はみ出しの三姉妹や冬薔薇
好天に誘われながら、街中をそぞろ歩くと、新築のお宅の庭に一本の薔薇がはみ出している。よく見れば、三姉妹が仲良く咲いて、それぞれあちこちを向きながら会話しているように見えた。一番上のお姉さんは一番右の薔薇かな?、この新築のお宅はどんな物語があるのだろうか。きっと綺麗な三姉妹がいて、色々なドラマがあるのだろうと勝手に想像しながら写真を撮らせていただいた。閑は財産なのか、くだらないことも、佳いことも想像できる、そんな、今の私の環境を感謝しなけらばと思う。
はみ出しの三姉妹や冬薔薇
好天に誘われながら、街中をそぞろ歩くと、新築のお宅の庭に一本の薔薇がはみ出している。よく見れば、三姉妹が仲良く咲いて、それぞれあちこちを向きながら会話しているように見えた。一番上のお姉さんは一番右の薔薇かな?、この新築のお宅はどんな物語があるのだろうか。きっと綺麗な三姉妹がいて、色々なドラマがあるのだろうと勝手に想像しながら写真を撮らせていただいた。閑は財産なのか、くだらないことも、佳いことも想像できる、そんな、今の私の環境を感謝しなけらばと思う。
憲法の九条のごとし石蕗の花
「岳」主宰宮坂先生の句
信毎新聞の「村上護」さんが主幹しています「けさの一句」を毎日楽しみに目を通す。その「けさの一句」に私が場末にいます俳句会「岳」の主宰「宮坂静生」先生の掲出句が載っていた。村上氏の解説は」ツワの花は憲法九条に似ているという。突飛な比喩とは思えるが、一考に値する。ツワは寒さに耐え、つやのある重厚な葉の間から花茎を伸ばし、りりしい花を開く。花の少ない冬期の花として鑑賞用に珍重される。戦争放棄と戦力不保持を規定した第九条も鑑賞用の類だろうか。自衛隊による再軍備は違憲ではないかという論争は発足以来ずっと絶えない。けれど条文は冬の花のごとしとも言えようか。と解説している。また文藝春秋の一二月号に東京都知事の石原慎太郎さんは「日本堕落論」(このままでは日本が沈む)と題して「核保有による抑止力を訴え、日本の核装備についてのまず国内での議論を誘発している。
来る年の平和を願ひ干支を画く
毎年今ごろになりますと、親戚初め近親者に翌年の「干支」を描いた色紙を贈る。もう確か五年になる。一回り12年まで後七年、頑張らなければ。、うさぎと言えば女性的なやさしいイメージと平和のイメージがある。月にいる「うさぎ」は地球の醜い争いの連続を、どんなふうに思っているのだろう。宇宙の中のほんの小さな星がなんで一丸にならないのだろうと思っているに違いないだろうなと、うさぎを比喩して思う。
消雪の準備の済んでほぐるかな
窓辺にて小春日和を招き入れ
今日は、嵐の前の静けさを思わせるような、暖かい小春日の一日だった。こんな気持ちの良い天気はこれで今年最後になるだろうと北国に人達は皆思っていることだろう。私も窓を開け小春日の爽やかな空気をいっぱい吸い込んだ。その後、年賀状に載せる干支の絵を画き終えて、スキャナして年賀はがきに貼り付けて句を添えた。これも冬の準備のうちだろうなと思う。午後三時ごろ散歩に出かける、途中病院の食堂でコーヒーを飲むのが日課となっている。フリードリンクコーナーがあり、コーヒー以外でも何杯お代わりしても二五〇円というお徳もの。ふと食堂から外を見ると、雪の消雪パイプの準備試験を行っていた。歩いていますと辺りの人々は、雪囲い初め漬物の準備と大わらわの北信州のこの頃です。
寄鍋を囲んで家族賑はへり
寄鍋や箸と箸とが喧嘩する
昨日の夕食は寒くなってから初めての寄せ鍋でした。我が家の寄せ鍋は冷蔵庫の掃除のように余り物を集めてなんでも突っ込む。金目鯛と真鱈だけは思い切っておごった。薄いだし汁で煮込んだ寄せ鍋を味付ポン酢で食べるのが定番である。鍋となると出しが薄いとかもっと野菜を入れなきゃとか、食卓が賑やかになる。具たくさんの鍋は色々な味がミックスして楽しめるのが良い。何より団らんと身体が温まるのがありがたい。
寄鍋や酒はなんでもよしとする
冬浅し落葉松の炎のように
友人馬場君が数年前に送ってくれた落葉松の写真
先日、歩いておりますと落葉松の並木があまりにも綺麗でしたので写真にした。冬に入った北信州は、落葉松の黄色い紅葉だけが主張しているように綺麗に色付けをしている。句は出来ましたが、写真の画像は良くなかった。そこで、確か数年前に友人の馬場君が上高地へ撮影旅行した時の「落葉松」の写真を送ってくれたことを思い出して、PCに在リはしないかと探しましたら、ありましたので、馬場君の写真を載せさせていただきました。
夕映への梢に残す木守柿
木守柿のいわれは、木に数個の実を取り残しておく事で、来年もよく実るようにと、厳しい冬を迎え、飢える野鳥の事を思い、自然の恵みを少し残しておこうとの人間の慈愛でも有ると言われています。今は柿を採らないでそのまま冬を越させることが多いため、北信州には「木守り柿」はないと思っていましたが、ある農家の庭に収穫した二本の柿の木に「木守柿」を残して立っていた。早速、御主人に聞いてみると<家の柿は干し柿」にすると美味しくて評判なので、業者は毎年今ごろ採りに来るのだと、説明して下さった。採らないでそのままの柿の事を聞きますと、<そんな柿はうまくないんだよ>言って笑っていた。木守柿に会うことが出来てもったいないという気持ちが少し和らいだ。
淋しげにほのと温しや帰り花
数年前の「狂いさくら」
今日は朝から寒いので、久しぶりに湯滝温泉に温まりに行く。途中国道117号線の千曲川沿いの反対車線に市民がオーナーとなって植樹した桜並木がある。「道の駅」の手前に数本の桜が季節外れに、淋しげに咲いているのに気が付き車を止める。この2~3日の暖かさで「狂い咲き」したのだろう。この頃の温暖化の影響なのか、この街道の桜の「帰り花」を数回となく見ている。丁度、小型のデジカメをポケットに入れておりましたので、冬のさくらを撮ることが出来ました。何かで、冬と春の二度咲かせるという冬桜を見ることが出来るところがあると聞いた覚えがあります。
寺の街こころ洗ふや一時雨(ひとしぐれ)
手や足の汚れは常に洗えども心の垢を洗う人なし 天の加護なき事を疑わざれ
時の鎌倉幕府の国家権力は日蓮聖人の教団を根こそぎ消滅せんと謀った。死島佐渡への島流しに会う。「佐渡法難」鎌倉幕府権力は弟子たちへもさまざまな「迫害加圧」して財産まで没収した。日蓮聖人は弟子たちに「天の加護」必然・必来を言いさとしたのであった。と詳細に説明書きがありますが、概要を記しました。
マスクして深き学びの芯呼吸
ある日、突如として長野市の篠ノ井方から電話が入る。<長野篠ノ井病院で健康講演会がありますから出席しないか>と誘いの電話だった。彼(斎藤さん)は12年前、僅か一ヶ月間位、鹿教湯尾温泉病院で同部屋の方である。その後年賀状のやり取り位で顔を合わせていなかった。彼は私より少し重かったと記憶していますが、元気な張りのある声だった。彼いわく、北里大学の廣畑教授で、もう何回となくこの病院へ講演に来て下さっているようで、東大の医学部卒業で脳疾患にはかなりの権威だと言っていた。彼はこの教授が講演に来るたびに必ず受講しているとのこと、ありがたい誘いでしたので、先日の19日に家内と講演会に出席した。彼との12年振りの再会でしたが、その後、彼の努力のたわものか凄く回復しているのに驚いた。彼と懐かしい鹿教湯温泉病院の頃の話で盛り上がった。また、廣畑教授の講演は再発防止についての注意点と、脳溢血治療の最前線の模様を話された。医学は日進月歩で、かなり進んでいることを講演され、明るりい見透視の脳疾患医学に期待が持てて、本当に勉強になった講演会となった。彼、斎藤さんに感謝の礼を言って、またの再会を誓い、家内と帰宅の途に着いた。。
山茶花の散り際なれどほどの幸
山茶花のほかに花なき花の庭
丸山さん宅の山茶花
今、私共北信州は咲いている花の種類が少ない。盛んに咲いている菊の花か「山茶花」くらいだろうと思う。今日の「俳句王国」の兼題は「山茶花」でした。出席者のそれぞれの佳句に感心する。山茶花は、花も葉も椿にそっくりですが、散り方が椿と違って花びら一枚一枚づつ散る。そこに何か哀愁を感ずる。その山茶花がどこかに咲いていないかと思い立ち、車を飛ばしながら広範囲に探しましたが、残念なことに捜すことが出来なかった。その旨を裏の和菓子屋の主人に話すと木島地区の花園(はなえん)に咲いているかもしれないと教えてくれた。今日はもう暗くなり始めましたので、明日その「花園」へ行ってみようと思う。上の写真は臨時にネットからお借りした。 追伸、先日(21日)に(花えん)に出向いたら、残念なことに、山茶花が植わっていなかった。帰り道木島の知り合いの丸山さんに聞きに行くと、<山茶花なら家に咲き始めているよ>と言い広い庭を案内して下さった。やっとの思いで山茶花に会えた。その後、市役所の駐車場沿いに山茶花が沢山咲く情報が入りましたので行って見るとまだまだ蕾の状態でした。
小春日や塾の先生たもとほる
ノーゼンカズラの紅葉が薄茶に染まった、暖かい小春日の本日、隣の塾の先生は、どこか小春日に誘われたのか、塾を開けっ放しにして留守のようである。お客さんが数人入ったり出たりしていた。私が家の駐車場で車を洗っておりますと、一人の方に<隣の塾の先生はおいでですか>尋ねられた。さあー、分かりませんが、暖かい天気なのでどこかサイクリングにでも行っているのではと、無責任に答えてしまった。ワックス掛けをしていると、先生は颯爽と自転車に乗って帰って来た。訪ねたお客さんのことを報告すると、あー、あの人かと納得したようだった。先生は、今日はあまりも気持ちがようので、ついつい遠くまでサイクリングしてきたとほほ笑んでいた。私の思った通りの先生の行動だった。天気予報では2~3日暖かい天気が続くようだ。明日は歩いた後、カメラを以て吟行でもして句の種探しに行こうと一人張り切っている。下五を「たもとほる」に直した。20日の「俳句王国」で主宰のホトトギスの稲畑汀子先生が「ふと帰心あり山茶花をたもとほる」と詠っていた。「たもとおる」の意味は「あちこちと歩きまわる。 うろつく。 」と意味らしい。初めて知った言葉です。たまとほる(旅の最中)に綺麗に咲いている山茶花見て、自分の家の山茶花に会いたくなり家へ帰りたくなった心境を詠ったと説明していた。
雪囲ひ終へて誘はれ渋きお茶
ほどの皺干大根に日の匂ひ
良く晴れた暖かい午後の一時、知り合いのお宅の前を通ると主人が雪囲をしていた。毎年のことでご苦労さんですねと挨拶しますと、<やっと今終わったところだ熱いお茶でも飲んでいかねか>と声をかけられた。このお宅ではちょいちょいお茶を頂くので、遠慮はいらない、御馳走さんと言って、奥さんが庭の隅に用意した椅子に坐り込んだ。話は、今、行われております市会議員選挙の話やら<この社場いったいどうなっているんだい>とか諸々の話で尽きることがなかった。私は直ぐ傍の公民館で<水墨画教室があるのでと言って>話の切れ間で礼を言って立った。奥さんのお茶受けの野沢菜の浅漬けがとてもおいしかった。
山眠る上達といふ筆欲しき
能登金剛
11月1日から信濃美術館において行われた第十回県民記念水墨画展に出展した「能登金剛」です。出展したほとんどの方が入選もしくはそれ以上の賞を頂いたようです。11月5日に水墨画を習う数百人の県民の前で、私共の吉越先生の「水墨画指導実演」があったので、私も会場へ行ってその指導を受けたり、会場の様子を写真にしたかったのですが、身障者の旅行と同級会とその後一泊の旅行で6日ほど家を離れ疲労が重なったのか、体調がおもわしくなく長野の信濃美術館へは行けませんでした。御蔭でもうすっかり体調が戻りましたが、誠に残念至極でした。