ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

吊るし柿

2014-11-29 16:14:12 | Weblog

はじめての遊びこころや吊し柿

吊し柿日を食らふほど痩せにけり

 先日、孫ともども、弟の連れ合いの実家に収獲体験に行った折、渋柿まで戴いて来た。家内は一生懸命で皮をむきベランダの三ヶ所に、写真のように柿を吊るした。初めての経験ですので、はたして美味しい干し柿が食べられるか請う期待である。干柿と言えば友人のN君から毎年戴きますが、干柿の大好きな私は彼の上手い「干柿」を心待ちにしている。もうそろそろ、「元気でいたか」と言ってやって来そうな気がしている。

 


雁木道りの今と昔

2014-11-28 05:50:05 | Weblog

雁木通り午後の日射しの眩しけり

                                             

 左りの写真は、昨日の街歩きの折、「高橋まゆみ人形館」のある表通りの仏壇とお寺さんが連なる街の雁木道りです。逆光で撮ってみましたが、雁木道りに刺す日射しが眩しいように撮れた。 

 

 

     いにしえの雁木通学元気な児

 

 

 

 

 

右の写真は同じ冬でも雪が積もった正月ごろの雁木道りだと思いますが、温暖化により昨今の雪の量と大きく違い、大雪だった。この頃は今のように除雪という概念が無く道路にたまった雪と、家根から降ろす雪とで、街の道路は雁木通りよりかなり高くなった。昭和49年の写真ですので、今から40年前の冬は車など通ることは夢の夢だった。現在は雪道をブルによる除雪と、地下からくみ上げた水を消雪パイプを通うして雪を消すようになった。また、市内のほとんどの幹線道路は新しい道路工事により、コンクリートの下に保温の利く鉄パイプを網の目のように逸らせ、深く掘った冬の外気より暖かい水を汲み上げ、パイプを通し、どんな大雪でもセンサーを働かせて雪が降るつど消してしまうと言う餓鬼的な技術により冬中ほとんど雪がたまらなくなった。従って今の雁木道りの役目は雪や雨の当たらない歩道の役となっている。 今は、克雪といって雪を克服するという言葉が出来、あれほど住民を困らせた雪を「雪と遊ぼう」などとキャッチフレーズが出るようになった。

 

 

 

                                                             

 

昭和49年/飯山市街の雁木道り「松原孝一」氏の写真集より


「いいやま」の感動をあなたの俳句に

2014-11-27 16:39:16 | Weblog

小春日やあいさつの声の弾み来る

白壁に日射しのとける小六月

                        

 今日の午後は小春日を思わせる暖かい晴天に恵まれましたので、機械の歩行から解放され、久しぶりに街を歩いた。また、今日のブログの話題も無かったので「犬も歩けば棒にに当たる」の心境でカメラの入った鞄をぶらさげての歩行であった。途中での一休みと思い「高橋まゆみ人形館」の前の椅子に腰かけると、左の写真の俳句投句箱に気がついた。以前から飯山駅初め数か所に「いいやま投句実行委員会」主催の俳句投句箱が設置してあることは承知していましたが、投句して見たい気持ちもありましたが、気恥さもあり、横目にしていた。歩くコースの「高橋まゆみ人形館」に投句箱があるとは今日まで気付かなかった。なんの心境の変化か分かりませんが、投句したい気持となった。丁度、次回の俳句教室の兼題が今日のような「小春日」と「小六月」でしたので、鞄の中に常備に入れてある俳句手帳を取り出して椅子に掛けながら俳句の世界に入った。あたるも八卦当たらぬも八卦の気持ちで投句用紙に上の二句を投句した。

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投句用紙に、こんなことが書かれていた。ここ飯山は豊かな自然と原風景が残されており、寺町や歴史的な文化遺産が多くあります。また、素朴で雪国の暖かい人々のこころがあります。飯山の四季折々の美しさ。人とのふれあい、生活の情景など、あなたの感動をぜひ俳句に詠んでみませんか。とありましたが、浮かんだ二句は上の序文とかけ離れてしまった。また、平日だと言うのに、相変わらず人形館へ次からへと御客様がおいでになる。開館して四年が過ぎましたが、相変わらずの人気に驚くばかりである。

                                             

 

 

 

 

 

 

 

                                 

 

 

   


老人体操

2014-11-26 08:00:42 | Weblog

       冬めきて短パン姿快老人

広報飯山11月号から拾いました、タイトルは「目指せ!!100日運動」を参考にして下さい。  

下記のURLは私が毎日欠かさずやっているロコモ度体操の動画です。

 ロコモ度体操

 私は40cn位の高さで両足で立ちあがりを一回に立ち上がり運動を10回を一日に朝、昼、夜、と三回実行しています。簡単な運動ですので、参考にして見てください。

ロコモとは!!!」運動器の障害のために移動機能の低下をきたした状態を
「ロコモティブシンドローム(略称:ロコモ、和名:運動器症候群)」といいます。
進行すると介護が必要になるリスクが高くなります。ロコモは筋肉、骨、関節、軟骨、椎間板といった運動器のいずれか、もしくは複数に障害が起き、歩行や日常生活に何らかの障害をきたしている状態です。2007年、日本整形外科学会は人類が経験したことのない超高齢社会・日本の未来を見据え、このロコモという概念を提唱しました。

 自分自身が、健康づくりのために行う運動であれば、種目は限定しません(例参照)。時間の目標は10分以上連続してください。(運動の前後は準備運動と整理運動を忘れずに!!) 

 

 

 

 


中田宏氏の講演

2014-11-24 09:27:22 | Weblog

冬の靄晴らすは吾の一票に

足を引っ張る野党から建設的な野党へ

大義なき今回の衆議院の解散ですが、元横浜市長を勤め、思いきった改革の経験の人「中田宏」氏の講演ビデオをご覧ください。尚、中田氏は「日本維新」の会から石原グループが分離した後、今年の6月26日に平沼赳夫、山田宏、石原慎太郎ら7議員による「次世代の党」の結党に参加し「国会対策委員長」として現在にいたっている。私個人は近年の政治家の資質の低下を危惧している。従って政治不信は脱えない。

 

 


藁の干支つくり名人

2014-11-23 12:49:53 | Weblog

 小春日に妻と孫とで山に魅せ

山眠るふいの地震に吾恐怖

 

 中野市へ出かけた帰り道、空に雲ひとつとない、小春日の良い天気に、誘われるように車を止めてもらい、雄大な「高社山」に魅せられて、写真を撮った。先日の十八日にブログにしました「初冬の景色」に私の飯山から見た「椀二つをさかさまにした高社山を中野市側からじっくり写真にすることが出来た。飯山に繋がる北陸新幹線の高架橋が秋の多分「赤岩」のに入って行く姿が撮れた。また、昨夜の十時少し過ぎに床に入ったばかりに、大きな揺れの地震に驚くと同時に恐怖心に晒された。テレビ報道で分かったのですが、震源地は私共長野県の北部、白馬村、小川村、小谷村あたりが地震震源地のようで「震度6弱」との発表だった。私が住む飯山は震度4でしたが、大きな横揺れに恐怖感を生じたのに、震源地は大変だったと推察する。今朝になって長野市内初め各地の怪我人初め、崩壊したか家屋、道路、がけ崩れの報道に、驚いている。震源地長野県北部と発表されると、私共飯山から北の秋山地方を連想しますが、北部と言っても長野市の周辺、県北部の南の地方であった。

 

 

   冬温くしかたち楽しき藁細工

先日、テレビNHK長野で中野市の藁で干支をつくる名人の紹介をしていた。昨日は先日に続いての「小春日和」の暖かい連休の二日目でしたので、家内の運転で孫の二男坊「ゆうーちゃん」を連れて「藁干支」の展示してある、中野市の「陣屋会館」へ見学に出かけた。思ったより小さな干支の藁細工であった。先日のテレビで、来年の干支「羊」を紹介していましたが、こちらでは、まだ陳列していなかった。私は色紙に干支の墨絵を画いて、親戚、知人に送っているので、「羊の藁細工」を見て参考になったら、改めて描きたいと思いましたが、陳列してなく残念だった。 

 

 

 

 

 

左のケースの中に可愛い干支のネズミが数式展示されていた一匹一の表情が違うことに、良く考えた藁細工だと感心した。隅の陳陳列ケースに、数匹陳列してあった「子」と「兎」の干支藁細工を一個500円で販売していた。12種の干支が揃っていたなら購入を希望していたのですが、まだ製作者は干支の12種に一周に至らないのかもしれないと思った。私が画いている(水墨画)色紙での干支と同じく12種を揃えるのはやはり大変なのだなあと思う。  

 

 

 


何故解散か納得できない。

2014-11-21 10:38:21 | Weblog

国会解散

小六月透き抜く空に風が吹く

透き通るような気持ちが良い小春日なのに、私は今回の解散には納得が出来ないでいる、でも国会が解散される。大儀が見えてこない。報道ではこの総選挙を行うのに、650億円の費用がかかると言われている。この650億円があったら、東北初め、今年多かった全国の被災者初め、消費税増税と円安から来る物価の上昇にあげく、生活困窮者に少しでも使ったら、どんなに喜ばれるかと思うと、残念で仕方がない。安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」などと挌好を付けていますが、行政改革初め沢山の改革が急務の時期ではないかと思う。今朝の新聞報道では63%の国民が「解散表明に理解が出来ない」と言う。苦労の知らない国会議員は、本当に国民の幸せを考えているのかどうかと疑う私です。

 

 

 

 

 


最後の紅葉

2014-11-19 08:00:28 | Weblog

 毎年、写真の三ヶ所の紅葉を写真にしてきましたが、写真にする度に、その年の自然環境の様子や撮る時期によって毎年違った写真が撮れる楽しみがある。今年は一番綺麗な紅葉の時期を逸して少し遅すぎた。「紅葉」は秋の季語だ。立冬が過ぎ、紅葉が終わる季節になってからのブログに、詠む句の季語はどんな季語があるのか分からず、歳時記も紐解いて調べると、「紅葉散る」と「冬紅葉」の二季語があった。写真の最後の「称念寺」さんの紅葉だけが、晩秋に撮ったタイミングの良い時期の写真です。

  

地に映へて掃くことおしき散り紅葉

風情がある茅葺き屋根の門を抜けると古き大きい「西敬寺」さんの本堂がどんと座っている。その茅葺き屋根の門の手前に、紅葉の最盛期から離れた「楓」の赤色が黒ずんで散ることを我慢に我慢を重ねているように見えた紅葉の風景である。それでも、地に散ってその場で精いっぱいに映えている「楓」がけなげに痛々しくか感じた

 

 

 

                                                                                

 

 

  白壁に寄り添ひ映へる冬紅葉

 高橋まゆみ人形館の前に白壁の土蔵がある。そこは、人形館においでになったお客様に販売する、郷土みやげ品を揃えたお店である。その白壁の土蔵の傍に寄り添うように、終りに近い「楓」の紅葉が白い壁に対比するかに見事の紅を保って見えた。

 

 

   

 

 

 空にまで燃へて移らむ寺紅葉

 このお寺「称念寺」さんの紅葉に、毎年期待しつつ訪れるお客様が多いと聞く、この写真は晩秋の紅葉の盛りで、タイミング良く撮れた写真です。天気の良い日であればこの紅葉に陽が射して尚のこと紅の色が青空まで映へ移るかのようになるだろうと、想像した句となった。残念でしたが写真を撮った日は曇り空の少し暗い日でした。

 

 

 

 

 

 境内に色を沈めて濡れ紅葉

 左の写真は、称年寺さんの境内の紅葉です。上の写真の茂った石の階段を登ると、境内の広々とした庭が現れる。写真は少しぼけてしまいましたが、「楓」の木の一本一本に手入れが行き届いていて、それは見事な紅葉が目の中へ飛んできた。

 

 

                                                                                                                                                                         

 

 

 


初冬の景色

2014-11-18 08:04:35 | Weblog

  我が郷は淋しからずや冬の空

 吾部屋に十一月の日射し伸ぶ

 

 何もかも見つめて射るや冬の山

   

  初冬の千曲川と二つのお椀をひっくり返した山は、私共古里のシンボル「高社山」1351.5mの山で、この山の裏側は中野市です。地元の老若男女問わずに登られ、また越年登山、学校登山も行われている地元密着型の山の最たる山である。校歌、校章、団体名、会社名、産物名にいたるまで「高社山」または「たかやしろ」と呼ばれている。むしろ、飯山地方の人々は「たかやしろ」と呼ぶか方がほとんどと言って良い。私の母校の校歌に「みすずかる 信濃のまほら、うち繞り 聳ゆる嶺の 崇高きは われらが心 はるかなり 千曲の流れ時やまず 海に入り行く啓示こそ われらが鑑」とある。この、「聳ゆる嶺の」聳える嶺のは「高社山」のことであろう。また。第二応援歌に「高社おろし 吹きあれて
  古城に起る 松風は天も轟ろに 叫ぶなり」と「雲上そびゆる 高社山長蛇洋々 千曲川我らの理想は 高遠し」とある。

 

 

 

 

 冬ぬくし岩に腰かけ橋眺め

   

 右の橋は新しく完成まじかの橋です。後ろの赤い旧橋は私の記憶だと確か中学三年生の年に完成した橋です。その旧橋の入口の堤防の直ぐ下に学校がありその堤防側の二階が私達三年A組の教室でした。授業中に橋のアーチを繋ぎを締める、焼けた鉄ビヨを橋の下から一本一本投げ、神技のように熱いビヨを鉄鋏で受け取ってガガガーと焼かれたビヨを打つ音の大きさに授業が実にならなかったことを鮮明に覚えている。昭和31年でしたから、今から58年前のことである。従って旧橋は58年間働いてくれて、老朽化が進み掛け替えとなった。新しい橋の工事を見学する度に技術の進歩に驚いていた。この新しい橋は新技術をふんだんに取り入れた、「エクストラールーズド」橋と言うそうで、住民の要望を充分に考慮した、長野県内の道路橋に実績のない、高度な技術を要した橋だそうで、景観性、施工性、経済性の橋で、市民は完成に大きな期待をしている。

 

 

 

 

 

神を呼ぶ用意万端虎落笛

  左の写真は来年に行われる、私共の町の道祖神である。近年、雪降る前に完成させ一か月間以上、千曲川の河川敷に飾られている。道祖神と言えば「野沢温泉の壮大な道祖神祭り」が有名ですが、わが古里も、初の男の子の成長を願って、戦前、戦後は盛んに行っていましたが、ある時期から途絶えていました。そこで、私の若き時代の「十五日」会と言う親睦団体が、道祖神の復活を計画し、区民の協力を得て企画からオペレーションの全てを実行に移した。幸いのことに、私達の町が火つけとなり近隣の沢山の字町に広がった良き思い出がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


湯どうふ

2014-11-17 09:30:36 | Weblog

 湯豆腐や箸にかからぬ駄句ばかり

湯豆腐やいのちのはてを想ふかな

 

 昨夜の夕食に家内は寒くなったからか、一人用の湯どうふを運んでくれた。一人用の鍋や湯豆腐に最適な器だった。私がオサンドンしている時は無かったが、聞いてみると、母の時代から何方からか敷出物で戴いた器のようだった。晩酌をしている時は、この湯どうふでの日本酒が、なによりの楽しみであったことを思い出された。昨夜の湯どうふは元味が利いていてなかなか美味しかった。余談ですが、今日の句のように、私はこの頃浮かんでくる俳句は駄句ばかり、従って俳句教室の先生に添削されることが多い。下の二句目ですが、病持ちの私は今、七十三歳と半年。これから一生懸命に健康に気を配りながら生きて、何年くらい元気でいられるかなんて淋しいことを良く考えるこの頃である。


漬けものに大童

2014-11-16 10:26:45 | Weblog

 初時雨あびてしなやか干大根

ふるさとの風に晒すや干大根

 

大根干す軒の明るさ街日和

 

 毎年、街の人々の話題となる、八百屋さん南壁に大根を干されて数日となる。今では初冬の風物詩となっている。今は多分、電気干しと思われる漬大根がスーパーに並ぶようになっていますが、やはりお客さんは、自然の太陽、風、初時雨、初霜などに晒されて干された大根が格別の味なのだろう。これから私共地方は、野沢菜漬、たくわん漬、などは勿論のこと、最近は各家庭で、白菜の朝鮮漬が流行っているようで忙しい季節となります。私のところは、16年前、私が病気してから、塩のある漬けものを漬けるのは一切止めている。特に野沢菜漬は各家庭家庭にそれぞれ漬け方があって、代々お嫁さんは姑から受け継いでいると言う。私の家も、母が亡くなる三位前から、家内が母に伝授され漬けていた。なかなか美味しい野沢菜漬であった。今でもこの時期になると母から伝授された野沢菜漬を食べたい衝動が走ろ。

 

 

 


雪国の懐かしき写真集

2014-11-15 12:40:43 | Weblog

雪国の風土と暮らしを写真にした「松瀬孝一氏の写真集奥信濃 」 を久しぶりに紐解いた 。

                                                                                           

                       

 

                        重い出の雪の深さを忘れいず

                                           雪山つくり昭和28年/本町商店街

                                                     屋根から降ろした大量の雪を昔は商店の店の前に木鋤      で雪を高く積み上げたていた。その技術を競ったものだった。                                       

 

細き道バスに盗られし雪の街

 雪国のバス 昭和32年/飯山市本町商店

屋根から降ろした雪が道路の両側に積まれるため、せばめられた本町商店街を窮屈そうにバスが通る。

  

      

                                                   

                            ぽかぽかの母の箱橇夢ごこち

 

 昭和35年になるとカラー写真である。まだこのころも、冬の商店街の道路は少し広くはなりましたが、本格的にブルが入って雪を片づけていなかった。

                           

 

 

 

                                                                        

                                                   

                                                    

 

 

 

                                                                                                     

 

 

                              

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      


街に案山子現れる。

2014-11-14 15:56:39 | Weblog

 案山子揚街に現れ一仕事

 案山子は秋の季語ですが、「案山子揚」となると冬の季語となる。歳時記には「陰暦十月十日に、田から引き揚げた案山子を庭で祭る長野県地方の農家の行事」と記されていた。陰暦十月十日は新暦に置き換えると12月1日となる。田から引き揚げられた案山子は農家の庭でなく街に現れ祭れたと言うわけです。この頃、朝寒くなりましたので、歩くのは家の中での機械歩行に切り替えていますので、街の中に案山子が飾られていることを、数日前の新聞で知りましたが、そんなに感心が湧かないでいたら、孫のお兄ちゃんに「お爺ちゃん街に面白い案山子が幾つも飾られているよ写真に撮ってブログにしたら」と言われた。丁度ブログの材料に苦慮していましたので、久しぶりに街を歩き話題の案山子を撮り歩いた。

 

 

 

右の案山子は、可愛いお孫さんが野花を摘んでお婆ちゃんに「奇麗でしょ」と言って手渡ししている姿かな?と想像を膨らませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左の案山子は来る11月16日が投票日となる飯山市会議員の選挙中ですので、孫を背負ったお爺ちゃんの釣り竿に「正しい選挙」と書かれた魚を釣る案山子でした。しかも、ある候補の選挙事務所の直ぐ隣に祭られていた。何だか皮肉さを感じた。

 

 

 

 

 

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 スキーのメッカらしくスキーの案山子まで現れた。「雪国生まれ80歳まだまだ現役滑飛也!」ちょっと大げさですが、これから長寿県長野らしく老シニアの元気なスキーヤーがゲレンデに現れる姿が多くなることだろう。私共北信州の人々は幼少のころからスキーに解け込んで居りますので、年齢が重なっても、ゴーグルして若者に似た格好でスキーをしている姿は、老人に見えないだろう。また、その上、雪の無い遠方のスキー愛好家も、老シニアになられても、安全な新幹線でおいでになりスキー場で楽しんで滑る姿を見かけることが、あちこちに現れるあろうと期待が膨らんでいる。

                                                                                                                                                              

 

                                                 

 

 

 

 

 

  「コビレ」とは私共地方の方言かもしれませんが、のら畑で午前10時と昼食の後、3時ころ、ちょっと小腹が空いた時に食べる補給食(おやつ)のようなものかと思いますが、良く「コビレ」と言う言葉を使います。                                               


久々のファミレス

2014-11-12 11:36:10 | Weblog

 ファミレスの腹満腹に財布寒

 

 昨夜は孫達の両親が所要で留守でしたので、孫達を連れて久しぶりのファミレスでので夕食でした。お兄ちゃん二人は成長盛なので食欲が旺盛なのに、財布元の爺としては、財布の中身が少し心配となった。私は太ってはいけないので、孫達と一緒に食事すると、ついつい共食となり、多めに食べるようになってしまうので、少なめな食事を自分の部屋へ運んでもらい、一人で食事することにしている。両親が大きいせいか、孫達三人共、平均よりかなり大きい、上のお兄ちゃんは二年生ですが、六年生の平均より大きいようだ。お兄ちゃんは、空手とバスケットの道場とクラブに参加して励んでいるので、エネルギー補給が必要なのであろうと思う。いずれにせよ、孫達が元気に成長することが、爺と婆にとって、何よりの楽しみでうれしいことである。