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ときめきの日々を過ごしたい

冬晴れ

2017-11-28 12:28:40 | Weblog

                                                     冬晴れや観る度変はる鏡池

 

 

今日の信毎新聞の(けさの一句)の句に「冬ひざしたつぷり小鳥籠は」主宰、土肥あき子(俳人)の句評に「冬の晴天は、澄み渡る空気なかで輪郭が際立つような力強さがある。たっぷりの日が差し込む小鳥のいない籠は、まるで小鳥が大空へと羽ばたき、解放された後の景色のように見える。しかし、どれほど明るくあたたかい日が降り注いでいても、またたく間に暮れてしまうのが冬」とあつた。冬ひざし、すなわち冬晴れとの解釈で今日の句を詠んだ。偶然にも、孫達のお父さんが撮った良く晴れた戸隠は初冬の鏡池の写真があったので使用させて貰った。

 

      冬日和きのふは父の忌日かな

 

 

 

 冬のひざしが刺す日は「冬日和」の季語も当てはまる。思い出すと、昨日の十一月二十七日は父が亡くなった日である。父は大正二年生まれだから生誕百二年になる。従って父が逝って十八年になる。母と協力しながらの真面目に商売一筋の父であった。懐かしい。

 


第九ベートーヴェン市民コンサート

2017-11-27 08:44:37 | Weblog

 

 無骨者こころ洗ふや神無月

 

 

先日、 飯山市文化交流館(なちゅら)において市民第九コンサートが開催された。普段、無骨者の私はベートーヴェンを聞くなんて一向に興味がありませんでしたが、友達の勧でついぞ、その気になって家内とコンサートを聞きに出かけた。

 

 

 

 

 

  なちゅらの大ホールに、聴衆者の多さに驚いた。それだけ市民の文化度の高さだろうと思わされた。指揮者は東京アカデミック管弦楽団演奏音楽監督「増田一輝」さんで、管弦楽団に百名以上のバックコーラスは地元面々なのに驚かされた。バックコーラスのメンバーに、音楽会を推進してくれた友人の顔と他に数名の知人がいなさった。私共の街のT社長さんが正装で会場に居なさったんので、声を交わし合うと、この音楽会で歌うと言っていた。彼もコーラスメンバーの一員で、音楽をなさっていることを知らなかった。これも驚いた一面でした。演奏会は陶酔感と高揚感にあふれていた。初めて、生の管弦楽団の演奏を聴きこの年になって初めて音楽のすばらしさを知り、人生で何か大きなものを置き忘れたような気がした午後の一時だった。

 

 

 

 

 

 

                                                                                                              

       

 

 

 

 

 

 

                                        


飯山線おいこっと

2017-11-25 10:00:17 | Weblog

                  おいこっと信濃の冬をした走る 

 

 先日、長野の知り合いのMさんから電話が入り、23日の勤労感謝の日、飯山線観光列車「おいこっと」に乗るので、一緒に乗らないかと電話が入ったが、寒い時期なので返事に一瞬戸惑いましたが、この数年Mさんと会っていないので会いたい思いが手伝って承諾した。家内に、飯山駅 09:54発の十日町行きの「おいこっと」の乗車券を頼んで手に入れてもらった。天気模様はいまいちでしたが、幸い体調が良かったので張り切って出かけて来ました。

 

 

 

 

  車内は暖房が効いていて特に風邪に注意の私には快適だった。アテンダ  ンダントのおばさんが車内販売においでになった。Mさんに御酒とつまみを勧められたが、私は御酒を断ったと言いますと、以前から私の豪酒のみを知るMさんは驚いていた。車内のお客様は祝日と言えどぼちぼちのだった。Mさんと久しぶりの再会でしたので、お互いに近況を話し合いながらの社中だった。話に花が咲いたのか割と早く正午近くに終着十日町駅に着いた。

 

                                            

 

 

帰りの15:30分までのたっぷりある時間を商店街の食道でゆっくり昼食をとったり、洒落たクラシック音楽の喫茶店で美味しいコーヒーを二杯も戴いた。やっと十日町駅発の帰りの「おいこっと」列車の人となった。無事に夕方飯山駅に到着となり、Mさんに感謝のお礼を言って別れた。 Mさんのお蔭で、はじめて「おいこっと」に乗車する経験が出来て楽しかった。                    


勤労感謝の日と結婚記念日

2017-11-23 06:47:24 | Weblog

                            共に勤労感謝の日五十年

                                                      冬の川共に流るる金婚日

 

 

 日は勤労感謝の日で、私どもの結婚記念日だ。この時にと思い立ち、結婚して何年になるのか初めて数えてみると、結婚したのは昭和四十二年の労働感謝の日ですので、驚くことに本日が結婚五十年となり金婚である。光陰矢の如しと言いますが、月日のたつのは、矢が飛んでいくように早いものだと、改めて思った。私共は夫婦は言い換えれば、戦友見たいなものだった。高度経済成長とバブル経済、郊外型の大型店の進出に俟って、町内の私共の同業者はほとんど倒産や閉店をよぎなくされた中、私どもの店だけが残ったという厳しい時代を共に良く頑張って来たと思う。だが、商店街の空洞化が進み、止む無く商いをやめることになったが、今は、三人の孫に囲まれ七人の大家族で毎日賑やかに過ごさせて戴いていることに感謝の日々である。

 

 


飯山市の神戸の大イチョウ

2017-11-22 10:05:01 | Weblog

日々これや豊かな時間銀杏散る

 

 

 今朝は家内の母の実家瑞穂富田地区へ所要があり出かけた。久しぶりでしたので四方山話に花が咲き少し長引いてしまった。親戚の帰りに、以前から行きたいと思っていました傍の神戸地区にある「長野県天然記念物銀杏の木」の落葉状態を見に寄った。この銀杏の木は高さ36m、幹周14.7mの大イチョウ、毎年降雪の直前に一気に落葉し周辺を黄色く染めます。この前後、11月頃が見頃ですがほぼ1~2日で落葉する為、気付くと殆ど葉が残ってないことも多々あるとネットにあった。落葉のタイミングが合わずに、既に落葉が終わったのか、それともまだ始まっていないのではないかと心配しましたが、偶然にか紅葉した落ち葉が黄金色の絨毯を敷き詰めたように美しい状態だった。綺麗な銀杏の木の落葉状態が見られ、気分を良くして帰路に着いた。

 

 

 

長野県天然記念物 神戸のイチョウ

昭和三十七年九月二十七日指定                                  イチョウは中国原産で一科一属一種の落葉高木である。イチョウの名は中国宋時代の「鴨脚」ヤーチャオの音読みのなまったもので、日本への渡来は室町時代と考えられている。葉の形が鴨の脚に似ているので「イチョウ」となり、銀杏は種子からきた名である。                

 この木は中世から 小菅庄内の良蔵坊門前も木と伝えられている。雄で現在目通り幹周囲十三米標高三十六米で日本一と伝えられている岩手県の(昭和四十五年現在十五・四米)と大差なく、本県内でも首位を占め学術的にも貴重なものである。いまだ樹勢が強く 紅葉も落葉も この地方では最も遅い方である。この木を飯山の宝として永く保存するため根や幹を痛めないように努めましょう。                                          

     

       

             

     

 

 

 

 


去年11月 20日に飯山線にSLが走った。

2017-11-21 08:22:13 | Weblog

SLが飯山線を走った日 16 11 19~20

 今朝、婆が昨夜日記を見ていると去年の11月20日に、かって飯山線を走っていた、1946(昭和21)年製造のSL(C11-325)が44年ぶりに走ったと言っていた。その様子をネットで拾った。


富山市の旅

2017-11-20 09:24:56 | Weblog

     冬はじめ富山の魚に魅せられて              

 

親友会(地方在住の同級会)で富山市へ日本海のお魚を食べに日帰りの旅に参加して来た。長野から往復300K以上の遠路をT君が一人で運転してくれた。彼は現役で会社を経営し忙しい毎日ですが、なかなかの元気者だ。最も現役だからこそ元気なのだろう。病持ちの私は友に御世話になりながらも、元気に富山市を楽しんだ。

 

        

 

  あいにく寒い雨の日でしたが、富山駅にある喫茶店でゆっくりコーヒーをした後、何時も親友会の世話役してくれて、富山市に会社を持っているS君に計画していただき、駅前のちょっと洒落た素敵な店でお昼を戴いた。

        海の幸ほゝゑみ会ふや冬の昼  

 

水揚げしたばかりの新鮮な御刺し身を舌提すると、満足感で皆の顔が潤んでいた。他に沢山の料理を楽しんだ。

 

 

    

 

 

 

  富山の白えびは富山県が世界に誇る幻のエビと           言われている。そのから揚げを食し海産資源の     豊かな富山の醍醐味を味わった。

  

 

 食後、富山城はじめ、各名所を見学した後、富山から20k位離れた「新湊きっととき市場」へ行った。鮮魚売り場に初冬の日本海の旬(鰤、スルメ烏賊、ズワイガニ)はじめ多種の魚が陳列されて活気に溢れていた。

 

 

 

  

冬の海豊富な幸の味深む

 きっととき市場を見学した時間は16:00頃でした    鮮魚売り場にはまだ沢山の鮮魚が沢山ん並んでいた。営業中にこの魚が 全部売れるのかと余計な心配をした。                         

                            

                           

                            

                            

 

 

                                 

 

 

 

 

                           


2017初雪

2017-11-19 09:43:57 | Weblog

 初雪や拳を握りこころして

         初雪に心が白く成る如く

 

  

  このところの天気予報と天気模様、それに七十数年雪国に育った私は今年の初雪は早いのではと予感していた通り、今朝起きてみると初雪が舞っていた。ですが、8:00を回ったころになると、薄日が射す天気と変わっていた。つかの間の雪でしたが、正に初雪だと思う。気象庁は初雪と断定するかはさなかではないが、もしかしたら私が知らない間に、初雪が訪れたのか知れないと思います。毎年のことですが、初雪に会うと、これからやってくる雪国の厳しさに気分が重くなる反面、ようーし、今年も寒い冬と上手く付き合い負けるものかと、小さな覚悟が芽生える私である。

 


テレビにうれしいニュース

2017-11-15 07:40:25 | Weblog

 

 信義なき世間と言へど雪明かり

地蔵さんにみの着せ30年余 木島平の樋口さん

先日、家内の兄さんと長い間の親しい友人である木島平の樋口さんがテレビに報道されていた。

 長野県下高井郡木島平村往郷の樋口富治さん(85)が毎冬、自宅近くにある地蔵にスゲで編んだみのを着せている。地元高石区長だった1982(昭和57)年に「何の気なしに」始めてから30年余。膝痛に悩みつつ、やりがいも感じており、「われながら良くやっている」と笑顔を見せる。  地蔵は高さ1メートルほどで、約70年前に建立されたという。樋口さんは元大工で、スゲみの作りは「見よう見まねで覚えた」。みのは毎年新調し、12月から翌年4月に着せる。冬が近づくと「じきに(みのを)かぶせてやるぞ」と心の中で地蔵に語りかける。雪のない時季は毎月1回、周囲を掃除して花や線香を上げ、大雪が降れば雪を片付ける。とネットにあった。私どもも、樋口さんと親しく付き合わせて戴いている。さすが、樋口さんだと思いました。早速、樋口さんへ、テレビを見させていただきましたとハガキを出しておいた。

 


石川県加賀市ぶっつけ本番の旅

2017-11-14 08:18:22 | Weblog

 鮟鱇鍋釣瓶にあいて温水に

句の下五を「温水に」としましたが、温水さんを模した上に、水温むは、三月から四月にかけて水にあたたかさが感じられるようになる。 従って春の季語とされていますが、わたくしは冬の季語と了解していました。だんだん寒くなって水が温かく感じられる季節と春、山の雪解け水は冷たいのだと思っている。上の句は「鮟鱇鍋」と「温水」と季重ねになりますが、温水さんを模すにはと思うとやっぱり季重ねになってしまう。でも、以下の句も詠んで見ました。

温水や釣瓶にあいてまた楽し

 昨夜(11月13日)私は何時も心待ちにしているNHKの「釣瓶の家族に乾杯」の番組が、ぶっつけ本番で加賀地方を放映していた。釣瓶さんの土地の人々にスッと入って行き、飾らず軽妙なユーモアなトークが楽しい。昨夜のゲストは、これまた、影が薄いわき役を演じているが、どこか気になる俳優の温水洋一さんだった。公園で旅をスタートした鶴瓶と温水は、何故か、髪の毛が○○の人ばかりに出会う。その後、二人は、なぜか焼き物で器用さを勝負。その出来上がりは?ひとり旅になった温水は、○○○に乗り込み漁港に。海の幸や地元のおいしいものを満喫し、家族との出会いを重ねていく。一方、鶴瓶は古民家の町へ訪ね、不思議な犬と出会い、その後、思わず、○○○に一目ぼれしてしまうという「釣瓶の家族に乾杯」でした。

 


年賀状

2017-11-13 11:28:22 | Weblog

    

 近況を自筆で添へし賀状かな

駄句詠みし御無沙汰わびて賀状書く

ようやく今年出す年賀状が出来あがった。画像は、来年の干支の子犬の兄妹を描いた。思うように描けなかったが、切りがないので五枚描きあがった中から一枚を選んだ。右隅の俳句「年新た病に負けず老い明かり」これもいまいちでしたが、ほかに浮かばなかった。

 

 左のイラストの中には宛先の方に合った文を自筆で書こうと思っている。統一のパソコンの字では、何か物足りない気がしていますが、小生、年を重ねるに従って、ただでさえ下手な字と文面を、皆さんに書き上げることの大変さに今から心配である。          

 

   

 

 


大根引きと二回目の冠雪

2017-11-12 08:57:29 | Weblog

 

 ほっかぶり大根引や冬の空

  午前に秋津は蓮地区に用があり、久しぶりに車を運転した。この二年ほど運転しないので自信がないので、ならすために以前から市民公園の広い駐車場で練習をしていた。今日は家内が留守だったため、安全に安全を重ねた久しぶりの運転だった。 

 

 

 

 

 二回目の冠雪に会い浮き浮きと

 

 

 今朝は、東山(三国山脈)に、今年二回目の冠雪があった。以前もブログにしましたが、この冠雪が三回になりますと、吾郷に初雪が訪れると言う。この分であれば、このところの寒さから想像しますと、十二月に入ってそう立たないうちに里に初雪が舞うことではないかと思っている。                                                        

 


野沢菜漬けの風景

2017-11-09 08:05:42 | Weblog

 野沢菜の旨味醸すや我が 

いよいよ私ども飯山市は、野沢菜を漬ける風景があちこちに見られるようになった。

信州人にとってなくてはならない味「野沢菜漬」は野沢温泉はその本場であり、歴史をたどれば今から約250年ほど前にさかのぼると言われています。ネットでは、野沢菜の原種を生産する野沢温泉村健命寺の口伝によると、宝暦年間(1751~1763)に、当時の8代目住職の晃天園瑞和尚が京都遊学の折に、京都・大阪で名産の天王寺蕪の種を持ち帰り栽培をしたことがはじまりだとされています。とあった。また、野沢温泉は湯治場として知られていました。大正時代になると、スキー場が開設され、以後日本のスキー史とともに歩んでいる野沢温泉には、スキー客や、湯治客がたくさん訪れました。その時に、スキーヤーや湯治客たちは、野沢菜のおいしさに感激し、地名のついた野沢菜が定着していったとされています。野沢菜という呼び名はあとからつけられたもので、蕪菜と呼んでいました。野沢菜漬けは信州の食文化として、今でも多くの人に愛されている。

 

    

 

  吾郷を尋ねし客に野沢菜漬

 この野沢菜を漬ける風景は市内のあちこちに見られている。お互いの家のことや子供のことなど、広くは地域社会のことなど、この機にわいわいと話しながらコミュニケーションを高めることが楽しみの一つとなっているようだ。

 

 

 

 

 野沢菜の漬けるたのしさここにあり

 飯山をはじめとした北信州地域では晩秋から初冬にかけ、各家庭で自宅の畑などで栽培した野沢菜を大きな樽に一冬分、塩・しょうゆ・昆布・唐辛子・信州みそなどを加え大量に漬け込みます。この野沢菜漬は「本漬」と呼ばれ、スーパー等で販売されている浅漬けタイプの野沢菜漬と異なり、シンプルな塩味わいに乳酸菌発酵による程よい酸味が加わり、時間の経過により独特のうまみと味わいの変化を醸します。また時間の経過により少しずつ色が緑色からべっこう色に変化していくのも特徴です。
飯山をはじめ北信州地域の多くの家庭で作られている家庭の味「野沢菜本漬」を味わってもらうため、皆さんは野沢菜漬けを楽しむ今日この頃です。   

 

         


思い出の紅葉の志賀高原と各地の紅葉

2017-11-08 07:30:25 | Weblog

紅葉の志賀高原2014・4K撮影

2017/09/29 に公開

志賀高原では紅葉の盛りを迎えています、今回は一沼、蓮池、横手山直下の渓谷を彩るパッチワークのようなナナカマドの紅葉などを撮影した。信州の四季写真プロフページ

                                                                                             Haruyuki Onoue

 

                                     山々の紅葉色の冴へる池

 

 

 一昨年の秋、鍋倉高原の茶屋池の紅葉の待った中に出会った。この日は、微風がありまして、風で湖面に映る紅葉が波でゆがんでいたので、風がなくなる時間を見払ってやっと撮った写真です。

目の冷めるよりどり赤の寺紅葉   

              

 

 

 

 

 飯山の寺紅葉

 左の写真は市内の寺と仏壇店通りの入り口にある「称念寺」さんの紅葉です。このお寺さんは近年紅葉の時期になると、紅葉のスポットとして、市民はじめ観光客に人気が出ていると聞きます。

          

 

   

 

 

右は市内の「西敬寺」というお寺さんのカエデ紅葉です。紅葉の時期になりますと楓が燃えるように色付けるので、私はこの紅葉に会うことが楽しみのなっています。                 

 

 

 

 

 

      風格の鐘つき堂に映ゆ紅葉

 左の紅葉はやはり「称念寺」さんの鐘撞堂傍の紅葉です。先日10月21日のブログ「思い出の紅葉」で掲載しましが、このころは、色つき始めの紅葉でしたが今日の紅葉は最盛期の紅葉です。

                            

 

 

 

          戸隠の神の紅葉うつくしく

 

  お父さんが生まれ育った戸隠連山の足元にたなびく鏡池の紅葉です。先日、お父さんの休みがちょうど土曜日でしたので孫達と戸隠へ出かけた。そこで、戸隠のおばあちゃんの家の冬囲い始め冬支度の準備をして来たようだ。時間があったようで戸隠連山の鏡池の紅葉を見に行って、お父さんが撮ってくれた写真です。お父さんは写真が趣味なようで、なかなかの素人離れした写真に驚いた。

 戸隠高原「鏡池」の紅葉情報

 

           

 

 

                               

 

 

  


文化の日

2017-11-04 10:20:22 | Weblog

 

 

 

 昨日は文化の日、この日は、もう百年も続く、私ども飯山市の商店街のえびす講が行われた。数十年前は時代の背景か、飯山の恵比寿講と言えば、近郊の農家が秋の収穫で得たお金をもって越冬商品はじめ沢山の商品を買い集めるため、本町商店街はお客様であるれ、お互いに肩が触れるほど賑やかだったことを昨日のように鮮明に覚えている。近年は郊外の大型店が進出し、毎日が恵比寿講のような安売り合戦の日々となり、影響を受けた小規模な中心商店街がシャッター通りに変身し、あの賑わった恵比寿講が商店街は野師がはびこるお祭りととなった。飯山えびす講

 

 

 

 

   

 

  少しでも、寂しくなった商店街を昔の賑わいを再現しべく色々なイベントを計画し、お客さんを呼び込む努力をしていますが、お客さんはイベント参加者をしても、おいでになっても肝心なお金を落としてくれないようだ。

参考に、飯山の年間行事として最高の人出が見られる「えびす講」は、大正12年に摂津の国(兵庫県西宮市)西宮神社本宮に町の代表として小川宮司、岡田源吉氏の両名が御神体(御分霊)の奉戴に行き、御神体が飯山駅に到着したその夜は、花火を打ち上げたりして町をあげての盛大なお迎えをし、御神体を飯笠山神社に御鎮座申し上げました。「えびす講」は商売をする人達の守護神である恵比寿大神(事代主大神)をお祭りしてある西宮神社のお祭りとして、1年中お買物をして戴いたお客様に感謝の意を込めて、商品の価格を最も低くして商いをするお祭りと言われています。