ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

ムラサキシキブ

2016-10-31 08:22:05 | Weblog

 紫の真珠の如き式部の実

雨の朝色深みゆく実むらさき

 

 駐車場の片隅に、家内が育てた紫式部の実を、傍の建設会社の社長さんが今、「ムラサキシキブ」が見どころだよというので、普段関心を払っていなかったので、シキブの実の成長に気が向かなかった。見に行くと、ムラサキの実が早朝の雨で色が深んだ後、その上、好天気となり、日の光とあいまって、一層に紫の色が深く冴えているかに見えた。紫式部は日本各地に自生し、果実が紫色で美しいので観賞用に栽培される。実が食べられると聞いたことがあるが、どんな味がするのだろう。


飯山赤十字病院の「ふれあい祭り」

2016-10-30 08:36:14 | Weblog

 生きている証の賀状互ゐなり 

健康は国の宝よ秋の空    

 

 

 この病院祭に家の末孫の「あーちゃん」がいる、中央幼稚園の年長さん「りんどう」組の子供たちが歌の発表でお祭りに花を添えた。意気揚々と帰ってきた。あーちゃんに何曲歌ったの、と聞いてみると、指を折々10曲だよと答えてくれた。我田引水かも知れませんが、あーちゃんは、このごろ、年長さんの責任と、来年、小学生になるという自覚からか、急に成長したように思うことが、かえみられる。爺としては、「あーちゃん」の成長が小さな楽しみである。

  

 

 

 この病院祭りには、現在の医療の現状や、普段の生活に警鐘をならす事項が、毎年発表されているコーナーがある。私は今回は留守番で、いけませんでしたが、毎年、関心を持って見るコーナーである。医療の日進月歩を見て取れる。沢山の病気持ちの私は、この発表を見るたびに、普段の生活はじめ健康について、なお一層の努力が必要だと、思わせてくれている。

 


秋の幻の滝(樽滝)放出

2016-10-29 10:57:02 | Weblog

現はるるまぼろしの滝未紅葉

動と静いさぎ良き滝秋高し

 先日23日、日曜日の朝、木島平の「幻ぼ滝」樽滝が秋の放出を行うとテレビニュースで見たのですが、その日は、他の用事があり行けないので、知り合いが撮った「幻の滝」の写真をメールに添付してもらった。この「幻の滝」は、春だけの年に一回の放出でしたが、数年前から住民や、カメラマニアから要望があり、秋にも放出するようになった。もう少し綺麗な紅葉を期待していたのですが、やはり、いまいちの紅葉であった。そんなわけで「未紅葉」とするか「青紅葉」とも考えたが「未紅葉」とした。句を詠んだ後、滝はいずれかの季語ではないかとふと思った。調べると、どうも、夏の季語らしい。年中水が落ちているのにと思う。特にこの「幻の滝」は春と秋にだけしか現れない。滝は、はやはり、見る人に清々しい清涼感を与えるからであろうか、清涼感といえば、やはり夏がふさわしい。違った季語を重ねることは、俳句ではご法度ですが、気がつかなく、知らなかったので、いまさらと思うことにした。


「なぜ生きる」からの一編

2016-10-28 07:28:18 | Weblog

 

 生きるとは浮き草もよふ秋時雨

 

⦿ 「生きていて良かった」と大満足する「人生の目的」を

私たちは、昨日から今日、今日から明日へと進みます。”光陰矢の如し”といわれるように、本当は猛スピートで走っているかもしれません。小学、中学、高校と進学し、受験時代は死ぬほど勉強、大学へ入れば死ぬほど遊ぶ、就職したら死ぬほど働く、人生の荒波に投げ込まれた瞬間から、絶えず泳ぐことが強いられます。生きることは泳ぐことだと言えましょう。「生きるために生きる」と言い張る人は、「泳ぐために泳ぐ」と言い張る人です。流れにただよう浮き草は、あてどもなく往きつ戻りつ、やがてみずから腐っていきます。泳ぐために泳ぐ人の非運は、明らかでしょう。「飛ぶために飛ぶ」飛行機の末路と変わりません。「生きるために生きる」人生を、空の旅にたとへたなら、どうなるでしょう。速度や高度をどのくらいにするか、風向きの変化や気圧配置のよるルート変更、エンジントラブルの対処などは、「飛び方」の選択であり、「どう飛ぶか」の工夫です。それらの前に知らねばならないのは、的地であり、「どこへ向かって飛ぶのか」の工夫です。それらの前に知らねばならないのは目的地であり、「どこへ向かって飛ぶのか」の方向です。行き先知らずに飛び立つパイロットは、いないでしょう。飛ぶために飛ぶ飛行機は、墜落の悲劇あるのみだからです。同様に「生きていてよかった」と大満足する「人生の目的」がなければ、生きれば生きるほど苦しむだけの一生に終わってしまうのではないでしょうか。


「称念寺の紅葉」

2016-10-27 07:59:50 | Weblog

 

陽のあかり楓の色が濃淡に

しづくして雨の明るき寺紅葉

 

 飯山の市内では「称念寺」の紅葉が最近有名になっていますが、右の写真は八年前の平成20年の11月17日に山崎 進さんが撮った写真ですが、先日現場に見に行ったのですが、今年の紅葉はいまだ、こんなに綺麗な色が出ていない。

 

 

 

 左の写真は私が三年ほど前に前日の雨上がりの後の好天気に撮った写真ですが、山崎 進山さんの写真に比べると比較にならないほど下手な写真である。多分、一眼レフの高級カメラと私のコンパクトカメラとの差ではかなと思うのですが、やはり腕の差の方が大きいと思う。

                                               

 

  

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            

 


干し柿にする柿戴く

2016-10-26 08:05:37 | Weblog
花の咲くように実るや柿たはは

 

毎年、長野市の友人から美味しい干し柿をいただいていたのですが、彼は怪我をしてしまい、今年から干し柿を作らないということですので、家内は、実家の柿をもいで、今年から干し柿を作りたいと、張り切っていますが、はたして、上手くいけばよいが、何だか心配である。


NHKの撮るしん 清冽な朝

2016-10-25 10:17:42 | Weblog
忘れへぬ静寂な池志賀の秋




ペンネーム:埼玉のふなっじーさん(埼玉県)
撮影日:2016年10月12日
場所:志賀高原 木戸池
木戸池前の宿に泊まった翌朝、ダメかと思った霧が流れて神秘的で、感動しました。2日間の志賀高原、色つきは今ひとつでしたが来たかいがありました。

何時も感動を与えてくれる、「NHK撮るしん」、これと言って話題のない日は、「NHK撮るしん」の感動したした写真に駄句を詠っている。感動写真を見ながら句を詠むのが楽しみでもあり苦でもある。今日の句は自分の中では、いまいちであるので、推敲したいと思う。


行ってきました茶屋池の紅葉と戸狩新蕎麦

2016-10-24 09:25:52 | Weblog

鍋倉の紅葉色置く茶屋池に


先日、鍋倉山の茶屋池に紅葉の様子が気になり出かけた。久しぶりに緊張した車の運転だった。長い間、運転しなかったので、市の公園の広場で、三回ばかり練習すると運転感覚だ戻っていた。今日はスムースに山道を運転できた。先日ブログにしたように、今年の紅葉は期待してなかったんですが、茶屋池は例年と差が無、ぶなの木が綺麗に色ついていた。なんだか、「ほんわか」した気分になった。紅葉を楽しんだ帰りに、手打ち蕎麦が美味しい戸狩温泉の「蕎麦の一徹」で早昼食を戴いた。ここの蕎麦屋さんは、主人が自ら無農薬で後楽園の四倍ほど広い蕎麦畑で納得がいく蕎麦を作っているという。今年新蕎麦の時期でしたので、美味しい新蕎麦を満喫してきました。
新蕎麦や至福の時にしたるかな
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NHK 撮るしん 紅葉

2016-10-23 10:04:49 | Weblog
 


乗鞍に一歩入りしや山紅葉 



赤羽 岳雄さん
撮影日:2016年10月16日
場所:乗鞍高原 一ノ瀬園地 まいめの池
先日の台風影響で、まいめの池のカエデが気になり乗鞍高原へ出かけてきました。朝は氷点下まで気温が下がり、高原は霜で真っ白でした。カエデは葉数は少なめでしたが真っ赤に色付き、晴れた青空に映えてとても綺麗でした。

撮るしんのように、乗鞍高原のような綺麗な紅葉になりましたが、私共、北信州の紅葉は、志賀高原はじめ、諸々の山々は今年は、紅葉が遅いのか、いまいちの色合いのようです。北信州地方は、ようやく、このごろ、朝晩の温度差の気候になっていますが、今年の秋は雨と暖かさが続き、紅葉が思うように進まず、紅葉の濃さだ出てこないようです。

苔にまで燃え移らむか寺紅葉

 地に落ちて二度はなやくや楓かな

 


写真は、我が家の傍にある「西敬寺」さんの昨年の紅葉ですが、紅葉の終末に撮った写真ですが、楓の葉が真っ赤に染まった紅葉でした。今年は、こんな真っ赤な紅葉が期待できないのではと思っております。


なぜ生きる。

2016-10-21 05:54:29 | Weblog
ママ パパ わたしは 生きていてもいみのない人げんです。わたしがいきていても みみんながこまるだけです。ママ パパ長いあいだおせわになりました。 なにもいわず わたしをしなせてください。 わたしはじごくで みんなのことをみまもっています」 小学校二年の女の子の遺書であろ。自殺の増加と低年齢化に、世の中戸惑っている。科学や医学などは急進したが、人類の闇はますます深まっているといえよう。「強く生きよ」と励ます本が相次いでベストセラーになっているが、「生きていても意味のない人間」と言われて、どんな説得が用意されているのだろうか。「生きよ生きよ」と連呼されても、「人生は 食て寝て起きて クソたれれて 「子は親となる 」「世の中の 娘が嫁と花咲いて カカアとしぼんで 婆と散りゆく」 禅僧・一休に人生の裸形を露出されると、むなしくこだまするだけである。戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きている意味があるのか」「苦しくても、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇のいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」「人生の目的」が解明されないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。「人生に目的があるのか、ないのか」「生きる意味は何なのか」人類は今も、この深い闇の中にある。どこにも明答を聞けぬ中、親鸞証人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、:よくぞこの世に生まれたものぞ:の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくても、この目的を果たすまでは生き抜きなさいよ」聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の明闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。人気テレビ番組「知っているつもり」では、戦後出版された本の中で、一番多く語られた「歴史上の人物ベストワン」と紹介された。それほど有名で、強い関心を持たれている聖人だが、その思想はアキレルほど誤解曲解されていることに驚く。;そらは親鸞学徒の怠慢だよ:といわれれば弁解の余地はないが、今も猛省して奮起を誓いたい。悲しい誤解の一つをあれば。「平正業成」(へいぜいごうじょう」という言葉であろう。「平正業成」とは、親鸞聖人のすべてを漢字四字であらわした、いわば一枚看板とされている言葉である。「平生」とは「現在」のこと。人生の目的を「業」という字であらわし、完成の「成」と合わせて「業成」といわれる。「平生業成」とはまさしく、人生の目的が現在に現在に完成する、ということだ。親鸞聖人の特色が「平生業成」といわれるのは、親鸞ほど人生の目的と、その完成のあることを強調された方はなかったからである。それが今日。」「あなたの平生業成が悪かったからだ」とか「私の平城業成がよかったから」などと、日常行為のことのように使われたり、聖人の生命が公然と誤用、蹂躙されては、浅学菲才をかえりみず親鸞学徒は悲泣して立ち上がらずにおれないのでいる。はたして人生の目的は、あるのか、ないのか。親鸞学徒の一人として、親鸞聖人の言葉を通じて迫ってみたいと思う。

飯山線を走るSL車イベントの試運転

2016-10-20 04:57:19 | Weblog

 秋麗やSLファン湧きいずる

 昨日の早朝、朝散のはずの家内は慌ててコンパクトカメラを取りに来た。私は唖然としていると、そのうちに帰って来て「SL機関車」の写真を見せてくれた。確か昭和47年以来、44年ぶりに飯山の地をSLが走ることを市内の商店前のポスターで知っていたが。 実際の運行は11月19日と20日の両日だ。区間は、飯山駅から十日町駅を通過し、長岡駅までの往復100キロのイベント走行のようだ。昨日は、イベント運転の試運転のようで、JR飯山駅は朝の張り詰めた空気を打ち破る力強い汽笛が一帯に響き渡ると、重厚感のある車体と車輪の音を鳴らしてゆっくりと走り出した。その瞬間に立ち会った多くの地元住民や鉄道ファンたちは歓声と拍手を送り、徐々に速度を上げて遠のくSLを名残惜しそうに見届けた。と家内が興奮気味で話していた。

 初日分の指定席券の販売は、JR各駅の「みどりの窓口」で行われたが、瞬時に売り切れたという。 飯山線のSL運行をめぐっては長野、新潟両県の沿線自治体などでつくる「飯山線沿線地域活性化協議会」が平成27年5月、地域の新たな活力にしようと、飯山-長岡駅間のSL運行をJR東日本に要望した。

その後、自治体と同社が調整を重ね、この2日限りの運行が実現する運びとなった。飯山市民らでつくる「飯山線SL運行を応援する市民の会飯山」も、SLを歓迎するのぼり旗を作るなど祝賀ムードを高めてきた。運行当日には飯山市が飯山駅(同市)で、長野県栄村が森宮野原駅(同村)でそれぞれ歓迎イベントを開催し、SLと乗客を盛大に迎える。

 市民の会飯山の代表を務める明石洋一さん(49)は19日、地元の消防団として、SLを走らせるのに必要な水を飯山駅で車両に補給する作業を行った。

 明石さんは「生で見るSLはやっぱり違う。今回の運行をきっかけにこの地域が盛り上がるといい」と語った。

 

 

 

 

 


「日本の棚田百選」福島新田棚田の稲刈り体験会前日

2016-10-19 04:54:10 | Weblog

実る田に秋を宿して一休み

黄金の棚田の実る秋収め

 

 もう一ヶ月以上前のことですが、棚田百選の飯山市福島新田の稲刈りが済んだのか、それとも、これからなのか、日にちが分かりませんでしたが、棚田の実りの風景を撮ってブログにしたいと、ふと思い出いたち、思い込んだら吉日と、愛も変わらず、我が儘の私は、運転に自信がない場所ですので、忙しくて、嫌がる家内を説得して、福島新田へ出かけた。  

 

                                         

 

福島新田の村人に逢ったので、稲刈りの日を聞きましたら、明日の9月17日(土)だと教えてくださった。偶然にも稲刈りの前日であった。詠んだ句のように実りの秋を一日だけ棚田に泊めてもらうことにした。出来たら明日のボランチィア棚田稲刈り体験会の後の餅つき大会に参加したいと思った(数年前に千葉の友人B君と参加した)が、どうしても都合つけることが出来なかった。また、毎年刈った稲を天気干し稲架(はざ)にするので、時間があったらその風景を撮ってブログにしたいと思う。そんなに我が儘を通し、嫌がる家内の運転で、撮った貴重な、実り田の様子でしたが、忘れていた分けでは無いが、ついつい今日のブログになってしまった。普段ブログにする写真はポッケに入れられて持ち運び易い、コンパクトカメラだが、上の写真は久しく、一眼レフで撮った。やはり、一眼レフのほうがよく撮れたような気がした。                                     

 


十月十六(日)NHKスペシャル (爆笑問題出演)

2016-10-18 04:36:48 | Weblog

シリーズ マネー・ワールド資本主義の未来

先見へず不安だらけの秋の風

このシリーズは三集に分けて放送する。

     第1集  世界の成長は続くのか

    第2集  経済の“支配者”は誰 ~国家 VS 市場経済・ルールをめぐる闘い~(仮)

    第3集  富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~(仮)

第1集  世界の成長は続くのか

 豊かに幸せになるにはどうしたらいい? 格差ってどうして生まれるの? 商売を成功させる秘訣は? 人生につきまとうお金の悩み。その全てに関係するのが人類が生み出したシステム「資本主義」だ。その資本主義が今“500年に一度”とも言われる大きな岐路に立っている。無限に思われた成長の停滞、パナマ文書などで浮かび上がった富の偏在や巨大格差。 社会に豊かさをもたらすと考えられてきたシステムが未知のひずみを引き起こし始めている。近年、世界の経済を牽引してきた先進国の成長が、急速に停滞し始めている。近代資本主義の発祥の地・イギリスでは、EUの離脱決定後にポンドが続落。先進各国もGDPの成長率を相次いで下方修正するなど未曾有の“超停滞経済”と向き合っている。なぜ成長は止まり始めたのか?今後も世界は成長を続けられるのか?フロンティアの消滅や、金融空間の限界など、その背景をひも解きながら、新時代での成長を模索する企業や経済学者の闘いを「爆笑問題」の二人が追う。この放送をみて、グローバル社会の未来に、不安が益々増大した。不安の世だと、世界の民始め世界の各企業は、庶民は自己防衛に走り、各会社は内部留保に走り、設備投資を控え、益々お金が流れなくなり、経済は不況状態が増大する。句にしたような、先の見えない不安だらけの世になりはしないかと心配がつのった。だが、中には世界の将来を楽観視する経済学者がいる。それは、未来に向けてAI人工知能の技術を駆使して新しい経済が構築される時代が来ると言う。もしそうなるとしたら、ほど遠い期間が必要となるだろう。


友と紅葉狩り

2016-10-17 05:41:51 | Weblog

紅葉の満つよりビールまた楽し

  

 昨日は、地方在住の友「35友の会」が斑尾山の西裏の「タングラム」スキー場へ紅葉を楽しみに出かけましたが、紅葉はまだまだ早かった。「花より団子」というように「紅葉よりビール」となった。私は、ただただ気の置けない友人に会うことが楽しみのみである。私は、ノンアルコールのビールを飲んだ。元来は豪酒飲みの私は、御酒を断って早六年になる。友が美味しそうに飲むビールを横目にしながらの、我慢我慢の一時であった。

 

                             

 この「35友の会」を何時も世話してくれる長野市のS君と二週間前に、ホテルタングラム」の周辺が、紅葉が綺麗といわれているため、食事をかねて「ホテルタングラム」のフロントの責任者に紅葉の予測情報を聞きに行った。そこで紅葉の良い時期は昨日あたりと聞き入れ、昨日十月十六日に決めた日程でしたが、今年の紅葉はかなり遅れていることに驚き、責任者に聞いてみると、自然のことですので、と言いながら、謝っていた。その旨を出席してくれた友人達に告げると、皆、納得してくれたので、少し胸の痞えが落ちた。二ヶ月振りの友人との再会は楽しかった、ビールと美味しいバイキングの食事であった。                                 

 

 

 

 


高野辰之記念館

2016-10-16 08:06:53 | Weblog

故郷は兎追いしと歌ふかな

 昨日の午後、長野の友人Y君と「故郷」の作詞家高野辰之記念館へ出かけた。

天皇、皇后両殿下が「高野辰夫」記念館へ御訪問された写真が、館内にあった。皇后様の御実家と辰之が何かで深い縁があったととのことだった。

 

 

 

 

 ネットには、高野辰之は、明治9年(1876年)に永江村(現中野市永江)の農家に生まれ、幼年時代を豊かな自然の中で育ちながら学問の道を志し、苦学の中からわが国近代国文学に大きな功績を残しました。辰之は、国文学における偉大な教育者でありながら、「故郷(ふるさと)」、「紅葉(もみじ)」、「朧月夜(おぼろづきよ)」などの日本の心のふるさとを歌う文部省唱歌の作詞家としても名を残しました。辰之は、明治42年(1909年)に文部省の小学校唱歌教科書編さん委員に委嘱され、この作詞委員として、「尋常小学校唱歌」(全6冊)の作成に携わり、作曲家の岡野貞一とのコンビで今に残る名唱歌を世に出しました。これらの歌は、1991年のNHK日本の歌ふるさとの歌百選に6曲中5曲が選ばれ人々に愛され続けています。第1学年用・・・日の丸の旗 第2学年用・・・紅葉 第3学年用・・・春がきた 第4学年用・・・春の小川 第6学年用・・・故郷(ふるさと)、朧月夜(おぼろづきよ) などがある。高野辰之は七十一才の生涯を野沢温泉で閉じている。

兎の季語は何時だろうと、ふと思い立ち、調べると、野兎は年中、野山にいるが、「兎狩」が冬季に行なわれたことより冬 の季語となっていた。冬はまだまだですが、上の句は高野辰之の代表詩「故郷」の歌詞の中の「うさぎ」ですので、許していただく。

 

「故郷」はほとんどの方は知っている歌ですが、あえて、ここに作詞を書いておく。

         ふるさと

 
  作詞/高野辰之
作曲/岡野貞一




     
  兎(うさぎ)追いし かの山

小鮒(こぶな)釣りし かの川

夢は今もめぐりて

忘れがたき ふるさと
如何(いか)にいます 父母

恙(つつが) 無しや友垣(ともがき)

雨に風につけても

思い出ずる ふるさと
志(こころざし)を 果たして

いつの日にか 帰(かえ)らん

山はあおきふるさと

水は清き ふるさと

 「兎追いしかの山」は辰之生家から眺められる大平山(オオヒラヤマ)などの里山、小鮒釣りしかの川」は、清冽な水が流れる斑(はん)川である。足が悪い身ですが、杖をつきつき、友と「大平山」と斑川を眺めたり見てきました。高野辰之の生家も見ることが出来た。