癌晴(がんば)れず役者の逝くや蝶凍つる
ある日の勘三郎さん(ネットより)
今年7月に食道がんの摘出手術を受け療養中だった中村勘三郎(57)に重篤情報が飛び交っている。「中村勘三郎」といえば、数ある大名跡の中でも、最も古い歴史と伝統ある名前である。それを49歳という若さで襲名した勘三郎は、歌舞伎界には欠かせない存在だ。
歌舞伎関係者が語る。
正直いっていまの歌舞伎界に、今年7月に食道がんの摘出手術を受け療養中だった中村勘三郎(57)に重篤情報が飛び交っている。「中村勘三郎」といえば、数ある大名跡の中でも、最も古い歴史と伝統ある名前である。それを49歳という若さで襲名した勘三郎は、歌舞伎界には欠かせない存在だ。
2000年に初演の「平成中村座」は江戸の芝居見物をモチーフに人気を博し、ニューヨーク、ベルリンなど海外でも公演を行なってきた。
また、野田秀樹や宮藤官九郎らとも組み、常に新しい歌舞伎を創り上げてきた。コクーン歌舞伎では若い人たちに歌舞伎の面白さを伝え、現在に続く歌舞伎ブームの礎も築いた。
いま、客を呼べる歌舞伎役者といえば、勘三郎、坂東玉三郎、片岡仁左衞門の3人だが、興行面でも勘三郎が出るのと出ないのとでは大きな違いがある。
以上の役者は存在しません。人気、実力ともに飛び抜けていますし、世話物、時代物、道成寺、何をやらせてもうまい。それに、若い人が歌舞伎を見るきっかけを作ってきた功績は誰にも真似できるものではありません」と 「ネットからの記事」にあった。
一方中村勘三郎さんが兄のように親しんでいた「まつもと市民芸術館芸術監督の串田和美」の由縁のある地、松本で数回歌舞伎公演を行い、地方の歌舞伎を知らない人達に歌舞伎を魅了させた実績が大きい。勘三郎さんは松本の地が大好きだった。東京生まれの東京育ちの勘三郎さんは故郷を持たない為か、松本へ来ると、空は高いし、空気は澄んでいるし、山はきれいだし、それに何よりも人間があたたかくて親切で、かと言って節度を心得て決して踏みこんでこない。そういうところが、照れ屋で以外に不器用な東京っ子の気質にぴったりあったのだろう。と信毎新聞に「エッセイスト関容子」さんが書いていた。