ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

駐車場の穴に植えたムラサキシキブ

2015-10-31 09:31:45 | Weblog

             紫式部ところどころの昏さかな   

            

 

何故か三年程前から、駐車場の片隅に8cm位の穴があいてしまった。その穴に家の横の庭から「ムラサキシキブ」の一株を抜いて植えておいた、気がつけば、写真のように見事なムラサキの実がいっぱいに付いていた。ムラサキシキブの花と言ってよいのかそれとも実と言ってよいのかさなかでありませんので、私は勝手に「実」とした。ムラサキシキブの実は夕方の1 日が暮れて薄暗い景に色濃く映えていた。


懐かしき校門に咲く桔梗の花

2015-10-30 09:20:30 | Weblog

 

 なつかしの校門に咲く桔梗かな

校門の桔梗に会ゐて膨らみぬ

 

 狭庭咲いた桔梗の花

 かれこれ60年近くたちますが、狭庭に咲く「桔梗の花」を見る度に、懐かしい思い出がある。高校の校門前に綺麗に咲いた紫の桔梗の花である。普段は通用口を利用していましたので、めったに校門の前に立たないでしたが、桔梗の花咲く頃は良く桔梗の花と鉄筋の校舎の壁に巻いている「蔦紅葉」を見に行ったものでした。年が過ぎ、七十四歳になっても青春時代の思い出は鮮明に覚えているものだと思う。母校のあのシンボルであった鉄筋校舎も潰してから長い年月が経つ。


孫達は栗ごはんが大好き

2015-10-29 07:19:57 | Weblog

 

 

よく喋る孫との夕餉栗ごはん

 

 しばらく前に、孫のお兄ちゃん二人は、 隣の中華屋の主人に、主人の実家(外様)へ栗拾いに連れたいって戴いた。孫達は今年で二年目の栗拾いである。主人の実家のお兄さんが亡くなられて、栗を採る人がいなくなり変わりに収穫していることのようだ。孫達は背負うほど栗を戴いて来た。ばあちゃんの家内は私の病院通いなどで忙しく、孫達が待望にしている、栗御飯を伸ばし伸ばしにしていた。昨日の夕飯にようやく、栗ごはんにあり付いて御機嫌の孫達でした。沢山戴いた栗なので、家内は贅沢のほどに沢山の栗が入った栗御飯を焚いてくれた。私も余りにも美味しいので、珍しくお代わりしてしまった。お兄ちゃん達は自分で拾った栗の為、自慢と栗拾いの様子を楽しそうに話しながら、大好物の栗御飯をほうばっていた。一家団欒の食卓の様子を写真にと思いましたが、コンパクトカメラの電池が切れていましてシャッターを押すことが出来なかったので、デジカメにしましたが、肝心なデジカメも充電が切れていたドジな私であった。上の栗御飯の写真は昨年撮った、ピクチャーに置いておいた写真を使用した。


新蕎麦打ちの実演

2015-10-27 06:53:32 | Weblog

 

蕎麦打ちの腕に麺棒なじみをり

新蕎麦や水車のこぼす水の音

 

  オヤマボクチ 

山牛蒡の葉とオヤマボクチ

 「蕎麦の繋ぎオヤマボクチの写真」の画像検索結果

  

 先日の日曜日に幻のそばと言われております「富倉蕎麦」の蕎麦手打ちの講習会があると聞き、主治医に無理のない外出が許されたので、家内の運転で、蕎麦打ち実習を見に行った。富倉の蕎麦打ち名人と言われている知り合いの指導だった。名人の慣れた腕捌きは打つ蕎麦粉とスムースになじんでいるように見えた。この富倉蕎麦の蕎麦粉との繋ぎは「やまごぼう」の「オヤマボクチ」繊維を繋ぎとしている。(山牛蒡葉の太い葉脈を抜き、手で揉んでは干しを繰り返して、残った繊維を取り出し、灰汁(アク抜きをして乾燥させたひとつまみをつなぎ)に使っています。詳しくはネットで説明されていますが、「 富倉は雪深い土地で土地で二毛作が出来ないので小麦の栽培が出来ず、小麦粉が手に入りません。雪深い土地に暮らす知恵として収穫の早い蕎麦を栽培しての蕎麦が常食となった。蕎麦のつなぎとして植物の繊維「オヤマボクチ」を使うようになった」のだそうである。大変な手間と時間がかかるので冨倉ではながい冬の農閑期の作業となっています」とあった。また、私共北信州で有名な蕎麦は富倉蕎麦と戸隠そばがある。戸隠蕎麦の繋ぎは「オヤマボクチ」ではなく小麦粉を使用している。講習会の後、「かじか亭」という富倉の有志が設立した「幻の蕎麦処」で美味しい蕎麦を舌鼓し堪能してきた。

                                                                        


鍋倉山高原の紅葉

2015-10-25 07:19:45 | Weblog

 

 

                   

                                                 

 

 鍋倉の椈の紅葉燃へ立ちて 

 今は残念なことに紅葉写真を撮りに行けないので、ピクチャーにある、数年前に紅葉の絶好調の日に撮った鍋倉山周辺の写真です。。ここ鍋倉山一体はブナノ木で埋まっていることで有名な山です。素人の私ですが、右の写真の奥は椈林ではないかと推察した。もう今の時期になると、鍋倉山紅葉は下火になり、紅葉は段段と下に降り始めたのではないかと思っている。

 

茶屋池に写す紅葉に跪拝かな

                                                                               

 

 

 この日は微風があり 茶屋池の湖面に小波が立ち、綺麗な紅葉が湖面に写っていなかったが、風が止みそうな気配がしましたので、湖面に立ち10分ほど経ちますと偶然にも風がピタッと止んだ数分の間に撮った写真である。傍に居た、群馬から来たと言うアマチュアカメラマンの方は、私なんか風が止むのを一時間も待っているのにお宅は運が良いですねと、微笑みながら話しかけられたことを思い出す。紅葉の時期になると、紅葉の色と山から里への見降ろしが絶景なのか、全国からアマチュアカメラマンが沢山見える。あちこちの駐車場には、栃木、東京、埼玉。遠くは秋田、岩手の県外ナンバーが見えた。


沢山の「くり茸」いただく

2015-10-24 14:33:42 | Weblog

 くり茸のいただく吾となりにけり

もう二十数年の付き合いになるが(以前はチョクチョク彼のことをブログにした)。お茶好きの彼は、掛川から届く新茶の時期になると何の予告もなくやって来る、しごくお茶好きな寡黙な友人である。彼は珍しく、山ほどの「くり茸」を持ってやって来た。彼は憎らしくなるほどに健康体である。今日は土曜日で病院へは行かないので、久しぶりに彼に会えて、お茶をすすりながらの楽しい一時を過ごすことが出来た。私にとっては「くり茸」は大好きな茸に入る。 特にクリタケにヒラタケがあったら干し椎茸と合わせて、里芋との煮込みが美味しい。それに、くり茸を焼いて、肉と若芽と合わせての煮込みも美味しい。松茸は不要な状態である。以前は自由に山々を飛び回って、きのこ初め山菜を採るのが楽しみで、人に分けてあげたことが、今は夢の夢である。

 


二人は枯芒

2015-10-22 02:40:11 | Weblog

同じ向き俺とお前は枯すすき

ネットより

先日ブログにしました好きな田園を撮りに行ったついでに、枯芒の写真も撮って来ました。今日のブログにと思い、撮って来た枯すすきの写真をバックアップして、腕を組み組み写真を見ながら俳句を捻ってみますと、浮かんだ俳句が今日の掲出句となった。撮って来た写真は浮かんだ俳句にふさわしくありませんので、ネット上で芒と検索しましたら、俳句にふさわしい写真がありましたので拝借しました。芒を見る度に思うのですが、何時も同じ方向へ向いて風に揺られている。本日の句「同じ向き俺とお前は枯すすき」は、ながきに渡って、苦労も喜びも共に過ごされた老人御夫婦を想像した句です。この句に私共老夫婦を重ねてみますと、決しての自慢でも、のろけでもありませんが、私達夫婦は40数年に渡り、厳しい商いの道を共に頑張って来たことを感慨に思い、ついつい重なってしまいました。この頃、病気と年のせいなのか、個人的なブログが多く成っていることをお許しください。

 

 

 

 

 

 

 


何時も癒してくれる田圃風景

2015-10-21 12:05:43 | Weblog

 

刈田から枯田となりし静かなり

 年に数回は訊ねたいなぜか好きな田縁風景です。折あるごとにブログしてきた場所でもある。ここの農家は先日ブログにしましたように稲刈の後は、稲架かけをし風物詩となっている。今年は入院していましたので、この好きな風景を見ることが出来ませんでしたが、枯田の後でも訊ねたいと思い立ったようにやって来ました。また、真っ青の青空に近くの山まで降り始めて来た紅葉が目に付く山並みがまた奇麗である。

 

 

 

 

 

 


たわわに実る林檎サンフジ

2015-10-20 16:55:05 | Weblog

 

 たはは成る林檎に生気もらいけり

 今日は病院の診察日、血液検査とレントゲンを撮って戴いた。何時も検査結果が主治医のコンピュータに届くまでには約1時間チョット掛かるので、二時間待ちは何時ものパターンですので、家内と院内にある軽喫茶店に行き、珈琲を飲みながら、孫達、若夫婦の生活振りなど話すのが、楽しみの一つにしている。自分の時間が欲しいと思う家内であろうが、毎日、洗濯、掃除、食事造り、その上、三人の孫達の面倒にと甲斐甲斐しく家族の為に良く働いてくれることに感謝の毎日である。その上、15k以上も離れた病院にも運転し私に付き添ってくれている。毎回ですが、検査結果と主治医の診察に「一喜一憂」の思いがする。幸いに少しずつ良い方向に向かっているとの主治医の言葉に安堵する。主治医は、沢山の病持ちの私にかなりの気を使って診察して下さっているのがひしひしと伝わって来て感謝感謝である。病院の帰り路の林檎園は、今、たわわに実のった「サンフジ」の最盛期である。林檎を写真にしながら、あまりにも美味しそうな林檎に思わずに手に触れハットしてしまった。このままたとえ一玉の林檎を失敬したなら、まるっきりの泥棒さんであると、一人でにやにやの私であった。

 

 

 

 

 

 


農地を守る。

2015-10-20 07:24:25 | Weblog

たそがれの稲架かけの田に西日射す

稲掛けの素直になりてをりにけり

 

 

まだまだ通院生活の続く、新しく宿った病気ですが、まずは望みかなって、先月9月10日に退院しました。久しぶりの帰途に就く車内から見る見慣れた景色に感動と新鮮さを覚えたことを思い出す。退院したばかりのころはPCに触れる意欲はありませんでしたが、この頃やっと意欲が出てきていたようだ。毎日とは言えないが、写真にした句が浮かんだなら、体調の良い日はブログを書きたいと思っております。写真は48日間の入院の間に、故郷の景色はすっかり変わり稲刈りが終えた後の稲架に、思わず家内に車を止めてもらい、稲架かけを写真に撮った。偶然にも先日の新聞の俳人土肥あき子さんの「けさの一句」に掛け終へし稲架に夕日の惜しみなしと「ながさく清江」さんの句が推薦されていた。この句に触れ思い出したように、稲架の写真をひっぱり出し、相変わらずの句を詠んでみました。稲架は地方により「はさ、はざ、はせ、はぜ、」言っているようだ。私共の地方は「はぜ」と呼ぶことが多いような気がする。


信濃柿

2015-10-19 10:21:59 | Weblog

 

 

青き空笑みはじけてる信濃柿 

 しばらく振りです。今の私は、白血球が少ないため、免疫力いちじるしく落ちていますので、新しく宿った病気は、これから寒くなる季節には外出し、風邪など持ち込んでしまって、肺炎など起こしては大変ですと、主治医から注意されております。週に二回、免疫力を上げる皮下注射を打ちに行っております。そんなため、まだまだ、外出が出来ないでおります。私のブログは「フォト俳句」ですので外出しながら目にして、興味が湧いた、景色、植物、動物、人々の生活環境、を写真に撮って、写真を見ながら、ふさわしい季語を選び、「俳句の季語は50%以上大切だと思っております」長く俳句と付き合っていますが、いまだに駄句ばかりでしか詠めない自分に腹立しく思っておりますが、あせることなく長く俳句と付き合いたいと益々思う日々であります。今日の句はPCで秋の季語を拾っておりますと、「信濃柿」を見つけまけました。歳時記では、カキノキ科の落葉高木。果実は小さく(10円玉くらい)、枝にブドウの房のようにつく。未熟のものから渋をとるため、およびカキの台木とするため栽培され、信越地方から東北にかけて多い。小アジア地方の原産。千生(せんなり)柿、ぶどう柿、豆柿、とも言うとありました。以前より「信濃柿」は知っておりましたが、秋の季語だとは知りませんでした。PCから拾った写真を見ながら、一句と思いましたが、やはり浮かんだのは駄句でした。