先週は孫たちがインフルエンザで学級閉鎖。週末、楽しみにしていた絵ろうそくまつりも、夕食前に一人で行ってきた。
日没が5時半ころ、暗くなるのを待っての写真撮りだった。
薄暗くなり始めた城内では並んだろうそくに灯が灯っていた。



雪も少し舞う程度で天気も良く、時間帯もあるのか、ここ数年で一番の賑わいだった。多分、浜通りからの被災者や風評援助の観光客も多かったのだろう。また、カメラマンが多いことには驚いた。良いアングルには何人もが三脚を立ててイベントのライトアップを狙っていた。
今年は特別イベント「デジタル掛け軸D-Kライブ」があった。イベントプログラムの解説には、「世界的に活躍するデジタルアーティスト「長谷川 章」氏が創作。百万枚のデジタル映像をアトランダムに投射して幻想的な空間を作ります。投射された画像はゆっくりと変化して情景を創りだし、見る人は思い思いの情感を心の中に描くことができます。」とあった。
6時ころからそのライブ映像が始まった。現代ならではのアイディアだろう。城壁や石垣の雪にいろいろな模様絵が映し出された。少し奇異な感じもしたが、限られた時間ならいいだろうと思った。





でもやはり、静かに降る雪の中、ほのかに灯る絵ろうそくの明かりを見つめる穏やかさも欲しいと思った。
オレンジ色の炎の温かさを思った。雑踏の中、絵ろうそくに跪いて炎を見つめた。家族の健康、幸せそして、震災から11ヶ月、震災からの復旧・復興を祈った。
静かにこころを見つめるまつりでありたいと思った。

珍しいお城の写真を撮り、家族みんなの待つ夕食時間を気にしながら急ぎ足で帰路についた。(2012.2.11)
(会津絵ろうそくまつり オフィシャルサイトから)
会津絵ろうそくについて・・・会津絵ろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前の宝徳年間、時の領主芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実からは最上級の木ろうを採取し、ろうそくを作らせたことに始まります。本格的に作られるようになったのはその後で、蒲生氏郷公や保科正之公が会津の産業を発展させるため、漆樹の栽培を保護奨励し、漆やろうが多く生産されるようになってからです。江戸時代には、参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになりました。主に、神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用されました。特に婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され、これが『華燭の典』の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったといわれています。
















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