ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

農に生きる

2011-04-30 06:57:26 | Weblog

農に生き土の匂いと生甲斐と

 土を耕し作物を育て、その恵を得ることで成り立つ暮らし。何千年と続いた人の営みが、後継者がいないため高齢化が進み、農業が崩れはじめて数十年、失われつつある農地が沢山目立っている中、まだまだ生き生きとして活躍する農地がある。ここを耕すのは何時もの青年だ。種を蒔くまでに耕し終わったのか、その青年の姿が見えなかった。彼は有機農業を実践しているらしい。畑の隅に牛糞の袋が山と積んであった。今の専業農業は生活との折り合い付かないほどにお金にならないと良く聞きますが、この畑の青年は自分の生活の仕様を心得て、自然と生きる喜びと農産物を育てる生甲斐を身体に沁みついているのではないかと思う。とかくお金お金の生活と無縁そうな彼が羨ましく感ずる昨今である。

彼の畑の隣の小高い坂にラッパ水仙がまばらにに咲いていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 


湖畔のさくら

2011-04-29 16:15:56 | Weblog

池の辺を妻と歩くやさくら満つ

午後家内が時間が空いたようなので、針湖池の桜を見に誘った。4K位北に行きますとまだまだ八分咲きと言うところだった。満開になった桜の湖畔を歩くのが毎年の楽しみの一つでしたので少し残念だったが本日(四月一日)に再び湖畔に行きますと染井吉野が満開状態でした。


中野市赤岩 谷厳寺 の揺厳枝垂桜

2011-04-28 09:01:47 | Weblog

老幹と思へぬ枝垂れ桜かな

 充ち充ちて滝のやほなる垂れさくら 

                            

 中野市赤岩 谷厳寺の樹齢 250年のしだれ桜

地震人にせいいつぱいの老さくら

隣の中野市の赤岩地区にある古刹「谷厳寺」の老枝垂れさくらを撮りに行く。思えば三年ほど前に友人と、この枝垂れ桜に会いに来た。その日は生憎の雨模様で残念な思いをしたことが蘇って来た。地の人の話しでは、この寺の住職は250年の老桜を守るため、毎年、樹木医資格検定のある樹木医に診てもらっているそうだ。今では、遠くは東京、大阪あたりから、この一本の老枝垂れ桜を写真にする人達が年々増えているとのことだった。 

 

 


老いを耕す

2011-04-27 09:30:58 | Weblog

耕すや老いて益々ときめけり

昨日、千曲川寄りの河川敷を歩いておりますと、老夫人が慣れた手つきで畝つくりに精を出していた。<何を育てるんですか>と聞いたら、手を休めて私の傍へ寄って来て話しかけてくださった。顔を見せ合うと、お互いに知り合いどうしでした。<毎年ここで薯を造るんですよ>と楽しそうに話して下さった。この御婦人の妹さんが私と同学年でしたので<彼女は今どこに住んでいますかと>と訪ねたら、今諏訪に住んでいて孫達と幸せな生活を送って居るとのことだった。この老夫人は一人暮らしのせいか、話し相手を探していたかのように、日常の色々なことの饒舌ぶりでした。私はただ<そうですか>と聞き役に徹した。老夫人は<何かを育てることは楽しいことですよ毎年のくり返しですが年を取ることを忘れさせてくれますよ>とうれしそうに仰っていた。


やなぎ腰

2011-04-26 07:37:42 | Weblog

幹ゆらす風にしなやかやなぎ腰

 世の中。人間関係などの問題で苦しみやすいというような人は、「心が弱い」のかもしれません。
幸せになる考え方を身につけることで、少しでも「心を強くする」ことができたら、と思う。ここでの「心を強くする」のイメージは“柳に風”です。強い風が吹いたら流されて揺れてしまってもいい。でも、風がやんだらすぐに立ち直る。 そんな「しなやかな強き志」
を身につけることができたらと常々思う。私の座右の銘としている「従流志不変」がそれだ。また、柳腰は細くしなやかな腰つきの女性。柳の枝のように細くしなやかな腰。美人の腰をたとえていう言葉もある。だだ中国に対して常に弱腰の「柳腰外交」だと良く言われている民主党仙谷由人房長官掲げる「柳腰」は、しなやかで、したたかな外交方針のことと言う。尚、自民党山本一太院議員はこれを「弱腰外交」と揶揄している。今日は期待した、千曲川沿いの柳の幹を揺らす強い風は吹かなかった。




チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 3-4

2011-04-26 05:31:43 | Weblog

天と地の姿なき魔物春寒し

1986年4月26日1時23分モスクワ時間の起きた原子力事故は20年以上たっても事故後のソ連の対応の遅れも相まって被害が拡大・広範化し、史上最悪の原子力事故となった。この悲しい事故の数種の動画をブログしようか、しまいか迷いましたが。すでに御存じの方も多いと思いますが、敢えてブログにいたしました。時間帯により動画が重くなり途切れることがあると思いますが、繋がりますので最後まで御覧になってください

チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 3-4


初桜

2011-04-25 08:50:52 | Weblog

初桜なにかよいことありそうな

初桜夢ひととせの物がたり

待ちどうしかった我が街の桜がようやくにして色付け始めた。この春の天候の不順で桜も開花に向かって戸惑いがあったと思う。桜の花は、しずかな私共の街の風景とじつによく似合う。さくらを愛する人々、そこに、日本の自然美と春のよろこびの象徴のような気がしています。自然の恐ろしさを感ずる今日この頃、桜の花は世の不幸を、全部受け止めて咲き始めているように思える。また春の花さくらを詠いたいと思います。

  初桜つぼみゆるめて咲きにけり


梅に鶯より目白が良い

2011-04-24 06:19:16 | Weblog

  蜜求め小鳥たはむる梅の花

 会津のマッチャンからお借りした「メジロと梅」の写真

 「梅に鴬」は古来から云われており、古くは万葉集に歌われていますが、梅の花に寄ってくるのは、実はメジロです。メジロは花の蜜を吸いにやってくるが、ウグイスは虫を食べる為、特に梅の木に寄る必要が無い。やはり梅と目白が似合う。以前から梅に蜜を吸いに来る目白を撮りたいのですが遭遇しないでいた。「満開の梅に目白のこぼれ飛ぶ」この句は自分なりに佳く詠めたと思いましたが、気が付くと「目白」と「梅の花」は季重ねとなった。私共の句会では季語の重なりは御法度ですが、だが、正岡子規の句に「南天の実をこぼしたる目白かな」がある。この句も季重ねですが「目白」と「南天の実」の重さが違うとのことだ。その上、山口素堂の「目に青葉、山ほととぎす初がつお」は「青葉」「ほととぎす」「初かつお」と一句に三の季語がある有名な句もある。


原子力発電事故に思う

2011-04-23 06:22:14 | Weblog

 人災の蝦夷(えみし)の民や春の闇

                             

菅首相の退陣こそが日本復興の第一歩。』
これ以上、デクノボウをこの国の総理の座に止まらせては国が破れる。.震災対応は遅々として進まず、震災から1ヶ月たった今頃、震災復興会議なるものを立ち上げ、年内を目処に結論を得ると云う。そして復興会議には、与野党を問わず参加を呼びかけるらしい。この意味不明、かつ、玉虫色の全く危機感がない有様を見て、与野党から退陣要求が高まっている。4月24日に統一地方選挙の後半戦があり、その後すぐに連休が始まるから、連休明けの早いうちに政局になるだろう。小紙は、政界再編含みになると見ている。恐らく、現在の菅総理を中心とした四人組集団は、この国難のA級戦犯として野外に棄てられるだろう。東電については、15条通報を国にした後、国が主務大臣である経済産業大臣の案をそなえて総理に示し、総理がどのような指示案を出し、それに対し東電がどう対応したかが争点になる。しかしながら、東電に過失があったことは確実であり、刑事事件となることは間違いない。(東京地検は、告発を待たず捜査を開始すべきである。)とある小紙が意見を述べている。全くの同感の私である。蝦夷の民(東北北海道の人々)のことを言うそうです。


画友の受賞

2011-04-22 07:39:32 | Weblog

 友の画の賞に奮起の木の根明く

 

友の画にめざめる吾や木の根明く

同じ教室で学ぶ山ノ内町の石井延佳さんが第五回水墨画北信地区展で優秀賞を戴いた。今話題の限界集落の冬の廃屋を描いた作品です。彼いわく、この画の廃屋は今冬の雪で潰れたそうです。この廃屋は、彼の母親の生まれた家で、従兄に当たる今の当主は川崎で一家をなしているそうです。今私の周辺のに、このような廃屋が目立って増えている。寂しい限りなことです。彼の受賞を画友一同は「おめでとう」と自分のことのように喜んだ先日の教室でした。私も密かに頑張るぞと奮起が湧いて来ました。今日の季語も、希望の春を待つ「木の根明く」という気持ちで「地貌季語」を詠いました。

 


木の根明く

2011-04-21 14:49:21 | Weblog

ぶな林の息吹となるや木の根明く

   

 知人の「春を待つ」知事賞受賞作品                              鍋倉山ブナ林の木の根明く 

  俳人の宮坂静生さんが、大変重要な仕事をしている。『語りかける季語 ゆるやかな日本』(岩波書店 2006年)俳句の季語は、古今集で成立した美意識を基礎に、連歌や江戸俳諧の言葉を吸収しながら、明治以降の近現代俳句に至っている。だが、俳句の季語・季題には、一つの空間的な前提がある。京都・江戸(東京)という文化圏である。列島は南北に長く、しかも、日本海側と太平洋側では文化的な色彩も異なる。地域の多彩な季節の言葉は、これまで歳時記に登録されてこなかった。されないままに、歳時記の言葉は、「日本人の」美意識と言われてきた。宮坂さんのこの本は、地方の季節の言葉を集めていて、大変興味深い。と、どなたかの記事がネットにあった。私の所属する俳句会「岳」の主宰の宮坂静生は「岳」四月号に「木の根明く」と題して書いています。信州では三月の下旬は僅かに春の気配が見える。ブナやハルニレの根の周りがまるくドーナツ型に明き、木の導管ががこくこくと水を吸い上げ初める。これを地元では「木の根明く」とか「根明き」と呼ぶ。雪国の早春の森で、この出会いほどうれしいことはない。従って主宰の言うその地方にしかない風景を「地貌季語」と称し、今俳句会では注目されている。主宰の句にこんな句がある。

                                              逝く母を父が迎へて木の根明く

                            宮坂静生

酒下げて竹馬の友や木の根明く
 
正義
 

 


辛夷咲く北国

2011-04-20 17:26:01 | Weblog

風遊ぶ辛夷の花をくぐり抜け 

 

 

今日は冷たい雨の寒い日に戻る。午後から少し晴れ間を見せたのは一瞬のことでした。昨日は歩かなかったので、雨の中を1枚厚着して出かけました。何時も通る辛夷並木通りは満開だった。天気が良ければ青空に白い辛夷の花が一層に映えるだろうと残念に思う。また明日、明後日と出かけてしまうので、辛夷の花盛りの短さを思うと、青空に映える辛夷に会えないのではと思う。この辛夷の花が満開になると城山の桜が色付け始める。