ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

軽井沢白糸の滝

2014-05-31 09:11:30 | Weblog

 滝壺の飛沫にみどり映りけり

軽井沢 白糸の滝山を染め

 

 

白糸の滝はネットから

 

 尊敬する先輩のYさんは奥さんが軽い脳梗塞に掛かる前は、全国の有名な滝を巡って、写真を撮るのが趣味だった。以前歩いているとYさんと自宅の前でばったりと出会う。私は長野に住みながら軽井沢の定番の観光スポットの「白糸の滝」を知らないので、以前からYさんに出会ったら「白糸の滝」の写真を見せて戴こうと思っていましたので、思い出すようにして、お願すると、B5位の大きさに拡大された夏の緑に囲まれた写真と秋の紅葉に囲まれた写真の両方を見せて下さった。さすが写真を趣味にしているだけに素晴らしい写真に出会えた。いくら車で全国を走るとは言え、お金が掛かる趣味だと思ったのが懐かしい。この頃は先輩に会う機会がありませんが、噂では奥さんの病気が落ちついているので、時間をやりくりしての趣味の滝の写真撮りを始めたと聞いている。


棚田百選(福島新田)田植

2014-05-29 03:43:25 | Weblog

 小学生棚田に馳せて田を植うる

思い出をカプセルに詰め棚田植う

  

 

 

 

 先日の5月25日、「日本の棚田百選」に認定されている飯山市瑞穂福島区の棚田で田植えがボランティアの人々と地元小学生も参加して行われました。ここで収穫されたお米は田植えと稲刈りに馳せ参じてお手伝いしてくれている、飯山東小学校の給食のお米として、この棚田を守っている人達が、毎年寄贈して下さっているとのことだそうです。この棚田は効率が悪い上に減反で休耕田となってしまった。そこで、この美しい景観を失ってはいけないと、地元の心ある有志が福島新田保存会を立ちあげ、仕事の合間を工夫してこの棚田を守ってくれている。感謝、感謝である。

  

 

 

 

 

私は数年前に数回となく、お金を納めて懇親会の参加者名簿に名を連ねていましたが、車の為、一度も参加しませんでした。それでも「棚田保存会」から、田植えと、稲刈りには通知をいただいていました。何年か前に千葉の友達と参加しましたが、懇親会の終わった後でしたが、村の人達に手厚い歓迎を受けて美味しい「おむすび」をいただいたことが懐かしい思い出となっている。

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 


盛況の高橋まゆみ人形館

2014-05-28 04:35:27 | Weblog

人形館噴井の如し集ふかな       

 

 

 

 

 

  

 高橋まゆみ人形館は、私共飯山市に2010年4月開館し、雁木とよばれる雪国ならではのまちなみ。ガタゴト音をたてながら通りすぎるローカル線。そして、時おり聞こえる鐘の音。そんな昔ながらの懐かしい風情を残す寺町の一角に人形館はあります。会館以来4年を過ぎ、人形館の入館者数が順調のようだ。開館当初の年間入館者数が2万5千人という計画が、開館6ヶ月にならないのに10万人の入館者迎えたと報道され市民一人一人の喜びとなっている。それは、開館前に百貨店などでの全国展を開催されて、全国各地にファンがいることも強みとのことと、作品の人形が懐かしい田舎生活の人々の原風景がかもしだされ、人形の暖かさに触れた来客様の感動が口コミとなって来館者が日増しに増加していると言う。開館後4年が経ちましたが、情報は分かりませんがかなりの来館者数となっていることだろう。


金雀枝

2014-05-26 05:46:34 | Weblog

金雀枝の滝のごとくに咲き落ちて

金雀枝や基督に抱かると思へ

石田波郷

 

数年前にブログにしたと思いますが、何時歩く、教室は違いますが「水墨画グループ」のSさんのお宅の裏の金雀枝の花が盛んに咲き誇っているのに今年も会えた。小さな花びらが黄金色にかたまって咲く姿は圧巻だ。下の句は石田波郷の句で有名な金雀枝や基督に抱かると思へ」だが、素人の私は、波郷の自解の注釈から推測すると、石田波郷は、当時は不治の病であった結核で長い間苦しんでいた人だ。最終的には結核で死んだ。今で言うと、癌で余命何年と宣告されたのと似たようなことだろう。この俳句は、ある思いを込めるつもりで作ったのだろう。闘病中はずっと死と向き合っていた。波郷はキリスト教の信者であったかはさなかではないが、金雀枝が咲き誇っているよ、自分はキリストに抱かれいると思い、安らかに死を迎えようと思ったのであろう。

 


早苗ちゃん

2014-05-23 12:43:38 | Weblog

 

広き田に解放されたし早苗ちゃん

 

 歩いておりますと、写真の早苗田に早苗の成長ぶりを見に来ているお百姓さんに出会う。私は知り合いでなくも、会う人々になるべく声をかけることにしている。早苗田にしゃがみ込んで早苗の成長ぶりを手にしながら首をかしげていなさったお百姓さんに。「何時頃の田植ですか」と声をかけると、お百姓さんいわく、この週末にと思っていたんだが、このところの朝夕の寒さで早苗の成長ぶりが遅いので、どうしようかと悩んでいるんですよとおっしゃった。そこへ顔見知りと思われる農家風の支度をした叔父さんが現れ、早苗の成長ぶりを心配していなさるお百姓さんに、「大丈夫だよ田に植えれば放っておいても大きくなるよ」といとも簡単に話していなさった。素人の私はその場での御二人の会話を興味深く聞いていますと、早苗の成長ぶりを心配していたお百姓さんは腕を組み真剣そのものに見えた。私なんかは毎日大好きな米をお百姓さんの苦労も知らずに食べていたことを反省した場面だった。私も仕事人間でしたので、お百姓さんの仕事に向かう姿勢がヒシヒシと感じ取った。


福祉バスを待つ婦人

2014-05-22 15:53:17 | Weblog

 若葉風音なき街にバスを待つ

 (殆ど人通りがない商店街)

今盛んに話題となっている衰退する地方を代表する我が飯山市は、先日の新聞報道によりますと、2040年の人口予想が現在23,000人が13,00人になるという。今から26年後考えるとむさぶるいする。明るく屈託なく育っている孫達をみる度に、孫達が成人した時代は、どんな時代になるのか心配で想像もつかない。ネットによると、半数を超える自治体に消滅可能性がある、としている。大げさに言いますとや街が消えてしまうことである。切羽詰まる時代が到来することは薄々分かっていながらも過疎が進む地方の住民は「時代の流れとしてやむを得ないかなと思えるな。ただ「目が黒いうちは残しておきたいし、先のことはわからんけど、存在するのであれば、今を一生懸命生きるだけや」と言う。そうであるなら、今直ぐに孫達の将来像を考えて、過疎化を見据えた計画的な地方造りを真剣に考え実行すべき時だと衷心より思う。

 


後輩の知人逝く

2014-05-20 12:53:50 | Weblog

若くしてかなしく消る蛍かな 

 

  昨日、私より六歳若くして逝った彼に、驚きを隠せない私である。故人は印刷業を営んでいて、私の家とは何代もの長きに渡る御付き合いいただいた家である。故人が霊柩車に乗り出棺するすがたを家内とお別れのお参りに行ってきた。67歳の死であった。彼は若い時代「青年会議所」運動始め地域に貢献の精神を持った仲々の人物でした。彼は隣組の人達とお祭りの片づけをしていた時から顔色が冴えなく何処となく元気が無かったので隣組の人々にうながされ一足先に家に帰った矢先に起こった心筋梗塞で帰らぬ人となった。彼ら御夫婦はお子さんに恵まれなかったので、二人で健康で長生きしなくてはと、彼は病気経験の持つ私に会う度にいろいろ病気のことについて話しかけて来たほど健康に気を使っていた。彼は若い時代から御酒は付き合い程度で勿論煙草は吸わなかったことを思うと人の命の儚さを改めて知らされた。


町内春の大祭

2014-05-18 14:13:07 | Weblog

                                                                      春祭り子供神輿に神宿る

 

      

                     白足袋に春風そよぐ巫女の舞

 本日は町内挙げての秋葉神社の春の大祭でした。子供神輿が町内を担ぎ廻るには最高の天気に恵まれた御祭だった。写真は、御祝儀を奉納した私の家の前で御神輿を止めて三回ほど上にかかげ、大きな掛け声をあげてくれた。子供神輿を担ぐのは三年生以上の上級生の役のようですが、家のお兄ちゃんは上級生に交じって神輿を担いでいた。お兄ちゃんは二年生で金棒引きの役目と聞いていましたが、ここも少子化のためか上級生の担い手が足りないため背が大きいお兄ちゃんが御神輿の担い手に回ったようだった。お兄ちゃんは上級生に交じって一生懸命に神輿を担ぐ姿が目に留まった爺は何だか目頭が緩んできた。

 私供、町の神社は、記憶では昭和二十七年五月十八日に、私は十一歳だったと思いますが、隣町からのもらい火で私が住む街は歴史に残る大火に見舞われた。それまでの神社は、養蚕が盛んな時代に建立されましたので、養蚕神社でした。この大火事を機に町の有力な先輩諸氏が静岡県浜松市にある秋葉山本宮まで出かけて、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛など霊験あらたかな秋葉神社の御霊を分神していただきに行き、秋葉神社と変更となった。以後街に火事が起こらないよう、毎年大火のあった日の近くの土日に秋葉神社のお祭りを行っております。今年は昨日五月十七日は夜宮、今日の十八日はお祭りとなり、丁度大火の起きた日にあたった。


初わらび

2014-05-17 13:46:06 | Weblog

立ち姿仏に見ゆる蕨かな

ただいまと仏壇に先づ初わらび

 

 俳句においては、わらびは春の季語として数多く詠われて来たと言う。雪解けを待っていたかのように野山に早く萌えだすのは、「こごみ」と「わらび」です。雪国北信州にやわらかな甘い「わらび」が顔を出すのは今の時期となる。摘み採った「わらび」は、煮蕨、蕨汁、蕨飯、おしたしにと、さまざまに味わうことが出来る。今日、家内は生まれ在所にそろそろ「わらび」が顔を出す頃と思ったか、孫達を伴って「初わらび」採りに出かけた。山菜採りが初めての孫達は喜び勇んで山をころがるようにしてわらび採りに夢中だったと、家内からの報告だった。写真のように初わらびとしては青々と太いわらびが採れた。今夜の夕餉は「わらびのおしたし」とのことだ。家内の生まれ育った在所は高い山ですので、ここで採れるわらびはノリがあってやわらかい。今晩の夕餉は楽しみである。


白のハナミズキ

2014-05-15 15:21:47 | Weblog

花水木白きに咲いて清楚かな

花水木清楚な方とすれ違ふ

 

静かなる街に静かに花水木

 この静かな通りは、以前にブログにしました「こぶし通り」です。あの白い妖艶の辛夷の花が終わり、いつの間にか、青々とした辛夷の葉が茂る並木道となった。この通りのYさんのお宅の玄関に例年のごとく、白の花水木の花が清楚に咲いていた。清楚は清らかですっきりとしたさまで、外見は控えめで清潔感がある上に謙虚に慎ましい美しさを表わす言葉だとネットにあった。この静かな並木道を私一人が独占するがごときに足を運ばせた。花水木は春の季語ですが、昨日の牡丹と同じで雪国は立夏となった今が盛んに咲いている。


狭庭に牡丹咲く

2014-05-14 07:27:53 | Weblog

 一瞬の華やか放つ牡丹かな

ぼうたんを愛した母は今遠き

 

日向より日陰の好きな牡丹かな

 今朝狭庭に行くと今一番に華やいでいると思われる二輪の牡丹に合う、隣に咲く赤の躑躅と相まって牡丹がさらに輝いて見えた。牡丹の俳句は何10万句も詠まれているという。いまやどんな牡丹の句を作っても、類句がかなりあると、何かで読んだ覚えがある。しかるに、類句の多い中で、オリジナリティな句を詠むのがなかなかの至難の業のようだ。原石鼎の句に「牡丹の句百句作れば死ぬもよし」と言う句があるほどだ。また牡丹の花は華やかさを保つ時間が特に短いと思っている。「花の命は短し」と言うが牡丹が代表のような気がする。私は類句など気にしない、「藤田湘子」は、「自分の眼をちゃんと持つこと、誰かの眼、誰かの作り方を追っていては何時まで経っても自分の俳句は作れない。拙くてもいい、上手く作ろうとしなくてもいい、自分の眼で感じたものを素直に表現することなのだ。」と言う。今日は腕を組んで素直に牡丹の情景を詠めたような気がしている。


鴉と胡桃

2014-05-13 08:59:05 | Weblog

 

 智恵ありて路に実を置く夏カラス

 今日は朝から夏を思わせるような暑い日となった。多分25°は越えているだろうと思うほどでした。歩いていますと、突然とカラスが銜えた胡桃を道路に置いて飛び去った。なるほど話には聞いていましたが、カラスは胡桃を道路に置いて、その上を通る車につぶしてもらう戦法だと思った。そう思った私は、早速カメラの焦点を道路の上の胡桃に合わせておりますと、三台目に通った車が胡桃をつぶして去ると同時に何処かでみていたカラスは道路に急降下して潰れた胡桃の半分を咥えて飛び去った。この光景を初めての見た私は興奮ぎみとなり手が震えてしまって、シャッターチャンスを逸してしまった。何か大きな物を失って大損した気分となる。交通の激しい場所ではカラスの命が危なくするので交通量の少ない道路でこの行為をすると思う。こんな点もカラスの知恵に感心する私だったが救いは、カラスが道路に置き去った胡桃を写真にしたので、まあいいかと思うことにした。シャッターチャンスを掴む難しさを改めて知った。


たんぽぽ賑やかに

2014-05-11 11:52:27 | Weblog

陽をためて咲く蒲公英の黄色かな

         

 昨日歩いていると田圃の畔や原っぱに黄色に輝くように蒲公英(たんぽぽ)の花が元気に咲き誇っていた。蒲公英をツツミ草(鼓草)と言ったことから鼓を叩く音を形容して「タン」「ポポ」という擬音語を語源という説があるとのことです。またタンポポの花は黄色だけでなく白い花があると聞いたことがあるが、いまだに、白のタンポポは見たことがない。俳句では「蒲公英」は春の季語ですが、雪国の北信州は今が最盛期です。昨日は雲ひとつない好天の上歩いていると汗ばむほどに暖かい日であった。途中で蒲公英が沢山咲いている土手に腰を下ろして、蒲公英の花輪を作っている御婦人に遭遇する。見覚えのある私と同年輩位の御婦人でしたので、何の躊躇もなく声をかけると、たんぽぽの花輪を孫に作ってあげると約束したのでと微笑みながら話して下さった。私も咄嗟に末孫の「あーちゃん」にあげたら喜ぶと思い、「私に花輪の作り方を教えてください」と言うと、御婦人は私の左手の不自由さが分かったのか、「孫と中が良い友達にも作ってあげたいと思い作った一輪をさしあげますよ」と言いながら、簡単ですのでもう一輪余計に作ればいいんですからと仰ってに私に手渡して下さった。私はお礼を言いながら、お宅のお孫さんは何歳ですかと聞くと四歳だと言うので、それじゃー家の孫と同い年ですよと言うと、御婦人は丁度合うと思いますよと微笑んで下さった。御婦人の御好意に甘えて丁寧にお礼を言っていただいて来た。少し大きい輪かと思ったが、大きかったら首にかければと良いと思い「あーちゃん」の喜ぶ顔を想像すると何だか楽しくなった。

    

 

     蒲公英や幸の便りか土手に咲く

  

 

 

 

 

 

 


菜の花まつり

2014-05-08 10:40:57 | Weblog

菜の花や無言の夫婦ベンチにて

菜の花の眼下に聳へ千曲川

 

     

  

 三日四日と孫達は両親とどこかへ出かけましたので、私共老夫婦は「菜の花まつり」に出かけた。会場へ車を飛ばすと、思いもよらぬ大勢の観光客で駐車場がかなり遠くだと係員に説明をいただいたが、余りにも遠いので、「菜の花まつり」見学を諦めて「戸狩温泉スキー場のアート展」に行く。ここも沢山のお客さまで賑わっていた。アベノミックスで一部の人達は昇給で恩恵があるようですが、ほとんどの国民は成長戦略に恩恵を受けていない上に消費税の増税とガソリンの高騰とで倹約ムードでお金を使わないゴールデンウイークなのだろうと思った。カメラの畜電が切れていたのに気がつかず写真を撮ることが出来なかった「戸狩アート展」」だった。菜の花まつりの写真は以前撮っておいた写真を使う。