ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

俳句教室の次回兼題

2012-03-31 10:09:31 | Weblog

四月十六日の俳句教室の兼題は「さくら全般」である。その日は毎年恒例の「兄弟会」の日となるので出席できない。四月二日の教室に掲出句が間にあわなければいけませんので、春の「水墨画」展覧会と重なって、さすが閑人の私でもこのごろ落ちつかない日が続く。俳句は以下の六句から三句を掲出する予定だ。六句とも、いまいちピンとこなく葛藤している。推敲に推敲を重ねなんとか詠めるようにしたい。水墨画の方は今年で八年目となりますが年数が経つだけでこれもいまいちである。先生は年々と厳しくなる。人生なんでもそうだ、なれてチョットできるようになると安心感と怠慢感が生まれる。指導者はそこのところちゃんと心得ているのだろう。                                 

 池の底影を曳き行く花筏        

病院の窓辺にひとり花見かな

絨毯のごときに浮かぶ花筏

花見膳ひらりひらりと花あそぶ

ベンチにて夫婦なかよく花見酒

花疲れ古希の齢を知らされる

気がつけば預金空っぽ花曇り

                             この駄句から三句推敲して投句したいと思っている。

 

 

飯山城址の老さくら(平成20年)

 

中野市赤岩の谷厳寺しだれ桜(平成21年)

 

 

 


クロッカス

2012-03-30 17:47:12 | Weblog

庭の隅家族会議かクロッカス

日が射して彩に魅せられクロッカス 

 

濁る身を清めし白きクロッカス

ようやく、北信州は南向きの日当たりの良い御宅の庭は、この三日ばかりの暖かさで随分と雪が解けた。雪の下でじっと我慢していたかのように、一斉にクロッカスの花が元気に大地を割って咲き始めている。なかにはすでに遅さを感じさせる黄色なクロッカスも見えた。


我が家の亀太郎君

2012-03-29 06:33:38 | Weblog
亀鳴くやおいらそろそろ恋したい
 
亀鳴くや歯科医に大き口開けて
 
亀鳴くや羅針盤なき日本丸
 
いよいよ目覚めたのか、我が家の「亀太郎君」は暖かな日差しに出してやると、気持ちがよいのかガラス小屋のなかで、のソロのソロと動いていた。「亀太郎」と勝手に名付けてはいるが、実のところ雌だか雄だか見分ける知識がない。私の弟が昨年千曲川で釣った亀である。弟の家には三〇年も居座っている亀君がいるので、我が家へ持ってきたという分けだ。「亀太郎君」は何時も餌をくれる人を覚えていて、傍へよっても首を引っ込めないが、世話のしない人が寄ると直ぐ甲羅ばかりになってしまう。亀の男か女の見分け方をグーグルで検索したら次のようにあった。

1・尾で見分ける

 尾が太くて長いほうがオス、細く短いのがメス!!!」だが(比較対象がいない)

2.総排泄孔(お尻の穴)の位置で見分ける

 尾の先端のほうに穴があるのがオス、甲羅に近いところに穴があるのがメス

と分かった、ネットは便利だと改めて思う。

 昨日、傍の行き付けの歯医者さんに治療に行く、前歯の一本がぐらつくような気がしましたので先生に診てもらうと「歯槽膿漏」だという。もう二年もの歯医者通い、今の治療が終わったら樂楽だと思っていた矢先「歯槽膿漏」ときた。また当分の間、歯医者の先生と付き合わなければならない。


三島由紀夫に触れる

2012-03-28 10:48:00 | Weblog

花冷や三島由紀夫がそこにいる

 

              

暫らくです。久しぶりのブログに硬いまとまらない話にになりますが。私はけして国粋主義者でもなければ、タカ派的人間ではないが、古希を過ぎて一年になろうとしている今、教育のない浅学非才の私でさえ昨今の日本の風潮を憂うことばかりである。日本の誇るべき伝統、文化、教育、秩序、良き魂が消え去ろうとしている。私も責任の一端は感ずること多々ありますが、日本の国民の一人として明日に希望をつなぐことができない。このままでは「日本丸」は沈没するのではないかといふ感を日ましに深くする。三島由紀夫が訴えたように「日本はなくなつて、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでも良いと思つている人たちと私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」あの割腹自刃から41年、わがニッポンはこのことばどおりに成り果てているような気がしてならない。三島由紀夫から鳩山由紀夫に変わった時、この国の終焉が見えてきた。国家、すでに国家ではない。そこにあるのは魂の抜け殻としてのシステムだけだ。原発はすでにチェルノブイリの放射能の三分の一を放出してある編集者はフジテレビの韓流化に抗議して事務所も解雇されたようだ。ちょっと前には俳優の山本太郎が原発問題で発言して仕事を干された。これらの二人のように、三島的スピリットを抱いている勇気ある人達が居なくなる。芯の民主主義が崩壊し、この国は確実に終焉に向かっているだろうと私は思う。季語の花冷は、桜の咲く時期に冷気が訪れてくることを言う。北信州は、今年の大雪と寒さで、桜の開花の予想だと、例年より一週間は遅れて、四月二十日以降になるだろう。

 

 


春の御彼岸

2012-03-20 10:26:24 | Weblog

 彼岸会や齢(よわい)重ねし母偲ぶ

彼岸の日うしろめたさの数多し

彼岸は俳句における季語である。ただし、単に「彼岸」といえば春の彼岸を指し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」という。また、「彼岸前」「彼岸過」「中日」も季語として扱われ、いずれも春のそれである。御先祖様は私たちの生命の根源です。私たちがほんとうに心の中より平和な生活を願い、豊な生命の流れを願うならば、命の根源を尊び敬いて、報恩の行を実行することを忘れてはなりません。とネットにあった。


春はいずこへ

2012-03-19 11:37:32 | Weblog

         待ちはびる春はいずこで遊びしか

      梅咲きの話題消へ去る北信濃

今朝の春雪 

どうも寒く冷たい前線は日本列島にくまなく停滞している模様だ。明日は御彼岸の御中日、あと10日もすれば四月だ。春はまだまだ遠い感じがする。2~3日暖かい日が続いて春らしくなったかと思いきや、突如として冬に逆戻り。この分だと北信州は「梅は咲いたか桜はまだかいな」なんというセリフはまだ遠いことだろう。写真の風景はまるっきり真冬を想わせる。昨年の今時分だったろうか、この付近で蕗の薹を沢山採った記憶がある。この雪が降る前、暖かさが続いた折に、この下の道沿いに薄い雪を割ったようにして蕗の薹が顔を出し初めていましたが、この雪で再び雪のなかに潜んでしまった。


二人の好きな蜆汁

2012-03-18 08:58:59 | Weblog

偕老の苦楽はんはん蜆汁

 歳時記では蜆は四季通じてあるが、もっとも美味しいといわれる瀬田蜆の旬は春。この蜆を汁の具にしたものが蜆汁である。かっては、暮らしているところの川や湖でとれた蜆を朝の味噌汁に入れるというほどに庶民的で身近であった。食用となっているものの多くは大和蜆で、こちらの旬は冬。これは寒蜆とも呼ばれている。蜆は昔から身体に良いと聞かされていますが、今では高価なものとなり、いくら好きでもチョクチョク食べらなくなった。私は蜆には信州味噌より赤味噌の方が口に会うような気がします。恥ずかしながら、今日の句の上五には「偕老」と詠んだが、私共夫婦は四十数年厳しい商人(あきんど)の道を友に歩んできたことを懐かしく思える今日この頃です。

 

                


春泥を踏んで見たい衝動

2012-03-17 09:56:50 | Weblog

春泥に次の一歩を置き迷ふ

春泥を杖で探り歩くかな

 

  昨日の晴れ間に思い切って、杖をつきながら休み休み時間をかけて、なつかしい、健常者に近く歩けた頃のコースを歩いた。歩く本通りの枝に農道が続く土の道がある、その道は除雪した後で行ききしたトラクターの車の跡があった。多分農道を確保して、先にある畑に灰をまき早く雪を消す手あてをしているのだろうと思う。今年は豪雪のため農作業が遅れるのを防ぐためだろう。その農道に差し掛かると、杖をついている危険を知りながら、童心のように泥道を歩きたい気持ちとなる。以前から時々歩いたことのある農道、コンクリートの道ばかり歩いかていると、土のやわらかい感触がほしいものである。細心の注意を払いゆっくりと農道を往復した。やはり畑に灰だか細かい土だかが、間を開けながら一面に蒔かれていた。歩くことは少しずつ元の近くに直っている気がいたしますが、腰の痛さが加わり難儀となった歩行運動であった。、

 


佐渡の朱鷺

2012-03-16 15:54:26 | Weblog

 朱鷺育ち佐渡の天空舞ふが夢

 環境省は25日、野生復帰を目指し、新潟県佐渡島で放鳥した国の特別天然記念物「朱鷺」のペア1組が産卵した可能性が高いと発表した。自然界での36年ぶりのひな誕生への期待が高まっているという。同省によると、2月25日からペアで行動する姿を観察、今月12日午前8時ごろ、コナラの木の枝に営巣したのを確認した。 同市内では、他にも10組以上の朱鷺が雌雄で行動する姿が観察されているという。震災で沈んでいる心に少し明かりが灯るだろう・・・。「朱鷺」は歳時記では秋の季語です。季重になるのか理解できませんが、こんな二句を詠んだ俳句にあった。「水浴び後春田を染めて朱鷺は去る」と「寒風に冠羽を立てて朱鷺が鳴く」こんなふうにも考えて見た。一句目は「春田」二句目は「寒風」におもむきを置いているのかなとも・・・・・・・・」でも疑問が残る。

 

 

 

 

 

 

 

 


俳句教室掲出句(推敲中)

2012-03-15 11:26:37 | Weblog

先頭は餓鬼大将よ蝌蚪の国

蛇穴を出づ復興は遅々として

亀鳴くや羅針盤なき日本丸

 墨彩画の 蝌蚪(おたまじゃくし

 冬眠から覚めたばかりの蛇が、四月二日の俳句教室の掲出句を詠んで見た。三句目は、株はこの先日はようやく一万円台に到達しましたが、私の持株は相変わらず安値安定で困っております。上の掲出したいと思っている句は、まだ日がありますので、深く推敲するか、他に良い句が浮かびましたら変更したいと思っている。自分では出来がいまいちと思った句が先生が図らずも特選か準特選にとっていただくことがある半面、自信句を目向きしてくださらなかった事しばしばです。まだまだ未熟な所以である。午後になって日が当ってきたら、我が家の亀さんも動き始めると思うので写真にしたいと思っております。「亀鳴く」は不思議だ。亀の鳴き声を聞いた人はどれだけいるのだろうか、そもそも、亀って鳴くのだろうか。俳句では季語となる位だから、春の出所不明の音・声を「亀鳴く」とすればよいということになるようだ


再び俳句教室に

2012-03-14 08:01:32 | Weblog

 蛇穴を出て教室におどおどと

約五ヶ月、蛇と同じく冬眠していた俳句教室、四月二日から再会の予定だ。教室は長野駅に繋がるデパートにあるカルチャーセンターなので足の不自由さはさほど気にならないだろう。約五ヶ月以上のブランクはそうとうなものと覚悟を決めて、重い腰を上げることにした。先日、私共の投句をまんべんなく捌いていただいている「利之」さんに電話すると再会を楽しみにして下さった。彼は私と同期なので教室では隣同士で色々お世話になっている。彼はなかなかの俳句を詠む方で毎月俳句会の「岳」に投句を欠かさない努力家だ。三月二十一日までに投句する兼題を聞くと「啓蟄」を除いた春の小動物とのこと、春の小鳥ではないようなので、蝌蚪、亀鳴く、蛇穴を出づ、蛙、などから唄ってみたいと思っている。久しぶりの教室なので少し緊張気味である。


県北部地震(震度6強)から一年

2012-03-13 08:28:45 | Weblog

復興のふかき絆の座禅草

 

 昨日、東日本大震災の一日あと三月十二日に私が住むところから僅か北へ二十K少しの栄村に震度六強の大地震発生から一年を迎えた。その上、今冬は例年の倍近くの豪雪に会い二重の苦労にさいなまれた。高齢化の進む過疎の村、家がつぶれ、田畑も失くした仮設住宅に住む人々の中には将来、村の生活から新転地を求めて出ていく村民もかなりいると言う。2200人ちょっとの人口、いかに復興を果たすかが大きな課題を突き付けられている。以前から村に交流のあった、農村計画が専門の木村和弘(信大名誉教授)を中心に村の有志が集い「村の復興計画」が始まった。栄村の復興計画を「全国の中山間地帯の再生モデルに仕上げたい」との意気込む、新たなる期待をしたい。

 

2011年3月12日青倉集落被災直後の様子


大震災より一週期

2012-03-12 08:58:41 | Weblog

 春の雪復興ねがい黙祷す

一周忌埋まるもの無き春北風はるならい

大震災から一年

 

予報では、また冬に逆戻り、大震災の東北初め北海道はかなりの雪模様、こちら北信州も40cmは降るとの予報に驚かされた。この数日の暖かさと好天で雪がかなり解けたのにと思いながら・・・・」今日の雪は予報のようではなさそうなので内心ほっとしている、細雪より少し太い雪が降っている、そう貯まらないだろう。昨日と今日は「東日本大震災」と隣の「栄村の大地震」をもたらして、一周年、東北では鎮魂の思いで祈りをささげ、悲しみを新たにした。政府は「教訓を後世に語り継ぎ、古里の復興にまい進する」又、野田首相は「復興を通じた日本の再生という歴史的な使命を果たす」と述べたが、述べるのは簡単だが、はたして今の政府では速やかに復興に向かうことが出来るのか疑問に感ずるのは私だけではないと思う。芯から被害に会われた悲しみの深い人々を救うには「党利党略」の諸々を捨て、与野党一致団結となって復興に向かうことが大切である。震災から1年が過ぎたというのに復興は遅々としている、いつも口先だけに終始してしまう政治家にまた心配がよぎる。今度の大震災はそんな裕著なものではないはずだ。