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ときめきの日々を過ごしたい

夏のわらび採り

2014-06-29 13:30:40 | Weblog

鈴の音を山に入りたる夏わらび                                                                                                               

 孫達は頑張って今年最後のわらび採りの日曜日だった。、この蕨の沢山採れる場所は、以前家内の生まれ在所のアスパラ畑であった。一家は須坂に家を構え越して、二十六年の歳月となる。その間畑を放置すると、自然に山が降りてきてすっかり里山となった。元からこのアスパラ畑の周りには「わらび」が良く採れていたのでアスパラ畑が里山となり「わらび」の群生地となった。十年位前から里山と化した元アスパラ畑を除草剤を蒔き「有機肥料」を入れると、里山が沢山採れる「わらび」山となり、わらびの収穫時期になると兄さん夫婦は須坂から来て蕨の収穫に忙しくなった。採れた蕨を全部、私の店で引き受けて販売を始めると、高山地のわらびは、やわらかく美味しくその上、安く販売したので大変評判となり、毎年、わずかですが兄さん夫婦の収入となり、お互いに張り合いが出来たようだった。以後、毎年わらび山に手を入れて収穫を楽しみにしていたが、私の店は諸般の都合で三年前に店を閉じることになり、その上、兄さん夫婦も年をとり、意欲が薄れてきた様子だったので、丁度良かったが、店を閉じても、毎年美味しい蕨を楽しみにしていて、都会の親戚に沢山送るお客さんがあり、要望が強いので、家内が、家の若夫婦の休みに手伝ってもらい、わらび作りを引く受けることになった。長い間お世話になったお客様ですので、最低限の御客様にお分けしている。

                      

 子供等をおだてあげての夏わらび

 

今日は末孫の「あーちゃん」もお手伝いしてくれた。家内におだてあげられたのか、お兄ちゃんの二人は、張り切って良く頑張って沢山収穫してくれたようだった。家内の実家はかなりの高地ですので平地の蕨より収穫時期が遅いですが、毎年六月いっぱいの遅くまで、やわらかい蕨が収穫できる。少しこわくなりますが、七月の半ばごろまで採れる。

                                        

  

 

             

 


馬曲川へ蛍狩

2014-06-28 13:48:57 | Weblog

        一つずつ星となりゆく蛍かな  (ラジオ放送から)

夜空から星ながれ降る蛍かな

家内の生まれ在所のの上は田圃がなく畑と山となる。家内いわく「私の小さいころは夏になると蛍が乱れ飛んでいた」と良く言っていた。近年は家内の家を含めて過疎化が進み馬曲川に山から流れ込む支流は家が殆ど無くなったためか、合成洗剤の含む生活雑排水がほとんどと言ってよいほどながれなくなり、その上、に残った人々は昔のように蛍が飛ぶように、川を汚さぬよう清掃に励み、家内が幼少のころの奇麗な川に戻ったと言う。河川や周りの自然環境が整備されると、当然のように自然界の摂理で、蛍の餌となるカワニナが育ち、稚貝がたくさん生まれるようになって、近年はまだ昔のように乱舞するほどではないが、夏の夜の風物詩の蛍が飛ぶようになったと耳にしていた。幾日前だったかつい先日、家内と孫達を連れて蛍狩に行って来た。お兄ちゃんは学校で蛍のことを勉強したのか光を放って舞う蛍を目のあたりにして少し興奮気味であった。末孫の「あーちゃんは」お爺ちゃん電気が動いているよと、興味津津であった。次男坊の「ゆうーちゃん」奇麗だね、どうして灯りが舞っているのと、質問攻めに会い、私は少し困惑してしまった。またいつか、昆虫網を持ってきて舞っている蛍を捕まえて、本物を見せてやらなければと思った。

 

 


一期一会の夏の雉

2014-06-27 11:00:23 | Weblog

 夏の雉一期一会の出会いかな

 昨夜は北信州の一体、かなり激しい雷が伴う大雨警報が出ましたが、一向に気配が無く静かな夜だった。。今日27日も朝から曇りのち雨との予報でしたので、毎朝歩行の為4時に目が覚めたが、一向に雨の気配が無いので傘も持たずに歩く。今朝は何時ものコースから外れ、珍しく千曲川縁を散策したいと思いたち、堤防をおり始めると、ふと、50m位先の、川べりの草むらを、雄の雉がゆったりと歩いている姿を発見、私は山国に住みながらこの年になるまで、野を自由に歩き回る雉に出会うのは二回目だ。今朝の雉との出会いは年から言って最後のような気がして一期一会とした。良くゴルフをやる方は、ゴルフ場で雉に会うのは茶飯事だと聞いていましたが、私はゴルフはしませんので、雉に会う機会は少ない。何時も何か珍しいブログの材料になる物を撮るためにカメラを持ち歩いている。何時もはコンパクトカメラですが、今日は偶然にも一眼レフの鞄を肩から掛けていた。早速望遠レンズに切り替静かに偲ぶようにして雉に近付いた。何時もはこんな珍しい光景に出会うと、興奮気味となり手が震えて撮りそこなうのがしばしばですが、今朝の雉を撮るのに割と冷静で、オートでなく絞り優先のAで撮って見た。私としては珍しく満足なカメラ撮影であったような気がしている。


和菓子屋さんの燕今年二回目の繁殖

2014-06-26 07:41:43 | Weblog

巣造りのさせてもらへぬ夏つばめ

燕らの生甲斐奪ふこと悲し

 先日ブログにしました裏の和菓子屋さんの御主人は、今年初めて育った子燕が無事に巣だったので、今度こそ心を鬼にして、二度目の子育てを許さないと写真の巣の中にピンポン玉を入れ卵を生ませないように知恵を絞った。その上、燕は黒の色を嫌うと言う情報を得て、ピンポン玉を入れた巣のとなりに、黒いナイロン袋をぶらさげた。悲しい燕は飛んで来てはいましたが、何処へ飛び去って行ってしばらく来なかったので安心しておりました御主人でしたが、ところが、さにあらずで、燕は御主人が知らぬ間に、ナイロンの裏側に巣を造り始めたのこと、御主人いわく、ナイロンのため巣を造ってもきっと滑る落ちるのに違いないと、私にナイロン袋の裏側を見せてくれた。なるほど燕は巣を造り初めていた。御主人はこの難関の巣造りが成功したら、もう諦めて許してあげるよりしょうがないと言っていた。はたして御主人と燕との知恵比べがどちらが勝利になるかと、かって気ままな立場の私は不謹慎ですが、興味しんしんである。


映画「阿弥陀堂だより」のロケ地(飯山)を訪ねてその2

2014-06-26 01:14:04 | Weblog


 映画「阿弥陀堂だより」のロケ地(飯山)を訪ねて----何方かのネットの記事を借用する。

このページは阿弥陀堂だよりのロケ地を訪ねてその1の続きです。先にそちらに目を通してくれたら嬉しいです。


正受庵
クリックで大きくなります。
  「名刹 正受庵」
臨済宗の再興者「惠端禅師」(正受老人)の庵で昭和35年県史跡となりました。
「全国古寺名刹百選」に選ばれています。
映画「阿弥陀堂だより」では
主人公 孝夫(寺尾聡)の恩師幸田重長(田村高廣)・妻ヨネ(香川京子)の
居宅として登場しました。

映画で登場したイメージそのままの質素で凛とした姿がありました。

正受庵入り口

正受庵内部
  入り口に石段があり、ここを昇ると、正受庵があります。
この階段の上で、ヨネ(香川京子)が、
重長(田村高廣)を訪ねてきた孝夫夫妻(寺尾聰樋口可南子)を見送るシーンがあります。

撮影には正受庵の内部も使われました。
この質素な座敷で、重長(田村高廣)夫妻が暮していました。
書をしたためたり、それから重長が臨終を迎えたシーンも、この座敷です。
映画内では庭側の障子が開かれて、
真っ赤に、燃えるような紅葉が
一枚の絵のようで印象的でした。
その紅葉は、私達が訪れた時は
まだほんの少し早かったようです。
でも、庵の縁側に腰かけて、空を見上げるとこの景色。
振り向いて座敷を見れば、
背筋の伸ばして凛とした重長先生と
柔和だけれど、芯の通ったヨネさんが
並んで座っているようです。
いつまでも、いつまでも佇んでいたい空間でした。
  ヨネさんに見送られる気分で正受庵を後にします。
二人はあと一箇所、見ておきたい撮影ポインがありました。
それは、小菅神社里社です。
映画を観た方は、
雪の降りしきる中でこの舞台の上で神楽を舞う祭祀のシーン
印象的ではなかったでしょうか。
その神楽殿が映画そのままの姿で実在するというので行ってみました。
小菅神社奥社は小菅山の上の方にありますが、
里社は集落の中にあります。
この長い階段を昇っていくと神楽殿があります。




映画そのままの「神楽殿」です。
映画では雪がかなり降っていて
この周囲で村人たちが震えながら
神楽を見守っていましたっけ。



神楽殿の上に上がって天井を見上げるカミさん。
頭に描くは勿論映画のワンシーンです。
  折角ここまで来たのだから・・と
最後にやっぱり「阿弥陀堂」に寄りたくなりました。
車を数分走らせて、阿弥陀堂に向います。
この間訪れた時と少しも変わらない阿弥陀堂・・
あれ?でも何か貼り紙が・・
それに驚いたことに、先日は阿弥陀様が「お写真」だったのに、
今日はピカピカ光った本物(?)が祀られていました。
貼り紙を見ると、どうやら今日、
阿弥陀様をここへお祀りする法要が行なわれたようです。
映画の撮影の時は本物の阿弥陀様が使われていたのですが
そのあとは写真だけになっていたのです。
なるほど・・いくらセットとは言え、
写真ではちょっと興ざめ・・と思ったのかもしれませんね。
でも、キチンと法要を行なうなんて力が入っています。
そうですね。この阿弥陀堂の雰囲気はセットを超えていますから・・
映画を観た者にとっては、もうこれは本物の「阿弥陀堂」です。


写真だった阿弥陀様が実物に・・
お供えのお花が置かれていました。
やはりお写真より、本物の方がいいです。


式次第の書かれた貼り紙が・・
午前中に訪れたら法要に遭遇したかも・・
  阿弥陀堂に上がってお参りをしてから、ふと振り返れば、
もうすっかり晩秋の気配の山々が見えます。
畳に置かれているのは、箱に入った小さなノート。
そこには、たくさんの此処を訪れた方の想いが綴られていました。
皆さん、ここで静かにエネルギーを充電されたようで・・なんだか嬉しくなりました。
さあ、私達も帰りましょう。
きっとまた、近いうちに訪ねたくなる・・そんな予感がしています。

                                 
   
 
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映画「阿弥陀堂だより」のロケ地(飯山)を訪ねてその1

2014-06-26 01:08:04 | Weblog

 

映画「阿弥陀堂だより」のロケ地(飯山)を訪ねて----何方かネットの記事を借用する。

このページは阿弥陀堂だよりのロケ地を訪ねてその1です。その2もご覧下さい。

 

2002年の10月に封切られた「阿弥陀堂だより」
ご覧になった方も少なくないのではないでしょうか。
この映画のロケ地は北信濃飯山・・菜の花を見に、毎春必ず訪れる美しい地です。
阿弥陀だよりで静かな感動を味わった二人・・
お梅さん(北林谷栄・91歳の名女優)の住んでいた阿弥陀堂のセットが
そのまま残されていると聞き、是非訪ねて見たくなりました。
 
             「阿弥陀堂だより」を観ていない方のために

(内容)
孝夫と美智子(寺尾聰・樋口可南子)の熟年夫婦が主人公。
美智子は優秀な医師として大学病院で働いていたが、ストレスのためにパニック障害になってしまう。
二人は孝夫の実家のある長野で新しい生活をはじめる事にする。
大自然の中で暮し、美しい四季や暖かい人々の心に触れ、徐々に本来の自分達を取り戻していく。

(解説-阿弥陀堂だよりHPより抜粋)
撮影は長野県飯山市を中心とした奥信濃と呼ばれる地域で行われた。
監督と小泉組のスタッフが、古くからの日本の原風景が残る場所を、と探し出した場所である。
この地で約1年間、撮影日数にして100日以上に及ぶ長期撮影を敢行。
1年間の定点観測的な撮影、のべ600人近い地元の人々のエキストラ出演などが、
より現実に近い空気感を生み出し、そこでの出来事を一緒に体験したかのような気持にさせてくれる。
四季の移ろいと共に見られる風景、祭り、行事、そして季節の風物詩が、
誰もが懐かしいと感じてしまう不思議な想いを産み出していく。
日本人の心の故郷を映像化したような、そんな不思議な感動を与えてくれる。
 
阿弥陀堂のセットが残っている場所まで数百メートル・・まで
車で行くことができます。
ちょっと山道で、幅もさほど広くありませんが、
交通量もほとんど無いので大丈夫。
ただ、ご近所のお年寄りがカートを押して歩いていたり
道の半分くらいを使ってゴザの上で
穀類を干していたりするので
運転には充分お気をつけくださいな。
  小さな駐車場に到着です。
駐車場と言っても、この地区の集会場の前の空き地です。
集会場にトイレがありますが、ここから先はありません。
先にトイレをお借りしていきましょうか。

阿弥陀堂までの地図がありました。
この坂を登って行けば良いんですね。
さあ、行きますよ!
阿弥陀堂に行く途中でいくつもの石仏に出会いました。
この石仏は阿弥陀堂より更に上に登る山道に点々とありました。
ひとつひとつに願いを込めてお祈りしながら歩きます。
苔むした石仏は何も言わずに秋の北信濃の風景の中に
ひっそりと溶け込んでいます。
この石仏さん達にはモデルになってもらったので
後で別ページでご紹介しましょう。
ススキが風に揺れる中を私たちは阿弥陀堂に向って歩きます。
  あ、こんな立て札が・・
うふふ、面白いけどここまで書くなら
下手でもいいから
手書きの看板の方が雰囲気が出て良いのに~・・
道を右に逸れたところに・・あ、ありました!
阿弥陀堂です。
確かに映画でお梅さんが守っていた
あの阿弥陀堂です!
カミさんは思わず走っていきます。
それは、もう遙か昔からそこにあるように、周囲の景色と溶け込んで存在していました。
茅葺き屋根も雨戸も・・何もかもが時を重ねてそこにあるように・・ひっそりと佇んでいました。
映画のセットだなんて・・今にも腰の曲がったお梅さんが顔を出しそうです。
  「ごめんください」
そう言いたいのですが、お梅さんは不在のようです。
「ただいまお梅さんは留守にしています。
下の休憩小舎にお立ち寄りください」とありました。
お留守の所、すいません。
ちょっと失礼します・・あ、その前にお梅さん、
ちょっと裏の方を見せてくださいね。
阿弥陀堂のすぐ横にこんな小さな建物がありました。
なんだかわかりますか?
そう、厠です。厠・・わかりますよね、トイレです。
お梅さんのために孝夫が作った厠です。

木戸を開けようとしたら、開きませんでした。
中はどうなってるんだろう。
「何もないよ」とダンさん。そうかなあ・・とカミさん。
上の空いてる所からそっと覗いてみたら・・ふふ
穴が掘ってあって足を乗せる板が2枚・・
ちゃんと渡してありました。
間違いなくお梅さんの厠です。
  阿弥陀堂の横には
こんな土間(台所)の部分もありました。
此処でお梅さんが漬け物を漬けたり
煮炊きをしていたのですね。
さらにその横には・・

かまどの脇の煙突は
ちゃんと屋根の上に突き出てます
これは・・お風呂ですね!
使い込んだ感じの風呂蓋もちゃんと付いていて・・
お梅さんの入浴シーンはなかったけれど
こうして生活感をちゃんと表して・・
お梅さんが確かにここで生きて・・生活しているのです。
なんだか、ジンと胸に迫るものがあります。
さあ、ちょっと失礼して、阿弥陀堂の中にも入らせていただきましょう
  正面に阿弥陀様がおられます。
と言っても、今はお写真。
映画では飯山のお寺からお借りした
仏様がいらっしゃったのです。

思わず正座してお祈りをします。
同じ気持ちの人達がいるのでしょう。
お供えのお菓子がありました。
阿弥陀様の後ろには
仏様になった人の札がかけてあります。
勿論セットですが・・
でもよく見ると・・
木札の一枚一枚の色が違うでしょう。
最近のモノはまだ真新しくて・・
こんな細かな所にもこだわりが感じられますねえ。
そこがまるで映画でなく
実際の生活を垣間見ているような錯覚を覚えます。
いいえ、錯覚なんかじゃなくて
ここには確かに「人の気配」が感じられます。
  阿弥陀堂から遠くを眺めます。
千曲川もハッキリと見えます。

都会の生活に疲れた美智子さんはここでこうして景色を見ながら
どんなに心を癒された事でしょう。
傍らには優しいご主人がいつも寄り添って・・
お梅さんの節くれだった手で煎れてくれたお茶を飲みながら・・

じっと座っていれば、気分はもう樋口可南子です(笑)

でも、いつまでもこうしてるわけには・・
そろそろ おいとましましょうか、孝夫さん・・違った、ダンさん。
  帰りは駐車場まで来たときとは違った道を歩きましょう。
遠くの山々を見ながら手をつないで歩けば
いつまでもこの道が続けばいいと思ってしまいます。

稲がスッカリ刈り取られた棚田が続きます。
少し前なら金色に輝いて、さぞかし美しかったでしょう・・
またそんな時期にも訪れたいねと話しながら歩きます。
  下の写真は同じ村の中にある「神戸(ごうど)のイチョウ」です。
この付近もロケに使われたところ。
村の子供達が夕焼けに赤く染まる畦道を
「夕焼け小焼け」を唱いながら帰るシーン。
美智子はそれを見送りながら
「悲しくないのになんで涙が出るんだろう」と孝夫に呟きます。

そのシーンで映っていた大銀杏がすぐ近くにありました。

長野県の天然記念物
周囲13メートル高さ36メートルの大銀杏。
現在日本一と言われる岩手のイチョウと大差のない大樹。

幹の太さが判るでしょうか?
イチョウを守るために周りに綱が張ってあり
樹に触れることはできません。ちょっと残念。
  私たちが訪れたときはまだイチョウは緑のままでしたが
いつか金色に色づいたイチョウを夕焼けの中で見たいと思いました。



さあ、今日はそろそろ帰りましょうか。
まだ見たい所もありますが・・
孝夫の恩師が住んでいた庵。
雪の中で祀祭の行なわれていた舞台・・

でもそれは、又の機会の楽しみに・・
きょうは、阿弥陀堂を訪れた・・それだけで満足いたしましょう。


後日、二人は再び飯山を訪れました。
「阿弥陀堂だより」のロケ地を訪ねて2をどうぞ。
       
 
 
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映画阿弥陀堂だよりのセットを描く。

2014-06-25 07:12:10 | Weblog

老鶯やこの世あの世の阿弥陀堂

弥陀堂だよりの映画シーン(ネットから)

例の「北竜湖芸術フェステバル」に出品する水墨画に北竜湖周辺を撮って来た私の写真を元に教室の面々が先生の指導の元、デッサンから画きはじめた。写真を撮って来た本人が、どの写真を画にしたら良いのか迷いに迷ったが、数年前、飯山市がロケ地となって全国の人達に感動を与えた映画、 「阿弥陀堂だより」の、北林谷栄さんが演じた、おうめ婆さんの阿弥陀堂のセットそのままを映画の記念に「棚田百選」に選ばれた瑞穂地区の三辺新田の景観の良い場所に設置されて、13年も経った今でも観光客がぼちぼちと訪れては「阿弥陀堂」にお参りして下さっている。その阿弥陀堂を二枚の写真にし、先生に選んでいただくと先生は下の写真を縦に描いたら良いと指導いただく。先生の御指導では画を見る人は「阿弥陀堂」に目が集中するから阿弥陀堂をしっかり画きなさいとのことだった。                                             

夏を画くうめさん眠る阿弥陀

                                          

                                     

 

 

 いよいよ画きはじめると、私には周りの木々の光りがあたる部分とあたらない部分との濃淡が難しく感じ、その上一枚一枚の葉の表現がかなり大変だと思う。今回の「阿弥陀堂」の画は、先生に指導いただきながら何枚も画かないと見られるような画が仕上らないと思う。何だか気が重い「よーし」と言う何時もの意欲が湧いてこないでいる。

初め句「老鶯」(ろうおう)は夏の季語で「鶯」は春の季語です。

 

 

  

 

                                                     


束の間の梅雨晴間

2014-06-24 05:44:11 | Weblog

陽を集め濃き葉の艶梅雨晴間 

 昨日の天気予報では束の間の梅雨晴れの日と報道された通り、久しぶりに青空が覗く良い天気に恵まれた。涼しい風もあり快適な梅雨晴間となった。また、今日から梅雨に戻るとのことでしたが、午後一時現在は昨日ほどスカッとしておりませんが、私の部屋の窓から時おり心地良い風が入ってくる。こちら北信州は梅雨と言っても曇ったどんよりとした日が続きましたが、東京はじめ南の地方のように大雨は降らなかった。空梅雨と言っていいほどだと思う。俳句教室の仲間で何時もお世話いただいています「利之」さんの「坂城」地方も雨が少なく、やはり空梅雨の模様のようだ。写真は何時もリハビリに通う日赤病院の入口の欅並木ですが、久しぶりに陽を吸い生き生き艶々として、風になびいていた。


リハビリ療養、鹿教湯温泉の蛍狩

2014-06-23 05:43:09 | Weblog

 蛍火の宙にらくがき鹿教湯の夜

恋はたる吾肩に舞ゐ降りしかな

 

脳梗塞を患い、リハビリ療養生活の鹿教温泉での夏の夜、同室の足の不自由な仲間同士で、杖を頼りに励まし合いながら、一歩一歩噛みしめるように歩いて、文殊堂に繋がる坂を下り、内山川の趣のある屋根付きの五台橋周辺に乱舞する蛍狩の思い出が、走馬燈の様に脳裏に浮かんで来る。今思うと十六年という長い月日が、昨日のことのように思うことしばしばである。それだけに一生忘れることが出来ないリハビリ療養生活であったと思う。鹿教湯温泉以来、嬉しいことに再発が無く、感謝の日々である。以来、鹿教温泉での療養生活が私の人生の再出発と定めた。そんなわけで都合のつく限り、家内と数回となく再出発の地、鹿教湯温泉を訪れている。その後、六人の同室の病友の三人と年賀状のやり取りは欠かすことが無い、特に上田に住むYさんこと、自称「ろくさん」からはチョクチョク私のブログにコメントをいただき、「ろくさん」の近況が把握できていることが嬉しい。

 

 

何時も訪れる鹿教湯温泉は蛍が舞う頃と決めている。五台橋を渡る度に深い神秘感を感ずる。その上に、この橋に浴衣姿の奇麗な女性の佇まいが絵になるだろうと思う。今年は孫の次男坊が「漏斗胸」という胸が凹んでいる病気があるのでつい先日、安曇野の県立子供病院で手術をしていただいた。幸いに手術は成功でした。が三ヶ月は無理な運動が出来ないので、幼稚園は行けなく自宅待機とのことですので、今年の鹿教湯温泉行きは諦めなければならないだろう。

 

   

 

 

  

 

 


映画 春を背負って

2014-06-20 05:59:50 | Weblog

 それぞれの重き人生背負ふ

 

 以前から見たいと願っていた映画「春を背負って」は、私の青春の一ページ「立山蓮峰」登山と重なっていましたが、体調の維持から冬期間から長野での「俳句教室」は出席しなく投句のみだったこともあり、いまひとつ長野まで出かけることに躊躇していましたが、ブログで御付き合い戴いている京都の「kei」さんが観賞されて、keiさんのブログから感動が伝わり、躊躇することなく、昨日「長野グランドシネマーズ」へ観賞に行って来た。映像が専門の「木村大作」監督の立山蓮峰の映像だけでも感動しましたが、その上に、「人は皆、何かを背負って生きていくしかない」という木村監督の人生哲学が描かれ、出演者、一人一人の人生の過去に大きな重みを背負って、それを克服しようと山に生きる姿が家族のように一丸となるプロセスが、ヒシヒシと感じ取ることが出来て、久しぶりに心が洗われた。

 

 

 

 

 

 

 


たぬき一家の出現

2014-06-18 16:35:34 | Weblog

 

 風流にたぬきの一家ながめをり

 

 今日は水墨画教室の日、今日から「第五回北竜湖芸術村」フェスチィバルに今年から私達「水墨画」も参加することになり、私が撮って来た北竜湖周辺の写真を元にそれぞれの皆さんがおのおの、先生の指導のもとに画を描きはじめたようであった。私の教室のなかから入賞者が一人でも多く出ることを願う。皆が真剣に作品に没頭中に、突然先生が「たぬき」か「むじな」が見えるよ、と言いだした。そこで皆さんは手を休めて、出現した四匹の狸と思われる動物にしばらくの間釘附けとなる。狸の一家だ、だむじな一家だと二分となって、いろいろ議論した結果「狸」となった。

俳句歳時記では、「狸」 は 冬の季語で、全国で見られる雑食性動物。古来おとぎ話などで馴染みが深く、冬に狸汁などにされるとあった。また、昔は食料のなくなる冬に、狸は人里に下りてきていたのでしょう。それで、冬の傍題に、「たぬき・「」(むじな)となったのであろう。最近では、のべつ幕なし、一年中見かけるようになった。それは山に餌がなくなったのと、人里には人の捨てるゴミなどの餌が豊富にあるからだろう。あちこちに、餌付けされて人懐っこくなった狸もいるようですので、季語はいつでも良いようだ。丁度今日のブログに「水墨画教室」の様子を書こうと俳句に的を得てなから詠んで推敲の段階でしたので、カメラを持ってきていた。偶然にも狸一家を撮ることが出来、急遽今日のブログの話題は「狸の一家」の話題となった。餌が充分に満たされているのか丸々と太った狸一家でした。俳句教室のブログはまたの機会としよう。


新幹線飯山駅前商店街の計画進まず。

2014-06-16 08:15:41 | Weblog

 梅雨寒や顔無き街の新幹線

新幹線未来に梅雨の寒さあり

 

 北陸新幹線(ながの新幹線)の金沢市までの延長がほぼ完成となり、来年三月に開業となる。飯山市は長野県最後の新駅となり、この新幹線開業に周辺のスキー場初め温泉地などの観光地の期待はかなり大きいものがある。以前から新飯山駅前に市が計画している写真の市所有地(3000㎡)にパチィオ型の商店街形成を計画し、地元初め近隣の地域に出店者の募集をしているが、来年の開業を控えているにも関わらず、未だ出店者の希望がないと言う。あせった市は、期間を決めて土地の賃貸料無料、固定資産税の免除など思い切った施策を講じたが、問い合わせがあるようですが、今だ具体的に決定となった出店者が無いと聞く。長期に渡るデフレ不況の上に、近年めじろおしの郊外型大型店の出店により既存の商店の力の衰退が大きな原因と思いますが、一番は、やはり役人仕事、的確な情報を得る手段をオペレーションし、役所特有の待ちでは、何も前へ進めない。商工観光課だと思いますが、市の担当者の責任は大きいと思う。2~3件の店の開店だけでは商店街として形成しない。肝心な駅前商店街の計画が実行できないと、飯山市は大きな恥を晒すこととなる。市長先頭に職員が肝に銘じて駅前の顔造りに専念しなければならないと痛切に思う。


梅雨晴の満月を期待する

2014-06-15 15:23:08 | Weblog

梅雨晴間夜空に映える月舞台

 昨夜は晴れていれば満月となる日だ。満月は約29日の周期で繰りかえされる。毎日の行動計画を月の満ち欠けを参考にして決める人が増えているとネットか新聞で見た覚えがある。昨日の良い天気でしたので、これは梅雨の晴れ間の満月に会えるかなと期待していましたが、夕方七時ごろから、昼間の青空が一転して四方八方から雲が湧きでて来た。これは、満月に会えることが出来ないと諦める。そこで、来月の満月は七月十二に頃だ。この頃になると、梅雨も明け青空が期待できると思う。私は近年満月に会うことを一つの生甲斐としているところがある。あの欠けることが無くまんまるい月をみると、健康そのものに結び付く、健康がそのまま私の身体に浸透するような気がするからである。


中野市一本木公園薔薇まつり

2014-06-14 09:28:14 | Weblog

手をつなぎ薔薇をくぐりし老夫婦

公園にセラピー満ちる薔薇まつり

 

 

  

 

  

中野市の一本木公園に、850種2500株のバラが次々と咲き始め、見頃を迎えた。毎年薔薇の香りに癒されたく薔薇まつりを欠かすことなく見に出かけている。このところの高温続きで薔薇の花は遅めかなと思い思い出かけた。この数年で随分広くなった駐車場はウィークデーとはいえいっぱいだった。訪れた人たちは、私と同様に、かれんな花々の共演と優雅な香りを楽しんでいる様子が伺われた。今日十三日、バラ育種家から寄贈を受けた新種の薔薇の名称を公募すると(市内外から二百数十点が寄せられ、七人が応募した「なかの小町」と決定、そこで今日十三日にバラまつりを開催中の一本木公園内の花壇に記念植樹として池田中野市長が植樹すると園内でアナウスしていた。また、全国の自治体が加盟する(ばらサミット)」が12日、13日と中野市で二日間の日程で開催された。同市のほか、県内外から8自治体の首長らが参加。それぞれ、バラをどのようにまちづくりに生かしているかを発表したと報道していた。この中野市の薔薇まつりは、年々再々と賑やかになることを感じ取った「薔薇まつり」だった。


 


燕が孵る。

2014-06-11 10:55:15 | Weblog

 よき事におすそ分されつばめ来る

電線に旧知のつばめ来たりけり

                                     

 いよいよ傍の和菓子屋さんの燕が今年初めての繁殖に成功した。何時だったの        かさなかではありませんが、今朝歩行から帰りすがら、お店の駐車場件倉庫の前を通ると、餌を待つ小さな燕の姿が目に入った。燕は和菓子屋さんの駐車場の車の上に作るもので、巣の下に糞よけを作っても、どうしても車が汚れるようだ。今迄は御主人は朝早く工場へ行っていたのでシャッターを開けるのが早かったのですが、経営を息子さん夫婦に任せてから工場へ行く時間が遅くて済むようになったという。そんなため朝早くから餌を運ぶ親鳥の為に、シャッターを開けてやり、それから休み直すとのことだ。御主人は、今年こそ燕の巣を作らせまいと、心を鬼にしてシャッターを開けてやるまいとしたそうですが、渡来してきた燕はシャッターの前へ飛んで来てはせつなそうな声で鳴くので、ついつい、やさしい意御主人は、気の毒になりシャッターを開けて駐車場に巣を作らせてやったと言う。もう二回目の繁殖はさせないと言っているが根はやさしいい御主人のこと鬼になることは出来ないと思う。昨年もこんなことを言う御主人のことをブログにしたような気がしている。

 

 

 

 

 子燕は何羽孵ったのか、分かりませんが、巣にカメラを向けている私に気がついたのか、餌を口に含んで運ぶ親ツバメ夫婦は道向かえの電線でジット待っていた。人間は子育てを放棄する親がまれにあるようですが、けして子育てを放棄しない燕の方がよっぽど偉いと思う私であった。