背伸びしてやつと採れたよぶどう狩
たわわなる葡萄に夢中三兄妹
運動会の翌日、一家で須坂市の葡萄園にぶどう狩りに出掛けた。私は体調もあったり、水墨画が進まないので留守番がてらに家にいることにした。孫達は初めての経験ですので大いに喜んだようだった。私への土産のなかに、品種改良されたいろいろな種類のぶどうがあるのに驚く、中に品種名は分かりませんが、巨峰より少し小さ目で、種なしで皮まで食べられるおいしい葡萄があった。ナイヤガラ初め白ブドウから黒ブドウと数種類の葡萄を楽しんだ。
背伸びしてやつと採れたよぶどう狩
たわわなる葡萄に夢中三兄妹
運動会の翌日、一家で須坂市の葡萄園にぶどう狩りに出掛けた。私は体調もあったり、水墨画が進まないので留守番がてらに家にいることにした。孫達は初めての経験ですので大いに喜んだようだった。私への土産のなかに、品種改良されたいろいろな種類のぶどうがあるのに驚く、中に品種名は分かりませんが、巨峰より少し小さ目で、種なしで皮まで食べられるおいしい葡萄があった。ナイヤガラ初め白ブドウから黒ブドウと数種類の葡萄を楽しんだ。
吾もまた裸足になりたや運動会
みどり子が幼児になりし運動会
お兄ちゃんの大太鼓
運動会内弁慶とおもひきや
パパと一緒に弟(左端)
風車に止まつている赤とんぼ
あーちゃんの風車拾い(右から二番目)
老骨の席も総立ち運動会
おにいちゃんと弟そして、あーちゃんの風車拾いのなどの、笑いが絶えない楽しい運動会が行われた。幼稚園は自宅のそばですので、連立太鼓の初め運動会の練習の音が聞こえてきていた。その練習の成果が見ることが出来ると、パパ初めママ、婆と勇んで出掛けて行った。私は所要があって後からの見学であったが、この幼稚園は、毎年、なかなかの企画で、先生方は大変熱心に指導される姿が伺われる。私も老骨に鞭を打ち、いつの間にか孫達の応援に吸いこまれ、力が入った楽しい一時でした。
友に会い杖を休めて野菊晴れ
昨日、病院のリハビリーの後、体調も良く、少し暑かったが、さわやかな秋風でしたので、ふと、以前歩いたコースを思い出し、時間の許す限り、ゆっくりで良いからと思い、以前のコースに行く、まだ日中は暑いのか、歩いている人との出会いが少なかったが、前方に見覚えのある歩き方をする人が、こちらに向かってくるにのに気が付く、以前彼と道であっては、ともに近況や社会情勢を話した仲である。昨年の九月に足を痛めてから丸一年彼と会うことがなかった。彼も脳梗塞患者で発病以来ずっと同じコースを歩いている同病の友人である。彼も気が付いたのか急ぎ足で私に近付き「お-久しぶり、元気で良かったね」と歓待してくれた。私は、これこれしかじかと一年間の経過を話すと、彼は話に聞いていたが、「心配していたよ」と一言。二人でそばにあった石に腰をおろし、久しぶりのうれしい歓談が続いた、そのそばには、野菊と思われる花が元気に咲いていた。
昭和平成どんなうつし世秋彼岸
我あるは先祖のおかげ秋彼岸
自分たちで作ったおはぎを仏さんに供えてお参りする孫達
秋分の日を中日とする前後七日間が秋彼岸となる。秋分の日は陽歴九月二十二日、二十三日ごろとなる。今年は昨日二十二日が御中日であった。太陽は真東から出て真西に沈む昼と夜の時間がほぼ同じでよなる。俳句の世界では。春の彼岸は彼岸だけで春になるが、秋彼岸は秋をつけなくてはならないので作句の折は要注意である。まったくの予断と成りますが、私は御彼岸はじめ祖父の命日一月十七日となると、私共兄弟が小さい頃、祖父と川の字になって寝ては、耳にタコが出来るほどの祖父からの教訓は、今でも鮮明に覚えている。
(1)商人はお客様からお金をいただく生業なのだからお客様より贅沢事は一斉してはならない。
(2)商人は来る時勢の為にお金は倹約して持たねばならない。
(3)いつの世も槍は打つのは容易だが、引くことは難しい、そのため自分の度量を見極めて商売に励み、けして商売を大きくする事は良いことに繋がらない。・・・・・・・・」この三つの教えが、私達に大きな糧となっていましたが、時代の大きな変遷に逆らうことが出来なく、今の経営が明るい内に、先を見て、私共兄弟経営は閉じることになって丸二年が経過した。
秋彼岸無心となりし墓洗ふ
秋祭り松明の火に神宿る
秋祭り松明の舞五世代目
松明の火を被るや秋祭り
飯山奈良沢地区の奈良沢神社で先週九月十五日夜、五穀豊穣(ほうじょう)を願う例大祭(市無形民俗文化財)があり、地区の男性が巨大なたいまつを振り回すてんぐの舞を神社に奉納した。三百年以上続くとされる伝統の祭り。午後六時に、なぎなたや剣を手にした子どもたちが行列をつくり神社を目指して地区を練り歩いた。道中の四カ所で、白装束のてんぐにふんした男性が、長さ約三メートルのたいまつを手に舞う「大天狗(てんぐ)の舞」を披露。飛び跳ねながら勢いよくたいまつを振りかざして巨大な火柱を起こすと、集まった観光客は火柱の高さにびっくり。強い熱風を顔に感じたと感激していた。また。松明から舞った火の粉をあびると良いことがあるとされています。
ほどの幸平穏願ふ秋まつり
神々がに降りる秋まつり
先週の土日は各の御祭礼が盛大に行われた。秋津区の静間神社、この静間神社例大祭は、北畑・中町・大久保の3つの集落による祭り屋台が小高い丘の上にある静間神社に奉納される様子が圧巻の祭礼だ。屋台は、江戸時代末期から明治はじめに建造され、彫刻等が施されたものに、天井絵、人気アニメキャラクター等が加えられ、伝統と現代的な形が融合した印象を受ける。その山車では子どもたちが各集落で異なる調子の笛や太鼓を演奏し、屋根の上には先導役が大きなかけ声をかけていて勇壮な雰囲気が漂っている。
屋台は、各集落で飴などを撒きながら練り歩き、夜九時頃に神社の入り口に集結する。1台ずつ神社境内までの急坂を住民総出で引き上げていく。独特のかけ声をかけながら、まるで綱引きのような太い縄を全員が協力してゆっくりと引き上げていくのがこの祭りの見ものなのだが、山車を持っている集落はよりゆっくり上がりたいのに対し、協力している方の集落は早く上がってしまいたい、そのせみあいがなかなかおもしろい模様しだ。
御祭礼のメイン会場である「静間神社の街道には、市内の各幼稚園、保育園の園児が書いた灯篭が飾られて祭りの雰囲気を盛り上げている。
他の園児と比べると、大いにひいき目ですが、お兄ちゃんの灯篭の画が一番うまいような気がした。
ひぐらしの鳴く水底にゐるごとし
ネットより
毎朝里山近くを歩く家内に「ひぐらし」は泣いているかと聞きますと、10日くらい前までは賑やかに鳴いていましたが、そういわれると、このごろ鳴き方が少なくなったねと言う。やはりかと思った。二十日くらい前の夕方、長野からの帰り、毎年盛んに鳴く蜩の場所を思い出し、何時も降りる豊田飯山インターでなく手前の中野インターで降りて、時期になると、蜩がうるさいくらいに鳴く場所に車を走らせる。案の定賑やかに「カナカナ」と叫ぶように鳴いていた。朝より夕方の方が賑やかに鳴くようなので、全然いなくなったとは思わない。歳時記では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミのイメージがあるが、実際には(地域にもよるが)成虫は梅雨の最中の六月下旬頃から発生し、ニイニイゼミ同様、他のセミより早く鳴き始める。以後は九月中旬頃までほぼ連日鳴き声を聞くことができる。とあるので、九月中旬を少し過ぎると極端に少なくなるのだろう。残念なことにパソコンから引っ張ったアンプが故障したのか音がしない。線の接続が緩んでいるのか、コンセントが本棚の奥にあるので、力のあるパパにゆっくり見てもらおうと思う。
みゆき野の朝日の恵み稲に沁み
陽と風雨稲に宿るや神の味
稲はハザに架けて乾燥させたお米は、自家用消費米がほとんどです。それは、手間はかかるけれど、美味しいからです。
天日干しの米はなぜおいしいかと言えば、稲を吊るすと、養分がお米の中に、ゆっくりとおりて来て、美味しいお米に仕上がるからだ。天日干しには火力乾燥では得られない何かが宿っています。稲は刈り取られてもまだ生きています。葉は光合成を続けていますから最後の力を振り絞って養分をモミに移動しようとします。また、モミだけを干すのと違い急激に乾燥しませんから、籾(もみ)の割れも少なくなります。
脱穀後に庭干しをしますが、このときもゆっくりと水分が抜けていき、「ぬくとい」温度で籾は乾燥されていきます。乾燥後はいったん貯留され、籾摺りまで1週間程度調湿されるので、天日干しの米ははっきりいってうまい!!!」
敬老の日明日があるよと前を見る
人ごととのよふな気がして七十超へ
高橋まゆみ人形館より
昨日は敬老の日だった。お兄ちゃんが、何かシャツらしきものを私の部屋へ持ってきて、パパとママからのプレゼントだと言う、何だろうと一瞬考える、そうだ、敬老の日のプレゼントなんだとに気が付く、新聞では六十五歳から敬老の仲間入りらしい、六十五歳だともう六年も敬老の仲間なのだ。自分で認めたくないのか、普段老人問題にはとんと感心がない。孫がいて賑やかな環境にいるのか、年寄りと思ったことがない私だ。新聞報道だと、団塊の世代が仲間入りして、六十五歳以上の人口は3074万人、1949年ごろろの第一次ベビーブームに生まれた団塊世代は今後も続々と六十五歳に達すると言う。従って少子化は歯止めがからない状況が続く、一番大切な社会福祉問題は増加の一途をたどる。政府初め無駄使いを横行した社会保険庁の馬鹿官僚ども(社会保険問題は永久に解決できないだろう)どう責任を取るのだ。責任なんか取りっこない。今では天下りをし放題して、余生を楽々過ごしている社会保険庁の先輩ども、考えると益々頭にくる。そんな無責任どもを相手にしてもどうにもならないから、真面目な善良な国民に期待したい。苦しい中からも少しでも楽しい老後を探して下さいと・・・・・・」
空澄んで風ぐるま捕る運動会
運動会風ぐるま手に微笑まし
先日十五日、孫のお兄ちゃんの(旗拾いならず風車捕り)の日だった。パパは生憎仕事、ママは役員さんでお兄ちゃんの「風くるま」捕りの様子の写真の係は私(爺)の役目と成りましたが、急用が出来て小学校の運動会には行けなかった。幸いなことに、パパの友達が写真を撮ってくれた。お兄ちゃんの風車は大好きな青の色だった。ねらって獲りに行ったのか、それとも偶然なのかさなかではない。戴いた写真なので言うことありませんが、少しぼけていて色合いが赤いので、画像調整しましたが、上手く行かなかった。だがパパの友達の気持ちを感謝しなければと改めて思う。お兄ちゃんは帰って来て嬉しそうに風車を回していたので、「おにいちゃん今日は何番だった」と聞くと、爺、今日は参加しただけで競走じゃないから、健ちゃんと、浩君と三人で仲良く走ったよと答えた。お兄ちゃんは幼稚園のかけっこでは何時も一番だそうだ。パパもママも大きいので、お兄ちゃんは幼稚園ではずばぬけて大きいらしい。昔から小学校入学の前の年の運動会は、旗拾いが定番でしたが、いつから風車に変わったのだろう。今の時代は関係するようになって、以前と変わった事が沢山分かるのだろうなと思った次第だ。
ハイキングはみ出しつ子の秋帽子
面白くなりさう秋の遠足だ
今、脚光を浴びております人形作家高橋まゆみ(飯山市在住)の人形館は人形の世界と、その舞台であるふるさとの原風景が同時に楽しめる、そんな場所づくりをめざして長野県飯山市に2010年4月開館しました。雁木通りとよばれる雪国ならではのまちなみ。ガタゴト音をたてながら通りすぎるローカル列車飯山線。そして、時おり聞こえる寺の鐘の音。そんな昔ながらの懐かしい風情を残す寺町の一角に人形館がある。驚くことに2010年4月開館以来、お客さんの感動が感動を呼び全国からすでに40万人の来館者があったと言う。この九月二十七日から「秋のコレクショウン」の展示で人形さんの入れ替えが始まるようなので、今から楽しみにしている私です。全国のみなさん、機会がございましたら是非「高橋まゆみ」人形館へお越しください。きっと、人形館で得た感動は良きお土産となります。
月追へば心を照らす星明り
今度の九月二十四日の俳句教室の兼題は「月と星」です。二つとも昔から良く詠われている兼題ですので、類似句、類想句はどうしても出来てしまう、注意しても避けがたいものである。自分で作句する 、作句でも互選でも、類似句を避けるにはできるだけ多くの秀れた句を覚えているに越したこと.はないと常々思うのだが・・・・・」私は今日、何時も句の捌きに御骨折りをいただいています、同期の利之さんにメールで投句を済ましましたが、ハガキでの掲出だと、後から推敲の出来た良い句が出来ても諦めることが出来ますが、メールだと、期間内であれば簡単にメールし直すことが出来るため、なおのこと推敲を重ね、何回もメールしてかえって利之さんに迷惑をかけてしまう。今回は細心の注意を払いましたが、あれもこれもと悩み思案して三回も訂正した投句となってしまった。
(1) 隣家の屋根上昇る月凉し
(2) 露天風呂妻のうなじに星明り
(3) 名月やすべて見透かす吾こころ
街騒の始まる前の秋の朝
街騒と書いて「まちざい」と読む俳句特有の言葉である。
はじめは読み方が分からず、「がいそう」などと読んで見たが、何とも俗っぽくて俳句らしい品位に欠けるような気がしていた。
街騒はその名の通り街中の雑踏(車の音、道路工事の音、行交う人の足音などを思わせる言葉で、どちらかと言えば人為的な言葉だ。従って早朝の散歩で撮った「街騒」の始まる前の静かな朝を「秋の朝」と詠った。だが、私の持っている「俳句用語辞典」にはこの街騒という用語はない。多分「街の騒めき」をつめて作った造語ではないかと勝手に解釈した。以前どなたかの句集に「街騒」の句があったような気がしている。早速ネットで調べると「街騒を遠音に端居心かな」(野田ゆたか)さんの句や「町騒に遠き寺苑の仏桑花」(松本可南)さんの句などあった。「仏桑花」はハイビスカスの別称で夏、鮮やかな紅白や白色の木槿に似た花をつける夏の季語である。
ハイビスカスを挿さむか君の黒髪に
ハイビスカス(ネットから)