新米に手紙を添へて沙汰送る
東京の娘家族に写真の「金崎さんちのお米」を送っている。たまたま送るタイミングが合わず、行きつけのスーパーで間に合わせると、孫たちは<この御飯は爺のお米と違う>というほど湧水で育った北信州のお米はおいしい。先日、今年の新米を送ったら、娘でなく、御飯の大好きな瑞季お姉ちゃんから<爺、おいしいお米ありがとう>と電話があった。<ミーちゃん勉強はどう>と聞くと<まあまあだね>と言って都合が悪いのか電話を切ってしまった。
新米に手紙を添へて沙汰送る
東京の娘家族に写真の「金崎さんちのお米」を送っている。たまたま送るタイミングが合わず、行きつけのスーパーで間に合わせると、孫たちは<この御飯は爺のお米と違う>というほど湧水で育った北信州のお米はおいしい。先日、今年の新米を送ったら、娘でなく、御飯の大好きな瑞季お姉ちゃんから<爺、おいしいお米ありがとう>と電話があった。<ミーちゃん勉強はどう>と聞くと<まあまあだね>と言って都合が悪いのか電話を切ってしまった。
露草や胸にさまよふ聴診器
昨日は定期診察の日でした。何時もは血液検査の後二時間半待ちですが、昨日は一時間とちょっとで先生から呼ばれた。私は先生の診察を受ける度にどんな些さいことでも質問することにしておりますが、昨日は聞くことが思い当たらないでいましたら、何か聞きたいことありますかと、先生の方から逆質問された。先生は<血液検査の結果是と言って問題な点はないですよ、このまま適度な運動をして好きなお酒は控えめにしてくださいね>と、また同じことを言われてしまった。
いわし雲兄弟和して笑こぼす
兄ちゃんとスキンシップや夕紅葉
お兄ちゃんは午後3時少し回ると「ただいま」と大きな声で入ってくる。幼稚園からのお帰りだ。毎日お兄ちゃんの帰る時間になると決まって、お兄ちゃんに会いたい一心で玄関先で待っている一歳5ヶ月になった弟、二人はにっこり笑って抱き合う。涙が出そうな光景だ。こんな何気ない日々がうれしい。
家を問ひ芒の角を曲がりけり
県の最北端、栄村に所用があって出かけた。目的のお宅は20数年前一回訪ねただけで、それ以来の御無沙汰だ。淡い記憶の道のりをたよっての訪問でした。案の定、記憶がプツンと切れてしまった。車から降りて数分歩いて、そばの農家に訪ねますと、すぐそこの芒を右へ曲がった突き当りの家だと教えられた。以前は確か春先の五月訪問だったが、季節の違いで随分と周りの景色が違うものだと、いくらかボケ気味と思われる自分を否定しながら勝手に納得した。
稲干して信濃の郷はひとくぎり
新米が出回ってかなりの日が経ちますが、いまだ天日干している田圃に出会う。おそらく、奥手の稲の稲掛けだろう。この数年、天日干しのお米などとんと味わっていない。じっくりと育てたお米をまたじっくりと秋のやわらかな陽に当てる。さぞ美味しかろうと思う。この田圃の農家の方はきっと特別なお客様の注文か、それとも自家用かと勝手に想像した。
球界現場の宰相とも言われた「知将」野村監督が去る。長嶋、王、と並んで私共、若き熱き血を騒がせてくれた。良き時代の憧れのスターだった。来シーズンからはあの「野村ぼやき」が聞こえなくなるのが寂しい。多分、年とともにあの繊細な「ID野球」の衰えをかくせないのであろう。最後の会見で「どこか就職先を探してください」などと冗談とばしていた。長い間本当に御苦労さんでした。
野村監督の座右の銘
財を遺すは下、
仕事を遺すは中、
人を遺すを上とする
鍋倉の真紅の楓陰(ほと)となる
推敲中
所用がありまして、ブログを休みました。本日、鍋倉山の紅葉狩りに行きましたが、すでに鮮やかな赤はじめ黄紅葉が見られませんでした。ブナの落葉が絨毯を敷きつめたように車道を埋めて、紅葉の終わりを告げるかのようでした。関西からと思われる、バス団体のカメラマンの人達は大変残念な様子でした。ある方はインストラクターの調査不足を咆哮するような場面がありました。
ななかまど安心の世を冀(こいねが)ふ
今の時代、人は先が見えなく希望が持てない不安の時代だという。私どもの若い時代は切磋琢磨すれば何とか先が見え、安定を得られることが出来たとお思いますが、成熟といわれる社会、優秀で努力を怠ることなく一生懸命に生きても必ずしも開けない時代のような気がしてならない。「コンクリートから人へ」と新内閣は言う。昨年暮れの派遣村のような悲劇を二度と起きないことを祈る。
空までも色を移せりななかまど
兼題(紅葉)の特選句
草もみじ過去の日記を捨てたしよ
初紅葉一艇沖へまっしぐら
もみづるや断崖に座す磨崖仏
私とって二日目の俳句教室となった。先生の「折井眞琴」先生は句集「岳」の主宰で信大名誉教授の「宮坂静生」先生の門下と聞く、宮坂静生先生はNHK俳句の選者であり指導者で現代の俳界では重鎮者だ。私の初投句はそれぞれの方に選句いただきましたが三句中二句が添削指導を頂いた。今までの我流の句に反省しきりであった。
一句目 「鐘の音やをのにする。やで切ったのだから繋がりの文にしない。 三句目 「旅たちて」を「一枚の」とする。旅立ちては擬人化である。俳句では擬人化は良くない、と御指導いただいた。次回の兼題は「秋の草」です。
晩秋の陽ひとりひとりに満遍に
秋の遠足だろうか。飯山城址公園の登り口で数人の小学生に会う。少子化の時代というが、まさかこの人数が一クラスではないのだろう。だとすれば、班に別れての行動かとも思われた。私がカメラを向けていましたら、生徒はニコット笑みを浮かべ「こんにちは」と元気にあいさつしてくれた。戸惑ったのは私の方で慌てて出来るだけ大きな声で挨拶を返した。今の小学生は挨拶が良い、私はまだこの年齢では、恥ずかしくて挨拶など出来なかった。情報化の時代、子供達は時代に合った対応が出来るのだろうと思う。後ろの先生は私を見て余り御機嫌良さそうでなかったので、そこで私は、ブログにしたいのですが、小さく撮りましたので一人一人の生徒の顔は分からないように致しました。と告げると、先生は、ブログをなさっているのですか、今日の話題は何でしょうね、と顔を緩めてくださった。
晩秋や吾顎髭の薄くなり
友ありて晩秋の夜が尽きぬかな
父在りし日の晩秋の花弄り
晩秋や三国山脈澄みわたる
帰白鳥安曇野旅のみやげかな
昨日の信毎新聞に「おかえり コハクチョウ」という見出しで、安曇野に、今期初飛来した二羽のコハクチョウの話題が乗っていた。毎朝、周辺を見回っていた地元の「アルプス白鳥の会」の方が一七日の早朝に確認した。例年より一日、昨年より四日遅いと報道されていた。この時期になると会の皆さんは毎日飛来する数の把握に忙しいことだろうと余計なことを想像した。
そらぞれの話の尽きぬ夜長かな
今日は「別所温泉」にて中学の同級会の日、皮肉にも明日は病院の診察日だ、どうしても変更できなく、やむなく欠席となった。このところ身体に自信がなく出席出来ないでいましたが、今回は久しぶりに旧友に会うのを楽しみにしていたのですが残念至極だ。聞くことに、遠く広島県始め関西方面から出席する同級生もいると言う。地元にいながら申し訳ないと思う。秋の夜長、それぞれの近況を報告しあいながら大いに盛り上がることだろう。
日溜まりに御機嫌そうや秋水仙
歩く道筋に水仙にそっくりの花が咲いている。水仙といえば,こちらでは春一番に咲く花だ。通るたびに首を傾げ傾げ可憐な花を楽しんでいた。昨日もこの花のお宅前を通りかかると、丁度、ご御主人が花壇の手入れをしていなさった。80歳少し過ぎたかなと思われる優しそうな御主人でしたので、気軽に声をかけた。<この白い花は水仙に良く似ていますが水仙ですか>とお聞いてみた。御主人は<家のは遅く咲きますが「夏の星型水仙」だよ>と教えてくださった。初対面でしたが、御主人と意気投合し、いろいろ世間話をして帰途についた。
秋の雲志賀連山を導きて
秋晴れの暖かい陽気に誘われるように、ウォーキングコースから離れ千曲川の堤防の斜面に腰を下ろし、三国山脈の奥志賀連山を仰ぐ。つい先日、この連山に初の冠雪があり、うっすら白く染まったばかりだ。その山々をくっきり浮かすように秋の雲が漂っていた。青空に浮かぶ雲の様子から天気の変化を読むことができるという。志賀の山々は真っ赤な紅葉の時期だろう。以前、友人と野沢の上の平からスーパー林道を走り、秋山郷の温泉に浸かり、志賀高原の池々を紅葉狩りし、夢中になって大自然にカメラを向けたことを思い出した。
紅葉の大きな山に迎へられ