ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

金婚で兄さん夫婦に招待される。

2017-07-27 06:50:08 | Weblog

 

      金婚を寿ぐ夏の一(ひと)夜かな

     

 

  

 私ども夫婦は昭和42年の結婚であるから今年の11月23日(勤労感謝の日)で丸50年になり、金婚ということになる。商人に家でなに不自由なく育った私は、我儘一杯で、家内に随分と迷惑をかけた上に嫌な思いをさせたと思う。家内は私の我儘に良く耐えて頑張ってくれたと、いまでは感謝の気持ちでいっぱいである。先日の二十五日に家内の兄さん夫婦が、私たちの結婚五十年を祝って、前祝いで澁温泉旅館に招待してくださった。家内の兄弟は、家内の実家の兄さんと二人だけの兄弟である。しかも兄さんと家内とでは、十二年の差がある。従って義兄さんは、おん年八十四歳になる、その連れ合いの義姉さんは八十二歳だと思う。義兄さん夫婦も元気でよく頑張ってこられた。私どもは、義兄さん夫婦の金婚に御祝いなどしてあげなかったのに、気を使っていただき誠に恐縮しながらの楽しい温泉の一夜であった。

  


親友会 飯綱高原にて

2017-07-26 07:14:33 | Weblog

 

      緑陰に憩ふ初老やまたたのし

      涼しさや笑顔あふれる友の顔

 

  昭和三十五年に卒業の同級で地方にいる友人がこうして年に数回集まることが、私の楽しみの一つである。光陰矢のごとしと言うが、月日の経つのが早いもので卒業して早58年過ぎたことになる。この楽しみの集まりを企画し段取ってくれる君は、運動部で私と同じ釜の飯を食った仲の君である。それぞれが彼の努力に感謝している。どんなことでも誰か段取ってくれないと実現出来ないものだ。この日、飯綱高原での集いに参加して、会議などで予定のある友人二人が途中で早く帰ったので、この日の集まりは総勢13人であった。女子を除いて、まだ現役でバリバリ働いているものが大半であるが、中には、私みたいに引退した者は二人だけだ、しかも、一人の友人は仕事から離れてはいるが、ボランィア活動で張り切っている。私もボランィアと思うのですが、病気持ちではなかなか困難である。従って現役の友人と、私みたいの者では、話しの豊富さが違う。情報の沢山持った友との出会いがまた楽しい。

 

 

 

 

 

 


信越トレイルが静かなブームに

2017-07-21 08:37:19 | Weblog

 

みどり差す背中の張りにより軽き

 

 

 

本日からまた話題がありましたら、ぼちぼちとブログを再開したいと思います。よろしかったら御訪問下さってコメントいただければ幸いです。今、新幹線が開通してから、都会のシニアの人達に信越トレイへの挑戦が静かなブームとなっていると聞く。都会のシニアの御夫婦が、無理のないコースをお楽しみのようだ。

    

 

 

 

 

                                                                                   

  

 信越トレイのコースは、長野・新潟の県境に位置する標高1,000m前後の関田(せきだ)山脈のほぼ尾根上に延びる全長80kmにおよぶ国内でも稀なロングトレイルです。ブナ林に育まれた自然豊なこの山脈は、かつて信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や海産物が、信濃からは内山和紙や菜種油が運ばれ、戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に何万もの兵を連れて峠越えをしたとも言われています。トレイルの整備や維持管理はNPO法人信越トレイルクラブが主体となり、周辺地域のボランティアの方々の協力によって行われています。

 

 

 


御嶽海快挙

2017-07-20 06:52:04 | Weblog

                                                                               ひしひしと目もと潤むや名古屋場所

 Yahoo!ニュース トピックス

◆大相撲名古屋場所11日目 ○御嶽海(寄り切り)白鵬●(19日・愛知県体育館)

 大記録を目前にしてまさかの不覚。白鵬も人間だった。座布団が今場所で最も乱れ飛んだ館内の真ん中で4か月ぶりの敗戦をかみしめた。「勝負あったような感じになってしまったね。ちょっと硬さがあったのかな」。現実を疑うように疑問符をつけながら言葉を並べた。記録達成なら渡されていた花束も、出口で待っていた師匠の宮城野親方(元幕内・竹葉山)の祝福も、翌日に持ち越された。

 

御嶽海の出身地の皆さんの「友備」会の皆さんは、御嶽海の勝利に大興奮、御嶽海の出身地 長野県木曽郡上松町の町民は御嶽海の活躍で活気が付いているとのことです。


朝の美味しい空気いっぱい吸う

2017-07-17 09:53:22 | Weblog

 老ふも良し朝いつぱいの旨い風 

南から冷えた素直な風薫る

                                                       

 

 

  老いもまた楽し、私のように年を重ねると、夜九時を回ると、今日一日に感謝しながらの眠りにつく。私達子供の頃は、早寝早起き三文の徳と言われ、両親から、早く寝なさい、夜更かしは、体に良くないよと良く言われたものでした。私はどちらかと言えば、夜に強く、朝が弱いという子供時代でした。今は孫達に良く言う言葉となりました。不思議なものだと一人にやにやしています。私の家は、南北と東西の交差する場所に建っております。今日は南から北へ向かう冷たいおいしい風を味会うことが出来ました。私は、毎朝五時頃から準備体操を済ませて、無理しない程度に、杖を持ちながら4000歩くらいの歩行が日課となっている。

            

     


今日も感謝で明るく

2017-07-16 10:28:58 | Weblog

 

 

                                                                                                                                                                                                                                たのしけれ孫にかこまる羽抜鳥

     

 

  今日は早いもので、すでに、七月の中半を一日過ぎた七月十六日の日曜日となった。今日も一日健康でむかえられたことに感謝しながら、有意義な一日にしたいとあらためて思います。私は毎日忘れることが出来ないことは、若い時代の放蕩生活を送ったつけが回ったためか、動脈硬化が進み、二十年前に五十六歳で「脳梗塞」、その八年後に、今度は「心筋梗塞」を患う、その心筋梗塞が重かったため、三本の冠動脈のバイバス手術を施していただき、人が味わったことがないような日々を名医のお蔭で、生きていることが不思議なくらいの毎日である。このところ、足が少し不自由になりましたが、七十六歳となった本日、三人の孫に囲まれ、楽しく生かしていただいていることに感謝感謝の毎日です。人間は多くの人に助けられ、沢山のものに生かされています。生きていることで、時には、誰かを傷つけ、気づかぬうちに迷惑をかけてしまうことが多々あると改めて思はされています。その上、人はひとりでは生きられない弱い生き物だと、だからこそ、助け合い寄り添いながら生きて行かねばならないとあらためて思う日々です。

 

     

 

 

 

 

 

 


昆虫観察

2017-07-14 11:37:30 | Weblog

 

                                                                                                                                葉の先の天道虫は飛ぶ構へ

           

 

         

                                         

急かされて何処へ向かうかかぶと虫

        

 

 

           


飯山本多のうなぎ

2017-07-13 10:35:44 | Weblog

 

         妹は土用の鰻死語となる

     恙なく余生土用の鰻かな

     婿殿よ今年は鰻おごらざぬ

         

 

 豊野に住む妹夫婦が、昨日も「飯山の本多うなぎ」で鰻を食べた後、家へ寄って行った。妹夫婦は年に度々飯山の名店「本多のうなぎ」へ、うなぎを食べに来る。「本多のうなぎ」は、県外のお客さまが旅行プランに組み込むほどの有名店だ。
「飯山観光句」の情報では「本多のうなぎ店」の基本メニューは『うな重・うな丼」だ。ともに1匹の鰻だが、うな重に使われる鰻の方がより大きく脂の乗りが良いという。

 私は、うなぎが不漁になってから、「うな重・うな丼」が値上げとなったので、このところほとんど行けないでいる。だが、東京の長女の旦那が、お盆の休みと正月休みのたびに、「本多のうなぎ」を楽しみにやってくるのが恒例となっている。そのたびに私が代金を払う羽目になる。彼は一流企業の部長となったので、たまには、「お父さん僕が払いますよ」と言ってくれることを「本多のうなぎ」へ行く度に思うのですが、いまだに、その気配がない、私が払うのを当たり前と思っている。私に言わせると親不孝者の息子だと「うなぎ」を食べるたびに思う。「本多のうなぎ」は、代々受け継がれてきた秘伝のタレは甘さが抑えられているためにサラッとしており、後味は醤油が香る。うなぎそのものの味が感じるタレだ。さらにあっさり味を臨むのなら、白焼きがおすすめだ。その上、若女将の漬ける自家製お漬物がうなぎをよりおいしくしてくれて評判となっている。

 

 

 

 


 


長野県の星、御嶽海 大相撲秋場所(名古屋場所)の初日で横綱稀勢の里を破り金星を飾る

2017-07-10 03:04:18 | Weblog

 

        

     

                                                                                                                                           勝たしたしされどされどの(秋)古屋場所

 

 

 

ネットニュースより         

大相撲名古屋場所が9日から始まり、上松町出身の新関脇・御嶽海は、横綱・稀勢の里を寄り切りで破り、初日好スタートを切りました。

長野県出身の力士として84年ぶりの関脇で名古屋場所を迎えた御嶽海は、初日の9日、ここまで1度も勝ったことがない横綱・稀勢の里と対戦しました。
御嶽海は立ち合いから、稀勢の里にまわしを取らせず、うまくもろ差しになって、一気に寄り切りました。
御嶽海は6回目の対戦で、稀勢の里に初めての勝利です。
勝ったあと御嶽海は「うれしいです。相手に差させたら自分の相撲がとれないので、しっかりおっつけて相手を封じる、イメージ通りの相撲ができました。まずは勝ち越しを目指して頑張ります」と話していました。
初日、好スタートを切った御嶽海、10日は前頭二枚目の北勝富士と対戦します

 私個人としては、左腕の痛みに耐え頑張る新横綱「稀勢の里」に勝ってもらいたいとの願望が強いと同時に、対戦の力士は新関脇の我が郷里(長野県)の期待の星であるため、どちらも、負かしたくない心境の秋場所(名古屋場所)の初日でした。

            

         

 

                                                                                     

  

 

  

 

  長野県出身の力士として84年前の関脇力士

 髙登 渉(たかのぼり わたる、1908年(明治41年)5月7日 - 1962年(昭和37年)1月19日)は、高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。本名は吉川渉(よしかわ わたる)。身長185cm、体重113kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。

   長野県下伊那郡喬木村出身。1926年(大正15年)に同県飯田町(現飯田市)で行われた自転車の大会に出場したが、途中で運悪くペダルが折れてしまった。しかしそこで諦めず壊れた自転車を担いで残りを走って優勝し、これが評判となり髙砂親方(元大関・朝潮)に勧誘され、高砂部屋に入門して1927年(昭和2年)1月場所で初土俵。のエピソートがある。


思い出の友人からの仙台の七夕祭りへの誘い

2017-07-09 08:00:38 | Weblog

 

        七夕やまた逢ふ握手忘れざる

        七夕の願ひ奪い合ゐ喧嘩する
 
       
 
 
 

 

 思い出の昭和40年の仙台七夕祭り

 毎年来る、七月七日(今日)の七夕の日になると、懐かしく忘れられない思い出でがよみがえる。東京の銀行へ勤務となって東京に居るとばかり思っていた親友から、昭和四十年のある日、突然に電話が入り、今年から仙台支店へ勤務となったので、是非とも都合つけて仙台の七夕祭りに来ないかと誘いの電話が入る。友人に会う喜びも手伝って、地方に居るころ、同じ電車で通い合った友人の誘いに、喜びいさんで仙台へ行った思い出でがある。上の仙台七夕祭りの写真は、アルバムから引っ張り、スキャンした写真である。このころは町の中はまだアーケードが少なく、今と違って、アーケードのない青空七夕祭りであった。あれから数十年経って団体旅行で仙台七夕祭りに行きましたが、アーケードが整った、すばらしい商店街での盛大な七夕祭りに驚かされたものである。またこのころは、青森ねぶた祭と秋田の秋田竿燈まつり、そして仙台の七夕祭りが東北三大祭りとして有名となる。今思うと私が結婚したのは昭和42年でしたから、独身最後に近い事由に出来たころである。

悲惨な北九州の豪雨災害

2017-07-07 11:03:19 | Weblog

 

                                                                                                 悲惨さにこころ痛むや青山河  

 

 

 

 

 今日の新聞記事に 「記録的な豪雨に見舞われた九州北部の福岡、大分両県で六日、自衛隊や消防などが不明者の捜索や、住民の救助活動を本格化させた。福岡県朝倉市で男性一人の遺体が発見され、夫婦とみられる二人と男性一人の計三人が心配停止の状態で見つかった。大分県日田市では男性二人の死亡が確認された。道路が寸断し、両県では約七百人が孤立。複数の安否不明者の情報があり、救助作業が難航する中、政府と県が被害状況の把握を急いでいる。気象庁は六日午後、福岡、大分両県の広い範囲に五日から出していた特別警報を解除した。引き続き大気が不安定な状態にあり、土砂災害や河川の氾濫に厳重に警戒するよう呼び掛けていると報道されていた。

 

 

 

 

 

                                                                                                                                                                大分県日田市小野地区で大規模な土砂崩れ

 

 


先輩のこと

2017-07-05 10:06:08 | Weblog

 

    紫陽花や空を見あぐる介護妻

     辛きこと時が癒せり濃紫陽花

 

 

 

  若い時代から、町内の先輩で共にお酒を交し合い、先輩から沢山のことを学んだ私だったが、その先輩は若い時代から糖尿病を持っていなさった。彼の弟さんも糖尿病で数年前に亡くなっている。先輩の両親は共に糖尿であったと聞く、肉親が糖尿病だと、糖尿病の家族歴がない人に比べて 糖尿病になりやすいことは事実だが、遺伝するのは糖尿病そのものではなく、 「糖尿病になりやすい体質」のようだ。証拠に商売の後を継いでいる長男の息子さんは糖尿病はないらしい。先輩は数年前からインスリン注射を打ちなが、気をつけた生活を送っていましたが、遂に二年前から寝たきりの状態となり、家での闘病生活に入ってしまった。私より三歳年上であるからして、まだ八十歳の手前の年である。大変なことは本人は勿論のこと、介護する奥さんがなお大変だと思う。奥さんはもともと明るい性格な方でありますので、愚痴ひとつおっしゃる人ではないが、家の前で一人静かに空を仰いでいる姿に遭遇した私は、心が沈んでしまった。私も病気持ちの身、家内の世話にならないよう気をつけたいと芯から思った瞬間であった。まだ早いと思い思い、淋しいことですが[ぽっくり」突然にあの世へ逝けることを願う今日この頃である。


ほたる袋と泰山木の花

2017-07-03 18:09:49 | Weblog

 

 

                                                                                                                                                          貧しさはほたるぶくろの白さほど

                                                                        夕陽射し蛍袋の白透けり

 

  

 

 右の白いホタルブクロの花は、数年前に、隣の「中華料理店」の奥さんから、株を分けて頂いた花である。中華店の奥さんは花が大好きで、年中、季節季節の花を育てていなさる。記憶では昨年も、この珍しいシロホタルブクロの花のことをブログにした記憶が薄々と蘇ってきた。いただいたシロホタルブクロの花をプランタンに植え、冬は凍枯れがないように、温かい室内で育てている。今年も、家内の愛情の元、綺麗に咲いてくれた。ホタルブクロの花の由来は、子どもが袋のような形をした花のなかにホタルを入れて遊んだことに由来するともいわれます。また、花言葉の「忠実」「正義」は、教会の鐘を連想させるホタルブクロの花姿にちなむともいわれます、とネットにあった。「忠実」「正義」特に「正義」などの文字があると、私の名前の正義のごとくに思い悪い気はしない。そこで、思い出すのですが、私は、幼いころから今だに、祖父につけていただいた「正義」という名のためか、決して悪いことをしてはならないと、どこか心の奥で忘れたことがなかったような気がしている。

 

 

 

 

 

      梅雨の空泰山木の花映へて

 

  

  またも左の「タイサンモク」の花は、前での小島さん宅の庭に咲く、命短い白い花である。庭に立つ大きな「タシサンモク」の木にたった二~三輪でしか咲かない貴重な花です。狭庭での、私の家は花が少ないため、何時も近所の家々の花を楽しませていただいている。これもネットでは、タイサンボク(泰山木、大山木、)モクレン科の常緑高木。北米中南部原産。花期は5~7月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆色に見える。日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多いとあった。また、タイサンモクの姿から、山のような泰然とした姿から名付けられたと言われます。「花の由来」は、和名の泰山木(タイサンボク)は、花や葉の大きく立派なことを賞賛して、中国山東省中部にある名山の泰山(たいざん)にたとえたといわれます。また、大きな盃(さかずき)のような花姿から「大盃木」と呼ばれ、それが転訛したともいわれます。

また「花言葉」は人生の展望が開けているさまをあらわす「前途洋洋」。大きく立派で美しいさまをあらわす「壮麗」。これらの花言葉は、堂々とした立派な樹木とかぐわしい香りを放つ大きく美しい白い花にちなむといわれます。