ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

増える廃屋

2010-06-30 12:57:16 | Weblog

 

廃屋の故郷を訪わず花茨

写真のお宅は何方かの家か知る由もありませんが、もう10年近く誰も住んでいない。買い手がないのか売る気はないのか、値段の折り合いがつかぬのか、さなかではない。住宅地としては駅の近くで一等地だと思うが。家主が住んでいたころは玄関口に繋がる道路などきちんとしていて草一つもなかったお宅は写真のように草茫々の状態だ。想像するには、地方に良い仕事がなく、息子さんは都会に住んでおられて、老夫婦だけが住んでいて、どちらかが不幸に死を迎えてしまって、残った老婆か老夫が息子の所に越したのか、それとも、雪の深いこの地方を捨てて、長野市あたりに新しい家でも新築して一家で越したのかもしれない。いずれにせよ街の中にこんな空き家が増える傾向にある。寂しい限りです。


二男坊

2010-06-29 07:26:52 | Weblog

 

おさな子と朝のタッチや額の花

狭庭の額の花

次男坊の湧(ゆう)也君は早起きだ。毎朝,起きると必ず私の部屋へ入ってきて、「爺タッチ」と言って私の手と小さなやわらかい手とタッチする。その仕草は言葉に表せることが出来ないほどに可愛い。今日も病気に負けず頑張るぞ、とモチベーションが湧いてくる。湧(わく)也君とのタッチで元気が湧くなんてありがたい。下五の「額の花」は効いているかは読者にお任せですが、狭庭に咲く小さな可憐な額の花が湧也君の可愛い手を想像する。

       


消え行く街屋の音

2010-06-28 16:17:39 | Weblog

さかな屋や八百屋の声の閑古鳥

私は、末席の末席「岳」の主宰の、宮坂静生先生(信大名誉教授)がNHK俳句のページ7月号に「懐かしき昭和俳句」と題して書かれている。

町家が消え、アパートが達ち、いつかマンションに変わる。豆腐屋さん。八百屋さん、魚屋さん、がコンビニエンスストアや大型スーパーの進出で、息も絶え絶えの状態で辛うじて開いている。こんな都市を囲む農村の変貌も著しい。稲作渡米以来の田植のさまが機会植の導入ですっかり変わってしまったのである。しかも休耕田だ増え、草地化した地には背高泡立草が密生している。葡萄栽培農家は担い手が高齢化し、私の居住地周辺には後継ぎがない葡萄園が多い。

田植うるは土にすがれるすがたせり

すがれる(もつれる) 栗生純夫

 この田植の光景は長い間日本の農村の原風景であった。昭和15年の作であるが、昭和30年代まで田植は田植人が土に「すがれるすがた」をして早植えを田に植えた。早乙女を雇い、近隣や一族(まけ)が「ゆい」(結)を組んで、時期を外さず、いく日も植え合う。田植には田の神を祀る儀式が重視された

私なりに思うことは、こんな文化が大切であり懐かしく思う。そこから深い人間関係、助け合いが生まれた。現代は色々に便利になったが、人間関係が薄くなり、殺伐とした世の中は、はたして幸せなのだろうかと疑問視している。

 


夏めきて

2010-06-27 11:08:09 | Weblog

梅雨の間の青空泳ぐ針湖池

夏めくや朝の目覚めの早くなり

             梅雨の晴れ間一瞬の長峰市民公園の「針湖池」です。

             (梅雨が明ければすっかり夏めくことだろう)

夏めくや水面に繁み広がりて             


一日に数本のバスを待つ老夫人

2010-06-26 10:52:49 | Weblog

 

梅雨冷に独りバス待つおばあさま

バス亭でバスを待っている老夫人の反対側の歩道のベンチに腰を下ろしておりますと、道を渡って「おめさんもバス待っているんかい」とおばあさんの声が聞こえてきた。私は少し驚いて「いいえ、ここで少し休んでいるんですよ」と答えた。おばあさんは「もう一時間もここでバスを待っているんで疲れちゃったよ」と笑っていた。人口減と同時に自家用車の時代。採算が合わないためバスの廃止が目立つ路線が増えた。車が運転のできない人や老人のために、「菜の花バス」という市営の福祉バスを安い料金で走らせている。従って何時間かの割合で一日数本しか走らない。益々弱者が住みにくい過疎の地方となっている。


リハビリ療養した鹿教温泉の蛍狩

2010-06-25 11:28:48 | Weblog

 病友と蛍に和む鹿教湯の夜

蛍火や不自由な足を照らしをり

     ピーク時には3000匹を超える蛍の乱舞が見れるほたるの里「狐塚」

先日は、以前からお付き合いのある、鹿教温泉の旅館から蛍の写真が添付されたメールが入った。何時も蛍の舞う時期に思い出の鹿教温泉へ宿泊に行くのが数年続いていた。11年前、鹿教温泉病院での半年間の辛いリハビリ治療療養でした。病友となった上田の山崎さんと、蛍の乱れ舞う夜、杖をつきながら看護師さんと蛍見物をしたのが懐かしい思い出となっている。以後今日まで「同病相哀れむ」というように互いに再発を心配しながらのお付き合いが続く。この二年ばか都合で行けなかったので心配のメール内容だった。今年も、七月にママの三人目の赤ちゃんが誕生予定ですので行かれない。来年こそはと家内と話ししている。

 

 


冷奴

2010-06-23 16:46:37 | Weblog

 

哲学の道を歩いて冷奴

冷奴子に頼らずの暮らしかな

年金は増えることなし冷奴

 

次回の俳句教室の兼題は「冷奴」と「ユッカ」の二題をいただいた。病気前、かれこれ12年以上前ですが、写真のように紫陽花の花が盛んなころ、友人と京都へ小旅行した折に「哲学の道」を歩いた。銀閣寺近くまで続く疎水に沿って作られた遊歩道は両側にしゃれた喫茶店や食べ物の店が並んでいた。暑い日でしたので冷たいものでもと思い、道沿いの食堂へ入った。友達は京都へ来たら豆腐だと言ってメインのほかに「冷奴」を頼んだ。みんな彼に従った。口に入れるとふんわりやわらかくそれでいて箸で掴んでも崩れない美味しい冷奴をふと思い出した。


紫陽花の寺 高源院

2010-06-22 18:58:38 | Weblog

しののめの雨あがりたる濃紫陽花

静けさや古刹に似合ふ濃紫陽花

あじさい寺」:参道が約一万本のあじさいで埋め尽くされるあじさい寺。今年も7月上旬~末ぐらいにかけて、信州で一番遅いあじさいの名所が見頃を迎えます。今年も「第8 回あじさいまつり」を同時開催する。写真は少し前の年の「あじさい寺」の写真です。


建築家 安藤忠雄氏

2010-06-18 06:43:11 | Weblog

「新幹線開通へのまちづくり」

2014年度に北陸新幹線飯山駅が開業予定のため、来る7月3日に建築家の安藤忠雄氏を招き「新幹線開通へのまちづくりlの講演会が行われる。知り合いの「丸山彰寿」さんが友人の安藤さんに講師を依頼した。

安藤氏はプロボクサーなどの傍ら独学。79年(日本建築学会賞)。世界各地のプロジェクトを手掛け。国内外で多くの賞を受賞。97年東大教授。03年名誉教授。

以前「信濃毎日新聞」に「ニッポンの行方」という題で投稿されている。以下全文を紹介します。一読下さい。

「豊かさの価値を見直そう」 私たちは2010が明けても不安の中にいる。先が見えない。どうしていいか分からない。昨年の政権交代で、国民は新政権が新しい時代をつくり出してくれることを期待した。しかしその結果が現在だ。鳩山由紀夫首相は明快に国家ビジョンを発信せず。勇気と決断力のなさを露呈した。急激な税収減で国の財政は国債依存をますます強め、このまま国債を増発し続ければ、財政はいずれ破綻する。そういう危機感をリーダーは持たなければいけないが、首相も他の政治家も、経済人もこのことをはっきり語らない。安部晋三以降の首相は国民の心が読めていない。裕福に育った彼らには心の葛藤がなかったかもしれない。金持ちだからダメとは言いたくないが、決断力に欠け、勇気もなく、人の心が分からないリーダーでは国民は白ける。これから日本を考える上で最も気掛かりなのは、国民が「豊かさ」に対する価値観が見失っていることだ。私が子供のころの日本は戦争で都市が廃墟となり、モノもなく貧しかったが、世の中は目標に向かって邁進する人々の熱気が、活力に満ちていた。当時日本に来た外国の外交官やビジネスマンは日本の復興を確信した。各地に信念のあるリーダーがいて、大人たちは一生懸命働き、子供達は目が輝いていたからだ。そこには家族や地域が助け合う社会があった。私もそんな時代に青春を過ごし、面白いことをしてやろうと夢中で勉強し、働いた。仕事を通して社会に役立つ喜びを知った。その喜びは報酬の多寡ではない。プロフェッショナルとしてのプライドになった。それが今ではどうだ。都市は高層ビルが立ち並びきれいになったが、人の心の廃墟になった。働く喜びはカネに乗っ取られ、大人たちはプライドを失った。家族や地域社会が崩壊し、すべてを包んでいた自然まで破壊された。日本人は心のよりどころをすべてなくした。私たちは今こそ価値観をつくり直さなければならない。まずは大量消費の生活を見直すこと。モノを買っては捨てを続けた結果、3DKの家はモノであふれ、その間を縫って家族が暮らすこっけいな風景が当たり前になった。街づくりでも「売る場所」「買う場所」は際限なくつくられたが、「歩く場所」「立ち止まる場所」、遊歩道や広場はほとんどつくれれず、心の安らぐところがない。ヨーロッパと正反対だ。日本人は「買い物」が趣味であるかのうようにモノを買い続けてきた。だが近ごろはモノでは心が満たさないことが多くの人が気付いてきた。もうモノ中心の生活はやめよう。私たちは率先して大量消費の習慣を改め、モノを大切にする国に生まれ変わるべきだ。この決断は資源もエネルギーもなく、食糧自給率も日本の生きる道にかなう。真に豊かな国とは国民一人一人が心の中で目標を持っている国だ。物質的に豊かな国ではない。国民が付和雷同で、目標をなくした今の日本は豊かとはいえない。もはや「経済大国ニッポン」の復活はないだろう。だが、1億2千万人がモノやカネではない、真の豊かさに目覚めれば経済社会や都市の姿も、東京一極集中のような状況も変わる。環境立国として世界の見本になる。 安藤忠雄氏の投稿文につたない句を詠んで見た。

しあわせは物から人に柚子の花

萍や明日に明るさ求め要る

 

 

 

 


中野市薔薇祭り

2010-06-17 15:59:29 | Weblog

 

重き足薔薇にほぐされ潜る門

  

北信病院へ薬を処方していただくついでに計画していた、家内と孫の次男坊湧ちゃんの三人で「中野市薔薇祭り」開催中の薔薇公園へ出かけた。年年歳歳賑やかになり有名になってきた薔薇祭りです。会場へ着くと団体のバスが沢山止まっていて、賑やかでしたが、一般の車の駐車場は遠くに設けられていてそこからシャトルバスが出ているとのことでした。突如面倒になり、薔薇祭りを諦めてしまった。写真はネットからの昨年の写真です。この写真を見ながら詠んだ句です。この頃左足が重くなり前へ運ぶのが鈍くなっているので転ばないようにと、リハビリの先生から注意されている。


柏餅

2010-06-16 05:22:12 | Weblog

 

仏壇の柏の餅をおろしどき

三日前、私のおばあさんの月命日の日だった。思い立ったようにしておばあさんの好きだった柏餅を裏の和菓子屋さんから買って供え、日々の生活に感謝しながら手を合わせた。今朝になってお供えした柏餅に気が付き仏壇からおろすとすでに硬くなっていた。そこでもったいないと思い、柏の皮を剥きトースターに潜らせた。なかなか美味しくいただくことが出来、もったいなさから逃れることが出来ましたが、甘味が心配しながらの柏餅でした。


高社山風景

2010-06-15 10:22:25 | Weblog

高社山どつしり据えて田を抱え

夏の世の闇などのよそに高社山

写真の山は、私ども、地元では高社山(”たかやしろ”(1351m)と呼ぶ美しいコニーデ型の火山で、低山帯の山の割には長い裾野をひき別名「高井富士」の呼び名もある。
 北信州の中野市、下高井郡山ノ内町、同木島平村の境にある。北信濃とさらに雪深い奥信濃はこの高社山を境に雪の深さが違う。そのシンボルを私ども飯山から眺めた今朝の写真です。田植えが終わって約二週間、濃い緑に覆われていた。その上にどっしりと、お椀を並べたように構える高社山は
堂々と雄々しい。だが高社山を取り巻く北信州の経済が疲弊して先の見えない現状を霊峰に訴えたい気持です。


寺めぐり

2010-06-13 06:47:43 | Weblog

 

寺めぐりつかむものあれ夏帽子

このところ、「高橋まゆみ人形館」においでのお客さんが寺巡りしていく姿が多く見られるようになりました。寺の佇まいをこころに、飯山の印象を深く刻んで行ってもらいたいと常々思っております。その上「伝統工芸品」飯山仏壇店通りですので、仏壇が売れると最高だなと思うこの頃です。


諏訪の御柱祭

2010-06-12 05:42:42 | Weblog

御柱祭終へし氏子や羽抜鳥

                    諏訪大社上社山出し 勇壮に、木落とし (2010-4-4)

七年毎に行われる諏訪の御柱祭は、伐採、山出し、里曳き、建柱の行事をすべて一年がかりで行います。4月、5月の2ケ月間は熱狂的な山麓の氏子達であふれ豪快な祭典絵巻が繰り広げられます。「諏訪御柱祭」も上社の6月15の日宝殿遷座祭:
6月20日の「喜多郎meets御柱祭~スペシャルパフォーマンス~」。を持って全てが終わる。本年は残念なことに「春宮一」の建て御柱で柱に乗った氏子が落下し、2人が死亡する事故が発生。その後の建て御柱では命綱の着用を徹底するなど、関係者は安全対策を厳しくして臨んだ。以前、二回に渡ってこの御柱祭を見に行っています。


雨ほしい

2010-06-11 20:23:34 | Weblog

雨乞をつぶやく老婆草を引く

  

何時も歩く道筋に年中綺麗な花を育てているお宅がある。花菖蒲、アイリスが終わった後、玄関先に、真っ白な名前が知らない小さな可憐の花の群生が目に就いた。偶然に、草取りをしている、花を育てていると思われる老婆に出会う。早速、何時も楽しませて頂く感謝の言葉をと思い、老婆に声をかけるのですが、反応がない。耳が遠いのではと察知して、思い切り大きな声で呼びかけると、ようやく私に気付いたらしく手を耳にやり、私は耳がと遠くなり聞こえないんですと、はっきりとした口調で答えてくれたので、私は老婆の耳のそばにより、何時も綺麗な花楽しませてもらってありがとうと礼を言いますと、にこっとして、これが、私の生甲斐なんですよ、今年は雨が降らなく花が良く育たないんですよ、こんな年も珍しいと雨乞いを願っていた。そこで、私はもうじき梅雨に入るから(今日は暦の上で入梅)花は元気になりますよと言って、おばあさんに一礼してその場を去った。