豊作を竿灯祭りにたくす夏
夏まつり目に一点の男意気
かつて、若かかりしき頃、街づくりで活動した仲間はその後、シニアとなりましたが、時々はお酒を交わし雑談を楽しんでいる。また、数年おきに旅行も楽しむ。数年前、私が自由に行動できた頃、「みちのく」を旅した思い出でを紐解いた。旅は8月の秋田竿灯祭り見学を出発に岩手、福島と南下した。右の秋田竿灯祭りは、豊作を祈る。重要無形民俗文化財に指定されていて、青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりとで東北三大祭りのひとつだ。米俵に見立てた連なった提灯を、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る姿は、勇壮で東北人の忍耐強いひた向きの根性を見た。
みちのくの夏ものがたり史(ふひと)なり
岩手県の中尊寺金色堂、歴史は古く藤原時代と聞いている。丁度、どこかの小団体と遭遇した。その団体に混じり、団体のガイドさんのガイドの案内を盗み聴きしたことを思い出した。今になっては、その時の内容は空っぽとなっている。藤原氏は金が出たこの地で栄光を極め、金をふんだんに施し金色堂を建立したのだろう。少し俳句を齧っている私は金色堂にあった芭蕉の句碑に興味があった。その時、メモにしてきた句碑の句は「夏草や兵どもが夢の跡」と「五月雨の降残してや光堂」の二句だ。
涼しげのああ松島や夢の島
夏の湖船舶誘ふ白い波
平泉中尊寺に近い 一の関温泉に一泊して旅の最後に日本三景の福島の「松島」を訪れた。松島は名前のある島は140に近いと言われている。訪れた松島は夏の待った中でしたが、好天に恵まれ絶景だった。