ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

冬晴れ

2007-01-30 12:25:04 | Weblog
冬晴れや背筋のばして深呼吸


今日は全国的によい天気らしい。窓際のパソコンに向かっておりますと柔らかな日差しで頬がぬくばんでくる暖かさです。年配者の話では昭和6年にこんな年があったと聞く、果たしてどうかなと思うが、本当であれば何か安堵する。
厳しい冬を経験してこそ、春の木々の芽生えのいとしさと喜びを感ずるのだが、やはり雪国の冬は雪があって寒いくらいがメリハリがあって良いような気がしている。写真は千曲川の河川敷です。例年だとここに街の中から排雪した雪をダンプで運んで大きな雪山が出来るはずですが今年は片隅に少しあるだけです。


孫(椋一君)八ヶ月

2007-01-29 10:02:12 | Weblog
冬すみれ天子はぐくみ八ヶ月


孫の椋一君が誕生して今日で丁度八ヶ月になる。最近までは家の中ではジジを一番警戒しておりましたが、何の切欠なのか、この一週間位前から「抱っこする」と言うとにこっと笑い、手を差し出してくる。ジジもついつい「にたっと」して顔が緩む。実に可愛い、孫には計り知れない「アウラ」がある。毎日の家庭生活、小さな「ごたつき」はどこの家でもあると思う。我が家はこんなとき椋一君の微笑みが仲介役をしてくれている。
思うこと!!」

 国会が始まった。 安倍首相は施政方針演説で、教育改革、憲法改正を柱に高らかに「美しい国」を連発している。一方民主党は、格差問題を中心に挑もうとしているが、自民党にはぐらかされている感が否めない。教育改革、憲法改正に、是々非々で臨むより権力を握っている官僚と組む与党への対決姿勢こそが、野党に求められているのではないだろうか。
また、長期にわたる県政の結果、腐敗にまみれた宮崎県に見られる様に、国政も又、政権交代による強制チェックが必要なのである。代わって政権を取った民主党に問題があれば国民の審判の洗礼を受ければ良いと常々思っている。 





冬の雨

2007-01-27 10:01:59 | Weblog
この街の期待の雪が雨となり
この街を少し濡らして寒の雨


例年であれば街の中でも雪に埋まっている世界であるが、今年は1月の寒のなかと言うに写真のような状態です。しかも今日は待望の雪かと期待しておりましたが雨となる。これでは雪祭りは出来ない。予報では2月に入っても暖冬の模様、このところの良くない世相続くのでお天等さんが怒っているのではと思わせる位の異常気象である。

定期健診

2007-01-26 20:03:46 | Weblog
冬霞主治医にあいて口かろし

このごろ、どうも健康や持病のことやらであれこれと心配をしてナーバス気味でした。本日は定期検診の日、主治医に会うと、そんなもやもやが一気に晴れた。血液検査の結果、コレステロール、中性脂肪、血糖値、グリコヘモグロミン、血圧など平常であるときめ細かに説明してくださった。主治医には感謝の連続です。
二回も難しい所見の治療を成功させてくださっている。医療技術は勿論のこと人間的にもなかなかな先生だ感謝感謝です。一口に「いい男」である。急に口が軽くなるもので、待っていてくれた家内に「数値がよかったらしいね」と見破られた。

雪祭り

2007-01-25 08:33:30 | Weblog
雪女郎降りて来てよと待ち焦がれ

すでに、20数回になります雪祭りは暖冬で雪がない状態なので雪像つくりができない。市民上げて雪女郎を待ち焦がれている。先日もブログにしましたがこんな雪のない北信州は私の記憶にはないように思う。雪が少なめ年はダンプで山から運び出したものですが、今年は頼みの山にも雪がない状態とのこと、後二週間雪女郎さまを待つことしか手がないようだ。

暖かい

2007-01-23 13:48:01 | Weblog
髭を剃る鏡に四温感じつつ

とにかく暖かい冬である。午前中の散歩途中に汗が滲んできた。昨年は60数年ぶりの大雪と寒波の襲来でしたが、今年は打って変わってこれも記憶にない暖冬である。報道ではアルプス地方が「1300年ぶりの暖冬」(オーストリア気象・地球力学中央研究所)に見舞われている。欧州では平均気温が例年よりも上昇するなど異常気象が続いており、専門家は温室効果ガスがもたらす“異変”として、警鐘を鳴らしている。)
とあった。これでは、安部内閣の支持率と反比例である。
コラム!!」
 国民は【賞味期限切れの政党】と【絵に描いた餅の政党】に辟易している。
自民党は政治とカネの問題で【古い自民党】に見えている。受け皿の民主党の政策はパッとしない。千載一遇の機会なのに、前進できない。民主党は地方重視と言いながら、浸透しているとは言いがたい。
 だが情報化社会はマスコミの大本営発表ですらスクリーントーンに透かして自らの判断で投票に向かうようになった。しかしながら中央の政治を変えることなく、地方の知事を刷新しても、政治の革新は期待できない。
 やはり参院選挙において、米民主党が議席を制したように、国会をぶっ壊すような荒療治をせねば、この政治不信の情勢を回復することは困難だ。
 すなわち【多くの国民が中央が腐っている】ことを知っている。そして伴い【地方も腐っている】のである。
 川上にある大きな貯水池が濁っていれば、下流も濁る。この濁った貯水池をこのまま改革して使い続けるか、新しい貯水池を設けるかという選択が必要になっている。 キリがない。国民の想いはひとつだ。国地方の赤字が1000兆円に達し、財務省はPB(プライマリーバランス)の必要性を訴え、厚生労働省は小子高齢化による社会保障問題を訴える。
 ところが毎年のように予算は粛々と国会を通過し、独立行政法人や公益法人は何ら手付かずである。
 赤字であれば、企業でも家庭でもやることはひとつなのに、国地方はいよいよ破綻するまで何もしていない。 夕張はその現実である。
 中央が貧すれば、地方にカネが回らず、地方は少ない工事の受注を巡り、そこに天の声を期待する土壌ができる。若しくは国民にツケ回し=増税を画策するしかない。すなわち中央は【ツケ回し】しか考えていない。その証左が【天を突くような超豪華議員宿舎】の竣工である。こういう【贅沢】をできる状況に国は無いのではないか。
 そして市中では非正規雇用や請負が蔓延し、地方は閑古鳥が鳴いている。なにかおかしくはないか。そう、明らかにおかしいわけであるから、国民は行動が必要になっている。
 もう茶番劇はおしまいにし、次なる参議院選挙でその意志を見せつけるしかない。受け皿の強化を望む。コラムニスト伊藤昌明

日脚伸び

2007-01-22 09:31:07 | Weblog
日脚伸び明日がありそな合言葉





冬至を過ぎると次第に日照時間が長くなる。理屈では確かにその通りなのだが、それを実感するには若干のタイムラグがある。例年だと、本当の寒さが冬至から約1ヶ月ほど遅れてやってくるが今年は例外に暖かい、しばらく忘れていた夕空という明るさの余韻に気づくのも、この頃ではないだろうか。日一日と日脚が伸びるのを実感して来た。今日も散歩中に行き交う知り合いとの挨拶は「寒いですね」でなく「日が伸びてよろしいですね」であった。
コラム!!」
(1744.) 殺人への紙一重の感情

 私は裕福な家の一人娘として生を受けた。小学校、中学校、高校、大学と、自慢ではなく全校で一番裕福な家の子だった。物質的には、何一つ不自由なく、という表現がそのまま当てはまる子供時代を過ごしたのだと思う。ただ、私は母親に愛されなかった子供だった。欲しいと思うものが全くないほどに、何でも与えられた暮らしの中で、母親の愛情だけがなかった。
 父親は、一人娘の私を溺愛してくれたけれど、長年の妾がいたし、母親はまだ中学生の私を置いて海外に何年も行ってしまうような人だったのである。高価な食器、高級なジャムにバター。お気に入りのベーカリーで特別に焼いて貰い、毎朝配達されるパン。そういう贅沢はあったけれど、私は母親にパンにバターを塗ってもらったことがない。小学校の頃、友人の家に泊まりに行った時、その子のお母さんが朝、パンにバターを塗ってくれた。そして「はいどうぞ」と笑顔で差し出してくれた。そして、私と友人が朝食を食べ終わるまで、一緒のテーブルで話をしてくれた。それがずっとずっと羨ましかったのだった。35年以上前の「その朝」を私は今でも忘れたことがない。

 私の表面だけしか知らない人は、「何て恵まれているんでしょう」「ご両親に感謝しなさいね」と口を揃えたものだ。もちろん、感謝しなければならないだろう。自分から望んだことではないにしても、お金で買える様々な経験をさせてもらってきた。でも、私は母親にやさしくされたかった。手を繋いで歩きたかったし、雷が鳴ったり大雨の夜は、一緒に寝て欲しかった。それが無理だとするなら、躾という名目のもと、叩いたりつねったりするのだけは、やめて欲しかったのである。私は今、母親に愛してもらえるのなら、貧乏でもよかった…と言ってしまうほど、純粋でもないし子供ではない。それに、逆を思う立場の人もいるのである。お金さえあれば、母親なんかいなくてもいい。と思うほどに困窮し、追い詰められている子供たちが世界に一体どれぐらいいるのだろう。それを思うと、恵まれすぎていた自分には、そんな発言は出来はしないのだ。

 ただ、母親が憎い。憎悪は今だに消えない。自分も大人になって、母親は老いた。結婚することによって、随分と普通に話せるようにはなったのだけれど、時折みぞおちのあたりから湧き上がってくる嫌悪や憎悪を消すことが出来ないできるのだ。母親とただ2人きり。絶対にバレない状況で、たとえば断崖絶壁に立ったとしたら、母親の背中を押したいという自分の気持ちを抑えることが果たして出来るのかどうか。自信はない。世間的に見て、裕福「なのに」殺人に走った…と称される事件が続いた。
私が母親を殺してしまっていたら、きっと同じように言われたことだろう。恩知らず、我儘とののしられたことだろう。結局は犯行がバレて今の自分の置かれている生活を失いたくないから、私は殺意を思いとどまったのではないのだろうか。そんな気すらしているのである。私はそういう人間なのである。そういう思いを日々ひきずって生きている。
 今は両親と距離を置く生活になり、ずいぶんと心が穏やかになった。逃避と呼ぶ人もいるかもしれないけれど、肉親というものは、ものすごくやっかいで、自分ではないけれど、自分とは切っても切り離せない。繋がってしまっている。だから、せめて物理的に距離を置くことで、多少なりとも救われる場合が絶対にある。家出しろと勧めるわけじゃないけれど、殺してしまいたいほど憎い相手が身近にいるなら、相手を殺す方法よりも、その場から離れる方法を考えて欲しいと、そう思う。殺したいと思う憎悪のパワーを、殺さずに自分が幸せに生きるためへの動力源へと、何とか転換して欲しい。   <葉韮亭>




冬の日本海

2007-01-21 08:16:31 | Weblog
寒椿怒りあらはの日本海


砂浜に足をとられて冬うらら



祖父の生まれ故郷(新潟県上越市)から御法要の通知を頂いた。久ぶりの祖父のルーツを訪ねる機会に恵まる。時間に余裕がありましたので、鉛色の空に荒々しく
波しぶきが襲う冬の日本海を見たくなり海岸寄りの国道を走る。日本海の冬の海は荒荒しい反面淋しさを感ずるが、また寒椿のように忍耐強い美しさがあるような気がいたします。私は冬の日本海が好きである。祖父は(明治20年生まれ)修行中に新潟高田から過酷な県境富倉峠を歩いて超えこの飯山へ行商に来ていた。そして年季が明け、飯山に居を構えた苦労人である。従って私が祖父から三代目となるわけですが、果たして責任を全うしたかどうかはいささか疑問ですが、病気を期に思うように任せない人生の探求を終焉し、ゆっくりとスローライフといきたいと常々思っていますが・・・・・」


冬すみれ

2007-01-20 08:15:26 | Weblog
冬すみれ夢幸そして明りあり



菫は早春の花ですが、今年ほどに全国津々浦々暖かだと、冬のうちに花をつける。既に咲いている暖かな地方があるだろう。これは冬菫で、冬菫という品種があるわけではない。暦では冬ながらも「すみれ」が咲くとほのぼのとした気分となり、なんだか「夢」「力」「幸」が出て来ると言う。
「冬すみれ」と繋がるか疑問ですが「希望」という「人生訓」を載せてみました。
健康コラム!!」
■五臓の働き 「反応」
人間の体ってすべてつながっています。「当たり前やん」ってつっこみ入れたくなったでしょ(笑)でも、ついついそれを忘れて部分的に自分の体を見ていませんか?たとえば、痒みが出たのは、ダニに食われたせいだ → そんなに部屋が汚れていますか?目が見えにくいのは、パソコンをつけすぎてるから  → 同じ時間使っても疲れがひどくないときもないですか?動悸がするのは、心臓がおかしいから→ 心臓が変化するほどの打ち身とかありましたか?症状が現れると
どうしても「症状=いや」なことを避けるため早く消し去ろうとします。
それはそれでいいのですが大事なのは、なぜ起こったかを思い返すこと。
たとえば、朝起きて頭が痛い→昨晩お酒をのみすぎたこれは、ピンときますね(笑)。では、これをよくたどってみると多くの水分(お酒)をのんだ・・・水分の代謝が追いつかない・・・全身むくむ・・・ 頭の中も水分過剰・・・頭の血管、神経の圧迫・・・頭痛という感じになります。これは、頭に異常があるんではなくて水分の代謝異常ってことが原因ですよね。だったら、原因にあった治し方をするとスッキリ早く治ります。こいうときは、頭痛薬ではないです水分を出す腎臓の働きをよくすることです。  予防薬剤師  わたなべ さとし


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蕗の盆栽

2007-01-19 18:32:26 | Weblog
蕗の薹土の匂ひが現にて


このところ、近くの温泉めぐりをしている。今日は家内の生まれ在所の「馬曲(まぐせ)温泉」へ行く、風呂上りに売店をのぞきますと「蕗の薹」の盆栽を売っていた。まだまだ冬のさなかなのだが、春を見ると思わず暖かな気持ちになりついつい買ってしまった。鼻を寄せるとツーンと懐かしい蕗と土の臭いがが伝わってくる。「てんぷら」「蕗味噌炒め」がふんだんに食べられる春が待ちどうしい。

仏の光明

2007-01-18 08:15:20 | Weblog
四温晴れ僧にいただく書に明かり




毎月お寺が連なる仏壇街で飲み会がある。私の楽しみのひとつです。先日の新年の例会でメンバーでお寺の住職さんが写真の書を出席者全員に下さった。
お寺さんの書を手にすると心新たな気持ちになる。「仏の光明は全世界に照らしさまたげるものは何一つない」。平素から、控えめの教養豊かな、なかなかの住職だと思っている方である。

餅男

2007-01-17 20:48:00 | Weblog
好きなりて半ば過ぎても餅を食う

餅といふ無垢を愛する我なりて


私は幼少のころから良く母に「餅男」と言われたものだ。それほど正月の餅が大好きである。元旦から三日はもちろん御雑煮にであるが、五日から今日まで毎朝餅を食している。「御雑煮」「おしるこ」「安倍川餅」にと何でもおいしい。家内などは呆れている。自分で御雑煮の具を多めに作っておいてはそれを暖めて焼いた餅にかけて三つ葉を添える。実にうまい。でも、年々量は少なくなっている。

火のまつり

2007-01-14 12:44:05 | Weblog
小雪舞う伸びよ育てよどんど焼き

どんど焼きどんどと雪の降りにけり

一茶




待ちに待った「道祖神まつり」が盛大に行われた。小雪混じりでしたが暖かな夜るだった。隣組長でしたので、この道祖神の製作には感慨深いものがある。山から心棒の切り出し、萱刈り作業から、道祖神の組み立てと区民総参加の作業だった。初孫(椋一)君の成長願ってのお祭りなので、我が家にとったり、またジジとしては最近に無かった最大のイベントでした。お隣の食堂での祝いの小宴にはパパとジジの知人、友人が沢山はせ参じてくれ祝杯を挙げてくださった。また、区内にある秋葉神社にて諒一君はじめ4人の「初おのこ」の成長を願って厳かに神主さまからお払いを受けた





初春の露天風呂

2007-01-13 08:20:39 | Weblog
遍くや鷹どうどうと露天風呂  




今年初めての雲上露天風呂である。冬の千曲川沿いの露天風呂湯滝温泉気候の寒さに川風の影響か寒い寒い、だがジックリと入っていますとそこは温泉、頬を打つ冷たい川風と一体となって心地良い寛ぎの温泉気分となる。広い空に目をやると鷹が輪を描いている。次に内湯に入り長く温泉を楽しむ。湯上りの生ビールがこれまた格別、本を詠みながらうっとりとしてきたのでごろりと昼寝としゃれ込む、一時間暗い眠ったかフト目が覚め、そこでまた温泉につかる、幸せ過ぎるほどに癒される時間であった。








新幹線がやって来る

2007-01-12 09:06:24 | Weblog
時を染めクレーンを染めて寒夕焼け



昨年の12月雪降るまえの新幹線工事現場

平成24年~25年の北陸新幹線飯山駅の開業に伴い急ピッチで新幹線工事が進んでいます。写真の工事現場は上越方面からのトンネを出て新飯山駅より500m位手前の現場です。長い間飯山市民に期待されていた北陸新幹線ですが、時代の進捗とこの地方が窮境に置かれている経済情勢を勘案すると、20年前の期待とは打って変わった模様を呈してるやに思う。いずれにしても新幹線開業に伴い、飯山市の将来に向かって、明快なビジョンの構築が大切である。

女性の心筋梗塞、喫煙で危険性8倍、熊本大調査