ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

明日が見えそうな!!

2008-01-31 11:52:34 | Weblog
冬麓の澄み切る空に明日を見る


昨日はスカットした晴天に恵まれましたが、つかの間で、今日は一転して雪である。このところなかなか好天が続かない、日本は、経済はじめ全てに先が見えない前かがみな曇り状態であるが、写真のように、何処までも透きとおった冬の青空を仰ぐと、そうだ曇りばかりではない雲の上には必ず青空がある。そう心配することはないなと思い、何かが軽くなったような気がした。




豪商の蔵

2008-01-30 16:22:09 | Weblog
一茶忌や商いのかさ蔵にあり



私共、飯山は城下町です。歴史のある街並みの裏には、当時の商人の繁栄を象徴するかのような大きな土蔵があります。同じ世代と思われる、俳人一茶は1827年の柏原の大火に遭遇し家を失い、65歳の生涯を閉じるまで焼け残った土蔵に住んだ。現物を見学しましたがかなり小さな土蔵でした。こんなところに、当時の財産の嵩がうかがわれる。




一茶が晩年過ごした焼け残りの土蔵






湯豆腐

2008-01-29 13:06:57 | Weblog
湯豆腐の箸で掴めるごときかな


息子の実家である蕎麦で有名な戸隠から、手造りの豆腐屋の豆腐が届く。オートメーションの機械造りでなく、生産性を除外した、昔からの本物の手造り豆腐、私共、地方でもなかなか手に入らなくなった。「こだわり」の味が失いそうな昨今、食の世界で生きた私には本物がありがたい。この湯豆腐をいただきながら、丹精込めて造った、あの豆腐屋の親父さんの顔が浮かんできた。美味しかった。



虎落笛

2008-01-28 17:25:50 | Weblog
北国の風が風呼ぶ虎落笛



冬の寒い北国は虎落笛(もがりぶえ)の音を聞くという。私は聞いたことがありませんが、冬の風が竹垣などに吹き付けて、ヒューヒュー音をならすと言う。健康歩行の道すがらに、何度かブログにしましたが、竹の塀があるお寺の裏道に差し掛かると、ヒューヒューとかすかな笛のような音を耳にした。あ、これが虎落笛かと思いましたが、さなかではない。今日のように冷たい強い風の日は虎落笛が鳴るかも知れない。カメラを持ち会わせなかったので、臨時に虎落笛が聞こえそうな写真を載せました。歳時記には、冬の季語の特有の表現として、現実には少ないものの句には良く読まれるとあった。


風花

2008-01-26 12:49:06 | Weblog

風花に朝の陽射して銀の花



今日は朝から久々に青空が広がるつかの間の天気となった。この頃、どうも見過ごすことが多いNHKの「俳句王国」を見ることが出来た。本日の兼題は「風花」。歳時記には(雲のない晴天の青空からちらつく雪)とあった。窓を明けますと、偶然にも「風花」が舞っていた。冷たい陽が、ひらひらとユックリ舞う雪を射し、雪が銀色となった。



冬薔薇

2008-01-25 16:42:06 | Weblog
ひたすらに陽のほしきかな冬薔薇



写真ネットより









冷たい風にただただ我慢をしているようにも見える
「冬の薔薇」・・・・そんな薔薇に、何か教えられるものがある!。
上の動画はネットからの借り物ですが、拙句のように、雪をかぶった冷たそうにひたすら太陽の陽を待っている冬薔薇の写真を撮りたいがなかなか見つからなかったが、気の乗らない写真ですが、数年前にマイピクチャーに保存しておいた「雪と薔薇」の写真を載せました。


寒雀

2008-01-24 10:53:33 | Weblog
陽だまりにコロコロ遊ぶ寒すずめ


地下の暖かい水を道路の下のパイプを通して雪を解かせるありがたい技術が普及した。雪が解けるほどに歩道に温もりがあるのか、小鳥たちが集まってくる。昨日のつかの間の陽の射しの中で餌をついばむようにしてコロコロと寒雀が遊んでいた。めったに見られない瞬間でしたので、手を震わせてシャッターを押した。寒雀の可愛い仕草にこころが和んだ。

寂寥

2008-01-23 17:23:52 | Weblog

閑さや寒禽の声しみ入て


写真には撮れていませんが、細い雪時雨が降っておりました。健康歩行のコースにある、この静かな空間が好きなスポットです。雁木にあるベンチに座って、ただただポーっとしている時間がこれまたたのしい。あちらこちからの、寒禽のかんだかいスッキリとした鳴き声が雪のなかにしみ入りようにして閑さが増している。

日脚伸ぶ

2008-01-22 16:34:02 | Weblog
日脚伸ぶランドセルにも陽がのこる




冬至から丁度1ヶ月、随分と日が伸びた。「一日に畳の目一つずつ」日が長くなるという。新聞の「けさの一句」綾部仁喜の句、<こころまず動きて日脚伸びにけり>の解説にあった。そうだ、今日のブログの季語は「日脚伸ぶ」しようと腕を組んでみたが中々句が浮かんでこなかった。午後4時ごろ、街を歩いていると小学生の にぎやかな下校の姿に出会う。フト浮かんだ掲出句です。


大寒

2008-01-21 18:51:02 | Weblog
寒灯や人肌の燗うれしきかな


今日は大寒、本格的な寒の入りです。天気予報ではかなり冷え込むとのことでしたが、昼間は陽が射したせいか思ったより寒くなかったが、夕方になりますとかなり冷え込み始めた。
飲んではいけないのは重々承知の酒好き男、冬の暖かい灯火に誘われるように、、また人恋しさもあってか、ふらふらと行きつけの居酒屋の暖簾をくぐる。やはり数人の顔なじみ客がカンターで飲んでいた。「イヤー」と一言挨拶を交わす。寒い冬でも、八代亜紀の舟唄のように<お酒はぬるめの 燗がいい肴はあぶったイカでいい>人肌加減のぬるめの燗が最高の味である。

知人逝く

2008-01-20 17:11:36 | Weblog

寒風と共に逝きたる酒の友

先日,新聞の死亡欄に知人の訃報が載っていた。彼とは若い時代に行きつけの居酒屋でよく会った。時々は胚を交わした中でもある。何時も一人で来てはカウンターの隅で静かに飲む人だった。時には、酒がすすむにつれお得意の「天下国家」を論ずる理論派だった。ちょっと言い過ぎますと理屈っぽい人だ。でも、男気のある良い方だった。まだ70歳と若すぎる死である。御冥福を祈りたい。このところ、訃報のブログが続いてしまった。

何もない冬

2008-01-19 12:57:22 | Weblog
ながながと川一筋の郷の冬




冬のふるさとは、森進一「襟裳岬」の<襟裳の春は何も無い春です>を引用しますと<飯山の冬は何も無い冬です>ということになります。でも、唯一、私を癒してくれる日本一長い千曲川の冬は静寂で何処から眺めても中々絵になります。今年の絵の書初めは「冬の千曲川」でした。この千曲川は新潟県に入りますと「信濃川」となります。どうしてかなと何時も思います。




くどかれて

2008-01-18 16:06:39 | Weblog

侘助の妻いつまでも胸にあり



写真ネットより


タイトルの「くどかれて」は心ときめくような話ではなく、残念ですが知人の愚痴話です。リハビリの日でしたので少余裕を持って病院に行きますと、玄関先で久しく御無沙汰しておりました知人に会う。「何年ぶりだね」なんて言葉を交わし挨拶する。「何処か具合でも悪いんですか」と聞くと、大腸のポリープが大きくなりすぎたので手術して取ったとのことだった。彼の奥さんとも旧知の仲なので「かあちゃん元気かね」と聞くと5年前に癌で亡くしたとのこと、さあそこから、愚痴を交えた亡くした奥さんの思い出話となった。私なんか、家内が元気でいるのが当たり前と思っていましたが、知人の話を聞いて、改めて健康なほど幸せなことはないと思う。(歳時記に侘助は花の数は少なく、咲き方も半開きであることから、なんとなく侘しい感じを与える)とあります。