老いる術知らず老いたる梅の花
梅開くおばの笑顔に安堵する
先日は初春の好天に恵まれたので午後になって、長野市の郊外に住む叔母さんが三年前に脳腫瘍の摘出手術をしていただきましたが、手術は成功したのですが、八十歳近い年齢での手術のせいか、術後は元気が無くなっていると、従妹にあたる娘さんから聞いておりましたので、顔を出して叔母さんを励ましたいと以前から思っていたのですが、なかなか逢うに行く機会がなく、ついちいと、伸ばし伸ばしになっていた。このところ、私の身体の調子も良いので好天の昨日、家内の運転で叔母さんに会いに行って来た。叔母さんは意外と元気なので一安心でした。叔母さんは父の五人の兄弟で、父とは二十以上年下の一番末の妹である。今は五人兄妹で一人だけの父の兄弟になってしまった。叔母さんは、私しと大差が無いので、私は幼少のころから叔母さんを「芳子姉ちゃん」と読んでいた。やはり飯山とは違い長野は暖かいせいか、おばさんの家の裏庭の梅の木が花を付け始めていた。私もあと数カ月で七十五歳となる。いつの間にか今日の掲句のように年を取る術もしらなくついに「高期高齢者」となってしまうのだ。気は若いつもりでも、確実に年は取って行くことのむなしさをつくづく感じる私である。