ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

わらび採り

2017-05-30 13:40:56 | Weblog
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         奥山に孫のまごまご蕨とり

  

 

 一昨日の日曜日お兄ちゃんはバスケの試合で須坂市へおかあさんと出かけた。次男坊の沸也君と末孫のあーちゃんと、お父さんの母である戸隠の婆と家の婆のと役に立たない私も参加した五人で婆の生まれ故郷の「馬曲温泉」の山へ蕨採りに出かけた。奥山の馬曲の蕨はのりがあって柔らかくて美味しい。普段お世話になり、お付き合い頂いている方々に分けてあげるため、毎年、皆様に評判となっていて、馬曲の蕨を期待して戴いている。

 

   

                 奥山の競ふ兄弟わらび採り                                                                                                                           

      

 

 

 

                                                                                                         

  

 

 ここの蕨が採れる場所は、家内(婆)の実家の二十数年前のアスパラガスの畑の後である。家内の実家は須坂へ越して三十年近くなる。須坂へ越した当初は義兄さん夫婦は若かったので、アスパラの手入れを須坂から来て励んでいましたが、年が重なり、須坂から来なくなり、アスパラ畑がそのままとなった。驚くことに、山際の畑は、そのままにしておくと、数年で山が下りてきて、山となった。蕨も一緒に山からついてきたのだろう、その畑に思い出が詰まっている家内は、時あるごとに、手入れをしていた。この山の蕨は、のりがあり甘い上質なあらびが採れるため、普段、お世話になっている方々に御楚々分けしますと、わらびの旨さが評判となった。以後家内はわらび採りが忙しくなり、時期になりますと、毎日ほどに蕨採りに出かけるようになっている。                                                                                                                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 


運動会

2017-05-29 17:44:33 | Weblog

 

             組体操我が孫の底ちからなり

   

 

 

 数年前に運動会などで行われる組み体操で相次ぐ事故が発生し、話題となったことが記憶にある。以後文部科学省が組体操の高さと人数に制限指導があったと聞く。だが、制限指導を実行に移さない学校があるよぷだ。写真の孫の学校の組体操ですが、以前の組体操よりかなり縮小していた。

                     

              しんがりはやはり我が孫運動会

   

 

 

 

         

        


天龍に「茶摘み唄」の季節到来

2017-05-25 06:51:12 | Weblog

                     川霧の被った新茶また旨し

                    晩年のいのち癒さる新茶かな

天龍に「茶摘み唄」の季節到来

                    天龍の新茶の里に惹かれたる

 

前日テレビの「イブニング信州」で長野県の最南端「天龍村」の「天竜川が育む “幻の茶”」と題して幻の御茶の全てを放映していた。暴れ川として知られる天竜川、その川沿いの急斜地にお茶畑が広がっている。
この傾斜地で、17軒の農家がお茶づくりをしている。。新茶の収穫のときには、皆さん総出で茶摘みを行うんだそうだ。なぜおいしいお茶が作られるのか、お茶を摘んで50年になる、原田濱子さんが説明していた。「昔から丁寧に手摘みでやっているんです。新しい芽をチョンチョン取ってね」今も手作業で上の若い葉っぱだけを丁寧に取っているんだそうだ。その上、一番は天龍村の地域が特徴のようだ。朝の茶畑を白く覆っているのは、天竜川から立ち上る朝霧でだそうだ。朝霧は、日光を適度に遮ることによって、川霧が天然の覆いの役割を果たして、お茶のうまみがギュッと凝縮され茶の甘みと香りが抜群のようだ。また、17軒のお茶の味が茶畑の場所と環境が違うため、個々の茶農家の味がそれぞれ違うため、個々の農家がそれぞれパッケージして茶農家の名前で出荷しているとのことだ。個々の茶農家の販売が大変なので、茶農家のお茶をまとめて販売している会社を捜しあてて早速注文してみた。

                                                                            

 注文した茶園は、テレビに出演していた、お茶を摘んで50年のキャリヤをお持ちの、原田濱子さんの茶農家から注文した。原田濱子さんは私の注文TELで大変に喜んで戴いた。今から届くのが心待ちにしている私である。

 


部落に活気が生まれる

2017-05-24 04:25:56 | Weblog

              代田照る光と風をもてあます

 いよいよ辺りが活気付き田植えが始まったところがみられる北信州です。早稲の田はかなり田植えが進んでいる様子。

   

 

 

                           代掻いて水冷へのころ北信濃

   

 

 

 

 

 


美しい北信州の春

2017-05-23 07:47:03 | Weblog

 

        志賀の湖夏に魅せられ神宿る

 撮影 座間 武明さん
撮影日:2017年5月14日
場所:志賀高原 木戸池
木戸池周辺は未だ雪が残っていました

毎日19:00からのNHKニュースの後放送される「イブニング信州の「長野撮るしん」の時間を楽しみにしている。昨日放映された「志賀の湖」と「雪解けの鍋倉山」の写真二枚に感動を覚えた。改めて投稿された方の写真に歓待した。こんな素敵な写真を御撮りになる方々は写真を趣味として長く経験を積んだ方々だと改めて思った。

         鍋倉は夏に目覚めてみどり浮く

 

 撮影 久保田誠さん
撮影日:2017年5月12日
場所:飯山市 鍋倉山
信州の自然、一番人気の鍋倉山には紅葉にも似た芽吹きです。今日は新潟に通じる開田山脈へ除雪が始まりました

初夏の雪が残るベールを脱いだ鍋倉山の写真を初めて見ることが出来た。初夏なのに木々の色は緑一色でなく、秋に見れれるような紅葉のように染まった木々に不思議さを感じた。昨秋の紅葉が散り落ちきれないで冬となり、そのままの姿なのかとも想像を広げさせてくれた。

 

 

 

           

 

 

 


 

           

      

   


町内の御祭り

2017-05-22 12:09:22 | Weblog

       巫女の舞足元涼む夏まつり

  

 

 

 毎年五月の第三の土日曜日は私が住む町あげての「秋葉神社」大祭です。記憶では私が小学校六年生の五月十八日だと記憶しておりますから、本年で六十五年目になると思う。私の町を含めて百数件が全焼した大火に遭遇してしまいました。幸いにその日の風向きなのか、私の家の並び数件だけ残り道挟んで前並びが殆ど焼けてしまった。大火までは養蚕が盛んだった地方ですので、町の神社は「養蚕神社」であったが、その大火依頼「養蚕神社」を町の有志諸氏が火伏の神「秋葉神社」の本山まで赴いて、火伏の神を分けて戴いた以来「養蚕神社」は「秋葉神社」となり、以来もう二度と大きな火事が起こらないことを祈り、五月十八日の近辺の土日を、町の大祭日として「秋葉神社」祭りを区民あげての祭りとなっている。

                    御神輿と熱風担ぐ夏まつり

 

 

 

 

 

  御祭り二日目は、家の孫達三人そう上げで、神輿担ぎに参加した。お兄ちゃんと、次男坊は神輿担ぎに、末娘の「あーちゃん」は金棒引きに参加した。何事も一生懸命の椋一兄ちゃんは、普段バスケで鍛えていますが、神輿担ぎにはかなりくたびれたようだった。次男坊の湧也君は要領よく担いだのか、意外と元気だった。兄弟でも、こんなとこに性格が現れるのだと改めて思う爺であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初夏の北竜湖

2017-05-18 04:59:40 | Weblog

          新緑湖清さ奪ゐて菜花満つ                  

 

 

  久しぶりに我が郷の風景が長野NHKの撮るしんに取り上げて戴いた。作者の「居石泰寛」さんの御名前は近郊に見当たらない名字ですので多分地元の方でないような気がしている。
撮影日:2017年5月14日
場所:飯山市 北竜湖
北竜湖の湖畔では、菜の花が見ごろになっています。新緑を映し出す湖面と菜の花のコントラストが美しいです。とコメントされていた。この季節の濁りがなく透通った色が鮮明に浮き上がり清純で美しい「北竜湖」が好きである。

        初夏の湖浮き立つやなぎ描きたき    

 

 

 

 

 

   写真の「北竜湖」に浮かぶ「泥やななぎ」という木を写真にしたり画を描く人達に人気な様子、私も何回か水墨画に挑戦しますが、いまだ、思うように描けたことがない。多分、まだまだ未熟な私には「靄」の状態を描き出すのが難しいと思いますので、機会があったら、靄の晴れたすっきりとした北竜湖の泥やなぎを写真にして描きなおしたいと思っている。


鶴竜×御嶽海 平成29年5月場所初日 御嶽海の快挙

2017-05-16 10:10:35 | Weblog

                                                        夏場所や初日奮闘御嶽海

                                                       夏場所の若き力士や意気軒昂

鶴竜×御嶽海 平成29年5月場所初日 

 いよいよ待望の大相撲夏場所始まる。このところの、大相撲のフーバー振りは大変なものだ。私ども、長野県は元幕内の大鷲が1978年1月場所限りで引退から37年関取不在でしたが、御嶽海が誕生し、久しぶりの関取誕生で長野県では大変な盛り上がりを見せている。相撲おんちの私でさえ、場所が始まると御嶽海の去就に毎日関心を払うようになった。前場所の春場所二回目の小結復帰ででしたが、9勝6敗の成績だったが、今場所は、まだ二日目ですが初日から動画のように横綱角竜を破り、出だしは好調なようで、かなりの成績を残しそうな気配である。その上、今、夏場所は二十代前半の若い御相撲さんの活躍が多く期待されているとのこと、大相撲の人気が益々上昇することだろう。


母の日に母が好きだった牡丹と藤の花の回想

2017-05-14 05:53:09 | Weblog

 

           深き色母とみつめた花牡丹

     庭牡丹淡きピンクの奥深かき 

    

 

 

 狭庭に母が植えた牡丹の花が今年も元気に咲いてくれた。この牡丹の花に会うたびに思うことは、もし元気でいたら今何歳になるのだろうと考える。八十四才で生涯を閉じた母でした。大正六年生まれなので今年で節目の丁度生誕100年になります。何時も笑顔の絶やさない母であった。お百姓の生まれで農業の環境で育った母は商人の父に嫁いで、慣れない環境の上に、戦争時代を経験し、全てを失った世の中で、良く頑張って私達四人を育てながら忙しい商いの道を頑張り抜いたと思う。戦後、父と母共に励まし合い、苦労し合った模様をよく知る私は、家内や子供たちに全てを伝えたと思っている。

                 藤の花母の乳房と重なりし

          母の日の車椅子での藤の花

母の日に、東京の長女から家内に届いたカーネーション

 

 

 母は右の藤の花も大好きだった。私は晩年の母を車椅子に乗せ、この藤の花がきれいに咲くお宅に毎年見に来たものでした。こんなささやかな時間に、母と色々話すことが出来、小さな親孝行しているような時間と錯覚したものだ。親孝行はこれと言って限界はありませんが、苦労人の母は家内とも仲が良く、晩年は幸せという人生ではなかったかと、勝手に思っている私である。

 

 

 

 


旬を戴く

2017-05-13 04:12:51 | Weblog

 

                                   初かつお男の季節よかりけり

                     初鰹高知の香り付いてくる

 

    

 

   私の家は私で四代目となる。初代の曽祖父は繭を扱った商売のようだったが、二代目の祖父から魚屋を営み始めた。従って私と弟は三代目の魚屋でした。そんな訳で、父と弟と魚を商ったころから、食に対して深い興味を持つようになった。昔から「紺屋の白袴」と言うことわざがありますが、専門としていることについて、それが自分の身に及ぶ場合には、かえって顧みないものであるというたとう意味のようだ。その上、魚の場合は。専門で取り扱っているから、初物など割高の魚は倹約して安くなってから食すという意味もあるらしい。正にそれを地でいった我が家の倹約生活であったと思う。だが、食べることには人一倍の興味があった。初物の旬の魚は必ず食べたものだった。春の旬魚は、まずサヨリから始まって鰆、白魚、しらす。鯛、鰊と、それから待望の初鰹となる。従って五月に入る訳だ。初鰹は、特に高知県が漁獲量が多いため、一般的には高知県で水揚げされる鰹を『初鰹』と呼んでいるようだ。昔から旬の魚は貴重とされていますが、その理由は栄養価が高いことらしい。

   

 

 

 

 

 厚切りの鰹たたきや時鳥

 目に青葉 山ほととぎす初鰹)

  残念なことですが、諸藩の事情なのか、魚にこだわる人達は年々再々少なくなって来た。人口の少ない我が市は、魚を力の入れている専門の店は私のところが一件だけだった。郊外に大きなスーパーの進出により、止む無く、魚の専門店を締めなければならなくなった。商売に後悔はありませんが、こだわりの魚を口にする機会が少なくなった。初物の鰹の季節となりましたが、スーパーで買う鰹は今一ですのですが、時々弟が長野市の魚市場から入れて来てくれる鰹は数段と美味しい。やはり魚のプロの目利きは違うのだと改めて思う。今年に入り二回目の初鰹だが、昨日の鰹の新鮮さが一段と高かった。美味しいものを口にする度に、沢山の病気を経験した私ですが、生きていて良かったと改めて思う。                  

            


馬曲温泉とやまぶき

2017-05-12 06:12:24 | Weblog

 

            山吹の繚乱として山明し

    

 写真のように馬曲温泉の「やまぶき」は黄色の色が濃いのが何時も与えてくれる印象です。この木島平村の奥山の馬曲地区は、家内が生まれ育ったです。この馬曲は山深いのと、雪が多いことで、最近の家の跡取達は、ほとんど長野はじめその周辺で働くようになりましたことが大きな要因だと思いますが、だんだんと馬曲の戸数が減少してしまった。私が家内と結婚したころは村に48戸がありましたが、今では10戸満たない数戸になった。御多分にもれず家内の実家は、たまたま、私が友人から買っておいた土地が須坂に所有していたので、私の勧めで、須坂市へ越して30年過ぎた。あの頃は高度経済成長のさなかでもあったので、今と比べると、かなり高い土地でした上に家を建てたので、かなりの金額でしたが、家内の兄さんの長男夫婦が頑張って10年くらいお前にローンを完済してくれた。あの自然環境の厳しい馬曲地区から雪が少ない須坂に越したことに、私に何時も感謝してくれいる義兄さん夫婦である。

                     奥山を飲み込むような馬曲の湯

     

 

 

 

 

 右の写真の馬曲温泉を掘りあてるために義兄さん達が先頭に大変な努力をしたと聞いている。温泉のお蔭で馬曲の人たちは、温泉観光客に時折の山菜を並べての売り上げは、その時の現金収入におおいに役立ったようでした。そんな馬曲が大好きな義兄さんは馬曲と別れることが大変な決断だったと思う。私も馬曲温泉の景観と心地よい温泉を楽しみに時々出かけている。 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 


竹の子(孟宗竹)やってきた

2017-05-11 05:36:45 | Weblog

         玄関に走り書き添へ筍を

 

  弟が親戚から新孟宗竹をいただいたと言って写真の孟宗竹をわざわざ持ってきてくれた。私はこの日は、定期診察日でしたので、家内と出かけておりましたので、弟は玄関の入り口に走り書きを置いて筍を置いて行ってくれた。孟宗竹は、白くて柔らかく、えぐみも少ない独特の甘味を含んだ上品な味わいの上に、何とも言えない歯ごたえが大好物である。毎年今のころになりますと、数件のお宅からこの「孟宗竹」をいただく。弟は毎年のように必ず持ってきてくれるので、心待ちとなっている。私は特にワカメの若竹煮が大好きであるが、何といっても一般的な「筍御飯」も美味しい。

              初物の竹の子飯に孫笑顔

 

 

 

 

  

                                                                                                                                  

 今年の初物筍は、煮つけと、筍御飯をいただいた。大好きな「孟宗竹」を戴き、この二日ばか幸せの日々でした。私のような年になると、美味しい食べ物が楽しみの一つとなります。特に筍御飯が美味しかった、一番は新鮮さとやわらかさでした。筍御飯は「おこわ」が良い、お米ともち米合わせたきである。「鶏もも肉」とごぼう、しいたけ、にんじん、昆布など入れて、だし汁に、醤油、酒、砂糖、など混ぜた上に白だしがあれば最高だ。家の孫達は皆この「たけのこ御飯」が大好きだ。

 

 


遅ばせの飯山菜の花祭り

2017-05-10 05:36:24 | Weblog

 

                                                                          菜の花の今が盛りに見ゆる哉

 

 

今年の飯山菜の花祭りの来客は連休の日数に恵まれたことと、好天続きでしたので例年の来客数と比較すると、2万人近く多かったと市役所観光課の情報だった。今年で34回菜の花祭りを重ねておりますが、千曲川と周辺の山々のお景観がの美しさに恵まれた菜の花公園に、年々再々、菜の花祭りの認知度が上がっているようだ。                                                                   

 

 

 

        貴女にと映へる菜花と千曲川

 

 

 左の写真は御婦人の友達同士でおいでになっているのか、目の前の菜の花と千曲川ゆったりとした流れと、その奥の山々の景観の美しさに、互いの会話がいらなく、ただ無言のままに見入っているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                            さざめきて菜の花の揺れ感ずかな

                                               

 

 

 

やはり右に見る菜の花公園からの景観が一番好きである。千曲川のの奥山は北信五岳の代表である妙高山と推移している。私のところから見る妙高差山はもっと険しく見えるので、どうも妙高山であるか自信がない、北信五岳でも妙高山の手前の一段低い斑尾山かもしれない。いずれにせよ、まだ残雪が被る山が美しい。                         

 

 

 

 

 

                                                                    ふところに菜の花むれて膨らみぬ

                                                 菜の花の身体いっぱいに迫りをり

  

 右の写真の当たりに毎年「菜の花迷路」ができるのだが、今年はその迷路が見当たらなかったあまりにも広い菜の花会場ですので間違った菜の花畑かもしれない。

 


見逃していた赤ポスト

2017-05-09 10:52:31 | Weblog

                                             若葉風ハットときめく赤ポスト

                                                                                                        随分と前のことですが、四月九日のブログに「市内三柱の赤ポスト」という題のブログを書きましたが、そのブログのコメントに、多分市内の方だと思いますが、コメント戴きました。その内容は「市内の中町食堂に確かもう一柱の赤ポストがあると思いますが、確かめてください」と言うことでした。その後、直ぐに確かめることが筋でしたが、出向く機会がなかった上に、しばらくたってから都合がありましてブログを書かないでいました。ようやくにしてブログの再開となりましたので、少し前に、中町食堂の前を歩きましたら、確かに写真にしましたように、赤ポストが立っていました。コメントいただいた方に大変失礼をしておりましたが、遅ばせながら、本日御礼を兼ねてお知らせすることになりました。本当に御親切にありがとうございました。これからも、毎日書くとも限りませんが、機会がございましたら、つたないブログですが御訪問下さってコメントいただければ幸いです。