ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

柿若葉

2013-05-31 11:55:52 | Weblog

急ぐ事なき余生なり柿若葉

 

 今日は梅雨さなかといえ、朝のうちは、よく晴れた涼しい初夏の風が気持ちよく頬を射してくれので朝の歩行はノルマより二回り多く歩くことが出来た。午後北信病院へ保険会社に提出する診療証明書をいただきに行く。午後になると梅雨を忘れたかのように、真夏と思わせるほど暑かった。こんな日は、畑仕事の農家の人達は水分が不足すると熱中症になる人があるだろうと思うほどだった。だが今朝歩いておりますと、傍の印刷屋さんの柿の木の葉が若若しく艶があるのに元気を頂いた。


俳人金子兜太

2013-05-30 03:37:40 | Weblog

 

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太

卒寿超へ海山超へて梅雨に入る 正義

 

 現代俳句協会左から(名誉会長の金子兜太、新会長の宮坂静生、前会長の宇多喜代子)の各氏

 先月東京への所用の折、偶然に九十三歳の矍鑠とした俳人金子兜太さんの講演を聞く機会に恵まれた。兜太いわく「人間は自然そのもの。だからこそ、”生きもの感覚”で生きよ!」と言う。徘界の巨匠が志す、理想の生き方であると思う。従って「生きもの感覚」こそが、人間にとっての決め手となる。」自然と人間との共生」という言い方には反対だ。そもそも人間は生き物であって、自然そのもの。自然と人間を対置させてはいけないのだ。これまで人間は、生きもの同士の共生を破壊してきたが、これからは、欲のかたまりである生きものとしての、”生々しさ”を大事にしながら。その抑制力として働く「生きもの感覚」を尊重することこそ。人間の将来にとって決め手になると確信している。なんだか浅学非才の私には難しすぎた講演であった。附け加えて「金子兜太」はだいいち社会というものをあまり信用していない。あくまで俳句の好きな、俳句に徹底してきた男の得た人間の存在、いのちといったことの思いをしゃべっているというだけのことです。あくまでも、即個人的で考えているのです。何だか無責任な言い回しに捉えた。金子兜太大先生の下に私の駄句を並べるなんておこがましいことだが、そこは自分のブログの特権であると思っている。


新幹線開業イベント

2013-05-26 12:12:31 | Weblog

北信濃新聞より

 アスパラの安さ求めて長蛇なす

                            新幹線よりもアスパラ生きること

 

今日は新幹線飯山駅が平成27年の開業に向けて数々の開業イベントで盛り上げようと市民総参加の第一回目のイベント「飯山駅前雪と寺町シンボル広場」にて「飯山アスパラまつり」が開かれた。飯山は、アスパラの生産は日本一が長く続きこの地方の名物となっておりましたが、数年前からアスパラ畑に病気が入り、それに加え生産農家の高齢化に伴って最盛期からかなり生産量が落ちています。今では北海道に大きく離されているとのこと、今日は「アスパラまつり」と言うことで太い最高のアスパラを五把で五百円で販売すると言う。家内は、パパと「わらび」採りに出掛けますので、買っておいてくれと頼ましたれたのでイベント会場へ行きますと驚くことに「アスパラガス」の求める市民の長蛇の列に圧倒され並んで待つことを諦めて帰ってきてしまった。。

 

         新幹線なにをもたらす燕子花

 

 

 


黒姫から臨む野尻湖

2013-05-24 05:10:06 | Weblog

 風薫る野尻湖臨み深呼吸

 思想家、文人、哲学者で東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献した「岡倉天心」が愛したと言われている情緒あふれる「赤倉温泉」で待ちかねた「兄弟会」を行った。今年も一人も欠けることが無く全員の参加でたのしい温泉の一夜を過ごすことが出来た。下の妹の旦那さんが、万年幹事と言うことで旅館の手配初め諸々の段取りで骨惜しまず細心な気配りをしていただき、兄妹会が無事に出来ていることに何時も感謝の私達兄妹夫婦である。何よりもうれしいことは、家内の兄さん夫婦が元気で顔を出してくれることだ。兄さんは何時も場の雰囲気を盛り上げてくれる、いなくてはならない存在である。兄妹会の翌日、「妙高山」の隣、これも「北信五岳」の一つ「黒姫山」をリフトで登ることが出来た。眼下にそびえる青々とした「野尻湖」と黒姫山スキー場のゲレンデに咲く「芝さくら」が印象的だった。

渺渺と青空つつむ芝さくら


燕子花

2013-05-22 07:45:54 | Weblog

ひっそりと主役となりし燕子花

      天上も淋しからんに燕子花  鈴木六男

鈴木六男の句は、ひっそりと咲く(燕子花)を前に、心中をふともらしたようで心に響くものがあります。「天上は淋しからん」というかには地上も淋しいのです。どこへ行っても淋しくないところなどない。生きているのは淋しいものだといおうとしているのかも知れないと解釈した。

 今、北信州はアヤメ科の花と躑躅が主役と思うほど奇麗に咲いている。特に燕子花の花は紫と白の花が良く見かける。私には艶やかな裏に何か淋しさが漂う花に見えるが。やはりこの時期に咲く花の中では主役的な花と言える。ネットでは、燕子花は愛知県の県花でもあり、三河国八橋(現在の知立市八橋)が『伊勢物語』で在原業平がカキツバタの歌を詠った場所とされることに由来している。江戸時代後半にはハナショウブが非常に発展して、カキツバタはあまり注目されなかった。現代では再び品種改良が進められている昔からの花とだと言う。

 かきつばた水の明りの栖かかな

 


秋葉神社 大祭

2013-05-19 13:02:07 | Weblog

 巫女の舞袖広げたる涼しさよ

巫女の舞はこぶ白たび宮薄暑

 

 

                                                          子供たち金魚すくいに袖ぬらし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        神輿担ぎ僕も私も主役なり


いよいよ田に水入る

2013-05-15 07:26:12 | Weblog

 ふるさとの連山写る代田かな

田水張る一年ぶりに蘇る

 久しぶりに郊外へ車を走らせていますと、いつの間にか田が耕してあった早生米の田圃だろうか、すでに水が入っていた。大型の機械で僅かの時間で耕してしまう。全てにスピートの時代、牛や馬で田を起こした時代を知っている私だから、そんな情緒さが懐かしい。田植えもいつの間にか機械植えで、知らぬ間に早苗が植わっているのだろう。こんなに機械化が進んでも、TPPなどのグロバリー時代には勝てない日本の農業、日本人の人口減とお米離れの現状と僅かの輸入米とで、減反に継ぐ減反で補助金に頼り過ぎたお米生産は大きな壁に立ち計るだろう。反対に高くも輸出できるような美味しいお米の生産が求められている時代が来るのではと思う。

 

 


爽やか少年

2013-05-14 14:59:24 | Weblog

青葉風少年すくと座を譲

(久しぶりの特選句)

 

 先日の十三日、久しぶりの俳句教室であった。「東京ハートセンター」へのカテーテル検査初め白内障の手術やらいろいろありまして俳句教室から遠逆っていた、また、この頃の成績が思うようにいかないので気がすすまなかったことも手伝っていた。そこで、人生の終焉に近い男が今更俳句が上手くならなくも・・・・・・」と開き直った。そんなこんなで、何だか気が楽になったせいか、自然体で俳句を詠めるような気がしている。二回目の東京診察で「混雑していた山手線の中で、杖を付き立っていた私と支えてくれている家内に、二人の高校生らしき少年が、躊躇いもなくすくと立って座っていた席を譲ってくれた。私と家内は顔を見合わせて同時に二人の少年に「ありがとうございます」と言い、慣れない混雑の電車から解放された。私は疲れ気味だったので大変にありがたかった。その二人の少年の爽やかさと自然体の格好良さがいまだに脳裏に残っている。そこで、日本の将来は心配ないと大げさに思った私である。


ファンの名脇役 夏八木勲さん逝く

2013-05-13 16:04:47 | Weblog

病葉や名脇役の散るごとし

  私が大ファンであった無骨で豪快なキャラクターで、映画やドラマの名脇役として活躍した俳優の夏八木勲さんが11日、神奈川県内の自宅で亡くなった。73歳だった、私より一歳年上で若すぎる死であった。報道では膵臓がんが見つかり、入退院を繰り返しながら仕事を続けていたいう。最期は家族に看取られて息を引き取ったという。あの者深い笑いと無精ひげが良く似合う味のある名演技が好きだった。大ファンの私は昨年主演を務めた原発事故を題材にした映画「希望の国」を長野市のグランドシネマズまで見に行って、感激を新たにしたことを昨日のように、鮮明に覚えている。これからが、彼の持っている俳優としての深い渋い味が最高に出る時期になると思うのに誠に残念で仕方がない私である。



 


「木の根明く」 鍋倉山のブナの木

2013-05-11 10:33:18 | Weblog

 木の根明く胎児はなにを見てるや 「岳」主宰 宮坂静生先生

 この連休に冬中閉ざされていた新潟県に通ずる鍋倉高原の県道が開いたので、水墨画教室の画友がブナの木の「根明け」を写真に撮り絵にしたいとのことでしたので、渡りに船と言うわけで、私もブログにしようと思いたち、画友に写真をメールに添付して下さいと頼んで置いた。頼んだことをうっかり忘れていましたら、つい先日画友から素晴らしい写真がメールに乗って来た。今日の掲句はあえて私共俳句会「岳」の主宰である「宮坂静生」先生の句を拝借しました。と申しますのは掲句「木の根明く胎児はなにをみていをるや」は季語である「木の根明く」は先生が以前から提唱していなさる「地貌季語」である。従って歳時記には存在しない。先生の著書『語りかける季語ゆるやかな日本』では以下のようなことが書かれている。「地貌」を「風土の上に展開される季節の推移やそれに基づく生活や文化まで包括することば」として捉え、広く「季節に関する『地貌季語』とした」と述べている。そして、地域で定着している独特の季節感あふれる言葉を季語に準ずる「地貌季語」として蒐集し、その中の一つが「木の根明く」であると記している。掲句は木の根を人間の母体と見なしているのだろうか、まるで胎児が今まさに母親の子宮から生まれ出んとしているところを捉えてえて、「胎児は何を見てをるや」ではなかろうか。春を迎えた時期の新しい命と呼応した作者の感慨が伝わる。

 

     椈の幹水脈満ちて木の根明く

 

 

 

 

 

 

 


遅咲きの君子蘭

2013-05-10 16:54:57 | Weblog

                  遅咲きの朱の潔き君子蘭

 腰痛持ちの私は週に一回の割でそばの整骨院に通っている。ここの老先生は鉢植え花の名人である。季節季節に咲く花を玄関に飾っては通院客を癒してくださる。記憶では君子蘭は四月の終り頃飾って下さったと記憶していたので、先生に君子蘭の返り咲きですかと聞くと、先生は、この鉢の君子蘭は少し寒いところに置いたので、今迄の寒さで遅くなってやっと咲いたとのこと、そんなため今年は君子蘭を二度楽しむことが出来たんだと笑っていなさった。何時もの年だと五日位の違さで咲くのだが、今年は一ヶ月近く遅れたとのことだった。立夏となり夏の季語を詠う季節ですが、君子蘭は春の季語「初夏に咲く朱の潔き君子蘭」と詠みたいのですが一句に季語が二語は御法度である。だが「目に青葉山ホトトギス初鰹」  (山口素堂)  の句は一句に「青葉」「ホトトギス」「初鰹」と三ツも季語がある有名な句がある。作者は300年ほど前の人、享保年間(1716年没)の山口素堂とうい人の作だそうです。江戸時代「松尾芭蕉」より七十数年後の俳人ですが、この頃は季語が数種あっても許されたのかもしれない。

 

   

   君子蘭玄関に坐し客迎ふ

 


立夏なる

2013-05-08 17:39:11 | Weblog

立夏なる今日の安堵を湯に沈め

 

 今年の立夏の日は何時かと思い、ネットで調べると、太陽黄経は45度、中央標準時五月五日十七時十八分、とあった。五月五日の子供の日が立夏の日だったのだ。偶然にも、五月五日のブログからの俳句の季語「若葉風」「葉さくら」「新緑」など夏の季語を詠っていた。昨日も病気持ちの私は、お風呂に浸かりながら、今日一日無事で過ごせたことに安堵の気持ちと感謝の気持ちを芯から味わった。昨日の寒さは暦の上では夏とは言え、東の山が雪で白くなるほど寒かった。又、今日は平常の好天、このところ温暖の差が激しい異常気象、こんな陽気には、特に気をつけなければいけない私の身体である。

 

 


葉桜となる

2013-05-07 16:53:47 | Weblog

 葉さくらの日々に艶まし風光る

新緑の上に無数の空の精

 今日は季節外れの寒さとなった。気が付くと、いつの間にサクラの花は散り、葉でいっぱいに埋まった葉ザクラ状態となった。さくらの花の後の水々とした若い青葉が艶々としていた。木の下から空を眺めると、雲り空でしたが、何か新しい息吹が生まれてくるような気がしました。もしかしてこの葉の中に世を明るくする聖なるものが生まれたら良いがなーと途方もない想像を掲げる愚者の私がいた。


巨大恐竜ワールド

2013-05-06 13:27:24 | Weblog

 

                                                          

 おにちゃん二人が楽しみにしていた、長野市のオリンピックスタジアム「エムウェーブ」で開かれている「巨大恐竜ワールド」に行く、この入場者の長蛇の列には驚く。        

            ブラキオサウルス

 

 

 

大きな声で暴れ回る「チィラノサウルス」や「ラブドル」に、お兄ちゃん達は大興奮でした。