ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

お気に入りのゴセンジャーゴセイブルー

2010-12-25 16:43:27 | Weblog

        二人して寝むれなかつたクリスマス

      起きてくる子が待ち遠しクリスマ

 



爺サンタさんプレゼントしてくれたよと、写真のゴセンジャーの恰好で兄弟で私の部屋へ興奮気味で入って来た。兄ちゃんいわく「僕は利口にしていたけど、湧也は利口でなかったのになんでサンタさん来てくれたんだろうなー」と首を傾げていた。「悪い子にはサンタさん来てくれないよ」とママと婆に言われていたからだろう。兄弟お揃いのクリスマスプレゼントだ。パパとママそれに戸隠の婆と私共夫婦みんなで協賛しあった、待望のクリスマスプレゼントだった。

 

 

 

 


根雪になるかな

2010-12-24 15:28:42 | Weblog

突然の雪に逃げ込む喫茶店

俗塵の総を払ふや吹雪かな

昨日のブログで触れましたが、 スキー場にとって待望の雪がやって来た。先日の雪はつかの間の雪でしたが、今度は本格らしい、今夜は雪がしんしんと降ってクリスマスのムードが深まることだろう。歩いておりますと、最初は小雪でしたが、そのうちに寒い風が加わった大粒の雪となった。丁度、何時も寄る喫茶店の傍を歩いておりましたので、防寒着をかぶるようにして逃げ込んだ。雪見しながらのコーヒーはまた格別の味でしした。喫茶店の方は友人の奥さんなので話が弾み、ついついと長くなる。「スケジュ―ル」に入れといた午後二時のリハビリの時間を携帯が知らせてくれたので慌てて喫茶店を後にした。


霜おりる

2010-12-23 17:28:59 | Weblog

 

霜降りてのはなが立ちあがる 

今朝早く裏の冷凍庫のコンプレッサーの音が異常でしたので、調べに行くと何てことなくベルトが緩んでいたのに気がつく。修理して気がつくと、庭の足元が霜でぎっしり埋まっていました。かなり冷え込んだ朝でした。この分だともうじきに根雪となるような雪が降るだろう。テレビの天気予報では思った通りクリスマスの夜半から大雪となるとのこと、これで、スキー場の人たちは一安堵していることだろう。


今日は冬至

2010-12-22 17:40:25 | Weblog

無事にして今年も感謝の柚子湯かな

戯れて柚子の香ほのか長湯かな 

 

 日本では、古来より冬至に柚子の湯に入浴する習慣がある。血液の流れを良くする血行促進効果が高く、古くよりひび・あかぎれを治し、風邪の予防になると伝承されてきた。とネットにあった。今日は冬至の日、かぼちゃを食べて金運を祈り、冬至風呂(柚子湯)に入って無病息災を祈る行事を各家庭で行う。我が家も今晩の湯に8個の柚子が入った。家族が多いため、私は毎日翌日の朝風呂をゆっくりと戴く習慣となっている。翌朝の柚子湯はその年により浸かりすぎてか破れてしまうことがある。そんな柚子湯は私の特権で、一層深い香りが風呂全体に漂い、気持の高揚さを味会うことが出来ることがある。柚子の新鮮さにあるのだと思うが、明日の柚子湯が楽しみです。今夜の夕食のかぼちゃも甘くもっくらとしていてとても美味しかった。そんな小さな幸せがうれしい日々である。

 


師走

2010-12-21 16:28:40 | Weblog

     師走の街足の運びの早さかな

 

偶然にも高浜虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」の句をただもじったに過ぎない句となってしまったが、自分の中では「虚子の大根の句」が頭にあったわけではない。句が出来てから気がついたと言う次第だ。推敲しなくてはと思いながらも、どこか気にいっている句である。写真は昨日の長野駅前の様子ですが、何処かしこ市民は師走のせいか足早やに感じた。歩くのが早いと言えば東京の人たちである。娘二人が東京でOLしていたころの経験ですが、私のような田舎者が雑踏の中に入ると、落ちつかずグタグタに疲れたものだった。なんで都会の人はそんなに急ぐのだろうと思い思い今に至っている。経済の中心の東京がそうさせるのか、倹約生活であれ、なんとか生活出来れば、少しは不自由であっても、私のような年齢になれば、自然豊かな田舎生活を満喫できることが何より幸せに感ずる。

 


初冬の千曲川

2010-12-20 17:58:50 | Weblog

冬の陽の照らす豹変千曲川

周りに何色も存在しない枯れ果てた初冬の千曲川の周辺、冬の陽に照らされた千曲川は何といってよいか異様の色に染まっていた。右の青々とした千曲川は長野よりの方面でしたが、飯山に近付くにつれ空模様が変わったのか川の青々とした鮮明さがなくなった。これから、飯山から南の長野の空を覗くと長野が晴ればれとしているのに飯山は黒ずんだ空になり大雪となる日が続く。長野と僅か30kほど北なのだが、これから冬の天候の違いは著しくなる。長野の俳句教室からの帰りの車中からの千曲川です。うれしいことに珍しく「鮟鱇鍋寡黙な父の壮語かな」が特選句に選ばれた。普段寡黙の父は、鮟鱇鍋となると一杯入った勢いで「鮟鱇」の蘊蓄を壮語の如く話したものだったと言う回想句です。


薄明かりの夕月

2010-12-19 17:46:26 | Weblog

のこす日にうすき夕月十二月

昨日とうって変った好天の日曜日、情報では期待したほど、スキー場への雪の降りかたではなかったようだ。歩いておりますと東の夕空(午後四時)に遠慮がちに夕月が浮かんでいた。雪で白くなった山々に夕焼けがさし、薄赤く染まってとても綺麗な情景がかもし出されていた。今年もあと残すところ約三分の一、師走の月日何かと人々の生活に忙しさが増すころだろう。一二月十九日の午後の夕闇せまる静かな一時を垣間見た。


待望の雪

2010-12-18 09:37:32 | Weblog

雪催いで湯の里に恵みかな

 

      雪を待つ野沢温泉スキー場の展望                  本格的雪の到来

 

左の写真の遠望は、昨日のほんの二筋の雪のすが見える、野沢温泉スキー場です。例年だと滑降可能状態に近隣の山々は白く染まるのですが、今年は雪が遅いため、野沢のスキー関係の人たちは一喜一憂の心境で降雪を待ちわびていることだと思う。うって変って、今朝から私共の街は、一時大雪になるほどの勢いいで雪が降った。右の写真は昨日と同じ場所からの写真ですが、雪雲となって多分雪がかなりの状態で降っている様子。これで年内の誘客は大丈夫だろう。この類の降雪では、戸狩温泉スキー場や木島平スキー場など低いスキー場はまだまだスキーは出来ないだろうと思うと、この地方の不景気に輪をかけることが心配だ。


画友と忘年会

2010-12-17 19:28:46 | Weblog

画友との余情あたたむ年忘れ

新しき画友くわらり忘年会

 今宵は、水墨画の先生を囲んで「水墨会」と言う教室の面々の集まりで、居酒屋「一升」さんで忘年会を開いた。三人が都合がつかないため、例年より寂しい人数でしたが、和気あいあいの一時を楽しんだ。良く会社でたとえれば社長さんの人格、つまり、人間力が会社の社風となると言いますが、私共、水墨画の仲間は、温厚徳実な先生の雰囲気がそのまま伝わって、毎回楽しい教室にしていただいていることに感謝の念を覚えております。先生はお酒が入ると一層明るくなり楽しい雰囲気を醸す方で、芸術に極めた人はどこか温かい物が在るものだと痛感した一夜でした。また、「夜間瀬」から石井さんとう方が入会され、初めての忘年会に出席下さいました。


慰めの師の画

2010-12-16 18:09:42 | Weblog

寥として師の画になごむ冬の夜

リビングに掛っている、水墨画の先生の25号の画の前にジット立つことしばしばだ。「小菅神社」の杉並木の画であるが、何か心淋しい時など、この画の前に立つと自然に暖かさが湧いてくる。この画は先生が(日本水墨画協会優秀賞)を頂いた作品で、手放したくなかった画のようですが、私の強い頼みで分けていただいて三年位なると思うが、いつの間にかリビングに落ち着き、インテリアとしても、無くてはならない存在となっている。大胆でありながら、繊細な墨の濃淡が出ていて本当に落ち着く画である。


学校帰り

2010-12-15 16:51:43 | Weblog

くつたくのなき子らの道雪椿

信号機を待つ下校途中の小学生の集団に会う。少子化の時代、こんなにたくさんの賑やかな小学生の塊に出っくわすのも珍しい。みんなに大きな声で「こんにちは」と挨拶されて一瞬慌ててしまった。そこで私も、一呼吸し、思いっきり大きな声で「おかえり」と挨拶すると小学生の塊が驚いたような顔をした。まさか初老の叔父さんが、こんなに大きな声を出すとは思わなかったのだろう。愉快だった。こんな屈託ない明るい小学生の未来を、夢がある、明るい世の中にしなければと、久しぶりに全身に力が入った。ちなみに飯山市の花は「雪椿」です。


冬芽

2010-12-14 15:54:47 | Weblog

      いきいきと空に向かふや冬芽かな

 どの枝も冬芽ゆたかの辛夷かな

 

辛夷の冬芽

 歩く道に「こぶし通り」と言う、辛夷の木が連なるが街路地ある。秋に育ち始めた小さな芽はこれからやって来る厳しい冬の寒風にも負けず下を向かずに、したすら空に向かって春を待つ。何んて健気だろう。上達しない俳句を詠むようになって、そんな木々の冬芽などに目を向けるようになった。花を見ればその奥行きを観察し、さらに一つ一つの言葉の大切さを感じ取るようになった。病気して大きなものを失った反面、冬の芽のように何か新しい物が芽生えるものだと感じ取るこの頃です。


枯すすき

2010-12-13 19:35:48 | Weblog

 枯すすき踊るがごとく白き魔女

まだまだぞ俺は昭和の枯芒

今日は一日、寒く風の強い日でした。歩こうと思い万全な支度で外に出ましたが、寒いのと、少し風邪気味の為、躊躇なく家に引き込んだ。することがないため、年賀状でも書こうと思いましたが、添える句「吾やまひ世の病をも年新た」いまいち自信がなく20日の俳句教室で先生に御批判を仰ごうと思い立ち、後にすることにした。そのうちに、文藝春秋の新年特別号が届いたので目を通そうとしましたが乗り気にならず、なんとなくダラットした勿体ない一日であった。それにしてもブログだけはと思い、居ながらにして話題を考えましたが、思い当たらないため、以前から撮り貯めてあるPCのピクチャーの写真を覗いておりますと、何時撮ったのか記憶が薄れましたが、白い枯れすすきの写真が目に入った。写真をみながらの駄句でした。

                   ゆつくりと己の内へ枯芒

                             俳句王国より

 

 


一茶忌

2010-12-12 19:48:13 | Weblog

 

一茶忌やジャコバサボテン賜はりぬ

 

過ぎた11月19日小林一茶の184回忌であったのに気が付く、毎年和室の窓際のジャコバサボテンが咲くころに「一茶忌」の時期だと思い込んでいましたが、今年は夏の暑さが原因なのか遅れて咲いた。一茶記念会館が募集しています一茶忌俳句大会にあれこれ5年ほど応募しておりますが鼻にもかからない。毎年5月から8月まで俳句募集を行い、「全国俳句大会作品集」にまとめています。今年の11月19日に行われた一茶の184回忌には北海道から沖縄まで全国から寄せられた句は、総数4,968句となったと報告。今年の「一茶忌俳句大賞」は(帰省子に牛の匂いの父と母の句でした。一茶の牧歌的な人間味のある自然の味が出ている句が特選されたのだと思う。掲出句の「ジャコバサボテン」は一茶の時代には勿論無かったですが、私の中には花の少ない「ジャコバサボテン」の咲くころと「一茶忌」が重なるせいか一茶のイメージと対象的ですが、何か気になります。