ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

中国に中東の風燻ぶる

2011-02-28 13:41:19 | Weblog

中国に中東の風二月尽

今朝の朝刊に大きく「中国、集会阻止10人連行」と見出しに乗った。内容は「上海市では、警察当局が通行人の排除など規制を強めたが、警察を取り囲むように3000人以上の人だかりができて一時騒然となった」とあった。思いだせば、1989年に、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧し「天安門事件」として歴史に残る惨事を忘れることがない。また当局は民主化集会を阻止するためTwitterや Facebookなどネット初め外国メヂィアに対する規制を一段と強化。「一党独裁」という国民を無視した、中国の強硬姿勢を垣間見た。


小鳥囀る山の温泉

2011-02-27 18:14:13 | Weblog

囀りの溢れて山の露天風呂

 待望の春の再来と暖かい西風により、冬の厳しさがゆるみ、誠に爽やかな日が続く。久しぶりに家内と家内の生まれ在所木島平村の馬曲温泉へ出かけた。偶然に間が空いたように、お客さんが少なくなりましたので、雪解け初めの春の絶景を写真に治めることが出来た。正面奥の山々には木島平スキー場が悠々と望まれた。あともう少しでスキーシーズンの終わる季節となろう。3月7日の俳句教室の兼題は「囀り」「木の芽」「草の芽」を戴いてる。もう少し遅い時期だったかさなかではないが、数年前の初春にこの温泉に浸かって四十雀らしいと思われる小鳥の囀りが、かなりの遠くの方から聞こえてきたことを思い出して、その囀りが又聞くことが出来たらと期待した馬曲温泉でしたが、その期待がはずれましたが、春のひんやりとした風と暖かい温泉がミックスした、初春の露天風呂にゆっくりつかり満喫した一時でした。


 


辛夷の芽

2011-02-26 17:32:22 | Weblog

青天を突き刺す如く辛夷の芽

癒え近し辛夷も花芽ほぐれそめ

 

歩く道筋に「こぶし通り」と名が付いた300mほどのロードがある。この道は数年前冬期国体が開催された時整備されたとても綺麗な街並み形成です。道沿いの両側の歩道に辛夷の木が植わっている。その上には真っ青な春の空が広がっている。その青空に白く染まり始めた辛夷の木の芽が今にも飛び立つかのような躍動感があった。ほころび始めた元気な辛夷の芽を見て、私もなんだか元気が湧いてきた。


吊るし雛

2011-02-25 15:02:08 | Weblog

はんなりと競い揺れたる吊し雛

 

何時も寄る喫茶店に「飯山吊るし雛」が飾ってある。今、商店街を上げて各店頭に歴史があり、趣きのある御雛さんを飾ってお客さんの目を楽しませている。この喫茶店の吊るし雛は地元の主婦の手造りだそうだ。何処に特徴があるかは喫茶店の方も知らないようだけど、歴史のある城下町の「飯山吊るし雛」だとのこと、今日は小雨の降る暖かい北信州でしたが、明日から気温10度も下がる冬の季節に戻るようだ。これから三月にかけて日々の気温の差が激しくなると言う、暖かい日から急に寒くなると「心筋梗塞」「脳梗塞」の発生率が高いとテレビ報道していたことを思い出した。


春を待つ

2011-02-24 15:20:04 | Weblog

頭より大きな口で春といふ

我妻民雄

掲句は新聞の「けさの一句」だ。春が来るのを待ちわびている雪国の人々の実感が、たちまち声となった。突如発した雪国の春への感嘆だ、はつらつとした生命力を感じさせる。「俳句は三尺の童にさせよ」と芭蕉は言っている。純粋な子供のようにみずみしい感覚がある。作者の感情豊かな感性は深い。正に雪国の私達の心境だ。ようやく、この2~3日の陽気は春以上を思わせる上天気だ。


俳句教室

2011-02-22 12:49:06 | Weblog

特選句 いくすじも金色の日矢春の沖  悦子

特選句 猫ばかりかまひたる妻春隣     哲彦

 特選句  五十年の婚の円居や春障子  洋子

特選句 春の雨乏しき語彙の詩を綴る  忠男

特選句 春の海どこまで夕日広がりぬ  ゆり子

準特選  春の宵父の日記に悼みをり  正義

(一四年前亡くなった父の病床日記)

上の句は昨日の俳句教室の掲出句ですが、私の句は思うようにいきませんでしたが、一句だけ準特選に選ばれた。うれしいことに各々三句を選句するわけですが、私が選句したうちの二句、悦子さんと洋子さんの句が特選句に選ばれた。この頃私の選句した句がよく特選句に選ばれる。六十句位の中から特選句五句と準特選句十句、あと普通選と選ばれない句があります。先生がおいでになる前、僅か2~30分で選句しなければいけないので全て目を通すことが出来ないで選句してしまうことがある。先生いわく、選句も俳句を理解し上達するには大切なことだと指導される。また、選句理由を先生から聞かれる。俳句教室に入れていただいて一年と数カ月ですが、やっとのことで何とか皆さんの後ろから付いていていけそうな気がしてきた。


乗り越し

2011-02-21 18:13:48 | Weblog

春眠の二駅越してしまいけり 

やってしまった。俳句教室の帰り飯山線の車内で気持ち良くなり居眠りしてしまった。気がつくと一駅超えた北飯山駅だった。慌てて降りようとしましたが、すでに遅しで、汽車は動き出してしまった。結局、信濃平駅で降りることになった。暖かい車内、それに外は日本晴れの最高潮だ。車内で今日の俳句教室で句友の掲出句を一句一句に目を通していたら、うとうとと気持ち良くなり眠ってしまったという分けだ。どう戻ろうかと思案したら、ふと、駅前の知り合いの電気工事店を思い出し、助けを求めようと思っている矢先に、知人が車を止めて<何でこんなところでうろうろしているんだね>と声をかけてくれた。<私は頭を掻き掻きこうこうシカジカと話をしたら>知人は暖かくなると良くある話だと笑いながら<丁度飯山へ行くところだから乗りなさいよ>と言ってくれた。世に神さんと仏さんがいるもんだとつくづくと思った日でした。


優男の酒の宴

2011-02-20 21:46:23 | Weblog

種を蒔くこと忘るるな優男

今宵は古希を迎えるか、古希の半ばの黄昏た優男の集まりがあった。世俗から離れ、無責任のおっさんどもが、わいわいと酒を飲み交わし、好きなことを笑いながら言い合う。私も楽しみにしている飲み会だ。このメンバーは若かりし頃は、商店街初め街の発展を願って活躍し、高度経済成長のまった中を謳歌した連中だ。お酒が入ると決まってあの良き夢のあった時代にスイッチバックし、いろいろ活躍した思いで話しとなる。その後、失われた20年といわれるように景気の落ち込みと、郊外の大型店の進出で止むなく商売をやめたり、転職した者がいる。中には亡くなった者もいて、年々仲間が少なくなっていくことを危惧している私でが、いずれにせよ、良き仲間を持ち、上手いお酒を飲めることがうれしい。いくら黄昏た優男でも仲間はこんな心境だと思う。

 

みとくさ新聞二月 号より(蓑虫は秋の季語)

 

 


尊敬する先輩の死

2011-02-19 18:19:38 | Weblog

尊人の天道歩む春の雨

 

若い時代から長くお付き合い戴き、色々な方面で御指導いただいた尊敬する大先輩が逝く。若かりし頃、日本の将来、また、この地方の発展を語り合った大切な人だった。私の周りの尊敬に与えする先輩が次々亡くなる。多くは語りたくない心境ですが、寂しいの一言に尽きる。


能登の間垣

2011-02-18 19:02:11 | Weblog

今宵はも能登の間垣の嘯くか

堤 保徳

上の句は俳句結社「岳」の主宰(宮坂静生先生)が「岳」二月号で特選句に選んだ句です間垣は冬の日本海の強風から家屋を守るため 屋敷の海側を竹などを利用して囲っているもの 西保海岸に面した大沢、上大沢地区で見られます。冬は暖かく自然と共存した生活の知恵だ。句の「間垣」は宮坂主宰が主張する「地貌季語」とのこと、歳時記では「間垣」は季語としてない。従って俳句会では通常季語ではないが、先日の酒井和子さんの(葦簀を張り)のように宮坂主宰は「季語の誕生」という題で「岩波新書」から本にしているほどの魂をの入れ方だ。季語は時代時代により失うものと生まれる季語がありますが。今、俳句会では「宮坂主宰の地貌季語」に注目が集まっている。このごろ主宰は「地貌季語」の句を優先的に特選句にしているような気がしています。

 


大好きな目刺

2011-02-17 19:35:02 | Weblog

木枯らしや目刺にのこる海の色

芥川龍之介

4日前居酒屋で酒友と調子に乗りすぎて少し体調を崩した上に風邪気味となり、家族と雪まつりにも行けずおとなしく留守番とあいなってしまった。以来4日間晩酌を断っていましたが、ようやく風邪もなおり、調子を取り戻しましたので、早速、大好物のいわしの目刺を肴にした一杯が最高である。「お酒やめたんじゃないの」と家内は不機嫌だ。こちらは言われることは承知のすけ、いくら「病気の総合商社」でも好きなお酒をやめたら生きている甲斐がない。これでも晩酌は2日~3日置きの楽しみにしている努力家だと自負している。晩酌の出来る日は朝からルンルン気分の酒飲みである。大好物の目刺なのに良い句が浮かばない。仕方なく芥川龍之介の句をお借りした。また句が浮かんだら差し替えようと思う。

                            春の宵目刺肴に酔ゐ心地                                                   


最後の追い込み

2011-02-16 17:01:24 | Weblog

悶絶や吾一人なり春の展 

3月2日からホクト文化会館(長野県県民会館)で開催する長野県水墨画協会北信支部の展覧会に出展の為、私共(水墨会)のメンバーは最後の追い込みに追われながらも。ほとんどのメンバーが仕上がりに入っている中、私一人だけが嘆き状態だ。この頃いろいろ考えることがあってのせいか、どうも集中力が足りない。こんな時はあせればあせるほど、上手くいかない。書き直しの連続だ。今日の教室で先生は私の状態を察したのか、慌てずに少し間をおいで描いたらどうだ。と指導された。また、気を取り直して少し間をおいて挑戦してみようと思った次第です。


リハビリ

2011-02-15 19:41:32 | Weblog

動かせぬ指おのづから懐手

 今日みたいに寒い時は麻痺している左手はどうしても動きが鈍くなる。先生にリハビリしていただいた後の2~3時間は良く動くような気がしますが、年々麻痺している左手指の動きが鈍くなっているような気がしています。今年から介護度が変わり要支援2から1になってしまった。従って一ヶ月8日のリハビリが6日に少なくされてしまった。早12年も国民の御負担になっていますので、仕方ないことだと思う。幸いにして病院が近くにあることに感謝しなければと思う。今地方は交通弱者が多い。ある御老人はリハビリに通うに少ないバスの時間と予約時間が合わなく、急用など出来た場合は片道5000円かかるハイヤーで通って来ているという話を聞くにつけ大変なことだと常々思う。

 


バレンタインデー

2011-02-14 15:02:34 | Weblog

チョコの木があればとバレンタインデー

  東京の孫からのプレゼント

私はバレンタインデーやホワイトデーなどという、チョット照れくさそうなことは若い時代は勿論いまだ馴染まないでいる。歩く帰り道に楽しみに寄る、何時もの喫茶店へ顔を出すと、カウンターで珈琲を出してくださる友人の奥さんが、私の気持ちですと、コーヒー皿の端に小さいチョコレート二個を添えて下さった。察するに、この奥さんの個人的なサービスのようだので、奥さんの気持ちをうれしくいただき、暖かい気持ちになった。奥さんは数人の常連客に全部プレゼントしたならその負担はばかにならないだろうと思ったとたんに比喩した掲出句が浮かんだ。家に帰ると、玄関先に東京の孫達から写真のチョコレートが手紙を添えて届いていた。これもまた「ほんわり」と暖かい気持ちとなった。ホワイトデーは一か月後の3月14日のようですので忘れないようにしなければと初めてそんな気になったバレンタインの日でした。