ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

待ちに待った市花「雪椿」

2013-04-30 19:00:06 | Weblog

吾郷の息吹きとなりし雪椿

                                                

                              一輪の椿の花のものがたり

 

 

 待ちに待った市の花「雪椿」が咲き始めた。雪椿と言うので冬の季語ではと思いたち「歳時記」を紐解くと春の季語でした。椿の一種とだけ記してあった。何時もリハビリに通う道すがらの市営住宅の入口の間口いっぱいに雪椿が植わっている。三月二十日のブログで、まだ解くことの出来ない雪椿の雪囲いをブログにまだ硬きいつもの道の雪椿と句にしている。冬中硬い蕾を抱き静かに寒さに耐え、ようやく花開いたと言うわけだ。「花の命は短いと」言うように、次回のリハビリは連休に入るため、少し早い雪椿ですが、今日のブログにしました。

 

 

 

   待たせじの千両役者雪椿

                                                               

     

 この雪椿は花びらが、あざやかな薄紅に白い 色が独立して交じっている。俗に「椿」の花は、花びらが幾重にも重なった花と2~3重に重なった花がある。単純に普通の「椿」と「雪椿」の違いは何だと思う。調べると、見分けのポイントとしては、花の香りの有る無しのようだ。花の香りが、「椿」、「雪椿」は匂いはないが、「山茶花」「寒椿」は匂いがあるらしい。とすれば、「椿」と「雪椿」の違いが単純に呼び名が違うだけかと思った。また、「寒椿」と「雪椿」は違うのだと改めて知った。またこんな情報もあった。「椿」と「雪椿」の違いは、椿の終り頃から咲くのが雪椿のようなだ。つまり一般的遅い時期に咲いている椿が雪椿と考えてもいいかもしれないと・・・・・・・・」

 

 

 

                              犇々と市花の大輪雪つばき


こごみ採り

2013-04-29 10:54:44 | Weblog

山里の春運び来るこごみかな

 山菜採りいつもの山に迎へられ

 今日は連休の前半の最後の日、朝から家内とお兄ちゃんの椋一君は、家内の兄さんとともに、家内の生まれ故郷、馬曲温泉のある木島平の馬曲の山へ山菜 「こごみ」採りに出かけた。前日からお兄ちゃんの張り切りようはひとしおであった。お兄ちゃん達は午後二時頃元気で帰って来た。第一声は「爺、お昼のおむすび旨かったよ」だった。誰もが味わうことですが、好天に恵まれた山でのお昼御飯の旨さはお兄ちゃんは初めての経験だったのだろう。肝心の「こごみ」ですが、まだ少し早目のせいか収獲は少なかったようだった。お兄ちゃんは山菜採りの良い経験をしたらしく、興奮気味に山の様子を事細かに話してくれた。馬曲は標高が高いせいか、まだ雪が沢山残っていたとのこと、一週間位は早かったらしい。蕗の薹は終わりましたが、春の山菜はこれから「こごみ」初め「わらび」「ぜんまい」『独活」「タラの芽」「こしあぶら」と沢山の山菜が楽しめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 


連休なのにファミレス

2013-04-28 07:32:38 | Weblog

 友達の話しに解けず春霞

 我が家はパパの仕事の関係で、連休に孫達をどこか旅行へ連れて行くことが出来ない。孫のお兄ちゃんは学校で友達があちこちへ連れて行ってもらった話を聞き、きっと淋しい思いをするだろうと思う。私共夫婦も若い時代は商売が忙しく、二人の娘を旅行に連れて行ってやることが出来なかった。妹のママは小学生の頃、「私は地図を知らない」という題で作文を書いたことを思い出す。春休み、五月の連休とか、夏休み、冬休みに友達は何処何処へ連れて行ってもらって楽しかった話など、休み明けに得意顔で話すのを、淋しい思いで聞いていたのだろう。お客様がお休みの時に、忙しい商売でしたのでいまだに、娘たちには申し訳ないことをしたと脳裏に残っている。孫達だけは同じ思いをさせたくないと思ってはいますが、なかなか思うようには行かないものだ。計画ではこの連休中に孫達を動物園や長野のエムウエーブ行われる恐竜祭りへ連れいってやろうと思っている。


土筆摘む少女

2013-04-27 14:45:03 | Weblog

道端に駈けだしさうに土筆生ふ 

 土筆摘む母に乞はれてゐる少女

 カメラを持って木島平周辺をぶらついていると、小さな土手の上で土筆を摘んでいる二人の少女の珍しい光景に出合う。早速お願して写真を撮らせていただいた。一人の少女は母に頼まれたと言っていた。こちらでは、土筆を料理して食べる家があると聞いていたが本当にあるのだと思った。摘みたての硬い土筆は、湯がいてアクを取った後、おしたし、胡麻和え、からし和え、卵とじ、佃煮等にして食べると美味しいらしい。だが、茎の節々についている袴を、調理する前に1本1本取り除かなくてはならないので、大変なようだ。また、土筆を乾燥させると利尿作用があるとし古から伝承されている。近年、花粉症対策としての効能があるとの発表があり、注目が集まっている。ただしこの効能は公的に認められているわけではなく、あくまで健康食品的な宣伝文句としてのものだという見方が強い。とネットあった。

 

 

 

 


建設進む新幹線

2013-04-26 11:56:39 | Weblog

新幹線市民の期待花曇り

2015年三月開業予定の北陸新幹線は着々と工事が進んでいる。JR東日本では、開業後の予想所要時間は従来、東京駅 - 上越駅間が約1時間50分、東京駅 - 富山駅間が約2時間10分、東京駅 - 金沢駅間が約2時間30分(2010年9月現在東京駅 - 金沢駅間は在来線越後湯沢経由で3時間47分とされていたが国土交通省は2010年4月22日、東京駅 - 金沢駅間が速達型列車で2時間25分程度になるとの見解を示した。が誘致運動から長い時間が掛かり過ぎ、その間の時代の変遷で、バブル経済が崩壊し縮小経済になると同時に、高速道路開通が伴ってなのか、現在私共飯山市民は新幹線飯山駅建設運動の時のような、熱い期待が大きく薄れているようである

 


まどろみ

2013-04-25 16:00:40 | Weblog

まどろみの陽のやさしかり若葉風

エンゼルス戦に先発し力投するレンジャーズのダルビッシュ=エンゼルスタジアム(共同)

 昨日まで寒かったり、暖かったりの寒暖の差がある不安定な天気でしたが、今日は空いっぱいに晴れ渡り、穏やかな春の一日だった。今日の楽しみは朝からNHKBSで行われる「大リーグ」だ。エンゼルス×レンジャー戦のダルビッシュの登板が何よりも楽しみにしていた。予定をしていたことを早めに済ませ、贅沢なことに、朝から布団の中での観戦となった。メジャー屈指の強打者を159キロの最速で仕留めた。ダルビュシュは六回無失点の四勝目をあげる好投ぶり、今日は11個の三振を奪い、今季大リーグトップの49三振をなしたと放送していた。窓から射し込む暖かい日差しと爽やかな若葉風に時々布団の中で”まどろみ”「居眠り」しながら、ふと我に返ること数回の観戦でしたが、ダルビュシュの好投に興奮気味の私でした。次回の俳句教室の兼題は「若葉、青葉」ですので、上の句「まどろみの陽のやさしかり若葉風」を投句にしたいと思っている。


白桃の花

2013-04-24 09:15:38 | Weblog

 桃の花癒し癒され一番風呂

長野市川中島の白桃」   4月23日の新聞より

 桃の花は文字通りのきれいな「桃色」、そのやわらかい色合いは何とも言えない。川中島地方は櫻の花が早かったこともあり桃の花も一週間ほど早い開花のようだ。新聞の写真は農家の人が授粉作業中だ、全国で有名な「川中島白桃」は先人の御努力で品種改良に継ぐ品種改良により生まれた味の良さで、市場の評価が非常に高く、他地区の白桃より高値が付くほどに消費者に人気の桃ですが、御多分にもれず栽培農家の高齢化が進む上に後継者不足の為、担い手が減っている。そこで、川中島の白桃を残すため、定年退職した地元住民らがNPOの法人を立ち上げ、果樹園の管理を請け負うボランテイアを募り、支援活動を始めたと言う。今日の句は、新聞の写真をみての想像句です。授粉作業を終えて美味しい晩酌の前に、自家の奇麗に咲く桃畑を眺めながら、一番風呂に浸かり、一日の仕事の疲れを癒す満足感を詠った。

 

 

 


花あり雪あり太き川

2013-04-22 15:07:28 | Weblog

雪解のいま太り時千曲川

春の夢郷愁誘ふ山河かな

 東京在住の中学時代の同級生が何時も望郷に馳せる景色は春の千曲川、とりわけ上の写真の場所だと言う。もう十数年もこの場所に来ていないので出来たら写真にして添付してくれないかと、以前から言われていましたが、春の三国山脈の残雪と千曲川を撮る時期を逸してしまっていた。彼はこのスポットの写真を何枚となく撮って持っているはずだが、数年前からロードに咲く菜の花の写真は持っていないだろうと思う。今日こそはと思いたちこの場所へ撮りに行く。昨日は長野全県に観測以来初めての遅い雪が晴れて、風は冷たいですか青空の覗く良い天気となった。相変わらずの写真ですが、早速彼のパソコンのメールに添付して送って置いた。


穀雨時の雪

2013-04-21 15:32:21 | Weblog

花冷えや白き天地に仰天す

春の雪一人芝居の如きかな

 昨日から穀雨という。穀雨」とは、「雨が降って百穀を潤す」という意味からきている言葉で、この時期のやわらかい雨は、穀物が豊作となるために必要な恵みの雨だと言うに、逆に吾北信州は雪となる。穀雨時期に雪降るとは、私には記憶にない。今日は、私が住む公民館前の庭で区民総参加の花見の日であるが、今日は雪の降る寒い日なので、区民が楽しみにしていた花見は中止となった。ここ、3~4年続いて雨や風で花見が中止となっていましたが、噂では今年の区長さんは晴れ男だと言うことで、区民は期待していましたが、噂が逆となった。


梅と桜

2013-04-17 16:17:10 | Weblog

       紅梅に空あをくなれ青くなれ

 

 

 

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「梅は咲いたかさくらはまだかいな」と言うように全国的に「さくらの」開花は早かったと言う情報だった。こちら北信州も「さくら」は一週間以上早かったのではないか。梅は梅でも紅梅は白梅より僅か先に咲いた。

 

                                                                       
 
 
 
                    園児らに微笑みさくら八分咲き

 

 

 春の暖かい一日の一時、カメラを片手にブラブラとしていると、自宅の直ぐそばの「さくら」並木がいつの間にか花を付けたていた。このところの暖かさで急に開き始めたのだろう。写真では多分八分咲きだろうと思う。暖かに誘われるように保育園の園児がさくらの下を散歩しているのに遭遇する。どうも家の「あーちゃん」の幼稚園の園児ではなさそうだった。家の「あーちゃん」より少し上の年頃の園児と見えた。こんな無心の可愛い園児を見ると、家の「あーちゃん」と重なって可愛さが胸に詰まった。

         

 

 

   北信州梅と桜の競ひ咲き                              

                                                      

 

 

裏の児童センター前の庭に咲く、一番手前のさくらは、染井吉野よりピンクの色が濃いさ、多分(八重桜)ではないかと思われますが、奥の白梅の花と競いあうように咲いていた。例年だとこの(八重櫻)と思われる桜は染井吉野より一週間は早く咲くため満開が過ぎて散る寸前のようだった。こちら北信州は、このところの急な暖かさで待っていたかのように沢山の花が一斉に咲き乱れていると言う感じです。


春の展覧会

2013-04-15 13:00:57 | Weblog

   鐘楼やまだまだ春は遠きかな       

                                    桂林の春山水に解け込んで

      師に一歩届くは遠く春霞

                               アルピスの雪解けもよう画き切れず

 例年の芸術文化協会主催の春の展覧会が行われた。美術館に私共「水墨画」初め「油絵」「日本画」「水彩画」と多彩に展示された。先生初め  画友と自作の画に駄句を添えたブログとなった。いつも決まって自分の画が画友に比べると劣り過ぎるのに心が荒む、こんな気持ちになるのは普段の努力の足りなさだと、何時も反省仕切りですが、のど元過ぎれば何とやらで直ぐ怠け癖が頭をもたげる自分が常にいる。一番目の春なのにまだまだ雪深さを描いた鐘楼は、きめ細かいタッチに味を出す、教室ナンバーワンの実力者。二番目は中国は桂林の鋭い山々が良く描き出されている。彼は絵が好きで何時でも描いていたい様子、私と月とスッポンであり羨ましく思う。三番目は私達の「水墨画」の先生、現在長野県水墨画教会の副会長を務めていなさる。師の人間的な暖かさが、画にそのまま表れていると常々感じている。師に一歩でも届くことは永久にないことだろうと諦めの境地である。最後は一も二も努力の跡が見えない、登山が趣味の友人が雪解けのアルピスを撮って送ってくれた写真をデッサンして描いた私の駄作である。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 


田植今昔~農村の原風景~

2013-04-14 13:57:25 | Weblog

 田植うるは土にすがれるすがたせり

栗生純夫

花めぐる悪しき良しきの昭和

正義

 白内障の手術の為しばらくブログを休みました。古希を過ぎると病持ちの上、予期せぬ病気が重なるものだと思うこの頃です。先日に続き「岳」主宰の宮坂先生の書「昭和を詠う」の一部の「田植今昔」を感慨深く詠む。機械化により農村の懐かしい原風景初め、町家が消え、アパートが建ち、いつかマンションに変わる。豆腐屋さん、八百屋さん、魚屋さんがコンビニエンスストアや大型スーパーの進出で息も絶え絶えの状態で辛うじて開いている。こんな町を囲む農村の変貌も著しかった。休耕田が増え、草地化した地には背高泡立草が密生している。い農業の担い手が高齢化し、後継ぎがいない農家が多くなった昭和であったと思う。本の中で、掲出句を詠むと、こんな解釈が出来ると主宰は書いている「この田植の光景が長い間日本農村の原風景であった。この句は昭和十五年(1940)の作であるが、昭和三十年代まで田植は田植人が土に「すがれるすがた」をして早苗を田に植えた。早乙女を雇い、近隣の一族(まけ)が「ゆい」(結い)を組んで、時期を外さず、いく日も植え合う。田植には田の神を祀る儀式が重視された」とある。昭和十六年(1941)生まれの私には良きにしろ悪しきにしろ懐かしい昭和である。改めて、昭和時代の少年期、青春期、成人期のノスタルジアを思い出させたが、今は便利さの享受の反面、東日本大震災以後、盛んに言われています人間の大切なコミニケーション「絆」がなくなって行くのが淋しい。又、掲出句の作者(栗生純夫)は戦前の信濃を代表する俳人であって奥信濃の一茶研究家として名高い、と記してあった。


俳句「岳」三十五周年

2013-04-07 16:55:16 | Weblog

信州に「岳」てふ俳句種を蒔く

三十五年「岳」といふ花咲かす

 

      俳句界の長老第一人者金子兜汰氏(左)前会長の宇田喜代子氏(右)と硬い握手を交わす主宰

 私が場末のそのまた場末にいる、信州で生まれ育った俳句会「岳」の主宰の宮坂静生先生が今回「現代俳句協会長」に選ばれた。光栄至極のことである。宮坂主宰は昭和12年長野県松本市生まれ。中学2年(14歳)で俳句と出会い、富安風生・加倉井秋を・藤田湘子に師事、信州大で近世文学を専攻、同世代の樺美智子の死は衝撃だった。高校教師だった20代半ば、満州開拓団が帰国後に住んだ軽井沢近くの開拓地に通う。移民の半分、約400人が亡くなったと知り、地元の歴史の重さに打ちのめされた。母校の医学部では30年以上、芭蕉や一茶、子規を題材に死と文学を教えた。「医にたずさわる者は、死を意識しないと患者に向き合えない」と確信している。人の死と生を考えることがテーマになった。現在は信州大学名誉教授である。私と同世代の主宰である。「岳」に紹介されている最近の句にこんな句がある。

2013・1  クリムトの接吻以後が枯世紀

2013・2  鶏鳴のはじめふたごゑ諏訪の国

2013・3  わらび折るたび新しきわれなりし

2013.4  鬣に櫛あて春の酣よ          等がある。

                                      祝贈呈句三十五以後を数えている櫻

宇田喜代子

 


大犬ふぐり

2013-04-06 08:05:59 | Weblog

野に咲きしまんてんの瑠璃犬ふぐり 

高望みせずに道端犬ふぐり

 

年に一回の篠ノ井総合病院への診察日であった。駐車場の端に川が流れていてその土手に沢山の大犬フグリが咲いていた。四十K北の私共飯山もボチボチとあちこちの土手に咲き始めている。

  オオイヌノフグリとは「大犬の”ふぐり”」ではなくて「大”イヌノフグリ”」なのです。この花は明治の初期にヨーロッパから渡来したとき、すでに日本にはそれに似て小型の「イヌノフグリ」があったので、「オオイヌノフグリ」と名付けられたのとのことだ。

 

 

 

 

 

 

 犬ふぐり回覧板の近き道