ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

孫のおはぎつくり

2009-09-30 10:18:18 | Weblog

お彼岸の孫も参加のおはぎかな

    

わが家では先週の日曜日に遅ばせながらの彼岸の「おはぎ」造りをした。孫の椋一君も張り切っての参加でした。お兄ちゃんは何故かいたずらばかりするバイキンマンが大好きで、持つ物、身につける物バイキンマンのキャラクラーだらけである。ゴマのおはぎを丸めながらバイキンマンだバイキンマンだと言って上機嫌だった。出来たおはぎを仏壇に供え、みんなで手を合わせた後、おいしいおはぎを頬張った。家中「おはぎ」が大好きだ。


高貴なおつまみ

2009-09-29 11:19:49 | Weblog

衣被塩ひと振りのうまき酒

 里芋の子芋を皮付きのまま、茹でたり、蒸したりして、熱いうちに皮をむいて、一塩ふれば酒のつまみに最高である。こちらでは、旬の楽しみの一つで、衣被(きぬかつぎ)と言う。衣被(きぬかつぎ)の言葉の由来になっているのは、平安時代の高貴な女性(今風に言うとセレブ?)が、外出する際に、顔を隠す為に使ったという衣被(きぬかずき)から来ているそうだ。昨夜は衣被をおつまみに最高にうまいお酒をいただいた。大好きなお酒を楽しめることに、あらためて感謝する。






彼岸花

2009-09-28 07:08:22 | Weblog

燃へ尽くすいのちの証曼珠沙華

  彼岸花無言のままに手を合はす

以前から曼珠沙華がきれいに咲いている場所を捜していた。知り合いの写真マニアの方に聞きますと、柳原の笹川地区に綺麗に咲いているお宅があると聞き早速出かけた。山口百恵の歌に「曼珠沙華」がある。テレビでのあまり歌わなかったが、彼女の引退後、ベストアルバムを購入して知った。たしか作詞 阿木耀子作曲 宇崎竜童の夫婦で、どこかさびしげな歌詞であったように記憶している。

 


棚田百選の稲刈り

2009-09-27 15:13:41 | Weblog

手刈りして棚田に置きし稲匂ふ

 

括る稲棚田百選ものがたり

秋晴れの澄んだ空気の下で、棚田百選(福島新田)の稲刈りが行われた東小学校の生徒さんはじめ遠くからはせ参じてくださった人達も加わり賑やかな稲刈りでした。棚田の周辺地域は、映画「阿弥陀堂だより」のロケ地となっていて、棚田の上部には有名な阿弥陀堂が残されています。千曲川や北信五岳が一望でき、昔からの棚田がそのまま残る福島地区は、まさにふるさとの原風景です。 減反政策、耕作条件の悪さ、高齢化などにより、荒れ果てた休耕の棚田となった。このままではと、平成10年に地元の有志14人が集まり、棚田保存会「棚田の里 三部(さんべ)」が結成されました。荒廃していた棚田が有志の御努力により平成11年、15年ぶりに復活した棚田で田植えを行われた。また、この棚田で採れたお米は全て田植えと稲刈りを手伝い、農業実習をしている飯山東小学校の生徒の米飯給食に使われるということです。

 

 


秋の暮

2009-09-26 13:25:23 | Weblog

 草野球かあさん向へ秋の暮

 

かあちゃんと笑顔がふたつ秋の夕

  NHK俳句の10月号に俳人「西村和子」のエッセイに(子供の情景を詠んだ俳句を集めていて気付いたことがあります。それは「秋の暮」という季題に、子供が多く登場する。)とあった。自宅の裏に、両親が共稼ぎのための児童センターがある。前の遊園地でセンターに来ている学校帰りの小学生が元気に草野球をしている姿を良く見かける。おぼろげながら句が浮かんだので。早速写真を撮りに行ってみると遊園地は誰一人いなく静まりかえっていた。そうだ、今日は土曜日で児童センターがお休みの日だったのだ。写真はネットからで、本物の写真が撮れたら載せたいと思います。

 


日蓮宗の聖語

2009-09-25 02:56:25 | Weblog

  秋気澄む聖語にふれて修しけり

 秋の日のことんと胸に聖語かな

北信州はだんだんと気温が低くなって、朝方の寒さを感ずるこの頃です。寒きが禁物の持ち病ですので、ウォーキングを朝から昼間に切り替えた。「寺の町飯山」といわれるように、歩く道筋に寺院が連なる通りがある。それぞれ寺の入り口に「人生訓話」が掲示されている。その訓話が変わるたびに、なるほどなと心が洗われる思いとなる。

子にすぎたる財(たから)なし

 

 

 

 


喫茶店

2009-09-24 13:44:52 | Weblog

 秋ざくらやさしく咲いた喫茶店

コスモスの押し寄せてゐる喫茶店

 何時も行き付けの商店街にある喫茶店が「しばらくの間お休みいたします」と店頭にお知らせしてから三ヶ月以上になる。御多分にもれず中心商店街の衰退の影響で採算が取れなくなったのかな?、となると、街中で写真の喫茶店がたった一店となってしまった。このところとんと、御無沙汰していたためか、何だか気が重かったが入口にやさしく咲いているコスモスに誘われ、しばらくぶるに喫茶店「風の蔵」の暖簾を潜った。

 

 

 

 


秋分の日

2009-09-23 14:55:17 | Weblog

秋分の日家内とケーキ半ぶんこ

友人と小旅行して数日ブログを休んだ。案の定心配していた怠け癖が擡げてしまい今日までズルズルとブログを休んでしまった。私自身、一番嫌いなこのなまけ癖は生涯治らないだろうと思う。もっともこの癖を背負いながら人間をやってきたのだから今更仕方がないかなと自問自答、諦めの心境です。相変わらずのブログですがまた御訪問ください。今日は秋分の日、春分からほぼ半年目の日で昼夜の時間が半々、春分とは逆に、夜の時間が長くなっていく。今日は朝から孫達と若夫婦が何処かへ出かけた。孫がいないと家の中は灯が消えたように静かだ。午後の一時、家内と「おはぎ」でなくロールケーキを半々にしていただいた。

 

 

 


女郎花

2009-09-04 16:07:51 | Weblog

女郎花咲き始むるかな裏通り

 商店街の裏通りに数件が入居しているマンションがある。その一軒の庭に咲き始めの女郎花を見つける。歳時記には「女郎花」と書いて「おみなえし」「男朗花」は「おとこえし」と読、花はよく似ていますが、女郎花は黄色に対して男朗花は白い花です。また女郎花は秋の七草で、秋の七草は (ハギ · キキョウ · クズ · ナデシコ · オバナ(ススキのこと) · オミナエシ · フジバカマ)でいずれも観賞用、春の七草はセリ · ナズナ(ペンペングサ) · ゴギョウ(ハハコグサ) · ハコベラ(ハコベ) · ホトケノザ(コオニタビラコ)(<WBR>現在のホトケノザではない); スズナ(蕪) · スズシロ(大根) ...)で食べられるとあった。

 明日から都合で三日位ブログお休みいたします。


友人の庭の鶏頭

2009-09-03 09:09:20 | Weblog

鶏頭の黄色は淋し友の庭

例の無口な友がこのところとんと顔を出さないので、心配になり彼の家へ数年振りに出かけた。彼は元気だった。これで一安心。お互いに年を重ねると少し合わないと元気で居るのかなと心配するものである。お茶好きの彼は早速お茶を入れてくれた。流石お茶にはこだわりのある彼のこと、茶を入れる手つきがどことなく違う。私みたいにぎこちなくはない。<新茶だぞ>と彼は言う。私は即に<新茶は五月だろう>と言った。彼いわく<九月はまだ新茶のうちだ>と譲らない。相変わらず頑固だ。寡黙な彼に会うとこちらも無口になる。彼の家に三十分も居ただろうか、是といって何も話さず帰ってきた。帰宅して、彼の家に咲いていた写真の鶏頭の花でも褒めてやれば良かったになと思った。

鶏頭の朱が近づけば紅深き

 


秋の展覧会の準備

2009-09-01 18:43:11 | Weblog

硯洗ふ流れ逝く青惜しむかな

硯洗ふ墨あをあをと流れけり

水墨画の秋の展覧会まであと一ヶ月ちょっとに迫ってきた。ようやくスケッチした題材が決まり準備に取り掛かり始めた。今回は「卓 吾」画家の大胆かつ繊細な技法に挑戦して見ようと思っております。水墨画の先生から指導を受けながら、今回は十五号に挑戦し良い作品にしたいと思う。春と秋の二回の展覧会が近ずく度に緊張感が走る。このたびに大げさですが、人生にメリハリがついて良いかなと思うこの頃です。

写真の硯は御爺さんの代からのもので、書道を嗜んだ父に受け継ぎ、水墨画を描く私に引き継いだ硯です。父から聞きおよぶには中国の硯で見た目はなんてことないですがなかなかのものらしい。大事に次の代に引き継げればなと思う。歳時記には「硯洗う」は「七夕の前夜、子供が普段使っている硯や筆などを洗った行事」と記して秋の季語である。