ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

ゆっくりと足をのばして

2009-05-31 13:26:23 | Weblog
かちわりをグラスに遊ぶひとり酒

ネットより

今日は雨上がりのどんよりとした寒くもなく暑くもなく静かな五月最後の日、しかも日曜日だ。もっとも毎日日曜日の素浪人ですが、やはり日曜日はなんとなく落ち着く。午後になると若夫婦は孫達を連れて何処かへ出かけた様子、家内は整理事があるようで自分の部屋にこもりっきりだ。考えることは、家内に文句言われることが分かりながらも、一人ちびちび飲むことしか思い当たらない。珍しくリビングの棚にあるウイスキーの角瓶に目が行く、早速、薄めのハイボールを造ってゆっくりと楽しんだ。

しっかりと

2009-05-30 19:48:57 | Weblog

改革やかぶり忘れの夏帽子

街の中に国会議員の後援会ポスターが呉越同舟のように貼ってある。選挙はいつがいいのかまた何時になるにのかと話題沸騰だ。民主党は官僚主導型の無駄の多い政治から国民本位の政治にと、反面、自民党は100年に一度の経済危機だ政権担当能力のない民主党には任すことが出来ないと・・・・」また、お隣ではなんとかミサイルが何発も飛んでいる。いずれにせよ、平和ボケして政治に関心のない国民につけが回ってくる。



芍薬

2009-05-29 05:56:25 | Weblog
芍薬のつぼみほぐれて笑顔かな



かれこれ20数年間、芍薬が収穫時期になりますと必ずたくさんの芍薬を届けてくださる農家の奥さんがいる。この方の主人は数年間、農閑期の冬になると店を手伝ってくださった。ところが若くして不慮の事故で亡くなられてしまった。念願だった新築した家にたった一日住んだだけだったという。幸いなことに息子さん夫婦がしっかりと後を継いでいるので、今は孫に囲まれた幸せな日々を送っていなさるようだ。何かお礼をと思うのだが、多分家内が普段何か心がけしているのであろうと思う。何かの故障かカメラの映像がパソコンに取り込めないでいる。

墓参り

2009-05-28 12:41:44 | Weblog

初夏の墓曾孫ですよと報告す

菩提寺の裏の小高い山中に我が家の御墓がある。今日は孫の椋一君と婆との三人で御墓参りに行く。椋一君は初めての御先祖さんとの対面です。家内は「ここに爺のパパとママそのまた前のパパとママがいるんだよ」と説明をていましたが、分かったかは疑問ですが、慎重な面持ちで手を合わせていた。

昼さがり

2009-05-27 05:21:35 | Weblog
婆と僕うしろすがたに夏兆す

昨日は椋一君の三歳の誕生日だった。思い立ったようにして、婆と三人で須坂の臥竜公園にある遊園地に出かけた。乗り物がある並びに動物園の分家みたいにミニ動物園がありましたが椋一君はミニ動物にはとんと興味を示さなかった。もっぱら乗物に講じたたのしいそうな午後のひと時だった。

描く

2009-05-25 19:33:31 | Weblog
画紙に置く濃淡の墨夏がすみ

最近の展覧会に出展した作品ですが、どうも季語のようにスッキリとしない。
もっとも、これはと思うことの作品が出来たら目標がなくなるのではと、都合良く解釈しています。


シンプルに

2009-05-24 10:57:20 | Weblog
ウォーキング乾いた喉に心太

今日の句は「藤田湘子」の教えのとおり、見たもの、体験したもの、肌に感じたものを、そのままを捏ねまわさずに表現しました。なんだか物足りないよだが、これからも、シンプルに拙い句を作っていきたいと思う。

句は自分の眼で!!!!」

2009-05-23 14:02:33 | Weblog


俳人「藤田湘子」の「俳句作法入門」を読むと「自分の眼」をちゃんと持って作句することが大切。誰かの眼、誰かの作り方を追っかけていてたら、いつまでたっても自分の俳句は作れない。拙くともいい。うまく作ろうとしなくていい。自分の眼で感じたものを素直に表現することなのだ。また、俳句はものが見えるように詠いさえすれば、よけいな感情を吐露しなくていいのだ。意味だの、お話だの、説明だのといったことを、一句のなかに押し込む必要はない。と書かれてあった。「眼からうろこが落ちた」心境である。今日も「自分の眼」眼力が出てこないでいる。しばらく、ゆっくり行こうと思っております。

飛行機雲

2009-05-22 05:07:19 | Weblog
飛行機雲皐月の空に交差点

昨日、ウォーキングの時撮った写真です。今日は一日、シンチ、エコーなど、もろもろ検査の日です。なんだか億劫ですがこれからズーット付き合わなければないことですので前向きにまた前向きにです。

守る

2009-05-21 14:30:41 | Weblog
守るとは繰り返すことつばくらめ
守るとは飽きぬことなり親つばめ

何時も夕方の決まった時間に自転車にまたがった豆腐屋さんがやってくる。今では珍しい風物詩だ。以前、東京の孫達のパパがやってきた時、この豆腐屋さんを見てえらく感激していた。東京では見られない風景なのだろう。だんだんと手造りの本物がなくなる時代だ。つい先日も知り合いの手造りをかたくなに守ってきた豆腐屋さんが廃業したと聞く。全ての分野で本物の「こだわり」商品がなくなる時代、何か大きいものを置き忘れたような気持ちとなるのは私だけだろうか。

青春まった中

2009-05-20 18:51:50 | Weblog
少年の素振りバットに風薫る

永い日が西に沈むころ、私の二階の部屋からズームで撮った写真です。この少年は小さい時から良く知っている彼で、お母さんの実家にお世話になりながら、野球に青春をかけている高校生です。この子のおばあさんは眼を細めて可愛い孫の活躍ぶりをチョクチョク話してくれます。青春時代何かに夢中になることは、彼の将来に大きなプラス要因となることだろう。

思い出の千曲川

2009-05-19 15:47:55 | Weblog
水面に石を弾ませ夏きざす
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今日は真夏を思わせるような暑い日となった。千曲川の堤防バイバスを歩いておりますと汗が滲むほどに暑かったので、堤防を降りて川べりに近づき、大きな流木に腰を掛け、しばらく涼しい川風を楽しんだ。私が小学校5.6年のころは写真の場所あたりから向こう岸まで泳いだものだった。急流に差し掛かると渡り切る力がなく100メートル位流されてようやく向こう岸についたことを思い出した。あの頃の千曲川は本当にきれいだった。でも、この頃は上流での下水道の普及と環境浄化運動のおかげか、きれいな千曲川が戻ってきているようだ。童心に帰って、平らな小石を拾って弾ますように投げて見たが体力の衰えに今更ながら驚いた。

秋葉神社大祭

2009-05-17 13:42:31 | Weblog
巫女の舞はこぶ白たび宮薄暑

今日は私共上町区に祀られている「秋葉神社」のお祭りです。このお宮は以前「養蚕神社」お蚕さんを祀る神社でしたが、時代の変遷で「おかいこさん」の時代が去ったのと、記憶では昭和27年5月18日の暑い日に、私共町と隣の鉄砲町を中心に百数十件が燃える大惨事に見舞われました。私は確か小学校五年生だったと記憶しています。それ以降二度と大惨事が起こらないよう火伏せの神「秋葉神社」として祀っています。昨日の夜宮は神社での巫女の舞や夜店など区民あげてのお祭りでした。
巫女の舞摺り足すがし夏まつり

昨年の句