ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

怒れ国民

2008-05-31 10:36:43 | Weblog
蟇もうそろそろと立ちあがれ




もうこの辺で、国民は大規模に筵を立てて国会へ抗議行動でも起こさねば、政治家初め霞ヶ関の官僚は自ら身を削り国民のための改革はしないだろう。日本沈没につながる無責任な指導者が多すぎる。リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」と言った、言い換えれば「国民の国民による国民のための政治」ということだ。
ガソリン初め諸物価が高騰し益々国民の生活は困窮する。特殊法人など思い切った改革が国民に見えなければ、いくら財政難といえども国民は納得しない。抗議行動のみのような気がしています。「平和呆け」なんぞしていられない。「どけんかせんといかん」。
加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、求めないほうがはるかに面白くなる。







群青の刻(とき)

2008-05-30 16:59:28 | Weblog
師が描く初夏の群青刻沈む


先生の画(群青の刻)


以前、日赤病院に展示してある大きな展覧会で入選した水墨画の先生の画「春雷の湖」と「群青の刻」の80号の二点のうち右の「春雷の湖」に句をつけてブログにしましたが、今日は「群青の刻」を紹介したいと思います。前にも触れたと思いますが先生は日本画から入り水墨画を極めたひとです。若くして、長野県水墨画協会の副会長をなさっている。また、先生の水墨画は京都で人気があり、京都の画廊がかなりの高値で買うようです。

加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、自分にほんとに必要なものはなにか分かってくる。


孫椋一君お兄ちゃんになる

2008-05-29 16:57:53 | Weblog
授かりしうぶごえ高き五月の子


昨日、若葉風が爽やかに吹く夕刻、大きな(3890グラム)元気な男の子が誕生しました。5月26日に2歳の誕生が過ぎたばかりの孫椋一君は2日たってお兄ちゃんとなりました。本日の午後、椋一兄ちゃんは弟との初対面を果たしました。よくお母さんを取られたような気がして拒否反応を起こす子が居ると聞きますが、椋一兄ちゃんは、喜んで赤ちゃんを抱っこしてキスまでしてやりました。こんな姿を見てみんなで微笑あいました。




ひと段落

2008-05-28 20:45:16 | Weblog
田植して信濃の里は落ちつけり


こちら北信濃も田植がほとんど終わり、空も山も澄んだ田水に映えて静かな田園風景が広がりひと段落というところです。田に水が満遍なく入りますと、天気の良い暑いぐらいの日でも冷っとした田風が心地よい。今日は、このところ所要があり三日ぶりの散歩でしたが、歩いておりますと頬をさす田風が冷たく寒いくらいだった。また、田植は機械の無い時代は、一家総出の仕事だった。手のたりない農家は「結い」といって互いに手伝いあう習慣があった。こちらは、方言で「えいっこ」と言う。そんな哀愁を帯びた言葉は忘れられそうだ。こんなとこころから人間関係の希薄さが生まれているのかも知れなと思う。
加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、求めないでもいられる自分に驚く

散歩

2008-05-27 18:50:24 | Weblog
父と児の手をつなぐ背に西日追ふ

このところ、夕方6時回ってもまだまだ明るく日が長い。天気予報では明日から少しずつ崩れるらしいが、今日は清新な初夏の爽やかな風があり、気持ちの良い一日でした。夕方、孫の椋一君がパパと手をつなぎあって散歩に出かける姿を2階の窓越しから見えた。椋一君のその後ろ姿が余りにも可愛く絵になったので、慌ててカメラを抱え道に出ましたが、すでに遅しで二人はどこかに消えてしまった。
加島祥造の「求めない」から

求めないーすると、求めなくとも、自分とつながっているものがあるのに気づく。


後期高齢者

2008-05-26 09:53:33 | Weblog
若葉風後期高齢語りける



風薫る午後の一時、歩くコースに、二人の御夫人が腰を掛け、何かひそひそと話している姿に会う。近づくと一人の方は知り合いでしたので「なに話してんですかと」挨拶代わりに声かけますと、<今、話題の「後期高齢者」の話よ>と呟いた。
まだまだ、そんな歳ではないでしょうと返すと、<私あと五年だけど何とかならないものかねー>と問いかけるように私に振ってきた。一瞬戸惑ってしまったが<頭にきちゃうね、庶民の痛みが分からない政治家や官僚では困るね>と言ってその場を去った。
加島祥造の「求めない」から

求めないーすると、心が空に向かって開く



寺と躑躅

2008-05-25 09:43:58 | Weblog
結界に乱れ咲くなり躑躅かな


先日、知り合いのいる中野市に所要があり出かけた。途中、車窓から古寺に繋がる参道に咲いている、綺麗な薄紅色の躑躅が目に入る。一瞬別世界に入ったような錯覚に陥った。長い間訪れる場所であるが、こんな素晴らしい景観があることを知らなかった。
加島祥造の「求めない」から
求まないーすると、いま在る自分をそのまま見はじめる。



雪国大学平和講演会

2008-05-24 07:46:07 | Weblog
満州のさまざま伝ふ薄暑かな


久しぶりの感極まる講演を聞く機会に恵まれました。講演してくださった方は、昭和20年の敗戦後、旧満州国に居る混乱と悲惨な170万人の同胞を一日も速く祖国日本への引揚げが出来るよう、生死を掛けて厳重な警戒線を脱出し、日本へ帰り、政府及び連合軍の最高司令官マッカーサーに引揚船の早急手配を懇願した勇者三人のメンバーの内現在御健在な「武蔵正道」氏(87歳)が当時の真実秘話を話していただいた。そのメンバー三人の中心となった「在満同胞救済陳情代表」の故人、丸山邦雄(明治大学教授)さんが我が飯山市富倉の御出身という御縁で講演いただく機会に恵まれた。敗戦国日本の戦後は奇跡の復興を遂げ、世界第二位の経済大国となったが、お金ばかりを追い求めた末、心が失った日本の現状を指摘、将来を憂いる数々の提言をなさった。
直訴した三人の男
丸山邦雄氏

加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、求めたときは見えなかったものが見えてくる。

空き家

2008-05-23 19:10:19 | Weblog
表札のありて空家や初燕


この頃、歩いておりますと、空き家が目だって増えていることに気が付いています。写真のお宅も空き家だと推測している。玄関先を覗いて見ますと、表札は掛かっていますが、いまだ雪囲を外してない。一人暮らしの老人が遠くにいる息子さんのところへでも移転したのかなと思った。私共、北信州飯山は人口が急速に減っている。雪が降る上に、働く職場の無いことと少子化が人口減に拍車をかけている。
この地域に長く生きてきた私にも責任の一端があるような気がしています。
加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、求めないでも生きていけることがどんなに嬉しいものか知る。




杜若

2008-05-22 08:56:29 | Weblog
よりそひて淋しからんや杜若



このところの、中国四川大地震やミャンマーの大型サイクロンといい、地球全体が
病んでいるとしか思えない。小冊、NHK俳句を開いていると、綺麗な杜若の群生の写真が目に留まった。「杜若」は美しさの中に何かもの淋しさが伝わると何かの本で詠んだように記憶している。
中国やミャンマーのことを思うにつれ、この写真の「杜若」から淋しさ、切なさが伝わって来た。
求めないーすると、自分のリズムで動くようになる。



花菖蒲

2008-05-21 16:50:41 | Weblog
花菖蒲風に揺られて蝶となる


こちらも、田植えが済んだところと、これからの田が点在する。田圃に花菖蒲はなぜか映える。写真は、苗が植えられて一週間くらい田だろうと思う。瞬間的に吹く冷たい田風が花菖蒲を優雅に揺らせている。

求めないーすると、失望しない

棚田の田植

2008-05-20 21:08:58 | Weblog
希望てふ苗を植えるや子供たち


昨年の田植風景

先日(18日)の日曜日に行われた「日本棚田百選」の一つ、瑞穂地区の「棚田保存会」から田植え体験会の通知をいただいていましたが、町の「秋葉神社」のお祭りなどがあって参加することが出来なかった。新聞にも話題となりましたが、地元の小学生の賑やかな「田植え体験」と千曲川を見下ろす素晴らしい高台の景観に会うことが出来なかった。また稲が青々と成長したころに、棚田に会いに行こうと思っている。



棚田の高台から千曲川を望む(昨年の写真)




竹落葉

2008-05-19 19:56:29 | Weblog
束の間の薄日差したる竹落葉

竹落葉黙して独り酒を酌む

下の句は(けさの一句より)


ピクチャーの写真がたくさんになったので整理をしていますと、記憶に無い「竹落葉」の写真があった。私はこんな綺麗な写真を撮るはずが無いので、多分ネットの写真をお借りしたか、何方に添付していただいで取り込んで置いたのだろうと思う。写真を見ながら浮かんだ句となる。
落ち葉と言えば「秋」を想像しますが、竹は初夏に新葉が生えると黄色をおびた古い葉がひらひらと落ちる。普通の植物とは反対で夏に葉を落とし、初夏から秋にかけて葉を茂らせます。また下の句は、新聞にのる、村上護さんの「けさの一句」からの句で、何か物寂しげで、酒好きの私にしみじみと伝わる句です。



秋葉神社祭典

2008-05-18 10:31:37 | Weblog
巫女の舞摺り足すがし夏まつり



本日は、晴天の中、町内(上町区)にある「秋葉神社」のお祭りが行われた。この神社は昔、養蚕が盛んのころは「養蚕神社」として奉られておりましたが、昭和27年(小学5年生の時)の5月18日に百数拾件が燃える大火災に遭ってしまった。以後、火防ぎの神様である秋葉山本宮秋葉神社より御神体を譲り受け「秋葉神社」として奉らるようになった。子供神輿や巫女の舞いなので、町中揚げてのお祭りとなった。
加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、無意識にさがしているものに気づく

歴史坂

2008-05-17 15:23:07 | Weblog
歴史坂青葉若葉と向かいあふ


以前ブログにしましたが、私が勝手に名前を付けております。「歴史坂」を歩きたくなり久し振りに行く。そこは飯山城跡の片隅にある80m位のコンクリートでなく土と石だけの自然でなでらかな坂道です。拙句のように、深い緑に囲まれていて、ストレスが解消でき、おだやかな気持ちとなり気に入っている場所です。正式な名前があるはずですが調べると思っては、そのままにしている。坂道の隅に「桜井戸道跡」という石碑が建っていますが、これも詳しくは分からないでいる。
加島祥造の「求めない」から
求めないーすると、求めなくっても平気だと知る。