ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

日短

2008-08-31 17:48:09 | Weblog
秋めきていそいそするや時刻表


このごろめっきりと日が短くなってきている。雨上がりの午後、九月のリハビリの日程を決めるため病院へ立ち寄る。その帰りに、病院前のバス停で空を見上げながら、バスの時刻表とにらめっこしながら<急に日が短くなって早く帰らないと>と独りごとを言いながらいそいそとしている御婦人に遭う。どこへ帰るのだろう。一日に数本しかないバス、きっとこの婦人は一日がかりの病院だろうと推察した。その点、歩いて来れる街中に生活していることのありがたさを痛感した。

物価高

2008-08-30 18:57:31 | Weblog
秋風や足ることのない夕餉かな


しばらく振りでのオサンドン係長の復帰である。店に行きますと、うわさの通りの値上がりラッシュ。小麦粉を初めとする一般食品から練り製品、鮮魚、肉、野菜と食品すべての値上がりである。なんだか料理する意欲が減退、丁度、若夫婦と孫達がパパの実家へ帰るというので、私共二人のごくごく質素な夕餉となる。


花木槿

2008-08-29 15:21:06 | Weblog
木槿垣いま盛りだと言いたげに



歩く路に五弁を開いて<いま盛んだよと>主張しているように見える木槿の花に会う。歳時記に「槿花(きんか)一日の栄」と栄華のはかなさにたとえられる一日花とあった。先日ブログにした酔芙蓉と同じアオイ科の落葉低木で夕方になるとちじんでしまうのだろう。木槿のとなりに咲いている濃黄色の花の名が分からないでいる。



友の訃報

2008-08-28 14:52:28 | Weblog
日暮や友の訃報のかなしけり


昨夕、千葉の友人馬場君から共通の友人で所沢に住む内田君の訃報が入る。昨年の同級会で大腸癌の手術を受けたことを本人から聞いた。大変元気な様子だったので、早期発見かと思っていたが、肺、肝臓に転移したとのこと、思えば、長女が大学の時、下宿先が東武東上線でしたので始発の池袋のサンシャインビルに勤めていた彼を訪ね、大変な歓待を受けたことがあった。彼の冥福を祈るのみである。
(写真の右端があり日しの内田君)




父母を想う

2008-08-27 11:05:01 | Weblog
金婚の父母の写真やちちろ鳴く

哀哀の父母の写真やちちろ鳴く


このところ、健康のことで少しナーバス気味のせいか、仏壇の前に座り、なんとなくボーットすることがある。
久しく仏壇の片隅にある父母の金婚式のお祝い写真を手にする。在りし日の父母の思い出が走馬灯のように駆け巡る。戦後全てに厳しい環境の中にありながら、夫婦仲良く商売に励んでいる姿が昨日のことのように思い出される。父母の写真をジーと見ていると<何してんだしっかりせんか>と叱咤されているような気がした。

秋茄子のおやき

2008-08-26 14:59:20 | Weblog
秋茄子のこだはりおやき五つ買ふ


退院後、初めて散歩に出た。何時ものコースにある行きつけの喫茶店に寄る。顔見知りのお客さんが4~5人いた。皆さんに珍しいね、<何か病気でもしていたの>と質問攻めに会う。<うん検査入院でね>と詳しくは言わなかった。コーヒーを飲みながらふと、前の和菓子店に目をやると「おやき」の幟旗があった。このお店の茄子のおやきが美味しいことを思い出し、早速買って帰る。


88日目の湧也君

2008-08-25 11:10:40 | Weblog
乳のみ子に爽やかな風しずかなり


孫二男坊の湧也君は生まれて88日目。最近はあやすと機嫌がよければ声を立てて笑うが、いったん崩れると、それは驚くほど大きな声を出して泣く、また泣き止むにはいろんな手を尽くすが時間がかかる。さすが二男坊一筋縄ではいかないようだ。お兄ちゃんの椋一君も大きいが二男坊湧也君のほうがまだ大きくなりそうだ。泣き声といい、身体を動かすしぐさといい大者の感がある。

鱸のおさしみ

2008-08-24 18:35:26 | Weblog
酒二合鱸さかなにちびちびと


店に生きの良い旬の鱸(スズキ)があった。今の鱸は刺し身が一番だ。鱸は鰤と一緒で出世魚の一種で、コッパ(10cm)、セイゴ(25cm)、フッコ(35cm)、スズキ(60cm)と大きくなるごとに名前が変わる。この数日体調が良いので悪い癖がもたげた、お酒である。家内いわく<二ヶ月近く口にしなかったのだからこの機会にやめたら>ときた。そこで私は<今まで我慢に我慢していたんだ>と口答えする。勿論、家内は私の身体を心配してのことではあるのだが、こればっかりは聞き入れる耳を持たない。句では二合と詠いましたが、今夜は1合ちょっとで止めておいたが久しぶりの酒、やはりうまい。


茗荷あるかな

2008-08-23 19:41:36 | Weblog
孫さそひしずしずのぞく秋茗荷



家内が孫椋一君に<椋ちゃん茗荷採りに行こうね>と声をかけていた。今年初めての収穫のようだ。茗荷など知るよしもない椋一君であるが、婆の言うことであれば何でも聞く、最近、私には、よく<やだ>と拒否反応するのだが?愛情の注ぎ方が違う婆のほうが一枚も二枚も上なのであろう。今日のブログの話題に苦慮していた私は、思い立ったように二人の後を追い、狭庭にでて茗荷を探している姿を写真にした。日常のどんな小さなことでも、つたない句をつけてブログにしようと改めて思う。

ソフト日本「金」

2008-08-22 15:17:12 | Weblog
爽やかに金より金の女神かな

永久に推敲


新聞の見出し<ソフト日本「金」>悲願の優勝だ。こんな感動は久しく味わった記憶が無い。この感激を句にしたいと試行錯誤、適当な季語が見当たらない。仕方の無い拙句となった。エース上野由岐子さんは連投に継ぐ連投413球の超人業だ。「いつも笑顔で仲間のために」という上野由岐子投手、由岐子の名前は「山を支えるような人間に」と両親の願いが込められている。不動のエースは最後まで日本を支え、歓喜の輪の中で喜びを仲間と分かち合った。と新聞にあった。とかく暗いニュースの多い昨今、ソフトボールの悲願の優勝は日本中に感動と勇気を与えてくれた。

一日花酔芙蓉

2008-08-21 07:19:17 | Weblog
吾も亦酔芙蓉ほどはかなけり


酔芙蓉
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酔芙蓉はこのスクロールのように時間が経過することにより白からピンク、赤にと名前の如く、酔ったように色が変わる花です。夕方か夜になると萎んでしまう、はかない一日花です。


強くなんかなくていい

2008-08-20 08:14:26 | Weblog
平和とは強がり脱ぐう秋の蜂




7月30日の信毎新聞の「山ろく清談」に「山田洋次映画監督」の清談があった。
タイトルは「強くなんかなくていい」内容は山田洋次監督の人柄がそのまま言葉にしてあった。米国はじめ世界は、強い国を目指し過ぎるのではと危惧していた。<強い国を目指すっていうのはどうしたって間違っていると思う。そんなこと止めればいい、強くなんかなくていい、強いってことは、軍事的、経済的に強いことだ。それで日本人は幸せになれるだろうかと、今、必死になって考えなきゃいけない>また<自然を壊し道路やビルを造って、人間はすごいだろうと威張るのももう違う。もっと静かに生きると言うか、ブレーキをかける必要がある。寅さん「男はつらいよ」の主人公)みたいな役に立たない男はどこかで首でもつって死んでしまえという時代になった。>入院中でもあって、心に残る「山ろく清談」であった。

和菓子屋の朝顔

2008-08-19 07:53:28 | Weblog
朝顔やその日その日の咲きもよう

朝顔やのぞきたくなる家の中



俳句を齧り始めて早四年が過ぎた。相変わらず、これと言ってハッとするような句が生まれないでいる。今朝、店に所用があり表通りの和菓子屋「梅月」の前を通ると、大きな窓いっぱいに見事に蔓を張った朝顔に気が付く。入院している間にこんな見事な朝顔になったのだろう。句を読みたく、しばらく朝顔の前で佇んでいますと、「梅月」の主人が「無事退院したね」と声をかけてくれた。朝顔は夏の季語とばかり思っていましたので、すでに遅いかなと思いつつ、歳時記に目をやりますと秋の季語であることが分かる。「朝顔」の句に千代女の「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という有名な句がある。




新涼

2008-08-18 10:13:13 | Weblog
渓谷の新涼さそふ風白し


新涼の松川渓谷

なんとなくまだ散歩に出る気が湧いてこない。閑に任せてピクチャーを除いていますと、確か数年前に家内と涼しさを求めて高山村の渓谷へ行ったときの写真が目に入る。写真にタイトルが無いのでさなかではないが、松川渓谷だと思う。
このところ、一雨ごとに朝晩めっきり涼しくなった北信州です。今こうしてパソコンに向かっていますと(午前10時30分)、窓越しからの陽射しはまだまだ強いですが、時折冷たい心地良い風が入ってきて何ともいえない気持ちの良さを感ずる一時です。古来、季節に色を配する考え方があり、春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒であることから秋の風を「白し」と詠んだ。


秋刀魚

2008-08-17 17:47:31 | Weblog
病みあがり秋刀魚を食ってにぎり瘤


入院生活でしたので、毎年楽しみにしている、初もの初入荷の秋刀魚を食べることが出来ませんでしたが、今では初物より油が乗り美味しくなっている。秋の風物、さんまを食べて滋養をつけ、病み上がりがシャキンと力がつくことを期待しての夕餉だった。やはり、秋刀魚の焼く煙を吸うことで元気がついたような気がしました。