友の逝く待つこと去りし水中花
ネットから蓮の水中花
遂には白血病で友人が帰らぬ人となった。ドナーを待ち待ちの五年間の闘病生活だったとのこと、六十八歳の若さ、さぞ心残りのことが沢山あったろうと推察している。彼は私より五歳下でしたが、若い時代から「早起き野球の中心的メンバー」であり、住む街を何とか希望のある街に発展させたいと、選挙運動も一生懸命に戦った同志であった。食堂初め宴会場を経営し、一世を風靡した良き時代を経験した彼であった。息子さん(次男)は彼と同じく修業を重ねアメリカへまで勉強に行き、今は、長野市内で「居酒屋」風宴会場を経営し、なかなか繁盛していると聞く。彼は若き時代から多くの友人を持っている。これと言って話し上手ではありませんでしたが、人に安心感を与える雰囲気のある彼であった。私は元気なころ、彼と同じ酒の会で月一回彼と御酒を交わすのが楽しみであったことが、今では懐かしく思い出す。「淋しさや友の笑み消へ水中花」 水中花は悲しさを表現する句に多く詠われる。水中花を詠いながら淋しさがヒシヒシと私の胸に伝わって来た。