楽しいなんて相当のベテラン俳人だと推察した。俳句を上達するには「吟行」が一番だと常々思っていた。その上、吟行は俳句仲間との再会が楽しみの一つである。私の庭の「蛍袋」は咲きはじめたばかりである。


山々を描く

2016-06-16 06:10:48 | Weblog

無になりし筆を運びて青山河

筆洗ふ水のにごりも夏の色

 水墨画の教室に出られなくなり早一を経過してしまった。従って先生の御指導から離れると、思うような画が描けないものだと痛感している昨今である。ですが長野県の県展への出展は無理としても年に二回開催されている飯山の文芸協の作品展には出展させていただいている。そんなわけで、私の机上には常に、硯初め筆など水墨画一式道具が常に置いてある。時間があるときは、絵筆を執るように努めています。上の作品は、右往左往しながらやっと描いた山々の画である。何時も満足はしませんが、全て頭を空にして、何かに夢中になる時間は今の私にとってストレス解消に大切なことであると痛感している今日この頃です。