ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

後一日

2011-12-30 07:56:20 | Weblog

ささやかに家族七人年暮るる

 月11日の東日本大震災の翌日、長野県の最北端の栄村の大地震の隣にいながら被害を逃れた私の住む飯山、大震災にあって苦難の連続の人々を思うと、手放しに喜んではいられないことは重々承知しておりますが、地震の被害に会わずに、倹約の日々ではありますが、何とかつつがなく一家七人無事過ごせたことに感謝の年の暮れです。しいて言えば、不注意から自室で転倒し頭を打ち「慢性硬膜下血腫」による「脳梗塞後遺症」となり、健常者近くに歩けた左足が動かなくなり、これには仰天しました。50日のリハビリ入院で何とか左足が動くようになり、完全ではありませんが、杖が無くも歩けるようになったことに感謝しております。その上、早期癌発見のPET映像検査で「喉頭癌」のうたがいありと言われ、これも仰天でしたが、幸いにして専門の先生に診ていただき、何もなかったことに安堵しております。来る年も持ち病と仲良く付き合っていきたいと思っております。私のブログに御訪問頂きました方々来年こそは良い年になることを願って、良い年をお迎えください。ブログを新年10日位までお休みさせていただきます。ありがとうございました。


年取り料理の準備

2011-12-29 15:15:30 | Weblog

年越しの薇浸す三日前

お年取り料理に、ゼンマイの旨煮が我が家の定番となっております。あの歯ごたえと言い、一緒に煮る油揚げと白滝に何とも言えなく美味しいゼンマイの味がミックスする。ゼンマイはわりと長い時間かけて戻し浸さなければならない。。最近は国産は少なく殆ど中国産が出回っておりますが、幸いに毎年、家内の実家から山で採れた純国産のゼンマイをいただく、乾燥したゼンマイは生のときの十分の一位になるそうだ。また、山のかなり条件の悪い場所に生殖していると聞く。乾燥した国内産のゼンマイは100g 1000円以上はするようだ。兄さん夫婦の達者なうちに国産ゼンマイを食べられるのはあと数年だろうと思う。いざ、買うとなると100g1000円以上では考えさせられるが・・・・・」でも、ゼンマイだけは、何とか国産にこだわりたい。

 

 

 

 

 

        

 

 今年のお盆に煮たゼンマイの旨煮


冬ざるる

2011-12-28 16:54:49 | Weblog

冬ざれやふたりのありし偲ぶかな

今日の新聞の死亡欄に、目を疑うほど驚く。死のお二人とも良く知り合いである。初めの「三ツ井武治」さんは私と二年間ほどリハビリを一緒に励んだ仲である。三ツ井さんは私より重い麻痺でしたが、大変の頑張り屋だった事を記憶にある。その後、私が歩くコースで何時も出会って、いろいろ語り合った。三ツ井さんは「飯山仏壇」の金具師で、仕事の方は息子さんが継いで何の心配もない方ですが、六十歳での脳梗塞の発病以来、二十三年間再発もなく良く頑張って来られた。私が目標にしていた同病の先輩でした。半年くらい前に、病院で息子さんが押している車椅子に乗った三ツ井さんに会いましたので、私は咄嗟に再発ですかと聞くと三ツ井さんは今度は本当に軽かった、少しリハビリすれば脳梗塞の方は元に戻るが、癌があることが今回の入院で分かったんだよと言う。もうこの年だから手術を断ったんだよと明るい顔をしておられたことを鮮明に覚えている。三ツ井さんは脳梗塞の死ではなく癌が原因の死だと思う。

一方、「石野トキヨ」さんは水墨画教室での同級生である。私は七年になりますが、石野さんは十年以上のベテランでした。石野さんは先生と同級生で、そんな関係で同じ同級生の「高橋みつ子」さんと一緒に教室に入ったようだった。物静かな控えめな方で何時も親切にしていただきましたが、肝炎で入退院を繰り返されていた。若い時代に何かの病気で同じ型の血液を輸血していただいたのが原因とのことだった。あの頃は、今の医学と違って同じ型であれば何でも輸血していた時代でしたので、肝炎にかかったのだと思う。お二人の御冥福を衷心より祈ります。

                           ありし日の水墨画教室 右端の女性が「石野トキヨ」さん

 


「雪国飯山」の風土と暮らし

2011-12-27 16:14:34 | Weblog

雪国の苦あればこその忍宿る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         昭和32年の雪国バス

 

                               雪山つくり昭和29年飯山市街

                                                       

松瀬孝一さんの写真集発刊に当ってと題して市川健夫さんがこんなことを言っている。日本列島の日本海岸、特に北陸地方は世界で最も雪が降るところだ。特に日本海岸から30~40キロほど離れた山間地帯は世界的な豪雪地帯となっている。従って新潟県南部と長野県北部は豪雪の代表地域である。特に長野県の県境の今年大地震のあった栄村初め栄村に接する新潟県の津南町など想像つかない豪雪地帯です。「島崎藤村」は「千曲川スケッチ」に「川船から下りたところ、飯山の町は雪の海だった」その町は28の寺があるなどと書いている。また飯山の雪国は埃が少なく、漆器産業ともいわれる仏壇産業に適している。また、「飯山仏壇」と並んで雪を利用した「内山和紙」つくりも伝統産業に指定され有名である。まだまだ雪国飯山を沢山語ることがありますが今回はこの辺で。                                                                                         


クリスマスイブ

2011-12-25 08:10:23 | Weblog

 

この子等に幸おおかれクリスマス

 息を吞むパパのバリトン聖夜かな

 

 クリスマスケーキを囲んで大騒ぎの孫達は急に静かになった。パパが「きよしこのよる」と、バリトン(良く分からない)らしき声で、クリスマスソングを唄い始めた。私もこれには驚いた。普段、音楽らしいこと一言も触れないパパでしたので驚きはひとしおであった。婆と爺は大きな拍手を送ったらパパは照れていた。唄った後に聞いて見ると、パパは、高校時代少しの間、声楽部にいたことがあったとのことだった。イブの為に少し練習したのだと思う。孫達は見たことがないパパを見てキョトンとしていた。そのうちにクリスマスの意味なんぞよそに大好きなケーキに気が移り、またにぎやかになった。


新雪の日本晴

2011-12-24 12:44:41 | Weblog

新雪の澄んだ空気に身を晒す

 

 今日は病院が休みの為、院内を歩くことが出来ない。だが好天に恵まれましたので、転ばぬように気を付けながら新雪の道を歩く、再び今夜から「県北部中心大雪の恐れ」の見出しが新聞にのる。新雪の後の、好天の澄んだ冷たい新鮮な空気が腹に沁み通り全身が晒されるようだ。こんな気持ちの良い日は今日限り、27日までまた荒模様だ。何かと冬は運動不足となり、どうしても、歩行の機会及び距離が少なく左足の回復が思うに任せない。救いは少しずつですが、回復に向かっていることが分かる。先の見えない世と違い、吾身は少しずつですが、回復に向かって先が見えることがうれしい。


居酒屋のおでん

2011-12-23 10:17:04 | Weblog

ガンモさんはみだしてゐる冬酒場

以前にちょくちょく顔を出していた居酒屋へ三ヶ月ぶりに顔を出す。寒い季節は、つまみに、おでんが最高である。早速、ガンモを注文する。まだ開店したばかりなのか、客は私一人だけだった。女将は予約のお客が入るのか、手際良くほかの仕事をしていた。つまみが無くては飲めない私はガンモを待ちながら、カンターに膝を立てながら、待っているのも悪くない時間だった。そんな時間があったのかふと、上の句が浮かんできた。何時も小型デジカメをポッケに入れている私は、おでん鍋を撮りたく、女将の許しを得て撮らせていただいた。やはり寒い時期は誰もがおでんを求めるのか、鍋はいっぱいの具で詰まっていた。そのうちにガンモが出てきた。やはり、ここの女将のおでんは最高だ。沢山飲んではいけない私は、気を付けなければと腹に据えて上手いお酒を頂いた。


冬至

2011-12-22 18:24:27 | Weblog

日の早き気も早くなり冬至かな 

食卓の南瓜と冬至意味しらず

 

戯れて柚子の香ほのか長湯かな

柚子湯してユズは胸元大好きか 

ネットより拝借文です。

◆かぼちゃ

 現在は野菜が季節に関係なく供給されていますが、西洋野菜が日本に入るまでこの時期に取れる野菜は少なく、保存できる野菜も少なかったのです。かぼちゃは保存がきき、保存中の栄養素の損失が他の野菜に比べて少ない。そのため、冬至の時期の貴重な栄養源でもありました。 かぼちゃは、中央アメリカから南アメリカ北部を原産地とするウリ科の植物で、日本かぼちゃと西洋かぼちゃに大別できます。日本かぼちゃは、16世紀中頃ポルトガル船によってカンボジアからもたらされ、「かぼちゃ」の名は、このときの伝来先に由来しています。 江戸時代に普及しましたが、江戸時代中期から風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。これは、当時、冬場に野菜がとぎれてビタミン類が不足することからで、これは、日本かぼちゃしかない時代に始められた風習です。

 

◆ゆず湯

ゆず湯に入ると肌がスベスベになる美肌効果があったり、冷え性やリュウマチにも効くし、体が温まってカゼをひかないとも言われています。これらの効能は、ゆずに含まれている芳香成分――精油の働きによるもの。ゆずの精油にはピネン、シトラール、リモネンなどの物質があって、これらは新陳代謝を活発にして血管を拡張させて血行を促進。ノミリンなどには鎮痛・殺菌作用があるので、体が温まり、カゼも治るのです。また、ゆずにも含まれているビタミンCが肌にいいことは広く知られており、リモネンは皮膚に膜を作って、肌の水分を逃がさないようになっています。みかんの汁が目に染(し)みた!という経験が誰にも少なからずあるだろうけど、実はこのリモネンが原因です。他にも香りのいいゆず湯はアロマテラピーのリラックス効果も期待できます。でも、ちょっと待ってください、何故、冬至に風呂なのでしょうか。この答えは「とうじ」という言葉にあるのです。冬至の読みは「とうじ」。というわけで、湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけています。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いが込められているのです。


寄せ鍋

2011-12-21 14:13:22 | Weblog

寄せ鍋に顔をゆるませ湯気が立つ

寄せ鍋の箸と箸とが喧嘩する

寄せ鍋や方程式の無き我が家

昨夜は鍋でした。我が家は冷蔵庫の残り物や半端物を入れるのが常です。しかし、ダシだけは昆布からしっかりとります。味噌味と醤油味、塩味と、その日の気分で決めます。昨夜は塩味に少し醤油味をミックスしました。漬けだしは味ポン酢を薄めて通します。鍋のダシだけは私がとることにしていますが、後はママに任せます。昨日の鍋は今年初めてですので具は少しおもって金目鯛と黒ムツの白身魚としました。孫達は鍋ものが大好きです。鍋類は野采、魚、きのこ類と、いろいろ食べるので栄養バランスが良く、冬の食卓を賑やかし、簡単で温まって最高です。次回は孫達と「すき焼き」にするかと約束してしまった。


みちくさ新聞

2011-12-20 11:31:32 | Weblog

 

 冬の夜みちのくだより宥むるる

毎月毎月無料で送られてくる四ページの「みちくさ新聞」この世知辛い世に珍しい律儀な人がいるものだと思う。発行=編集人は東京は品川の斎藤さんである。全国の読者に送る切手代と封筒代はばかにならないだろうと思い、私は時々、切手代にして下さいと僅かの金額を送らせていただいている。そのたびに御丁寧な礼状を新聞と一緒に封筒の中に入れてくださる。良きことで目立たないことをコツコツと長きに渡ってなさる、その精神に感銘と感謝です。こんな稀少なことをなさる斎藤さんに一度会ってみたなと思っています。


もう後僅かの師走

2011-12-19 16:25:31 | Weblog

日付見て深き溜息師走かな

孫達が毎日やぶってくれる日めくりカレンダーを見て、改めて月日の経つことの早さを感ずる。行き付けの喫茶店で、昨日に続き今日もブログのネタがないと愚痴って来たばかり。帰宅して自室へ入ると、孫達がカレンダーを破りぱなしなので、上の元が残り乱れているのに気づく、浪人暮らしの私は師走入ったばかりだと思っていたら、今日は早くも十九日かと気が付く。慌てて年賀状は間にあうか、毎年色紙に干支の墨絵を画き、親戚、知人、友人に渡すのが間にあうかと、急に忙しい気持ちだけが先走り深い溜息となる。カレンダーの元をカッターナイフで綺麗にしておいた。また、明日の朝「爺おはよう」と元気な声でカレンダーをめくりに来るだろう。毎朝、孫達兄弟から元気をもらう爺である。


しんしんと降る雪

2011-12-17 13:29:02 | Weblog

しんしんと心鎮まる今朝の雪

こんこんと降る雪友とせぬ

  

昨夜から今朝にかけて40~50cm雪に覆われた北信州です。いよいよやって来ました冬の風物詩、これで心配していたスキー場の年末年始のスキー客の入り込みの心配は解消しただろうと思う。だが、年々若者のスキー離れが心配の要因です。平成七年ころの三分の一位だとの情報だ。今、老人天国と言われているように、シニヤ夫婦をねらった入り込みに力を注ぐホテル及びペーションが繁盛のようだ。シニヤスキー教室を開いたりシニヤ向けの料理を研究したりと、なんでも、一石二鳥にはいかないので、先を見て準備をし個性のある経営が大切なこだと思う。落ちついたシニヤは、にぎやかな若者と合わないだろうし、その辺のところが問題提起されている。ですのでシニヤ専門のペーション経営があるようだ。スキーの楽しさを知ったシニヤは健康維持の為にも、毎年訪れてくれて固定客となるようだ。


友人の写真展出展

2011-12-16 23:35:48 | Weblog

神宮の銀杏並木や嫋やかに

                  

                  出展する彼の写真ですが、上手く再生が出来なかった。  

                          

                

 

 

 船橋市民ギャエアリーで友人のべんちゃんこと  馬場君が、写真展に出展される案内ハガキが届く。かなりグレードの高い写真展だと聞き及んでいる。「おめでとう」と心から言いたい。私は相変わらずですが、写真の手ほどきをしてくれたのは彼である。何とかして来年の1月16日から始まる展覧会を観に行きたいのですが、時間が空かないことと、体調のこともあり、残念だが出席出来ない。彼の日頃の丹念を称賛したい。写真は神宮通りの銀杏並木を上手く捉えている。銀杏の落葉で神宮通りが絨毯となる一歩手前を捉えたのだ。黄葉と常緑樹と青い空のコンストラストが実に佳いと思う。

  

 

  

 

 


喉頭癌

2011-12-15 08:47:08 | Weblog

 

                               冬の霧深呼吸して喉うるふ

今月の二日家内と二年ごとのPET映像センターで癌検査をしていただいた。検査終了後、私は先生に呼ばれた。何か不屈な予感が走った。最近声変わりはありませんか、食べる時に喉に違和感がありませんか、喫煙しますかと、質問される。いずれも該当しなかったので、ありませんと答えたら、先生は早期ですから心配いりませんが、咽喉に何か膨らみがありますと言う。素人でも分かる喉頭癌の所見だ。10日位たったら診断書を送りますから、耳鼻咽喉科の先生に良く診てもらって下さいとのことだった。何かあるかなとは予感したPETセンターでしたが、案の定だった。早速インターネットで「喉頭癌」を検索すると、先生の話からステージ1と判断、多分放射線治療で完治すると思い、深刻に考えないことにした。とは思うものの心配となる数日であった。先日は、北信病院に耳鼻咽喉科の良い先生がおいでになるとの情報で予約しておいた日だ。先生は私の喉を丁寧に触り、まず最初の言葉は、何にもないではないか、それでもカメラを入れて完全に調べるかと言い、小さなカメラを手にした。右の鼻穴からカメラを入れ「はい息を吸って吐いて左右を向いて、上と下を向いてと言い、これも丁寧に診てくださった。やはり、何もないじゃないか、心配することないよと仰る。でも私は先生PETセンターでdvdまで撮って戴いたんですから、本当に大丈夫ですかと言ったら、先生はプライドが傷ついたのか「僕を信用しないのですか」ときつい顔をした。私も気が短いのでムットした顔をしたので、先生は反省したのか、心配でしたら来月、もう一回良く見ましょうと言って予約を取ってくださった。私は笑顔になり「先生ありがとう」といい握手を求めたら、先生も慌てた様子で握手をしてくれた。看護師さんは先生と患者さんが握手したのを初めて見ましたと感激していた。50歳がらみの先生ですがなかなか良い男だ。