ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

藤の花

2006-05-31 13:08:16 | Weblog
藤の花滝の如くに咲き満ちて


近くに豪華な藤棚のある旧邸がある。毎年、藤の花の最高の見頃になると写真を撮らせていただく。今年は思った咲き栄えでないようなので、以前の写真をブログに載せた。このお宅の御主人はこの五月は陽気の変調なのか花房が小さい上に薄青紫の透き通った色が出ないとおっしゃっていた。

雨がない。

2006-05-30 12:03:06 | Weblog
地涸れてアスパラガスの顔が出ず

今年の五月は雨が少なかった。こちら北信州はアスパラガスの産地で農家の経済を支えています。今のところ例年の半分の収穫のようです。収穫したとしても細いので等級が上がらずお金にならないらしい。今、地方の経済は疲弊していると叫ばれているなか「泣きっ面に蜂」状態です。もう20年もの間、夏はアスパラ農家で冬になると私共の店へ手伝いに来ていただいている佐藤さんに電話したら悲鳴を上げていた。
コラム!!」
 一本歯の巨漢と律儀なオジイサマ

 先日、散歩中にとても妙な人を見かけた。その人は素足に下駄を履いていた。その下駄が問題だ。なんと一本歯の下駄だ。天狗の絵で見るような一本歯の下駄は、生まれて初めて見るものだった。
 横から見るとそれはT字型になっている。歯の部分が厚ければ問題はないが、その厚さは1センチくらいで、しかも長さ15センチほどの驚異的な高さがある。下駄をそのまま置いたら、必ず前後へ倒れてしまう危なっかしい代物だ。低い竹馬のような高さだが、その上に相撲部か柔道部みたいな巨漢が乗っていた。
 その巨漢はだぶだぶのズボンに7分丈のコートを着て、両手をポケットに突っ込んでいた。身長を15センチもかさ上げしているから、その姿はとても異様だ。
 普通でもすごく危ないのに、彼は両手をポケットに突っ込んでいるから、見ているだけでもハラハラする。すれ違う人も、何事かと呆れて立ち止まって見ていた。
 彼がカッツカッツと下駄の音を立てて歩くたびに歯が前後に揺れ、当然、体もフラフラ揺れて前後に傾く。彼の向かっている方向と同じだったので、私はハラハラしながら後をついて行った。彼が目指している方向にスーパーがある。そこへ寄るのかと思っていたら、前を通り過ぎた。

 えっつ、まさか!!

 すぐその先は河川敷に通じる道で、長い下りの石段がある。しかし彼は先に進み、石段の上に出た。そこでちょっと立ち止まったが、そのまま下りはじめた。ポケットへ両手を突っ込んだまま!!
 私は1昨年、新宿で転倒して足の膝を割り、昨年の暮れにも転倒して額を割り、頬を削ったばかりだから、このような危険な状況には黙っていられない。
 しかし、彼は何かの修行中なのだろうか?
普通なら好奇心がムズムズして、この辺で彼に声をかけているはずだが、ずっと、
かなり長い間、彼の歩調に合わせて後をついてきたのに、とうとう話しかけることが出来なかった。巨漢の印象がとても怖ろしく思えたからだ。

 しかし、世の中は広い!

 河川敷の近くで、巨漢とすれ違ったオジイサマが話しかけた。
「おや、今では珍しいものを履いているね」
 巨漢はオジイサマをまったく無視したが、その様子はやはり恐ろしいというべき雰囲気だった。巨漢が去った後、私はオジイサマに話しかけた。
 何かの修行なんでしょうか?でもよく恐くありませんでしたね。私は恐くてとうとう話しかけられませんでした」

「ワハハ、私はもう82歳だから、誰でも話しかけますよ」

(何があっても、覚悟が出来ているってこと?)

 そこで、オジイサマとあれこれお話をした。オジイサマは最後に言った。

「アナタは飾らなくていいね。うちの家内はちょっとしたスーパーでも化粧をしていくから、やめろと言っています」
「あらぁ、ご立派じゃありませんか、できるなら私もそうしたいです」
「いや、あなたはそのままでもいいですよ。そのままでも見られるから」
(えっつ?どういうこと?お化粧しても代わり映えしないってことなの?)
「家内は私にもうるさくて、もっときちんとしたカッコウをしろと言います」
「でも、とてもすてきな装いですわ」
 オジイサマは息子さんのおさがりというダウンジャケットに、毛糸で編んだ帽子をかぶっていらっしたが、お年を感じさせなくて、とても素敵だった。
 話をしている間に薄暗くなってしまった。「では、これで」とご挨拶をしたが、オジイサマはとても律儀なお方だった。「気をつけて」とおっしゃりながら、わざわざ帽子をツルリと取って、ぺこりと頭を下げられた。薄闇の中で、ヘッドが<ピカッ>と光を放った。

 帽子を取ると人間の印象は変るものですね。別人がそこにいるのかと思いました。近ごろは暴走しがちな高齢者も多いようですが、とても心が和むひと時でした。

 <竹田紀香>


内孫誕生

2006-05-29 11:40:44 | Weblog
信州の五月うるはし呱々の声
風狂子(主宰)


慶祝であります。五月26日午前5時50分に3280gの元気な男の子が誕生いたしました。
これで孫は3人目となりますが産子はまた可愛いですね。東京の孫は二人とも女の子ですが可愛さは同じだが、男の子はまた違った意味で感慨深いものがあります。病院に2回ほど合いに行きましたが、この子の成長する世の中は大丈夫なのかとまた余計な心配をする馬鹿な爺です。慶祝句を詠おうと、以前から頭の中をよぎりますが、どうも思った句が出来ませんでしたので俳句サロンの風狂子主宰に無理をお願いし掲出句を献上していただきました。




ソフトボール大会

2006-05-28 13:59:35 | Weblog
玉追えば足ふらつきて半夏生


天気予報は雨でしたが地区ソフトボール大会に味方してくれたか朝から晴れた。
わが町は一試合目は宿敵の愛宕町(仏壇町)との戦いでしたが、ハラハラするような一進一退の攻防戦だったが6対4で勝利する。第2回戦は11時からだと言うのでいったん帰宅しておりましたら、急に大雨となり即大会中止となる。残念、連続優勝が夢と消えた。
コラム!!」
私の小さい頃は、小学生が普通にお化粧するなんてことは考えられない時代だった。しかも親がそれを買い与えるなんてことは言語道断。お化粧を本当に始める時期というのは、高校卒業あたりからだったように思う。小さい女の子にとって、お化粧というのは大人の女性への憧れの象徴だった。それが、今やお化粧する小学生が珍しくないというのだ。
 これは絶対メーカーの陰謀だと思う。冒頭に書いたように、小学生の頃ってお化粧に興味を持つものだ。それを「待ちなさい」と言わずに「子供だってお化粧しようよ」と煽るメーカーが化粧品を売るから、当然買う人間が生まれる。ネットショップの発達で、今化粧品はいろんなルートから手に入るようになった。選択肢がどんどん増える割に、人口はそれほど増えないとなると、化粧人口を増やすしかない。これはもう子供と高齢者しかいないではないか。70歳以上を対象にした化粧品のほうが需要がこれから広がりそうだが、70歳以上と子供を比べたとき、子供を綺麗に見せるほうが容易い。芸能人の若年齢化もグルになって一層拍車をかけているように思う。    <葉韮亭>



回覧板

2006-05-27 16:44:38 | Weblog
きれいな栴檀の花が満開です。


回覧や五月の雨に濡れており

後小雨

今年は隣組長の番が廻って来た。我が組は上町区13組で10戸で構成しております、従って10年に一度の組長である。正月から区民の行事に参加し、楽しみながら地域社会に関わっております。今日は夜の7時から5月の区常会がある。明日は町民のソフトボール大会だ。我が上町区はこの数年連続優勝とのこと負けられない。隣組長としては率先して応援にはせ参じなければならない。明日の天気が心配だ、予報では雨模様のようである。

田植え終えて「さなぶり」

2006-05-26 07:42:07 | Weblog
さなぶりやかずけて飲める美味い酒



何時も散歩するの公民館の前を通ると、にぎやかなの人の声がした。出入りする人の姿を見ると農作業姿だ。どうも会合ではなさそうだ、今日は何ですかと訪ねると「さなぶり」だと言う。「さなぶり」?分からない。その場で聞くのも気恥ずかしかったので、持ち合わせている句帳にメモしておいた。辺りはいつの間にか田植えが終わっている。機械植えの為か情緒がない。帰って「さなぶり」を広辞苑で調べると「早苗饗」季語で<田植を終った後に行う田の神を送る祭、あるいはそのための祝宴や休日のこと>とあった。多分共同で田植えしたのだろう。
こちらでは「さなぶり」とは殆ど聞かない。寧ろ田植え休みとか骨休みのことを「じょんのび」と言うのが大半だと思う。

薔薇満ちて

2006-05-25 09:35:52 | Weblog
薔薇満ちてわが身にせまる勢いに



信州中野の一本木公園は、北には高社山(高井富士)東には箱山、西には北信五岳(妙高、斑尾、黒姫、飯綱、戸隠)を望み、市民の憩いのスペースになっています。また、花の公園としても有名で、園内には世界中から集められた500種1,000株のバラが、訪れる人を華やかに出迎えてくれます。この薔薇公園の維持管理は180名もの市民のボランテアによって支えられているそうです。今年も薔薇祭りは6月3日からですが、中野市に急用があったので少し早いバラ公園に立ち寄ってみた。準備中でしたが花は見事に咲いていました。
思うこと!!」
愛国心」をどのような形で盛り込むか教育基本法改正案が今国会で審議されている。与党が「国と郷土を愛する態度」民主党の対案が「日本国を愛する心」でその攻防が続いている。
「愛国態度」と「愛国心」の違いであろうが個人的には、愛国心と言えば国を愛する「こころ」であり、主体性がありわかり易い。これが愛国態度となるとなんのことかさっぱりわからず理解に苦しむ。日本に生まれ、日本に育った以上、国家に忠誠を誓い子供のころから国を愛する心を養うことに反対する人はそんなにいないだろう。理屈なしで「愛国心」で良いと思う。







父の筆

2006-05-24 10:56:51 | Weblog
我が家の狭庭は今花盛り


曝書する栞に添ゑた父の筆


調べことがあり思い出したようにして、亡き父の書棚から本を取り出した。その本から栞がヒラヒラと舞い落ちた。手にしますと、懐かしい字体で「迷わぬ者に悟りなし」と書いてあった。父を良く知る私には全て飲み込めた。久しぶりに父の小さな本棚を開けたので曝書(本の虫干し)を季語とした。

懐の宿

2006-05-23 09:21:42 | Weblog
写真はネットから拝借

合歓の花あの道沿ゐに懐の宿

夕方俄か
此のところ、どうも脳梗塞を患った時期のことを思い出す。七年前鹿教湯温泉のリハビリ療法から帰ってしばらく何することもなく無気力な生活を送っていた。新潟の従兄弟の薦めで新潟県阿賀野川沿いの咲花温泉の小さな宿に二人で一週間ほど泊まった。その時、何かのことで宿の御主人から元気を貰ってやる気が起きた。あれからトンと御無沙汰であるが、また何時か訪ねたいと思う。宿の前の道沿いに綺麗な合歓の花が咲いていた。今でも目に焼きついている。

牡丹描く

2006-05-22 07:38:09 | Weblog
あの人の余韻のこして牡丹描く


のち
今、水墨画教室では牡丹を描いています。<立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花>と言いますようにこの三つの花は美人の形容です。私も清楚で美しき美人とのふれあいを想像しその余韻を牡丹の絵の中にと思いきや(笑う)、夢が覚めてしまって余り出来のよくない牡丹となる。

爽やか&爽やか

2006-05-21 09:48:07 | Weblog
井出和彦氏撮影
靴紐を踏んで転んで夏来る


今日5月21日日曜日の午前七時、窓を開けると爽やかな風が頬を射す。空は雲一つない好天である。かたわらの小鳥の囀りが心地よい、少し遠くに目をやると緑に覆われた山々の輪郭が真っ青な空にくっきり浮かび上がっている。あたりは沢山の花が咲き乱れている。我が郷は今が最高の季節だと実感する。これからカメラを片手に歩こう、歩こう。脳梗塞のため一時歩けなかったことを思いだして。






初夏もよう

2006-05-20 09:56:11 | Weblog
喫茶店窓辺に置きし薄暑かな


6日の立夏から少し花冷えのする日がありましたが、こちらは、薫風に揺れる赤白のハナミズキが満開で,すがすがしい初夏の陽気となる。昨日あたりは散歩中半袖が欲しい雰囲気でした。行き付けのコーヒー家に入ると、すでに半袖姿のお客さんがあちこち見えた。お店の窓のカーテンが夏模様に変わっているのに気付く、その上、窓際の青鬼灯の鉢がうれしい。今が一番過ごしやすい。6月に入れば、ジメジメとした梅雨の季節がやってくる。このすがすがしさを楽しもうと思う。

鹿教湯温泉病院

2006-05-19 06:58:08 | Weblog
深緑に囲まれた好環境の鹿教湯温泉病院

落椿あのリハビリの辛さなり


リハビリに明け暮るる日々春惜しむ



私は調度7年前の3月~7月まで、信州上田市の奥座敷の鹿教湯温泉病院で歩きたい一心で当時過酷ともいわれておりました回復のためのリハビリに明け暮れた日々を思い出しております。ここは温泉回復療法で全国的に有名で、遠くは関東、関西方面から機能回復を願って沢山の脳卒中で後遺症を抱えた人たちがリハビリに励んでおります。私も懸命なリハビリにより杖なしでは歩けなかった左足を健常者と変わりないほどに回復しました。左手は不自由さがありますが脳梗塞発病当時の状態を思うと今は感謝の毎日です。

色濃き薔薇

2006-05-18 02:00:13 | Weblog
のち
一重咲く薔薇の垣根に風わたる
みゆき野(北信州)は春まった中,沢山の花が咲気乱れています。
牡丹、庭躑躅、山吹、チューリップ、花水木、菫、芝桜、クロッカス、シャクナゲ、オオテマリなど、まだまだ沢山の名の知らない花に覆われている。このところの私の句も花鳥諷詠が多い傾向です。
先日、長野の知り合いに用があり車を飛ばした。その知人宅に、季節外れかもしれないが雨露で濡れている赤い可憐な薔薇が垣根からぬっと生え出て、重たげに咲いていた。何故か印象に残った。

忘れた母の日

2006-05-17 06:34:01 | Weblog
長女からのプレゼントらしい!!」


カーネーション近頃妻に借り多し
病院の検査ですっかり母の日を忘れていた。東京の長女や家の次女夫婦はなにか家内に感謝の気持ちを表したようだが、私はテレが先立ってか今更のような気がしている。そうだ来年は忘れないでおこう。
とにかく家内は嫁いで38年経験したことのない険しい商いの道を一生懸命に歩んでくれたと感謝している。家内はOL時代社内広報に「私は会社はじめ社会の珠になりたい」と書いた文章を思い出した。