ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

今年の最後の日一二月三十一日

2016-12-31 08:44:28 | Weblog

 除夜の鐘最後一打に手を合はす

煩悩を少しは残し除夜の鐘

  今日は1916年最後の日となりました。今年も病気と付き合いながら、何とか過ごすことが出来ました。毎日がいとおしく感ずるのは、76歳になる年が全てだと思っております。来る年も健康専一の生活を送り、少しでも楽しいことを探しながら、充実した日々を送りたいと思う今年最後の日です。ふと、このつたないブログを書き初めてどのくらい経ったのかと思い、調べて見ますと、書き始めた日は2005年三月三十一日だった。従って来年の三月三十一日で丸十二年となる。光陰矢のごとしと言いますが、時の流れは、遅いようで早いものだと身をもって感じました。下の「福寿草」は一番初めのブログです。このころは、写真を掲載するすべが無かったが、今は、俳句と写真だけはブログに載せようと思う日々です。今日は写真がありませんが句の方はこれからあじあう「除夜の鐘」の句でも詠うかなと思っておりますと、新聞の「けさの一句」に目をやりましたら、やはり「除夜の鐘」の句が載っていた。今年最後のブログ俳句なかなか良い句が浮かばず難儀しております。

 福寿草(ブログの初日)

2005-03-31 09:54:37 | Weblog
福寿草家族の如き寄りそうや
我が家の狭い庭の陽だまりに福寿草が咲き始めた,福寿草は名が縁起が良いとして正月の飾りに用いられるので季語は新年だ,こちらではこの時期に咲くため正月の飾りに使う習慣がない。
句には家族のように寄り添うと詠ったがその大切な家族が崩壊しそうな昨今だ
今日は天気が良いので蕗の薹採りに行こうと思う,天ぷらが美味しいだろう
竹村健一の一週一訓
アウトドア・ライフはお金がかかるという人が多い。だが、野山を歩くのに収入の多賓は関係ないはずだ。お金がなければ自然に親しめないというのは間違いだ。

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小さな旅 再放送彩りの四季 飯山市冬の温井放映

2016-12-30 08:18:45 | Weblog

 しばれるや雪深き郷温き民

 今朝、何となくNHkテレビを見ていると「小さな旅」の再放送で「彩りの四季」と言う題で、私共飯山市の豪雪地帯の冬の「温井地区」と奥穂高岳や北穂高岳の秋の紅葉の「涸沢カール -」の登山中継など放映していた。その中から、冬の温井地区を取り上げた。特に寒い朝をこの地方では今朝は「カンジ」たという。その結果、木々が氷ついたように真っ白な桜が咲いたように見えるのことを「霧氷」と言う。霧氷は汚れが無く純白で人々の心が純粋になる。 

 

 

 降り積もった家の周りの雪を「たね」と言って「水溜り」にスノーダンプで降り溜まった雪を投げて雪を溶かせ、家の周りをスッキリとさせる作業が映されていた。

 

 

 

 

 どんなに雪降る寒い朝でも、冬の楽しみの少ない雪国の人々の為に、休むことなく新聞を配る、六十三歳の御夫人、まだ除雪の済んでいない雪深い朝、雪をこぎこぎ休むことなく、人々の役に立つ喜びを噛みしめながら、どんな寒い日でも風邪なんか引いていられない。努力の人がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古い中央橋の解体

2016-12-25 12:12:30 | Weblog

 

 左の写真の解体中の中央橋は私が卒業した中学校の直ぐ傍にあります。今から六十年前中学三年の時、鉄橋建設中でした。私の教室の席が窓際でしたので、工事現場の鉄を繋ぐために、熱せられた鋲を一本一本はめ込むための大きな音がうるさく授業が身につかなかったことを思い出した。この時代の鉄橋の寿命は四~五拾年ということのようなので、十年以上も架け替え工事が遅れていた。古くなった中央橋は荷物を積んだトラックが通ると怖いほど橋が上下に揺れていた。今思うと、大きな事故が起こらなかったことが不思議なくらいである。旧中央橋の直ぐ隣に近代的な新中央橋が出来たため、旧鉄橋の解体中である。

 

 

 

 右の木の渡し橋は、解体中の鉄橋の出来る前の橋である。雨で千曲川の水位が上がったときは、木の板を一枚一枚はずすので川を渡れなくなったことが、子供の頃の記憶にある。この木の橋を歩いて渡る時、木の隙間から活き良く流れる千曲川の流れが目の下に見えて歩くのが怖かった記憶が蘇った。

 

 

 

 

 

  

 

 

 


どれがいいかな?クロスマスケーキ

2016-12-23 17:04:34 | Weblog

 孫達の笑顔浮かべしケーキ買ふ

 

今日は「あーちゃん」の勉強机を見に中野市のイオンへ出かけた。「あーちゃちゃん」が一発で気に入った。予算よりかなり安く買えたので、大きな得した気分となった婆である。丁度明日はクリスマスイブですので、余裕ある気分のうちにと思ったのなかケーキ売り場で、少し贅沢と思われる高価な大きなケーキ買った家内は、大きなケーキを買った後、隣のショートケーキに目に行っていたので、

 

 

                                 私は「大きケーキを買ったんだから、ショートケーキはいいんじゃないの」というと、孫達に三個だけ食べさせてやりたいという。毎日倹約のため、買い物の値段と格闘の家内が少し緩んだ気持ちがわからないでもない私でした。いつも、孫達を怒鳴りつけている家内ですが、ケーキを前にして緩んでいる顔は、孫が好きで好きでたまらないという顔であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

 

 

 


冬至に柚子を入れた朝湯

2016-12-21 09:48:39 | Weblog

 贅沢に柚子と戯る朝湯かな

柚子たちは私の肩が好きなよう

 今日の新聞の「けさの一句」に 柚子湯沁む無数の傷のあるごとく とありましたので、今日は冬至の日だと知る。私のところは、家族が多いので夜風呂に入る時間がどうしても遅くなり眠くなってしまうので、数年前から不経済と思いながら、私だけ朝湯にしていただいている。今朝、不意に、遊び心で一番に柚子湯に浸かりたいと思い立ち、家内に柚子湯の柚子があるかと聞いてみたら、運が良く、スーパーから買ってきてあると言う。皆に内緒で朝から柚子湯をいただいた。やはり最初の柚子の香りは、例年の香りより数段と香りが良い、一人ニヤニヤと最高の贅沢を味わった。夜、孫達始め皆が入るので、そこは気を使い柚子湯に浸かった後、柚子を風呂からナイロン袋に戻しておいた。二句目の「柚子たちは私の肩が好きなようは昨年のブログに詠った句であるが、昨年の冬至の湯の中の柚子は、何故かひつこいように、私の肩に集まったことが不思議に思ったので句に詠んだ記憶が蘇った。二句目とも柚子湯でなく柚子だけで詠いましたが、柚子は秋の季語ではと思い、ネットで調べると「柚子の季語は、秋ですが」俳句などの歌では、柚子の実は冬になりますし、特にこだわることは無いとあった。 

 


なぜ生きる!!」

2016-12-20 12:24:24 | Weblog

 

 今日は暖かく良い天気に恵まれましたが、病持ちの私は、寒い冬は風邪引くと大変なので、どうしても家で過ごすことになる。歩く運動は機械運動となっている。従って、外からの情報は殆ど得ることが出来ないため、写真も不足がちになります。ブログは日記だといわれていますが、毎日書かなくもと思いたったら、なんだか気楽になった。そんな分けで無理に話題を探さず気楽に書こうと決めた。今日のブログは少し理屈ぽくなりますが「なぜ生きる」からの抜粋となる。お役に立つか、かってですが気楽に書こうとおもう。

「生きていて良かった」と満足する「人生の目的」を

私たちは、昨日から今日

、今日から明日へと進みます。;光陰矢の如し;といわれるように、本当は猛スピードで走っているのかもしれません。小学、中学、高校と進学し、受験時代は死ぬほど勉強、大学に入れば死ぬほど遊ぶ、就職したら死ぬほど働く。人生の荒波に投げ込まれた瞬間から、絶えず泳ぐことを強いられます。生きるとは泳ぐことだといえましょう。「生きるために生きる」と言い張る人は、「泳ぐために泳ぐ」と言い張る人です。流れにただよう浮き草は、あてどのなく往きつ戻りつ、やがてみずから腐ってゆきます。泳ぐために泳ぐ人の悲運は明らかでしょう。「飛ぶために飛ぶ」飛行機の末路と変わりません。「生きるために生きる」人生を、空の旅にたとえたなら、どうなるのでしょう。速度や高度はどのくらいにするのか、風向きの変化や気圧配置によるルート変更、エンジントラブルの対処などは、「飛び方」の選択であり、「どう飛ぶか」の工夫です。それらの前に知らねばならいのは目的地であり、「どこへ向かって飛ぶのか」の方向です。行き先知らずに飛び立つパイロット、いないでしょう。飛ぶために飛ぶ飛行機は、墜落の悲劇あるのみだからです。同様に、「生きていて良かった」と大満足する「人生も目的」がなければ、生きれば生きるほど苦しくだけの一生で終わってしまうのではないでしょか。

苦しみの新しい間を楽しみといい、楽しみの古くなったのを苦しみと言う

現今は、;本当になすべきこと;を探求する、 人間らしい精神が危機に瀕しています。科学文明が破壊しているのは、自然環境だけではないようです。刹那的快感に救いを求める人が増え、「依存症」の言葉が、ちまたにあるれるようになりました。;わかっちゃいるけどやめられない;なにかにのめりこんでいなければ、じっとしていられないのです。一日一回はパチンコせずにいられない「パチンコ依存症」デパート狭しと買い続ける「買い物依存症」など、何か気晴らしがなければやっていられない、生きづらさの反映といえましょう。薬物依存も減っていません。経口の覚醒剤も登場し、小学生すら手を出す始末です。中毒者の幻覚による凶悪犯罪も増え、第三次乱用気といわれるようになりました。一人になるとさびしくて、不特定多数と性的関係に走る人が増えています。それらの人によって性交渉は、漠然とした不満を埋める手段となっているのです。「今、楽しいことをやらばいいんだ。それが、その時その時の、生きる目的。そうやって生きていくのはなんのなめ?そんな面倒な問題は、忘れたほうが面白くいきられるよ」そんな人もあるでしょう。本当にそんな主張が貫くことができるのでしょうか、いろいろ「楽しみ」の実体を考えて見たいとおもいます。まず、「欲望を満たす喜び」から、見てみましょう。私たちの欲求はさまざまで、おいしい物が食べたい、流行の服が着たい、車がほしい、恋人がいたら・・・・・・そのほか、あげればきりがありません。欲望を満たす幸福感です。たとえば喉が渇いたときコーラを飲めば;スカットさわやか;な快感を覚えます。しかしその気持ちのよさもつかの間で、もう一口、また一口、と次第に渇きが癒されるにつれ、爽快感は減退します。渇きが減っていく過程だけがおいしいと感じられるのです。百パーセント;渇き;がなくなってからのコーラは、逆に苦しいものとなるでしょう。痒いところ掻いている快感が、やがて痛くなると同じです。不満がなくなると苦痛にかわる。これは、「限界効用逓減の法則」と名付けられている、いろいろな場面で見られる現象です。デートのよろこびも、新しく始めた趣味の楽しみも、回数を重なれるにつれ、かっての興奮が味わなくなってくるのではないでしょうか。欲望を満たす;気持ちよさ;は強烈な幸福感ですが、直ぐ消え去る宿命は、まぬがれようがありません。苦しみの間を楽しみといい、楽しみの古くなったのを苦しみといわれる、ゆえんです。

 


年賀状と色紙が出来た。

2016-12-19 10:00:12 | Weblog

 年新た八十路へは後四歩

来る年の無事を願ふや平和鶏

 

 毎年、色紙に下手な、来る年の干支を水墨画にして、友人、知人、親戚に差し上げて今年で八年になる。一周りには、後四年、元気でいたらと、色紙を画く度に思うことである。年々、細かいことが面倒になって画が簡単となっている。年をとっていることが、ひしひしと感ずる今日この頃である。

 

 今年の年賀状に初めて自ら描いた水墨画を添えた。PCだけの年賀状では味気が無いので、年賀状の左隅に差し上げる人と共通の話題を拾って自筆を入れた。毎年駄句を詠んでいますが、今年は「大旦(おおあした)五十年もの重き日々」としました。私共夫婦は来る年が結婚五十年になる。過ぎてみますと、長かったようで短くも感じていますが、五十年間、色々ありました。一括りに「重き日々」としてみた。

 

 

 

                                                                                                                

 

 

 

  

                            


鰤大根と蜆汁の御馳走

2016-12-18 10:47:31 | Weblog

よろこびは我慢の裏に蜆汁

鰤のあら目玉にらみし箸をさす

 昨夜の夕食に私の大好物の冬の風物詩「鰤大根のあら煮」と「蜆汁」の二品が食卓に乗った。私は食塩の摂取が一日五グラムと制限されているため、、このところ、味噌汁はほとんど飲んでいない。蜆汁が最大の好物と知っている家内は、ずうっと味噌汁を我慢していたのだからと今日ぐらいは甘塩でしたら良いだろうと言って、特別に「一杯だけだよ」と言って私の食卓へ乗せてくれた。

  

 私の蜆汁は家の皆と違って味噌汁にお湯を足して一層甘くしたとのこと、定期診察のたびに、先生から塩分が多いと毎回叱られていましたので、意を決して本格に減塩に挑戦している。例えば、今まで減塩醤油でしたが、醤油はすべて止め、刺身に酢をかけて食べるほどまでにした。その成果が現れたのか、先月はやっと合格となった。やっとこのごろ五グラムの減塩に少し慣れてきている。今月の診察は二十九日ですのでこの調子だと今月も合格ラインに行くのではないかと、今から楽しみである。

 

 

 

家内が以前から、弟に鰤のあらが市場に出たら入れてきてくれと頼んで置いたらしい。スーパーで買った蜆と市場の鰤のあらが重なったとのことのようだ。鰤のあらもごく甘塩の味付けであった。私は病気前は、野沢菜漬けはじめ、塩分の濃い食べ物を好みでしたので、血圧が上がった。その上、飲酒、喫煙と平気でやっていたのが動脈硬化が進んで、病気の大きな原因となった。いくら反省しても、若い時代に戻すことができない。

 

 

 

 

 

 


姜尚中さんの講話から抜粋

2016-12-17 10:17:25 | Weblog

 冬の夜姜尚中氏心中に

 

 私は、以前から姜尚中(カンサンジュン)さんの講演や討論会を視たり聞いたりしますが、姜尚中先生の何時も、一言一言が熱意と誠実にあふれた講話に敬服している。先生は政治学者ですが、政治にとどまらず、政治学を元とした人間学まで追求される幅の広い学者だと常々に思っている。先生の本の中から「政治学とは、社会の医者である」という題目を拾ってみた。「働きざるものは食うぶからず」という言葉があります。これは単に怠情を諌めているのではなく、働くことは生きることと同義の真剣勝負だということを表しているようです。あるいは、「寝食を忘れて仕事にうちこむ」という言葉があります。「寝食を忘れて遊びに打ち込む」と言い方はありませんから、人が心底打ち込むものは、やはり仕事なのです。実際、働くことは人生の大部分を占める一大営為だといえるかもしれません。では、なぜ人は働くのか、働かなければならないのか、と改めて問われると、はたと返答に窮してしまいます。なかには、ずばり、「お金のため」と言い切る方もいます。もちろん、そうです。人が生きていくためにはお金が必要ですから、生計の為に働くとうことはまちがいではありません。しかし、そういいながら多くの人が「いや、ちょっと待ってくれ、本当にそうなのか?」と考え込むのではないでしょうか。そうなんです。「人はなぜ働くのか?」の答えは簡単なようで簡単ではなく、わかったようでわからないのです。しかし、逆境の時代にあって、仕事の必要性がますます高まっています。そこでこの章では、人はなぜ働くのか仕事とは何かとという空極の問いについて、私なりに考えてみます。その話に入る前に、まずはほかならぬ私の仕事について説明しておきましょう。私は政治学の研究者です。もっと厳密にいうと、もともとの出発点は政治学の中でも古今東西の政治思想について比較研究する「政治思想史」です。政治学というのは政治について考える学問であり、言うまでもなく政治そのものを行う政治家ではありません。実のところ、ほんの二十年ほど前めで、政治学という学問はあまり人気がありませんでした。対照的に「社会科学の女王」などと呼ばれて人気があったのは経済学です。なぜかというと、やはり日本の経済が一流であったからでしょう。これに対して、日本の政治は三流といわれることもあって、世界的にもあまり評価は高くありませんでした。そのため、学問としての政治学に取り組んでみようと思う人も少なかったのです。しばしば「政治」と「経済」は十把一絡げに語られますが、学問として考えるとまったく異なります。経済学は科学的に数量化して分析することが可能ですが、政治学はそう簡単ではありません。ある意味でアナログの学問ですから、経済学とちがって客観的なデーターに基づく予知、予測できないのです。ゆえに、ときには「無用の学問」などという不名誉な形容をされたりしたものです。かくいう私自身も、若いころは、「政治というものは、目の前で生きて動いている生身の現実と切結ぶものだ」と考えていました。過去の政治思想を研究するなどは、生命の輝きのない‘考古学‘のように思えて、もどかしかったこともあります。しかし、日本経済が失墜し、そのあり方が疑問視するようになると、経済学の人気が下がり、相対的に政治学の人気が上がってきました。最近ではいまだかってないほど注目を集めていると感じるほどです。おそらく日本経済は深い迷路に陥ってしまったので、それを少しでも理解するために、政治学に何かしらの手がかりを得ようとしているのでしょう。政治学の要諦とは何かを一言で言い表すと、‘社会の医者‘ではないかと、私は常々考えてきました。すなわち、私たちの社会が病気になっているとき、何が理由でどこに不具合があるか診断するのです。雇用情勢がこんなに悪化したのはなぜか、政権に対する支持率が低いのはなぜか、人々の給料やボーナスが下がったのはなぜか、さまざまな社会保障が破綻寸前なのはなぜか、そのようなことの原因を、古今さまざまな事例をもとに探し出す、そんな仕事です。もう少し言えば、政治学者は、相手が具合が悪いと訴えてきたのみに対応するのではありません。ときには自分が絶好調のつもりのいる人に対して、「あなたはすでに病気ですよ、気をつけてください」と教えることもあります。人間の体と同じで、社会も「慢性中毒」にかかっていることがあって、それは急性の病気よりわかりにくく、それだけに、あとに大変なことになることが少なくありません。バブルの崩壊やリーマンショックなどが、この例に当たるでしょう。政治学者の仕事には、破局にいたる前に前兆のようなものを見つけ、なんらかの警告を発する努めもあるのです。とはいえ、かくも私自身、社会の内側にいる一員ですから、正直なところ、診断は簡単ではありません。ですが、積み上げてきた経験や勘などを駆使して分析しています。言ってみれば、;社会の目利き;でいなくれはならないわけで、そのためにも、序章で述べたような被眼的な視点が必要となるのです。加えて、私自身の仕事の取り組み方の特徴をもうひとつ言いますと、「研究室の学問」と「社会活動」の二つを言ったり来たりすることです。曲がるにも学者の椅子に身を連ねているから、文献をひもとき、論文を書き、いわゆる;象牙の党;的な学問にも専心せねばなりません。次世代の人材を育成する義務もあります。しかし、いまも申し上げたように社会の医者でもありますから。積極的に思うところ、気づいたことを外に向けて発信していかねばなりません。そこで、必ずしも大きなメヂィアでなくてもいいので、できるだけ機会をを捉えて自分の考えを声に出すようにしています。それをせずに研究だけに封じこもっておては、政治学にたずさわっているものとして物足りないですし、また、「生きた学問」にならないと思います。研究や人文知の成果を、目の前の現実や社会に当てはめていく、すなわち「チューニング」していくことこそ、私の役割であると考えていますし、局面の異なる二つの場を往還することは、必ずよい相互作用となって、自分の身に返ってくると信じているのです。


穂高連峰涸沢カールの思い出

2016-12-14 10:22:07 | Weblog

 紅葉の涸沢カール胸に生き

先日、NHKの「小さな旅」で穂高連峰の涸沢カールを放映していた。五十代の半ば頃に山気違いと言っていいほどの山好きの、仲の良い、長野市の同業者に穂高の涸沢カールの紅葉に誘われた。穂高と聞いただけで、長野県に住みながら尻込みする私であったが、彼の話では、こまめに休憩を取りながら登れば、子供でも簡単に登れる山だと聞き、一緒に登ったことを思い出した。

 

 

一緒に楽しんだ、元気な友人は、四年前に不幸にして膵臓癌で逝ってしまった。「人生は不可解なり」と言われるように、何時、何が起こるかわからないことや、理解しがたいことが多々起こる。涸沢カールの思い出の写真をアルバムで拾ってみようとしましたが、その時のアルバムが見当たらなかったので、写真をネットからお借りした。ネットの写真を見ながら、涸沢カール山々が鮮明に脳裏に浮かんできた。

                       

 

 登山が終えた翌日も運よく好天に恵まれましたので、時間がたっぷりの上、酒好きの二人は、以心伝心、山小屋の屋上で穂高連峰のすばらしい景観を眺めながらの乾杯しあった。そのときのビールの上手さはいまだに忘れない。今、思い出すと、もう二度と味合うことが出来ないだろうと思う、最高のロケーションと最高のビールの味を味わった一時だったように思う。

                                                                                               

 


うれしい雪がやって来た。

2016-12-11 09:01:36 | Weblog

 待ちぼうけ雪と遊ぶや赤頬つぺ
雪だるま知らぬ童に遊ばれて

 

 朝起きると孫たちの待望の雪が積もっていた。根雪になるかまだ分からないが、本格的な冬の到来だ。孫の湧ちゃんとあーちゃんは勇んで雪遊びを楽しんだ。写真の湧ちゃんはどうも雪だるまつくりの準備のようだ。孫たちは決まって、まずは雪だるま造り、次にすべり台と楽しく雪と遊ぶ。

 

 

 

 

   湧ちゃんとあーちゃんと婆が少し参加して、折角作った雪だるまを、二人の孫が家の中へ入った間もなく、何処かの三人の子供が来て、折角つくった雪だるまに向かって雪玉を投げて雪だるまを壊しに掛かっていたのを、窓越しに見た私は大きな声で叱ると、悪餓鬼どもは一目散に逃げていった。

 クリスマスツリーの飾るわけ知らず

  先日弟の湧ちゃんが私の部屋へ入ってきて、おじいちゃんカメラ貸してくださいという。私は普段落ち着きが足りない湧ちゃんのこと、カメラを壊されたら大変と思い、乱暴してはいけないよ、丁寧に気をつけて扱いなさいと言いながら渋々貸してあげた。湧ちゃんは左のクリスマスツリーの写真を割合と上手く撮ったのだが、案の定、後が悪い、うっかりカメラをフロアーに落としてしまって、レンズのカバーを壊してしまった。カバーが無ければカメラの心臓部であるレンズに傷がついて写らなくなる恐れがある。幸いに安いコンパクトカメラでしたが、購入したばかりである。また何とかお金を工面しなければと咄嗟に思った。壊してしまえば後の祭り、沸ちゃんをしかっても仕方ないと思い、湧ちゃんに厳重に言い含め注意しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                       

 

                                                            

 

 


NHKの撮るしん 飯山市温井 鍋倉山麓

2016-12-10 05:31:37 | Weblog

 薄つすらと被った雪を写す

雪映る無言の池となりにけり

 

飯沼 定義さん
撮影日:2016年12月4日
場所:飯山市温井(鍋倉山麓)
遅くて短かった紅葉も終わり、名も無き湖水に映る絵のような”灌木”が落ち着いた人生の様で心が”凛”としました!!(信州ではどこにでも在る景色ですが・・・)

先日の夕方、テレビ長野のニュース見ていると、撮るしんのコーナーで、飯山市という字が目に飛び込んできた。早速、明日のブログにしようと思い、PCを開けてみると、撮るしんは「鍋倉山麓」の薄っすら雪が被った「茶屋池」の一部の画面だと想像した。始めてみる冬の「茶屋池」であった。湖面に映えた、雪が被ったぶなの木が神秘的に見えた。12月4日に撮影した「飯沼 定義」さんの写真だが、早くも、このころに薄雪が見られたので、今日当たりの茶屋池はかなりの雪に覆われているだろうと想像した。 また、「名も無き湖水に映る絵のような”灌木”が落ち着いた人生の様で心が”凛”としました!!」なんて表現するあたりは、飯沼 定義さんはかなりの教養人で詩人であると思い知らされた。


PET映像センターの検診

2016-12-08 13:55:00 | Weblog

 ガン検査身体の中の掃き納め

 年に2回は癌検診の長野PETセンターで診てもらうように努めていますが、なかなかお金が掛かるので大変です。家内と二人で診て頂くので大変ですが、命あってのもの種と思うことにしております。PETセンターだけでは胃癌がはっきり分からないということのようですので、次回、北信病院の山本力先生に胃カメラを御願いしたいと思っております。今日のPETセンターの結果は、北信総合病院の金城先生に御願いしておきましたので、次回の検診に先生から説明いただけるだろうと思っている。私と同時間に検診を済ませた五十代前半の方と休憩室での雑談のなかで、

 

 

  彼いわく、先回PETセンターで発見していただいた癌の手術をしたのですが、転移しているのではないかと診察され、今日の検診となったと心配そうな顔で話をしてくださった。私はまだ若いのにと思い思い、一生懸命で励ましておきましが、人生色色だと、あらためて思い起こされた。 何時もPETセンターに行くたびに思うことですが、センターの看護師さんおのおの接客がだだマニアル通りだけでなく、細かいところまで気が配られて、何時も暖かい気分にさせてくれることに、感謝の気持ちが一杯となる。

 

 


姜尚中さんの本

2016-12-06 19:04:11 | Weblog

 

雇用不安、経済の低成長・・・・・・不確実な時代だからこそ、ビジネススパーソンは小手先のノウハウではなく、古典・歴史などの「人文知」に学び、働く意味を捉え直す必要がある。逆境だらけの半生を潜り抜けてきた著者が、ドラッカーの経営書や石橋湛山の先見力などを手がかりに、時代の潮流をつかみ、困難に打ち克つ働き方を示す。ミリオンセラー『悩む力』の著者による、初の仕事論!!

ミリオンセラー『悩む力』の著者が、夏目漱石没後100年の年に、満を持して;名言集:に挑戦。漱石の平易な言葉は、今なお私たちに深い智慧をもたらしてくれる。「可哀想は、惚れたという意味」「本心は知りすぎないほうがいい」「すれ違いは避けられぬ」「みんな淋しいのだ」「病気であることが正気の証」「嘘は必要」「一対一では、女が必勝」「頭の中がいちばん広いのだ」「片づくことなどありゃしない」半世紀以上にわたり漱石全集を愛読してきた姜尚中が、密かに会得したこれらの;教訓;とともに、一四八の文章を紹介。本書は、混迷の二一世紀生き抜くための座右の書である。


あーちゃん最後の発表会

2016-12-05 14:14:50 | Weblog

 寒きなか熱気に満ちた発表会

太鼓の音空気を破り寒日和

 

 毎年のことですが、園長先生の愛情のこもったすばらしいお話があった。戸隠のお婆さんも孫三人の最後の発表会ですので、泊まりがけで馳せ参じてくださった。

 

 

 

 

 左は「あーちゃん」のクラス全員の楽器演奏会でしたが、今はお子さんの顔を写すと、いろいろ問題があるようなので、写真は小さく撮った。あーちゃんは、鍵盤ハーモニカを吹いて演奏した。落ち着いてなかなか堂々として見えた。