ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

友が逝く

2013-06-30 12:37:34 | Weblog

五月闇眠りしままに友の逝く

 竹落葉友の骸(なきがら天に召す

 

 

 

 一昨日ブログにしましたが、私より四歳先輩の、若き時代から長が期に渡りお付き合いをいただいた友人が遂に帰らぬ人となった。今でこそ時代の大きな変遷で、商店街は徐々にさびしくなりましたが、私共二十代~五十代の頃は、賑やかな商店街だった。商店街の若者を集めて商店街の発展の為「十五日会」という、最盛期で三十人近いメンバーを束ねて、色々な商店街のイベントを企画立案するとともに、先頭に立って実践して下さった先輩であり、友人であった。「良き人は早く逝くと言われますが」、何時もにこやかで、まず聞き上手な方で、私達の意見をじっくり聞いてから自分の揺るぎない考えを持った人であった。今日午後六時から御通夜、明日は傍の菩提寺で葬儀とのこと、人は何時か分かれることですが、「百歳まで生きるよ」と言っていた私としては、残念至極であり、淋しい限りです。ただただ、彼の冥福を祈るのみである。


月下美人

2013-06-29 08:02:26 | Weblog

 月下美人ふたりの黙のほぐれけり

大輪の月下美人に惑ふかな

 

今年初めての月下美人だ。頭を持ち上げ始めたのは四日前、今朝は下向きに正面を向いて咲いていた。小さく思えたつぼみは、咲き運動を始めてから急に大きくなり見事な花が咲きいた。香りは少なめでしたが、大きな一輪だった。この月下美人は、生前の母と仲良くお付き合いして下さった直ぐ前のおばさん(93歳)が二年ほど前に家内に、この花は私の形見だと思って大切に育ててくれと頂いた。月下美人の花は一夜しか咲かない・・はかない命と聞いているが、夜中にしか咲かなく、朝になったらしぼむため、花を目撃できるのはとてもラッキーなことらしい。名前は、真夜中に美しい花をつけることから。昭和天皇が皇太子時代の1923年に台湾を訪れたとき、「この花の名は?」と質問すると、隣にいた田(でん)台湾総督が「月下の美人です」と答えたことからこの名前が定着したといわれる。とネットにあった。今日は何か良いことがあるかなと、すぐその気になる私である。


 

 

 

 

 

 

 

 


願うのみ

2013-06-28 15:43:14 | Weblog

 

友人の笑顔ふたたび茄子の花

  若い時代から商店街活動などにリーダー的存在の先輩が病に掛かってしまった。若い時代から体質がお酒や煙草が受け付けなかったため、私みたいな放蕩生活がほとんどなかった。彼のお父さんは95歳まで人生を全うされた。その上彼は長い付き合いの中で怒った顔を見たことが無いほどに温厚篤実な人である。先日も私と街中で会って、立ち話の中で、あんたは私と違って、若い時代から酒も煙草も吸わなく適度な運動に励んでいるので、この調子だとお父さんを越えて百歳まで生きるよと冗談まじりに話したばかりであった。最近は御店を息子さんに任せ、町の役や、ゲートボール、マレットゴルフなど趣味に興じていた。その会い間に、茄子、胡瓜、トマト、などの色々な菜園造りを楽しんでいた。彼の菜園の茄子の花が咲く頃だ、早く治ってくれと祈るのみある。

 

                                

 

 

 

 

 

 


百歳まで歩く

2013-06-27 13:37:13 | Weblog

 昭和平成その次までも滴りぬ

「百歳まで歩く」(正しく歩けば寿命は延びる)という小冊に出会う。作者は理学療法士として二十数年の現場経験と知識の中から得たことを纏めた本である。多くの人が(知らず知らずのうちに)抱いている筋肉のイメージがあるように思う。「筋肉もりもり」「筋肉質」といった言葉に代表される、筋肉の逞しいイメージ。このイメージが強ければ、若い時の筋肉ならまだしも、今はそれは弱々しいとし、年齢とともに自分の筋肉を現役扱いしなくなる。深層心理の現れであるわけです。しかし実際には決して、若い時だけが筋肉の現役ではありません。そもそも筋肉というのは、他の身体器官や身体機能に比べて老化の影響は極めて少ない組織。たとえ九十歳でも百歳でも、筋肉は一生現役なのです。加齢でも「立つ、歩く」といった基本動作に励めば、筋肉は引退なしです。高齢だからこそ「立つ、歩く」の筋肉習慣を身につけておけば、三十年後、四十年後も自分の足でしっかり立って歩いているはずです。と書かれていた。私も病持ちですが、歩くことは毎日実行し長く続けたいと、改めて思う。俳句は五、七、五の一七音が基調ですが、上に「昭和平成」と七音にしましたが、上は五音から九音までは許されるが、中は七音を厳守することと、先回の俳句教室の際、私の質問からの先生の答えだった。しかし、上は七音があっても、九音は殆ど詠まれていないとのことだった。俳句は定型の基調は全体一七音の、五、七、五で詠むことが大切なことのようだ。

 


ほのぼのメオト鳩

2013-06-26 18:01:56 | Weblog

梅雨寒やなにをささやく夫婦鳩

梅雨寒しぬくもり伝ふ夫婦鳩

 写真ネットから

喜雨最中洗い流すか二羽の鳩

 このところ梅雨寒なのか半袖だと寒さを感ずる日が続く。本日の午前、家のベランダに、二羽の鳩のつがいが小雨があたる中で囁き合うようにして止まっている姿を発見、慌ててとカメラを取りに行っている間に、すでに何処へ飛び去って姿がなかった。何か大きなものを取り逃がした気分となった。つがいの鳩の残像が余りにも良かったので、残念至極。ふと思いたちネットに先ごろ見た鳩に似た写真はないかと捜していると、偶然にもあったあった、勿論背景が違いますが、寄り添う鳩の距離といい、残像にそっくりだった。かなり写真がベテランの方だと推察した。私にはこんなに上手く到底に撮れないだろうと思う。このネットの写真を取り込んで俳句を詠む段取りになったが、何時ものように句が浮かんでこない。例の如く腕を組みPCの鳩の写真を睨めること一時間近くたって三句ばかり詠んで見たが三句ともしっくりいかなかった。いくら閑人と言えど、心のこりだが、とりあえずの句をブログにした。後に良い句が浮かんだら推敲し訂正したいと思う何時も適当な私である。

 


賑わいの高橋まゆみ人形館

2013-06-25 08:35:21 | Weblog

 ほんわかとぬくし人形菱の花

 

先日「銀座の柳二世」を撮りに行ったら「高橋まゆみ人形館」の入館者の賑わいに驚いた。来館者が大勢ですので、区切り区切りしながら、お客さんを館内へ案内していた。観光局の職員の御話では、平成二十二年の四月に開館以来丸三年で、すでに来館者が四十八万人を超えて五十何人に迫るとのことだった。何よりもうれしいことは多方面からのリピーターが多いことだと仰っていた。私のブログ仲間も全国から数人訪れております。来館されたブログの友人は人形がすばらしいので、口コミで広げて下さっているようです。先日ブログのコメントでその様子を知らせてくれました。「高橋まゆみ人形館」の成功を機に将来を見据えた、町づくりのに繋がってくれることを願う市民の一人である。          

 

 

      人形館こころにのこる月見草               

                             

                         

何処からおいでですかと訪ねると「大阪ですねん」やっとの思いで、評判の人形館へ来たという分けですは、と関西弁で話された。すかさず私は「どうだったですか」と尋ねると、いやいや待たされて、これから見させてもらいますは、昨夜、越後湯沢で同級会の後、同級生が是非と言うので来ましたわけですが、遠いですな、ここで待たされたら、時間通りに帰れませんは、と早く人形たちに会いたいと言っておられた。高橋まゆみ人形師は次回の入れ替えの為「真田十勇士」の製作に取り掛かっているような話を聞いている。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道など、どんな表情の人形が出来るのだろうと、今から期待が膨らんでいる。                                              

                            


毎朝会うワンチャン

2013-06-23 20:21:34 | Weblog

                               犬ともにもちつもたれる夏の朝

 

                                             毎朝、歩いていますと、およそ決まった時間に右の写真の犬に会う。珍しい犬なのでどんな種類の犬なのだろうと、一緒に散歩しているお姉さんに聞きたいと思い思い、聞きそびれていた。帰って来てネットで調べますと、多分、コッカプートルと言う種類ではないかと推察した。もう3~4年前からこの犬と会っていますが、これ以上大きくならないようだ。何時も私と会うのでそろそろ私の顔を覚えてよいと思う位に良くほえる犬である。       
                               

                                                                                                                                                                  

                                         

この犬は多分ゴールデンリトルリバーだろうと思う。何時も犬を散歩させて居る年配の男性とは、挨拶を交わす程度ですが 、犬は何時も落ちついていて、私を振りむきもせず、颯爽とマスターを引くようにして同じ歩調で前を歩いている。今日はマスターが、自動販売機で何か飲み物を買っている間、私を優しい目で見てくれたので、そばへ寄って背中をなぜてやるとシッポを振ってくれた。犬をさすりながらマスターに、良い犬ですねと褒めながら挨拶すると、マスターは笑顔で、私をこわごわしているように見えたのか、この犬はおとなしいから大丈夫ですよ、と仰った。明日は私を振る向いてシッポを振ってくれるかなと、一人にやにやと期待した、朝の歩行でした。


銀座二世柳

2013-06-23 08:00:48 | Weblog

行く梅雨を静かに送る夏柳

 

写真の柳は銀座柳の二世である。故人となられましたが、この地方で公民館長をなされた上、歌人でもあり、飯山の文化に大変な功績のあった「古田十一朗」先生の御骨折りで写真の東京は銀座の柳二世の誕生であった。古田先生は「飯山市にある臨済宗の庵で臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴の師であった道鏡慧端禅師の住まいとして知られている。通称(生受庵)であるがその「正受老人」の研究者で有名な先生であった。先生の「一日暮らしのくふう」という 講演集を寄贈され大切に保管している。      

 

 

 

夏柳天心となり潜り過ぐ 

 


オール電化

2013-06-22 13:21:36 | Weblog

 薫風やなりわい誇る好青年

薫風に触れて培ふ向上心

 今日は九州地方は台風が来ていると言うに、私共の北信州は早朝は雨模様でしたが、時間がたつにつれて、青空が覗く、若葉、青葉のやわらかく渡ってくる風の匂いがする、暑くも寒くもない爽やかな好天に恵まれた。その上、嬉しいことに、オール電化の工事にやって来た工事担当の礼儀正しい好青年と出会うことが出来た。三人とも独身者だと聞くが、私がする質問に、誇りを持ったように、にこやかに答えてくれた。この頃、一線を外していますので、こんな好青年に出会う機会がない私は、久しぶりに、ルンルンと軽く爽やかな気分となった。                                                                                                                                                                                                                           

工事に来ていただいた長野市の会社は、今日は請け負った工事現場の数が多いので忙しいため、社長さん自ら作業をしながら陣頭に立ってテキパキと作業する姿を拝見したり、社長さんの人柄に接すると、なるほどな、好青年の社員が生まれる分けだと直ぐに察することが出来た。社長さんに社員の好印象を話しますと、社長さんいわく「なあーに当社みたいな小さな会社は社員教育に力を入れないと大手にやられますよ」社員の教育にはお金がかかりませんからね。社員には施主さん初め皆さんに「挨拶と親切」をこころがけ、仕事に誇りをもつようにと何時も言っていますと、軽く笑っておられた。こんな社長さんとともに仕事が出来る社員は幸せだろうなと改めて思った。私は何時も思っていることのように、会社は大きければ全て良いとは限らないのだと再認識した。


梅雨風が残る昼涼み

2013-06-21 08:36:45 | Weblog

ベランダに梅雨風注ぐ端居かな

 三月二十日過ぎの春分の日が過ぎて三ヶ月たった。。今日六月二十一日は一年で昼の長さがもっとも長い「夏至の日」である。これから秋分の日九月の二十日以降まで少しずつ日が短くなっていくのだろう。今日は昨日に続き曇ってはいますが梅雨が明けたような風のある涼しい日となる。昨夜は何だかよく眠れなく、朝方になって熟睡したため、寝坊してしまい、朝の歩行が出来なかったので午前十時過ぎに歩行運動に出掛けた。下着からビッショリに濡れたので、軽くシャワーで汗を流してベランダへ出ると梅雨時期の生ぬるい独特のにおいが辺りを漂っていましたが、涼しさがあり、その上微風があいまって気持ちの良い端居だった。「端居」は私が初めて詠った夏の季語だ。歳時記には「日陰の縁先に出て涼むこと」とあった。ネットで詳しくは、縁側などに出て涼を求めてくつろぐこと。「端」とは家屋の端で、つまり縁側のよう なところ。夜分とは限らないが、夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、 涼しい風にあたって ...とあった。私の家は縁側などと言う懐かしいしゃれた場所が無いので、ベランダで涼んだ。また、端居と類似季語に「納涼」がある。夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、涼しい風にあたってほっとするひとときである。「納涼(すずみ)」は外に出て涼を求めることが多いが、端居は家にいて涼を得るのである。 子規の句に瓜や糸瓜の句が多いが、こんな句がある「瓜盗むこともわすれて涼みけり」のユーモアの句である。また、其角の句に「夕すずみよくぞ男に生れけり
等が有名である。そこで一句夕涼み祖父の顔に仏住む」明治の気骨ある怖い顔が、夕涼みによって祖父の顔が仏が宿った顔に見えたことを思い出した。


雨あがり

2013-06-20 18:55:04 | Weblog

 車椅子はなしのはずむ梅雨晴間

 六月十六日以降北陸初め関西各地に豪雨による大きな被害が発生した大雨だった。幸いに、私共北信州はチョット多めのお湿り状態程度でした。今日、午後になると太陽が顔を出し、心地よい風と涼さで過ごしよかった。だが、台風四号が二十一日の日中には九州に接近、上陸すると言う。梅雨前線は二十一日にかけても西日本に停滞し、台風からの暖かく湿った空気が流れ込むため、西日本の太平洋側を中心に広い範囲で大雨となる見込みのようだ。リハビリ終了後、病院の外のベンチの風の中で、自動販売機のアイスコーヒーを飲みながら寛いでいだ。ベンチの遠方に、車椅子の老夫人が療法師さんとリハビリで風に当たりながら、何かをを話しているのか姿が見えた。写真がボヤケてしまったが、車椅子の老夫人に小さな微笑みがあった。きっと退院間近の嬉しさなのかもしれないと勝手に想像した。この老夫人とリハビリのホールでチョクチョク顔を合わせて居ましたが、お互いに会釈する程度だった。多分、冬、雪の中で転んで怪我をしなさったのか、かなり長い入院生活だった。


紫陽花咲く祖父の忌

2013-06-19 07:48:02 | Weblog

紫陽花忌祖父の齢に並びけり

 今日、六月十九日は祖父の命日だ。昭和三十三年、七十二歳の生涯、今の私と同年の年であった。その日は、今日のように、梅雨の最中、朝からしとしと降る雨の様子は全く同じであった。祖父が逝って今日で五十五年目の歳月が過ぎた。典型的な明治の気骨ある苦労人であった。祖父は私と弟の真ん中で川の字になり毎晩寝たものでした。その時の祖父の教訓は今でも何よりも変えがたく忘れることが出来ない。私達兄妹に”人間と商人”としての基本心得をたたき込んだ。一番忘れられない教訓は「何事も槍を打つのは楽だが槍を引くことは難しい」つまり商売を大きくすることは容易だがそれを維持した後の引き際が大切」だと、祖父の持論であった。その上「良いか商売は大きくすることのみが大切ではない、何時も自分の度量の八分以上に大きくしてはいけない。商売は大きいからと言って決して良いわけではないぞと、耳にタコが出来るほど聞かされた。私達兄妹は長きに渡り、祖父の教訓が頭から離れなかったような気がしている今日この頃である。


中野市の薔薇祭り

2013-06-18 08:02:56 | Weblog

会ふ度に言葉いらずの薔薇の園

                           薔薇アーチ心と身にも美の宿る                 

 

 バラの名所は信州のあちこちにありますが、中でも、中野市の一本木公園は、650種1900株の世界中のバラ(年々増えてます)が植えられていて、別名「ばら公園」と呼ばれます。初夏の薔薇のシーズンに開かれる「バラ祭り」も人気があり、県内外から多くの人が訪れ、薔薇の鑑賞や購入でにぎわいます。期間中は、一本木公園内で切りバラ・苗木・バラを使ったアイスクリームなどが販売されますとパンフにあった。            

 

 

 

 

昨日はママが仕事ですので孫の「あーちゃん」を中野市の病院の診察に、婆と爺で連れて行くこととなった。病院の診察が思ったより早く終わったので、毎年楽しみに訪れる「中野市薔薇まつり」に顔を出した。日曜開けの日であっても「薔薇まつり」はお客さんで大変賑わっていた。バスでの団体客が沢山おいでのようだった。あーちゃんは奇麗な薔薇をよそに「薔薇アイス」が気に入ったようだった。                                   


温泉の夕べ

2013-06-17 09:11:45 | Weblog

 湯あがりにしあわせ沁みる生ビール

つばくらめ義兄夫婦がいてくれて

 家内の兄さん夫婦と私共夫婦プラス孫のお兄ちゃんとで渋温泉のこじんまりとした清潔な宿でたのしい一夜を過ごした。私はお酒をこの約半年間休んでいる。家内の兄さんもお酒はたしなむ程度ですので、お互いに、生ビールの中ジョッキ一杯が丁度良い程度だった。このところ、兄妹会に続き温泉に縁がある。人の縁と言うものは不思議なものだ。兄さん、姉さんとは、家内と一緒になった以来の付き合いで、光陰矢の如しというように、月日のたつのが早いものでもう四十五年もたった。私共夫婦は色々激動な時代をともに過ごしてきましたが、兄さん夫婦は何時も陰日向なくお付き合いして下さったことに改めて感謝した温泉宿の夕べでした。