ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

ひねもす忙しい家内

2015-05-31 17:00:38 | Weblog

厨にて妻の頬さす初夏の風

あのこともこんなこともと夏日永

 婆(家内)は終日(ひねもす)じっとしていることがない。七人家族の洗濯、食事、掃除と、毎日忙しそうに、甲斐甲斐しく動いている。ただ有一の楽しみは、一時間ほどのお昼寝の時間のようだ。今日の昼下がりは、何時ものように気温が上がりましたが、気持ちの良い少し冷たい風が、身体を潤してくれた。家内は今、生まれ在所に出る蕨採りに朝早く出かける。木島平は馬曲地区の山で採れる蕨は、やわらかく、ぬるめがあって皆さんに喜ばれ、毎年、心待ちにしている方々が多い。中には親戚に分けたら大変喜ばれるので、数キロ親戚に送りたいと言う方が数人おられ、要望をこなすのに大変なようだ。苦に苦の策で、家内の友達に手伝って戴いて、何とか応じているようだ。家内の実家の元アスパラ畑を荒らして置いたら、直ぐ上の山から蕨が降りて来たので、兄さん夫婦が畑を手入しましたら、アスパラ畑が、蕨畑のようになってしまった。時々は兄さん夫婦も須坂から、自分たちの蕨を採りながら手伝ってくれる。


お兄ちゃん達の運動会

2015-05-30 17:43:24 | Weblog

 転ぶ子に巻く土ぼこり運動会

  

 

最近は運動会は秋に行わず、暑い夏に行う。今日の天気予報ではかなり暑くなるようでしたので、子供達の「熱中症」を心配しましたが、先生初め家族が見ているので、心配ないだろうと思う爺であった。私は暑さに弱いため孫の成長ぶりを見たかったのですが、婆にコンパクトカメラを預けて撮ってもらった。写真は開会式のセレモニーの「鼓笛隊」だろうと思う。

 

 

 

綱引きの防備も大事蓮の花

 

 戸隠の婆は、孫達の運動会を楽しみにしていたのだろう。昨日からおいでになって、張り切ってお兄ちゃんと、弟のゆーちゃんを、応援のため一家そろって、いそいそと出かけた。

 

 

 

 

組体操汗で滑って崩れ落ち

 

 運動会が無事に終わって帰って来るなり、戸隠の婆はうれしそうに、かけっこが、椋一兄ちゃんは二番で、次男坊のゆーちゃんは一等賞だったとうれしそうに、私に報告なさった。戸隠婆は今日の運動会は本当に楽しかった様子でした。よかった、よかった。


姫川に咲く梅花藻

2015-05-27 06:44:34 | Weblog

藻の花や難の人生はじまりぬ

 昨日夕方6時10から始まるNHKのイブニング信州で、大町市の清流姫川に咲く梅花藻を綺麗に放映していた。それを見て青春時代が蘇って来た。このごろ増す年のせいか、回想をブログにすることが多い。思い出せば多分22~3歳の頃だろうと思いますが、友達と大町から餓鬼岳へ登山した折に、記憶はさなかではありませんが、多分姫川だと思うが、精流の中に清楚に咲いている「バイカモ」を思い出した。私は山が好きで35歳位までは、良く近隣の山々へ登ったものだった。以後、長野の丸光デパートへ出店し大失敗をし、大きな借金を抱えた以後、山どころではなくなってしまった。今思うと、私にとって、生きていることが不思議なほどの大きな借金だった。ですので、私の若かりし思い出は、沢山のうれしいことの喜びを味わいましたが、苦しいことの多かりし時代だったと、姫川の「バイカモ」のテレビ放映を見て改めて回想した。後に「梅花藻」を季語といたしましたが、歳時記にないことに気がつく、「藻の花」(夏)は藻類の花の総称で特定の花を指すのではないと歳時記にありましたので、「梅花藻」は「藻の花」とした。


卯の花

2015-05-25 15:48:30 | Weblog

訊ぬれば卯の花と言ふ老婦人

 

 何の目的もなく木島平村を車を走らせていると、街道から少し奥まった家の庭に白い珍しい花を見る。花の名前にうとい私は、早速車を止め、庭に居た老婆に訊ねる。「この花は白い綺麗な花ですので、梔子の花ですかと聞いてみたら、老婆は「梔子の花」はあっちだよと少し遠くを指差した。この花は「卯の花」だよと言う、「卯の花」と言えば豆腐の製造過程で出る「おから」しか知らなかった。老婆は「おじさん」何処から来たねと聞いたので、私は飯山ですよと言い、私の家内は「馬曲」ですよというと、老婆は急にほころんだ顔で、おらも、馬曲からここへ嫁いだという。馬曲だら何処の家だねと細かく訪ねるので、家内の兄さんの名前を言うと、それじゃ「孝造」さんの娘を貰ったんかねと親しそうに話してくれた。

 

                        卯の花

 「卯の花」と「梔子の花」を広い庭に同時に咲かせているなんて、よっぽど花好きの家なのだと思う。傍へ行かないと花びらが分からないので、両花の傍へ寄ると確かに違う、卯の花と梔子の花では「花弁」の色が違っていた。卯の花は黄味掛かっていましたが、梔子の花は白であった。花びらの数まで数えてこなかった。「梔子の花」は本州でも静岡より西に咲くようですが、寒さに弱いのだと思うが、今日のお宅は良く育てているなと感心した。

 

 

 

           梔子の花

 

 

 

          


端居を味わう

2015-05-24 16:26:10 | Weblog

指を折五―七五―の端居かな

 今日の午後は28度近くもあり、かなり熱かった。端居は歳時記には(日陰の縁先に出て涼むこと)とありますが、私の家には縁側がない。今の自宅の前の、古かった家は広い縁側があり、冬には、日当たりの良い縁側へ電気炬燵を持ち込み、うとうとと昼寝をするのが気持ち良く楽しかった。夏は夏で、夕方日が沈むころ団扇を持って縁側に出て涼風を呼び込んで涼んだ。今では本当に懐かしい。私は何時も今の熱い時期になると古かった家の縁側を思い出し「端居」を季語とした俳句を詠んでいる。昨年は確かな記憶ではありませんが、「なにげなき日常話し夕端居」を詠ったような気がしている。今の家に知り合いとちょっとお茶を楽しむな縁側があったら、どれほど生活に潤いが生まれるかと思うと少し残念である。


木々のめばえ

2015-05-23 10:01:26 | Weblog

新駅の細々木々に初夏の風

 新駅前には飯山市の木「椈の木」の細木が植わっている。鍋倉山から成樹を持って来て植替えることが出来ないかと、素人の考えで思うことであるが、根がつくかとか、予算などのいろいろ問題があるのだろうと思う。新駅前の木々が見られるようになるには、かなりの時間が経つことだろう。いかに新駅らしく、木々も植えたばかりで、景観が軽々しいと何時も思う。雪国の北信州、この椈の木々達を成長させるには、雪囲い初め色々な手を長年に渡って加えなければと思うと、成樹をそのまま植た方がと、また思ってしまう。


兄妹会

2015-05-21 11:55:03 | Weblog

兄妹の笑みがこぼれる若葉風 

 

 

 昨年の兄妹会は、万年幹事をしていただいている下の妹の旦那が町の区長をひく受けたことなので、そらぞれ兄妹の都合がかみ合わず中止となってしまった。今年は幹事長の行き届いた計らいで、それぞれが楽しみにしていました兄妹会が無事に過ごすことができた。ただ残念なのは、皮肉にも家内が、兄妹会の近くに風邪を引いてしまい身体がいまいちしっかりしないようなので参加できなかったことである。今年は湯田中温泉の老舗のホテル「よろずや」に一泊した。

 

 

 

柿若葉 湯けむり包む老舗風呂

 

 ここの「よろずや」さんの一番の売りは、やはり「桃山」風呂である。サッシなど使わず太い木造りの柱やガラス窓が100年以上の歴史を思わせた。正確なことを知りたいと思い、宿の仲居さんに聞いてみると、昭和26年の建築で当時の腕の良い宮大工さんが何人もで丁寧に仕上げたとのことでした。木造りの格天井の風格はまた格別であった。また、楽しみにしていたお料理は、調理人の心がこもった、全て手造りのメニューで一品一品が美味しかった。さすが老補「よろずや」さんの貫禄が滲んでいた。


新茶

2015-05-20 13:48:12 | Weblog

老人のいのち癒さる新茶かな

平穏に感謝を込めて新茶汲む

写真はネットより

ネットでは。「立春(2月3日)から数えて88日目の日の事を言います。今年は5月2日が八十八夜になります。昔から、この日に摘み取られたお茶を飲むと一年間無病息災で過ごせるという言い伝えがあります。実際に、この日前後に摘み取られたお茶は新茶の中でも一番味がのっておいしいお茶に仕上がっています。」とありました。もうすぐすると、お茶の大好きな。父の代から掛川の農家から新茶が送って来るのをこころ待ちにしている。数日前のテレビではお茶と珈琲はカテキンなどが沢山で身体の良いと報道されていた。


新駅で竹馬友と偶然に

2015-05-18 17:09:42 | Weblog

信濃では竹馬の友と蕎麦鼓

 例の新駅の喫茶店へ行こうと駅の一階にいますと、見覚えのある老紳士と会う。直ぐ双方で分かった。彼は「おーしばらくぶりでしたね」と声をかけて握手を求めて来た。紳士は中学時代の同級のA君であった。彼とは確か二十数年振りの再会である。彼は大学を出て一流会社の役員まで上り詰めたと風の噂で聞いていた。彼いわく、故郷に新幹線の新駅ができたので、来て見たいと以前から思い、今日実現したと言う、彼の実家の一家は数年前に長野へ移転していたる。彼はこれから思い出の「生受庵」を訪ねお参りした後、お互いに学校のころ遊び回った城山公園の思い出にしたりたいと言っていたので、私はつかさず、花見の頃、城山で同級のF君に会ったことを話すと、彼は俺もしばらくF君に会っていないと懐かしがっていた。彼は仲の良かった、中心商店街にあるお店の同級生に会いたいと言ったので、私は残念なことに彼のお店は地代の変遷で閉店して、不幸が重なり亡くなってしまったと言うと、そうか、知らなかったと残念そうだった。彼はレンターカーで、今夜は野沢温泉に泊まり、明日一日かけて思い出の地を巡りたいと言う。彼から駅の中の蕎麦屋さんに誘われた。昼食がすんだばかりでしたが、付き合った。彼は明日待望の「富倉蕎麦」をたらふく食べに行くと言っていた。彼に奥さんはと聞くと、突然寂しそうな顔になり、五年前に癌で亡くしたと言った。知らなかったことは言え、余計なことを聞いたと反省した私である。

 


ミニ同級会

2015-05-14 17:01:45 | Weblog

   初夏の山しばし無言の時流れ

 

 例の地方に居る同級生の集まりである。S君が何時も段取りして下さって誠に感謝である。今日は出席者は思ったより少なく7人であった。お昼に手打ち蕎麦屋さんで、美味しい蕎麦を楽しむ。ここの蕎麦は勿論美味しいですが、蕎麦湯の味も良かった。

 

 

 

 

空天に身体が軽く浮くやふな

世界最大級の166人乗りロープウェイ言われ、一時スキー場の話題となったロープウェイで、竜王山頂まで登り、しばし、下界の景色を楽しむ。この大きさで、166人が乗れるのか少し疑問でしたがお客さんが総立ちとなれば乗れるかもしれない。

 

 

   

 ロープウウェイの眼下にタケカンバの白い幹が杉の木の常緑針葉樹とのバランスが印象的であった。もうすぐすると、このロープウェイに乗り、この周辺の山へ、ネマガリダケ「細竹」を採る人達が沢山見えるようだ。

 

 

                                   

 

 

 手前の高井富士スキー場と夜間瀬スキー場が見える高社山の奥に北信五岳の一つ「斑尾山」、その奥に妙高山が霞んで見えた。冬の澄みきった空気になると、妙高山の奥に見事に北アルピス連山が連なる。

                                            


母の日に母を想う

2015-05-12 13:23:19 | Weblog

母の日や母生きし代は哀しかり

母の日に親孝行と言へたろか

 5月10日の母の日をうっかりとしていた親不孝者である。改めて母を回想すると、八十歳の生涯でしたが、戦前戦後と、父とともに激動の時代を商いの道にまっしぐらだった母であった。戦後、商売する商品が品不足で問屋さんから仕入れることができなったが時代が続いた。商売する商品が入らなく、一家九人食べて行くに大変でしたので、祖父が長峰に畑を購入し、その広い畑で、麦初め、数種の野菜を造り食べることをしのいだ時代の辛い経験を良く覚えている。農業の経験のない母は、幼い私と弟を連れて良く畑仕事に出かけたものだった。今思うと、戦後の激動の時代を働きづめの母だった。今でも弟と良く母のことを話す機会に、何時も互いに言う言葉は、おふくろの笑顔が忘れられないねと話す。母は何時も明るかった。戦前、戦後の厳しい時代に良く笑顔があった母の強さが、懐かしい。

 

 

 

 


尊敬する諸先輩が逝く

2015-05-11 05:36:30 | Weblog

二人の翁天空にても余花であれ 

 尊敬の諸先輩が逝く蓮の花

 

 

 このときろ重ねて、戦後激動の時代に生き、諸々の御苦労を重ね、社会に貢献された、私が尊敬し御指導を戴いた先輩諸氏がこの世を去った。先に天に召された先輩は、私が商工会議所時代に会頭として会議所の発展の為、諸々御指導をいただいた方で、幅広い人派と深い人間性と教養の持主であった。その後を追うようにして逝かれたK氏は九十五歳の長い人生をまっとうされた方でしたが、街の中で、私が青二才のころかのお付き合い戴き、翁の貴重な経験に基づく御指導してくださった。何かにつけ私を可愛がってくださり、思い出多い方であった。お二人は色々御苦労もされた方々ですが、良き戦後の時代をまっとうされ、考えて見ると幸せな人生だったのかもしれない。人間、お互いに別れは当たり前のことですが、やはり親しい方々との別れは辛い。


躑躅も終りに

2015-05-10 06:22:38 | Weblog

 てふてふの風に舞ふよに躑躅散る

 

  歩く道筋の躑躅は割合に長く楽しませてくれましたが、そろそろ散り始めた。良く花の散り際は涙がこぼれるほどに美しいと言われますが、私にはそんな繊細な感性がないが、確かに花との別れのと思うのか散り始めて地に落ちたばかりの花びらは美しく感ずることがある。句の季語が「てふてふ」と「躑躅」が重なりましたが、この場合は「躑躅に」に赴きを置いていますので良いようです。

 

 

 

 

躑躅の花は主にアジアに広く分布し、大地震で大きな震災となったネパールでは国花となっている。テレビ、新聞報道では、ネパールでは8000人近くの死者を出し、広範囲にわたって建物が崩壊するなど、7万棟の家屋が倒壊し、280万人が避難を余儀なくされています。こうした危機において、子どもたちは特に厳しい状況に置かれます。と毎日のように報道されている。ユニセフでは、広く義援金を募集しておりますので、私も自分の出来る範囲内の気持だけですが、クレジットカードでネット上から「ユニセフ」へ協力させていただいた。

 

 

 

 

 

 

 

 


豪華白の胡蝶蘭

2015-05-09 06:38:55 | Weblog

 白の蘭病を治す色もよう

 昨日の午後、長野の親戚の方が脳梗塞で入院されたと聞き、家内と長野市篠ノ井総合病院へ見舞いに行く。私も一八年前辛い脳梗塞を患いましたが、今も左手がと左足に麻痺がある。医学の進歩で2005年に日本でt-PA(アルテプラーゼ)治療が認められた。発病後三時間以内の点滴治療により、脳梗塞後の麻痺が治る方が多いことで、夢の薬の誕生だと聞いていますので、今の脳梗塞は私のころと比べて数段と進歩したようだ。長野篠ノ井総合病院は数日前の新聞報道で、病室の増床と館内全面改装になったとありましたが、広々とした明るい衛生的な病院に驚いた。写真の胡蝶蘭は工事に参加した業者からの開院祝いだろうと思いますが、白に統一したところを見ると「白色」は健康の象徴色だと勝手に解釈した。