ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

二月尽

2015-02-28 08:07:15 | Weblog

 西の空緩々と暮れる二月尽

 今日は二月最後の日、俳句では二月尽と詠う。このところめっきりと日が長くなった。 12月22日ごろの冬至から6月21日ごろの夏至まで、日が長くなる。今日あたりの暖かい日差しが射すとかなり雪解けが進む北信州である。今日の俳句の初めは段段とと表現して見ましたが、緩々(ゆるゆる)としても良いのではと思い詠みました。緩々との方が情感が出ているような気がしている。そう言えば 、日が長くなることは、12月の冬至の頃より米粒一つずつ日が伸びるって、祖母が言っていた事を思い出した。一日米粒一つ日が延びる姿が良く現れているようなこの頃である。また、こんな言い方もあるようだ。「冬至から藺の節だけ伸びる」(とうじから いのふしだけ のびる) 「藺の節」は、畳の目のこと、最も昼の長さの短い冬至を過ぎると、、畳の目ほど少しずつ日日と日差しが長くなるとい うことのようだ。


洗濯日和

2015-02-27 11:25:00 | Weblog

鼻歌や妻の洗濯春日和

 今日の午前中八時ごろから春を思わせる暖かい日差しがいっぱいに射していました。家内はチャンスだと思ったのか張り切って鼻歌交じりで七人の大家族の洗濯ものを二階と三階のベランダいっぱいに干していた。洗濯を干し終えて、安堵している束の間に晴れの天気が一転して雪がやってきた。折角干し終えたのにと、洗濯ものを取り込みながら、空に向かって睨みつけていた。またしばらくすると、春日和を思わせる天気となったが、変わりやすい春の天候を知りつくしている家内は、二度とベランダに洗濯ものを干そうとしなかった。二階の和室とリビングいっぱいに、その上、私の部屋にまで洗濯ものでいっぱいとなった。お日さんの変わりに家中暖房にして洗濯の干し場と早変わりとなった。家内の鼻歌がいつの間にか不機嫌そうな顔がひしひしと伝わってきた。


まだまだ春遠し

2015-02-26 11:36:13 | Weblog

北信濃まだまだ春の音遠き

北信濃浅き春来し水の音

 昨日の午後、少し風があり曇りの日でしたが、暖かでしたので、毎日の味気のない機械歩行に飽きていましたので、夏歩いております、勝手に決めた私のBコースをゆっくりと歩いた。写真の、街の北端にある「飯笠山神社」の前の川を覗きますと、雪解けの川の流れは、元気に流れてしたが、私が住む南から見るとまだまだかなりの雪があった。三月二日の俳句教室に先生から戴いていました兼題は「春を思わせる景色」でしたので「北信濃浅き春来し水の音と詠い兼題句を提出しましたけど、写真の川を覗きますと、春はわずかに進んではいますが、掲出した俳句の「き春とは、まだまだ遠さを感じましたので、今日のブログの俳句を兼題を掲出した「北信濃浅き春来し水の音」を書く積りでしたが北信濃まだまだ春の音遠き」と詠み直しました。


春一番

2015-02-25 06:13:06 | Weblog

春一番汚染とともに旅するや

 

春一番キャンヂィーズ

  報道では 22日は、各地で南からの風が強まって気温が上がり、北陸や中国・四国、それに九州北部で「春一番」が発表されました。気象台によりますと、日本海にある低気圧に向かって南から暖かい風が吹き込み、富山県内では日中の最高気温が高岡市の伏木で18度8分、富山市と魚津市で18度5分などと平年を11度ほど上回って4月下旬並みの暖かさになりました。風も強まり、最大瞬間風速は富山空港で17メートル、富山市で16.7メートルを観測し、気象台は「北陸で春一番が吹いた」と発表された。また、中国・四国、それに九州北部でも、南よりの風が強まって気温が上がり、気象台は、「春一番が吹いた」と発表した。中国から春一番が吹いたからと言って手放しに喜べない。もしかしたら、春一番の強い風に交じって、問題のPM2.5が乗って来るかもしれない。中国の共産党幹部は、権力闘争に終始し、芯から環境汚染対策の考えまで回らないと聞く、増してはPM2.5問題は対策の振りをするだけで芯から考えていないようだ。海洋進出はじめ、何をしでかすか分からない大国を隣に抱えている日本、将来に渡って大変なことが起こるるような予感がしてならない。

 

 

 


貫徹したか恋の猫

2015-02-24 10:48:38 | Weblog

成し遂げし化粧直しか恋の猫 

 

先日の二十二日は猫の日だとのこと、新聞で俳人土肥あき子さんが観賞する「けさの一句」に恋猫や世界を敵にまはしても  (大木あまり)  恋する猫とは聞こえが良いが、すさましいい泣き声をあげる発情期の猫たちに眉をひそめるむきも多い。「世界を敵に回す」とは、誰一人味方がいない状態でも主張は曲げないということ。確かに猫には犬ほどに人間に構われたいという意識は感じられず、またそのマイペースを愛する人間も多い。作者もまた、あたり構わず恋を主張する猫に心からエールを送っているひとりだろう。と土肥さんの俳句の鑑賞があった。今月の十三日に北信病院の定期診察の帰り路、畑の雪の上に転がり奇妙な格好の猫を見た。珍しい光景でしたので、車を止めて撮った写真であるが、もしかすると、恋を成就して満足げに雪の上にころがり身体を洗っているのだろうと想像を膨らませてた。

 


地域に生きる

2015-02-19 17:02:38 | Weblog

 春多き若さに託せ飯山市

第33回 「飯山市雪まつり」実行委員長を務めあげた「坂東武文」さんは、私共隣組の建設会社の社員である。今はお父さんである社長さんの後を継げば四代目の社長となる、今日のブログは、新聞記事を乗せましたので、字が小さく読みにくいと思いますが、虫メガネでもお使いになって読んで下されば有難いと思います。彼は若い時代から地域の消防団、青年会議所理事長、その上、飯山商工会議所青年部長を務め地域の発展の為、何時も一生懸命に活躍している将来期待されている好青年です。

  これからは地方創成の時代と言われています。人口減が著しい吾飯山市、今迄の発想では将来が見えてこない。国を挙げての政策であるこのチャンスを逃しては、明日の飯山市はないと、市民みんなの共有にしなければならない。こんな時代ほど思いきった型破りと言われるような発想を持って事に当たらなければならないと、ひしひしと考える。その為には将来に向かって沢山の飯山の春を過さなければならない若い指導者を育てる事が急務と感じてならない。これからの指導者は、芯から命をかけて事をなす勇気を持った首長でなければ、地方時事の消滅が目に見えてくる。10年、20年後の飯山市を考えるとしごく当然のことであると思う。


五島慶太顕彰碑

2015-02-17 16:24:36 | Weblog

 

魚氷に上り五島慶太碑何処へ行く

 

三月十四日に開業する北陸新幹線の新飯山駅に併設され、飯山線の飯山駅はすでに併設され運行しておりますが、元飯山駅はいつの間にかその姿が無くなっていた。潰された飯山駅前にあった「五島慶太顕彰碑」が何処かへ移動するらしく、重機で撤去作業中に、その現場の近くを通った。五島慶太は、長野県の青木村に生まれ苦学して帝大を卒業、高等文官試験に合格。時の農商務省、鉄道院で官僚として働き、その後鉄道事業家となり東急王国を築いた人物である。五島慶太の碑が長く飯山駅前に立っているのは、かって飯山線となる豊野から飯山までの飯山鉄道の建設に許可がおりたのは、当時鉄道院の課長だった五島慶太の大きな努力があったからであると伝えられている。その功績を称え、牧野長蔵氏初め関係各位が中心となり五島慶太顕彰碑が建立したと聞いている。その大切な五島慶太顕彰碑が何処へ移されるのか知らないでいる私である。


何年ぶりかの縄暖簾

2015-02-16 12:16:38 | Weblog

薄氷をゆつくり跨ぎ縄暖簾

 元来御酒好きな私ですが、病気以来十五年間、酒を控えて飲むようにしていましたが、意図することがありまして、お酒を断って二年が過ぎた。従って写真の馴染みの暖簾を潜るのは本当に久しぶりである。めずらしく私が御酒を止めたことを知る友人に誘われましたので、ノンアルコールのビールでもと思い、付き合うことにしました。カンターに四人位の以前馴染みのお客さんが飲んでいた。珍しいね「生きていたのか」なんで冷やかされてしまった。ここの女将は家内と生まれ在所が同じく、雪の中から毎日良く通っているとかねがね思っていた。私はカウンターに並ぶ女将の心がこもった「おばんざい」がどれも気にいっている。その「おばんざい」を二品ほど頼み、ノンアルコールのビールで友と乾杯した。アルコールのビールと大差ない味でなかなか美味しかった。友とカンターの知り合いとの、これと言って纏まった話をするわけではないが、酒場の雰囲気が好きな私は、酔いの深まった人達につられて少し御酒に酔った気分となり、たまには、こんな雰囲気を楽しむことも大切だと思った。またチョクチョウク誘って下さいと友人に頼んで帰途に着いた。


雪降りの雪まつり

2015-02-15 14:42:30 | Weblog

 雪像の名人天で見ているや

飯山雪まつりも33回の歴史を重ねました。私共若かりし頃は、我が町の25m坊火道路の櫻並木を挟んで雪像造りに励んだものだった。今はでは皆七十歳過ぎた老人となった。その頃は上町「十五日会」と言う団体が活躍し「十五日」会を中心に「飯山雪まつり」には張り切って雪像を製作にあたったものだった。思い出せば、雪像彫刻の名人と言われた床屋のKさんを中心に毎年張り切ったことが懐かしい、今ではそのKさんは天国で、我が町の諸君、今年の雪像はどんな出来栄えだと、きっと浄土で見ているに違いない。

 

 

 

 

 左の龍の雪像は、「最優秀賞」で近年力作の連続の福寿町の区民の雪像です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右の雪像は「優秀賞」となった寺と仏壇の町(愛宕町)の「七福神恵比寿天」であった。この街は連続「最優秀賞」の常連の街でしたが、この数年、福寿町に越されているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


バレンタインデー

2015-02-14 12:46:52 | Weblog

 頬べりをしまくるバレンタインデー

目がうるむバレンタイン日となりけり

 

 末孫娘の「あーちゃん」がにこにこしながら、私の部屋に入って来た。「爺ちゃんバレンタインデーのチョコ」だよと、私に手渡ししてくれた。爺ちゃんこのチャコ私が買ったんだよ、私のおこずかい少なくなったから、爺ちゃんお金ちょうだいと言う。私はいくら欲しいのというと、大きい丸いお金2個ちょうだい、と言う。多分500円玉2個のことだろうと思った。これにはまいった。目がうるむのはほんの一瞬であったが、あーちゃん気持ちをちょうだいしたと思い、丁度財布に500円硬化が2個あったので「あーちゃんこのお金自分の貯金箱に入れておくんだよ」と言って渡した。多分自分の小さな財布から500円一個で買ったのだと思うと、今年の六月三十日で五歳になる孫娘「あーちゃん」がこんなこと考えるなんて、今の子は賢いのだかズル賢いのだか、私は複雑な気持ちとなった。目が潤んだのが束の間、私の成した行動が果たして良かったのかと反省したバレンタインデーとなった。


渡辺 徳先生の後援会

2015-02-12 15:53:09 | Weblog

 身となるや主治医の講和春日和

 

         

 

              

 本日は家内と同伴で、北信総合病院の私の主治医である渡辺 徳 先生がお忙しい中、飯山市包括支援センターの主催で「高血圧と心臓病」と言うテーマで御講演に来て下さった。普段先生から指導いただいている内容ではありましたが、改めて講演を聞くと、そうか、こういうことも気をつけなければと、新しい知識が身に入る事が出来た。先生は北信病院の循環器内科の部長さんで、広い知識と丁寧な心ある診察に何時も感謝している私である。先生のポロフィールを聞いて、なかなかの経歴のお持ちの先生である事を改めて知った。先生は千葉県の出身で信州大学医学部を卒業され後、数か所の地域医療にたずさわれて、六年前に北信病院に来られたとのことだった。私の前の主治医は転勤されたので、変わりの担当医とはどうも波長が合いませんでしたので、以前から渡辺先生の評判を耳にしていましたので、思い切って渡辺先生に担当医になって戴くように懇願しましたが「僕はこれ以上多くの患者さんを抱えることが出来ない」と断られてしまいました。私はそこで諦めることなく、しつこいくらいにお願いすると、先生は断りきれなくなったのか、引き受けてくださった。以来、渡辺先生との信頼関係が続いている事に感謝の日々を送らせていただいている。


建国記念日

2015-02-11 14:08:17 | Weblog

  日章旗少なくなるや建国日

 

 

 

 天気予報通りの春日和の建国記念日の日。このところの空天の青空の色が春らしく明るい薄青となっている。この数十年と旗日に日章旗を掲げる家が極端に少なくなった。以前もブログした記憶がありますが、私は記念日に日章旗を掲げるように努めている。記念日に国旗を掲げるからといって決して国粋主義者ではありません。戦後の昭和中期の頃は、ほとんどと言っていいほど、記念日に日章旗を掲げる家が多かった。こんなところから思うことは、全てとはいいがたいですが、現在の国民は国を思う心が薄れているのではないかと非才である私は思う。こんなところから、日本人の大切な「大和魂」までが薄くなっているのではと思うと残念である。

 

 

                馬像永遠にかがやく建国日

                                                

 坂本龍馬銅像: ポタリングでお遍路リフレ♪ 土佐を巡り、幕末の志士に触れる旅♡

 

 坂本竜馬の銅像は各地にある。高知初め桂浜、京都にもあります。 流動する時代の中、時代を駆け抜けた龍馬、 日本の歴史を作った一人とも言ってもいい、彼らがいなければ、今の日本はまた違うものになっていただろう。暗殺される33歳の短い生涯までに多くの仕事を残した。時代背景とはいえ、今の若者は日本の歴史を大きく塗り替えようろとするリーダーとなる人物が存在するだろうかと思うと、坂本龍馬の功績は偉大なものであったのだ、そんな為か、今も国民にの心に大きく存在している。                                            

 

 

 

 

                                                    ネットよりコピーさせていただいた高知市浦戸桂浜公園内


本日は晴天なり

2015-02-10 16:55:43 | Weblog

 

 麗らかに雲ひとつなきおらが郷

  

 

 

 本日の午後雲一つない麗らかな春の空となった。普段冬は歩行器による運動ですがこんな晴れた日は家に居るのがもったいなくなり、午後になって凍った道路が緩んで来ましたので早速歩くコースの三分の二位ですが歩くことが出来た。少し風が冷たかったのですが、街を歩くと何よりも機械歩行より解放感がうれしい。また道行く人々に、なるべくこちらから挨拶しようと心がけた。知り合いに合いますと「元気でしたか、この頃歩く姿を見かけないので心配していましたよ」なんて声をかけてくる人に合うと、やはり、人と人との触れ合いの大切さを改めて知る。

 

 

 

 

   コーヒーの香り漂ふ春日和

 

 

 

 歩行運動からの帰り道の商店街に馴染みにしています喫茶店に寄る。軽食もやっている喫茶店ですので、お昼時の御客さんが引けた後の様子でした。カンターで仕事している友人の奥さんととりとめない会話がこれまた楽しい。私は何時も物事をプラス思考にしたいと心がけています。良く分かりませんが、孟子が唱えた「性善説」でありたいと常に思っている。対して「性悪説」がありますが、性悪説は誤解しやすいことがありますが、こんな説がある。人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説である。荀子(じゅんし)が唱えたとのことだ。病気持ちになった上に商売も止めてしまいましたので、社会との接点がどうしても少なくなりがちですので、なるべく人さまとのコミニュケーションを願う私である。


中央幼稚園発表会

2015-02-08 14:56:49 | Weblog

 想像をふくらみ合わせ水温む

 

                 

 人形の写真は年長組の「次男坊のゆーや君」のクラス全員での製作した人形だと先生から説明があった。お互いに「こうしたらとかあーしたら」と何回も話しあい、何日もかかって出来あがった人形らしい。年長組ともなるとお互いに「コミニュケーション」が出来るようになるのだと思う。友の意見を良く聞き、自分の意見を主張する。自分の意見が通らなくも譲りあって作品を仕上げる。中に

 「ゆーや君」の自画像  自分の意見が通らなく、すねる園児も居ると思うが、そこは多分先生から御指導があるのだろう。次男坊「ゆーや君」はこの四月からピカピカの小学生だ。今回の発表会を見に行き、先生からお聞きした話で、多分に褒め言葉があると思うが、日常の「ゆーや君」の成長ぶりが伺うことが出来た。

 

 

 佐保姫 やはずかしそうに自作指す

 右の数人の人達の絵に、末娘「あーちゃん」が恥ずかしそうに自分の作品に指を指してくれた。次男坊「ゆーちゃん」と二歳しか違わないのですが、お兄ちゃんより上手に見えた。俳句の「 左保姫」は先日2月7日の「けさの一句」に福田甲子雄さんの句で、俳句観賞 土肥 あき子(俳人)が観賞した佐保姫の産衣を浸す谷の水 の句が発表されていましたので、そこで初めて「左保姫」は春の季語だと分かる。歳時記には(左保姫は春をつかさどる女神。秋の龍田姫に対していう)簡単に乗っていた。ネットで調べると春の季語、佐保姫は染めものや機織を司る女神と位置づけられ古くから信仰を集めている。竜田山の神霊で秋の女神竜田姫と対を成す女神とされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


飯山線北へ一里一尺

2015-02-05 06:29:02 | Weblog

ふるさとへ一駅ごとに雪深む

 

何方かの写真をネットからお借りする

暦では立春が昨日だった言うに、北信州は、まだまだ寒さが続く、そんなためか春の句を詠むことが出来ないでいる。何方の写真だか分りませんが、飯山線に間違いないと思いお借りいたしました。昔から、北信州飯山地方から北へ行くごとに一里一尺雪が深くなると言われていた。今は以前より雪の降り方は比較的少なくなりましたが、今年のような大雪は写真のような飯山線の雪の状態は何回もあったろうと思う。私は北の方面へ飯山線に乗ることがまれな事ですので、何処の駅だかさなかでありませんが、この周辺の住民の冬の生活は想像つかないほど雪との葛藤が大変だと思う。そんなためか、いくら「住めば都」と言えども、雪国から脱出する人々は多いことだろう。こんなことが過疎化に繋がり、飯山市の人口減に拍車をかけているのは事実だろう。