お地蔵に蓑を着させて冬ぬくし
先日の一月三十日の信毎新聞に家内の兄さんの親友で、木島平村の「樋口富治」さんの話題が新聞に乗っていた。家内と私ともどもに樋口さんとは長い御付き合いである。樋口さんはこれまでいくつかのことを世の為人の為に貢献された方である。右のように樋口さんにハガキをだした。
お地蔵に蓑を着させて冬ぬくし
先日の一月三十日の信毎新聞に家内の兄さんの親友で、木島平村の「樋口富治」さんの話題が新聞に乗っていた。家内と私ともどもに樋口さんとは長い御付き合いである。樋口さんはこれまでいくつかのことを世の為人の為に貢献された方である。右のように樋口さんにハガキをだした。
にんにくの寒さ吹飛ぶ効果かな
私の持ち病の多くは効果があるのだと改めて驚いた。約三ヶ月分位は戴いたので、無くなったらネットで取り寄せることが出来ますので、人生が終焉するまで食べると決めた。
人生は苦の連続や一茶の忌
信濃蕎麦二八の割りよ一茶の忌
小林一茶の肖像(村松春甫画)
今月の一月五日は俳人小林一茶が逝った月です。従って一茶忌は冬の季語となっております。俳句を詠う有能な頭脳の持ち主である一茶の生涯はけして幸せな人生ではなかった思います。三歳にして母を失い、八歳で継母を迎える。継母に馴染めず、安永六年(1777年)、十四歳の時、江戸へ奉公に出る。二人の妻と数人の子供が授かりましたが、子供は皆若くして失い、義理の母と遺産相続の件で継母と12年間争うなど波乱万丈の人生と言えます。私の句に「信濃蕎麦二八の割りよ一茶の忌」と詠いましたが、一茶が生れた信濃町(北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)周辺の蕎麦は蕎麦粉が八で繋ぎの小麦は二の割合です。昨年の十月だと記憶しておりますが、友人数人と信濃町へ蕎麦打ち体験に行き、自分たちが打った蕎麦を美味しく戴いた楽しい思い出が蘇、って来ました。すぐ傍の戸隠蕎麦は余りにも有名ですが、戸隠蕎麦は蕎麦粉は七で小麦粉は三の割合だそうだ。
御神渡り恋し会いたし諏訪の神
(御神渡りは冬の季語)
2013年に出現した御神渡り
昨日は長野県内は厳しい寒気に覆われたと報道された。諏訪の八剣神社の宮司初め氏子は諏訪湖の御神渡り期待したが「御神渡り」は出現しなかったようだ。最近の地球温暖化の影響で御神渡りが現れない年が多くなっていると国内外の科学者は警鐘を鳴らしている。諏訪市民初め県民は、今年は御柱祭の年だけに三季ぶりの御神渡りの期待が大きい。御神渡りのいわれは、諏訪大社上社(諏訪市)の男神(建御名方命(たけみなかたのみこと))が下社(下諏訪町)の女神(八坂刀売命(やさかとめのみこと))に会いに行った足跡である、とも言われています。
狂ゐ降り今の世の如凍てるかな
下の写真は例年ですと、雪国、北信州飯山の一月の積雪は平地で130cm以上あるのですが、今年ほど雪が無い一月は記憶にありません。
下の写真は、雪国の吾北信州は雪が降らなかったが、驚きは
反対に雪が少ない18日の東京に降った大雪の写真です。
上の写真は十八日四国徳島に、大雪200人の孤立と独居女性の病死という悲惨な新聞報道です。
雪のない天山に座す千曲川
今冬一月十六日の千曲川周辺 昨年の一月の千曲川周辺
雪が無い冬の北信州飯山、七十数年の人生で初めての経験のような気がしている。予報では、来週一週間雪が降り、本格的な雪国の風景が現れると報道されておりますが、予報通りであれば、雪国らしい天山を見ることだろう。既に一月半ば過ぎましたが、写真のような状態では毎年二月初旬に行われる、「雪まつり」の雪像つくりが出来ないだろうと心配している。その上、さらに心配していることは、冬の時期一番に北信州の経済を生み出す肝心のスキー場の入り込み状態である。先日の軽井沢の碓氷峠で起こった未来ある大学生を亡くした大きなバス事故のバスツアーの生き先は、私共北信州の「斑尾高原スキー場」であったとのことだった。
天空の朝焼けに染むコハクチョウ
ペンネーム:Kiyoさん
撮影日:2016年1月10日
場所:安曇野市御宝田遊水池
NHK長野のホームページを覗くと、有明山が朝焼けに赤く染まるころ、白鳥達が飛び立ってくれました。今年は、暖冬のためか白鳥達の飛来数が少なく、白鳥湖は寂しい感じです。とペンネーム:Kiyoさんがコメント添えて投稿されていた。私は毎日午後六時のテレビNHKニュース長野に放映される「撮るしん」をを楽しみにしている。1月12日の放送に放映された「撮るしん」の写真が目に焼きついたので、後にNHK長野のホームページに、夕焼けとも朝焼けにも見える北アルピスを背景に飛ぶ白鳥の写真に再び感動させられた。
熱燗で地酒を一人呑むもよし
熱燗の夫は覚悟の断酒かな
写真ネットより
懐かしの「熱燗」の上手い時期だ。大好な酒を断って早三年になります。俳句のように、愛飲していました地酒「水尾」を一人でちびちびと飲んでいた頃が懐かしい。酒は百薬の長と言われていますように、熱燗のおいしいこの時期になりますと、まあ少しぐらいならと自分を許してしまいそうになる。飲む習慣になりますと、根は酒好きの私のこと、日本酒の適量の一合ではすまなく、ついついと二合三合になってしまうのが目に見えている。不思議なものでやっとの思いで、飲まなければ飲まないで済むようになりましたので、このまま我慢を通そうと改めて思うこの時期である。
一家皆無言となるや鮟鱇鍋
鮟鱇鍋七人の敵に囲まれし
写真が失敗しましたので、ネットよりお借りする
先日私の弟が一月五日の市場の初市で、三キロ以上の鮟鱇を一匹競りあげてきてくれた。以前から頼んで置いたのですが、今年は不漁なのか、市場になかなか入らなかったようだ。初せりは日本海の島根県浜田港の鮟鱇だった。お祝い値段もかねているのだろうか、割と安くせり落としたと言って持ってきてくれた。正月そうそう少し高い買物であったが、家中が鮟鱇鍋が大好だ。鮟鱇は捨てるところが無いので、三キロありますと、数回楽しめますので値段から比較すると家計の負担が少ないような気がした。家内はシブシブとお金を払ってくれたようだった。直ぐ「鮟鱇鍋」はしないようですので、弟に一本物に包丁を入れて戴き、肉と腹わた、皮、肝を分けて、そのままナイロンに入れて冷凍にして置いた。ようやく、パパであるお父さんがいて一家揃った昨日の夕食に御馳走になった。孫達も喜んで冬の好物を腹いっぱい食べたようでした。
七草の七種を言えたことはなし
七草の一草たりぬ粥もある
今年も家内の兄さん夫婦が新年の挨拶かたがた写真の七草粥の材料を持ってきていただいた。義姉さんは、七草を良く集めてきていただくことに、何時も不思議と感心をしております。七草粥は七日の朝に食べる習慣ですが、七草を本日いただきましたので明日八日の朝に戴こうと思っております。
気がつけば日めくり暦早五日
病み上がりのせいか、長くブログを開くのがおっくうになっていた。
年も明けたので、新たなる気持ちでブログを始めようと思っている矢先、気がつけば、今日はもう正月五日になってしまった。今年こそは、所要があったり、旅行、最悪は入院などで留守をしないか限りは「日めくりカレンダー」を毎日捲ることをあらためて決めた。毎年静岡の「金印わさび」さんから戴く貴重な「日めくりカレンダー」を、今年こそと思い思い、途中でめくることを長く忘れて断念してしまっていた。だが、右の写真の「薬師寺の僧侶である「大谷徹丈」と書家であり詩人の「相田みつを」の「ことば日めくり」のほうは割りと実行しているので、今年も新たな気持ちで続けようと思う。病み上がりの為、冬の寒い間は、ほとんど外出しないのでブログの話題にこと欠けますが、話題があり、俳句が浮かんだ時に気楽な気持ちで書くつもりでいます。本年もよろしく御付き合い戴ければ幸甚であります。マーヤンこと長谷川正義 拝.........」