ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

すき焼き

2008-11-30 07:23:59 | Weblog
牛すきや葱が主役となりにけり

あたたかき十一月もすみにけり

中村草田男



昨日の夕食は「すきやき」にした。アメリカ牛の上物で十分だった我が家は
国産牛となると、すき焼きの鍋の中の占有率は葱や白滝が多くなる。家中が大好きな「すきやき」くらいは倹約精神から離れたいものだが、そう上手くいかないのが現実だ。(笑う)

冬りんご

2008-11-28 20:28:09 | Weblog
信州の空高くして冬林檎


今日は朝から雨模様、寒い北信州はこの雨から雪に変わる季節ですが、今日の寒さでは雪にならなかった。今日の句は、いつの日だったか、まだ捥がれないたった一本の真っ赤な「りんご富士」の木に出会う。晩秋の空は澄み切って高い、その青い空に真っ赤なりんごがさらに冴えて赤かった。

一茶忌

2008-11-27 23:42:01 | Weblog
遊べずに吾子とわかれし一茶の忌
一茶忌の雀四五羽のむつまじき

我と来て遊べや親のない雀  一茶




歳時記に一茶は(一七六三~一八二七)旧暦11月19日の忌日となっていますので新暦の平成20年では、12月16日だ。一茶は52歳で始めて妻を迎え三度の結婚で三男一女の子をもうけたが次々と死なれ、文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭い母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。中風を病んで、その年の11月19日その土蔵の中で65歳の生涯を閉じた。52歳での初婚で三番目の妻(やを)との間に一女(やた)をもうけた。当時では一茶はあっちの方は、かなり勢力的な男であったと思う。




赤提灯

2008-11-26 19:39:14 | Weblog
底冷えや赤提灯に吸い込まれ


午後からある会議に出席しなければならない破目となり仕方なく臨んだ。浪人生活を謳歌していますと、会議は面倒になっている。困ったものだと思う。そんな訳で会議中一言も意見を述べず、ただ頷いた振りをした会議となった。ようやく開放されたらすでに五時を回っていた。外へ出ますと、いくら暖冬吟味の陽気とはいえ夜になると底冷えがする。ついついと、一緒に会議に出席した知り合いと赤提灯の暖簾を潜った。相変わらず自制心が足りない、これこそ困ったものだ。

忘年会

2008-11-25 13:09:27 | Weblog
新蕎麦に無言となるや山の宿


昨夜は何時も寄り合う仲間と「戸狩温泉」での忘年会だった。宿はスキー旅館ですが雪の無いグリーンシーズンは、温泉と主人の手打ち蕎麦が看板の山奥の静かな宿だ。久しぶりに温泉に浸かった後の生ビールはまた格別だった。採りたての自家製の野菜と海鮮シャブシャブがなかなか美味しかった。最後にお待ち兼ねのメイン、新蕎麦の登場となった。お酒も入り気の置けない仲間の賑やかな宴でしたが、蕎麦を喉に通し始めたら無言の世界となった。なるほど、看板にしているだけある、納得のいく蕎麦でした。




身不知らずの柿

2008-11-24 07:42:22 | Weblog
ネットでの身不知らずの柿とどくかな



毎年秋には天皇家に献上されていると言う、会津名産の身不知(みしらず)柿が届く、以前は、このちょうっと変わった名の柿を聞いたことはあったが、ブログ仲間の会津の「マッチャン」のブログで詳細に分かった。早速、柿の箱を開けようとしたら、箱の表に「開函日11月30日」と記してあるのに気がつく。アルコールで脱渋してあるので、甘くなるまでお預けと言う分けだ。柿好きの私は、開函日が今から楽しみである。




勤労感謝の日

2008-11-23 21:19:59 | Weblog

伴に四十年勤労感謝の日

(トモニシジュウネンキンロウカンシャノヒ)



今日は勤労感謝の日、私どもの結婚記念日でもある。掲出句は字余りとなるので四十年と詠みましたが、実際は四十一年になりました。その間、波乱万丈、紆余曲折の人生と言っても過言ではないような気がする。三代目の苦労の知らない坊ちゃん経営、昭和40年代の高度経済成長に乗ったような気がして、大き借金をして、
長野市のデパートに出店、五年間の激戦の上見事に敗退、借金を上乗せして傷心帰還、ゼロからの出発だった。家内初め社員の起死回生の努力で何とか倒産の危機を逃れたつかの間に、次の事業に挑戦、また大きな借金となった。今こうして生きていられることが不思議なくらいだ。家内に随分と苦労をかけたと回想する結婚記念日と勤労感謝の日となった。

記念樹

2008-11-22 08:50:14 | Weblog
記念樹よ雪に靡けよ我もまた



東京オリンピックの前後を境に我が商店街の発展を願って若者が立ちあがった。当時「戦後は終わった」という流行語を産み、右方上がりの高度経済成長の前兆だった。あれから40数年、我々の努力もむなしく、この田舎町にも中央の郊外型の大型ナショナルチェーンの到来で商店街の衰退が日増に進んだ。私始め、メンバーは、すでに還暦を遠く過ぎ「若さと活力」を失い、一人抜け二人抜けして、ついに「二無の会」という二つとない絆の会が解散となって2年が過ぎた。解散を期に記念として写真の「枝垂れさくら」を植え、その成長を楽しみにしている。すでに枝垂れさくらの雪囲いも済んで、久しぶりに往年のメンバーが寄って「忘年会」と名を打って懇親会を元気に開こうと計画中です。

山茶花の花

2008-11-21 08:54:42 | Weblog
山茶花の主役となりし一つ庭


昨日、中野市の病院で心臓の冠動脈の働きを調べる「シンチ」の検査をしていただいた。結果は次の診察日に主治医から伺うことになっている。午前と午後の2回に渡っての検査ですのでその間2時間以上の時間がありましたので、中野駅周辺からはじめ市内散策に出かけた(高校時代青春の一ページを過ごした地だ)ふと、旧知の方を思い出して彼のお宅に顔を出す。思いがけなく歓待を受けお茶をいただいた。その方のお宅は中庭がある、その庭に可憐な白い椿の花が目に付く、褒めると、主人は山茶花だよと言う。花に音痴の私は椿と山茶花の見分けが付けない。寒椿と言って冬に早咲きの椿があると聞く。


初雪

2008-11-20 10:13:55 | Weblog
初雪や朝の厨に音ひとつ


朝の台所にたつと窓越しに、薄っすらと初雪の後だった。作夜に降ったのだろう。昨日のテレビニュースでは九州地方はかなり降ったとのこと、長野県は長野、大町地方が5~10cmと報道されていた。雪の多い北信州はちょっと霞めたほどの初雪だった。このまま雪の降り方が逆になってくれたらなと思う。今日は朝から小春日のような天気である。

おかしい

2008-11-19 09:54:00 | Weblog
荒れる世の降臨となす銀杏かな



今日の句は付けすぎである。もっと明るく、やさしく、そして少しユーモアに句を詠みたいのだが、こうたて続きにいろいろ事件があると暗くなる。元厚生事務次官殺害事件、警察幹部の酔っ払い当て逃げ事件、大麻事件、ひき逃げ殺人、無差別殺人と、何かおかしい。景気が悪くなり雇用不安が起き、失業者が増えて、希望の無いギスギスとした世の中になると、凶悪な犯罪が益々増えるだろうと思う。

大根煮る

2008-11-18 14:15:02 | Weblog
面取りの大根煮れば孫の笑み


孫の椋一君は不思議と大根煮物が大好きだ。ほかの野菜は一切口にしない。毎日御飯に納豆か鮭のフレークを味付け海苔に巻いて食べるだけだ。その偏食ぶりに家中が心配している。今日は夕飯にその大根煮物と思い、午後リハビリから帰ってから台所に立ち大根の面取りを始めた。何処で見ていたのか、それから数回となく台所へ顔をだした。まだ彼は言葉がつながらないが(爺、僕の大好きな大根を煮てくれているな早く食べたいな)と言いたいのだろう。




小説破壊の碑

2008-11-17 12:53:02 | Weblog
藤村と丑松しのぶ碑に落葉

丑松の児落葉となりし碑に集ふ



             第一章    (一)

 蓮華寺(れんげじ)では下宿を兼ねた。瀬川丑松(うしまつ)が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡(しもみのちごほり)飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹(こせつ)で、丁度其二階の窓に倚凭(よりかゝ)つて眺めると、銀杏(いてふ)の大木を経(へだ)てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前(めのまへ)に見るやうな小都会、奇異な北国風の屋造(やづくり)、板葺の屋根、または冬期の雪除(ゆきよけ)として使用する特別の軒庇(のきびさし)から、........」
で始まる、島崎藤村の長編小説「破壊」の主人公「瀬川丑松」が飯山小学校に赴任し、下宿していた小説の舞台となった古刹蓮華寺(真宗寺)が自宅のすぐそばにある。その「真宗寺」に小説破壊の碑が建っている。毎日のようにこの碑に見学者が訪れている。


報恩講

2008-11-16 15:11:20 | Weblog
ひとときの浄土なりけり報恩講

大根のやさしく煮えて寺のまち

(右脳句会の句友「遊」さんの多選句)



報恩講は歳時記では「浄土真宗の本山で報恩謝徳のために行なう法会」とあった。冬の季語であることを知った。
今日はその報恩講を菩提寺「光蓮寺」で執り行われた。本日の報恩講は春のお彼岸より多くの檀家の皆さんがお参りに集まった。住職からお経と法話をいただき、その後、お斎をいただいた。何時もお斎に出る大根の煮物が美味しくて、お参りに来る楽しみの一つとなっている。しばらくぶりで、浄土の人となった一時だった。