ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

暖かい秋日和

2007-10-31 16:15:16 | Weblog


にわかにと雲のほどける秋の空



今日は晩秋には珍しい秋晴れの好天気に恵まれた。予報では明日あたりから下り坂になるようです。リハビリーの関係で午前中に「健康歩行」に出かける。今日は千曲川の堤防を北へと歩いた。ふと、何気なく大空を仰ぐと、上空の風が強いのか、秋には珍しい綿のような大きな雲がちぎれ分かれる瞬間をみる。ごく普通のことですが、何か珍しいものを見た感覚であった。

いい加減にしろ

2007-10-30 08:10:38 | Weblog

すさぶれて意気消え失せし枯木かな





昨日、守屋前次官の国会証言を観た。
国民の皆様、防衛省職員に大変申し訳ないと思っている」などと陳謝。一方、
接待の見返りに商社への便宜供与を図ったことはないと否定した。」

いいかげんなことをいうな。長きに何百回も軍需専門商社「山田洋行」にゴルフ接待を受けておいて、よくも「便宜供与」を図ったこと無いなんで白々しく言えたもんだ。証人喚問をされながら嘘に徹している。人間の仮面を被ったあわれさを国民の前に露呈している馬鹿官僚そのものだ。。あきれかえって言葉が無い。ゴルフの後、高級料亭か高級クラブで「旦那、ひとつヨロシクお願いしますよ」の世界に決まっている。国民はみな「いいかげんにさらせ」と思っているに違いない。
医療費が払われなく医者にも診てもらわれずにいる国民がいると言うのに、政治家、馬鹿官僚どもしっかりしろ、こんなことでは国が滅びる。



お悔やみと秋しぐれ

2007-10-27 07:40:43 | Weblog

秋しぐれ悔やみの列の人となる



止むだろういつ止むだろう秋しぐれ


秋しぐれ病む足おもき傘の下


秋しぐれ越後につなぐ千曲川



昨日から続く雨が今日も止まない。こんな雨のそぞろ寒い日は散歩に出ないと決めて、俳句鑑賞でもと思い句集を開いたが、長くは続かず直ぐ飽きのムードは入ってしまった。ふと思い出す、町内の知人の葬式の日であった。時間が迫っていたので慌ててお参りに出かけた。83歳の死である。市役所に長くお勤めで退職後も多方面に活躍された方なので、お悔やみの人達の多勢なのに驚く。雨がしとしとと降り続く。「秋しぐれ」の駄句が沢山浮かぶ。




富倉蕎麦開店

2007-10-26 09:35:49 | Weblog

富倉の蕎麦と掲げて開店す



飯山城跡公園の登り口に富倉蕎麦処「酒蕎庵まろうど」が9月の月末に開店した。このお店のオーナーは斑尾高原で長くぺーションを経営している。東京から斑尾へ来て「富倉蕎麦」の魅力を知り「蕎麦打ち名人」に弟子入りしたと聞く。東京神楽坂にも「富倉蕎麦」の店「酒蕎庵まろうど」を開業している。城跡に開店したお店は息子さんがやっておりますが、中々の好青年です。「富倉ざる蕎麦」1斤900円だ、すこし高値のような気がしますが、香りといい、喉越しといい最高の味でした。

富倉蕎麦 まろうど

陽だまり

2007-10-25 20:34:06 | Weblog
秋うらら跨ぐ陽だまり長野県


昨日に続き秋晴れの天気に恵まれた。今日も好きな「歴史坂」のコースを歩く、坂にさしかかる道に木漏れ日の陽だまりに出会う。あれ、何処か見たことのある陽だまりのかたちだなと思い近づきますと、一瞬、なんと我が長野県の地図にそっくりでした。この偶然に一人ニヤニヤしながら、その陽だまりを跨いで通り過ぎた。

秋晴れ

2007-10-24 10:18:29 | Weblog

鶏頭をたえずひかりの通り過ぐ


森 澄雄


鶏頭のほぐれほぐるる赤の色

正義






今日は曇ひとつない抜けるように澄み切った空で暖かい日でした。散歩途中に太陽が一点に集まっているかのような真っ赤な鶏頭の花に出会う。あまりにも綺麗な色に感動し、良い句が出来ないかと考えながらの散歩だったがついに浮かばなかった。帰宅して、句集に目を通しておりますと、偶然にも森澄雄のこの佳句にであった。


秋晴れの千曲川





落穂拾ひ

2007-10-23 12:21:38 | Weblog

きのふけふ落穂拾ひの姿見ず

推敲中です



写真の自然乾燥 、「はぜかけ」のそばを通った。乾燥が出来た稲を一部降ろし始めたのか、周りにお米がたくさん散らばっていた。それを見て、ふと、掲出した川柳みたいの句が出来た。最近もったいないと言う言葉がはやっているようですが、落穂拾う姿など見たことがない。それだけお米の価値が低くなっているのかな、私は小さいころは一粒の御飯でも茶碗に残っていたなら、もったいないことをするな、お百姓さんが一生懸命で作った米だからと叱られた。下のURLをクイックしていただけば幸いですが「ミレーの落穂拾い・夏」の説明に「落ち穂を拾う貧しい農婦との問には、貧富の差という現実の大きな隔たりがあるのです。ただ、その姿には大地の恵みへの祈りにも近い、農民の純粋な姿が表現されているのです。」とあった。


山梨県立博物館(ミレーの美術館)


新蕎麦

2007-10-22 07:51:55 | Weblog

新蕎麦や鍋倉山のふところに

信州の幸はなにより蕎麦の出来



奥信濃、開田山脈の鍋倉高原は新蕎麦の収穫時期です。関田山脈から吹き下ろす霧と寒暖の差が大きい北信州の自然が、香りと甘さのあるそば粉を生み出す。その鍋倉高原で育んだそば粉を使用し、丹精込めて打った手打ちの「雪割蕎麦」が県内外のお客様に評判となっています。今年の新蕎麦祭りがこの週末から行われる。時間があったら是非とも食べに行きたいと思っています。
北信州いいやまそば街道(クイック)



花フェスタ

2007-10-20 17:36:52 | Weblog

雅楽てふ雅に温む黄落期



本日は第七回「花のフェスタ」を例のお寺と仏壇街で行われた。今、元気印の街はこの町のみになった。黄落期、歩行者天国となる花の祭典会場に「善光寺雅楽」のメンバーが花を添えて演奏してくれた。仏教と同じく中国から入って来て1200年の歴史の雅楽、皇族はじめ宮司の音楽であったと聞く、私も、生の雅楽を聞きながら、一瞬雅の世界にしたった。








歴史の坂

2007-10-19 16:42:04 | Weblog

舞う風や団栗転ぶ歴史坂


飯山城跡に上がる坂道の裏に、ひっそりと目立たない自然そのままのこの坂が、なんとなく好きである。小学校が城山の下にあったので、スキーの授業でこの坂を何回も滑った思い出があるからかも知れない。確か、この坂を何とか坂といって名前があったような気がするが忘れてしまった。今は自分中で勝手に「歴史坂」と名付けています。

紫式部の花

2007-10-18 16:53:44 | Weblog

広がりのむらさきしきぶ清楚かな

むらさきの式部と聞ききてなお雅


何時もリハビリに行く病院前の花壇に、あまりにも綺麗な実が咲いていた。早速、撮ろうとカメラを向けていると、知り合いの御婦人が傍を<きれいな紫ですね、この紫式部は>と言って通った。私は一瞬に<この紫式部はあまりにも綺麗なので・・・」と言った。実を言いますと、植物に弱い私はこの「ムラサキシキブ」の名前を知らなかった。恥ずかしい話でした。

かりん

2007-10-17 21:33:36 | Weblog

健康の香り広げるかりんかな



何時も歩く道すがらに「かりんの木」があるのに気が付かなかった。このお宅の奥さんに声を掛けると、かりんの色が付き始めると皆さん足を止めますよと微笑んでいた。背の低い木でしたので、背を伸ばしてかりんに鼻を近づけてみると、ほのかの香りでした。聞いてみますと、これからですよもっとこわい色になりますと香りが漂いますよと仰っていた。私は、かりんの砂糖漬けが好きなので今年も漬けてみたいなと思っている。また、かりんの果実酒もなかなかのようです。

秋を拾う

2007-10-16 07:33:55 | Weblog

友来る秋をいっぱい拾うかな



志賀高原の蓮池


先日、千葉と長野に住む友人の3人で野沢温泉の上ノ平からスーパー林道に入り、秋山郷の「切明」温泉と志賀高原への紅葉狩りに出かけました。朝方は秋晴れの好天気でしたので、期待が膨らみましたが、時間がたつにつれ、天気模様が怪しくなり、一面の曇り空となって来た。晴れることを期待しつつの出発でした。上ノ平から紅葉のメッカ、スーパー林道に入りましたが期待の、シラカバ・ダケカンバ、カエデ、ウルシなど、それぞれに色が薄く、時期が少し早かったようだった。それに、好天気に恵まれ抜けるような青い空があったなら、陽が入り、紅葉の色がもっと鮮明だったのにと思いました。でも、温泉につかりながらの久しぶりの友との再会にたのしい一日を過ごすことが出来ました。


スーパー林道







新米かな?

2007-10-14 16:06:47 | Weblog

新米と聞いて箸止め疑へり



昨晩、御飯を家内が炊いてくれた。今日の御飯は新米だよと突然言われる
それまで気が付かず食べていた。いつもの御飯とさほどに違わない、はじめから新米と分かっていたら、美味しいと思うのだろうか、こんなことでは、丹精こめてお米を造ってくださった方に悪いとおもいつつも、毎年新米の炊きたてはすぐに分かったはずだったが、食感が狂ったのかな、それとも本当に新米なのかなと疑ってしまった。


法要

2007-10-13 14:18:38 | Weblog

法要の済めば辺りに曼珠沙華



秋晴れの良き日に、兄弟はじめ娘夫婦だけの小法要をあげることができました。本日の御住職のお説教が本当に心が洗われる内容だった。兄妹夫婦が一同にかいする
ことはなかなか出来ないでいましたが、御先祖様が呼び寄せてくださったのだと思い、改めて御先祖に感謝の念を覚えました。普段お墓参りやらお寺様にお経を挙げていただいているつもりですが、しばらく、法要と言うかたちは遠ざかっていましたので、これで肩の荷が下りたような気がしています。