ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

芸文協記念ステージ

2013-09-30 11:04:48 | Weblog

 

 

満月の約束するや大地かな

我が郷のふくらむ自然虹の秋

 

 秋の風ゆさぶる太鼓かな

 

木島平村で28年前に産声をあげた鬼島太鼓は、和太鼓の持つ重厚な音色とアメリカンビートを融合させたサウンドが持ち味で、国内はもとより世界から和太鼓=鬼島太鼓と言われるまでに成長した。毎年、県内外にてのコンサートを基塾に力をつけ現在に至っております。本年は3年前に起きた東北大震災で大きな被害を破った陸前高田にて10月20日にコンサートを行い、震災を受けた皆さまに共に頑張ろうの気持を持って演奏してきます。そして2013年を締めくくるコンサートは12月1日に長岡リリックホールにて開催される「鬼島太鼓・長岡公演」です。鬼島太鼓は、この北信州より、これからも全国に向け太鼓で元気発信を続けて行きます。             

 

 

               鬼島太鼓 

   

 

 和47年野沢温泉道祖神を宗敬し、村の観光事業に寄することを目的に「野沢温泉道祖神太鼓保存会」が設立されました。主な活動は、日本三大火祭りである道祖神火祭りをはじめ、村内外の行事に出演し野沢温泉村のイメージアップに寄与しています。平成7年、当村で行われた第15回インタースキー招致事業(オーストリア・サンクトアント)やスイス・イタリアなどに出演し招致実現に大きく貢献。平成10年長野オリンピックでは海外からの方々の歓迎イベントや、アイスホッケー会場のビックハットでは長野県太鼓連盟を代表し、大太鼓を演奏。又、長野新幹線開業時には3周年連続で東京駅での演奏を行い「長野へようこそ」を合言葉に長野県観光をPR。                            

 

 

                                              野沢温泉道祖神太鼓

 

他に当日は「笹川太鼓」と「栄ふるさと太鼓」も熱演された。

 

 


先生の作品

2013-09-28 18:51:41 | Weblog

 

燃えるよにせまる紅葉愛の郷

 先生と御付き合いする機会に恵まれ早八年になりますが相も変わらずの私の「水墨画」に何時も変わりなく御付き合いくださる先生に感謝の念でいっぱいである。先生は市の芸術文化教会の会長で御苦労されている。この機会に少し先生の一端を紹介しますと、先生は、大学時代に素晴らし画の教授との出会いから、画の道に入る。教授からの強い要望は、画で食べられる素養がるが、画のプロを目指すなら、その道の一人者を紹介するが、もしプロの道に入らなければ君の持っている画の才能を生かし、画を通して生まれ故郷の地域文化向上に為に尽くすことのどちらかを選びなさいと指導されたと言う。プロの道の厳しさと不安定さを知り尽くしている先生は、二もなく地域文化の向上の道を選び大学卒業後、市役所の職員となり、仕事の終えた後、地域の人達に絵を教える教室を開く、以来五〇年近く絵を通じて地域文化に貢献された素晴らしい人だと、私は尊敬の念を何時も失うことはない。先生は市職を定年退職され、しばらく京都市立大学の日本画の講師として招かれ、研鑽を深めたと聞く。京都時代に先生の人柄と画にほれ込んだ手広く活躍している画廊の主人と縁があり、飯山へ帰ってから郷土の皆さんに教えるかたわら、書き貯めた、先生の画をわざわざ京都から買いに来なさると言う。京都は場所がら小料理屋さんや日本旅館の多いところ、その部屋の床の間に飾る季節の先生の日本画が評判となり画廊に飾ると良く売れると言う。先生は今ではお金になるプロの道と、地域文化向上の道の両方を手に入れなさったが、忙しい先生は、お金より、初心のお金とは無縁の地域文化の向上に傾注なさる先生に尚の尊敬を抱く私である。

 師の描く冬の千曲は静かなり

 

 

 上の先生に画の題目は「錦秋」

下の画の題は「柏尾橋と雪の千曲川」です


東北の夢舞った 楽天初V

2013-09-27 10:40:17 | Weblog

 

東北にきぼうふたたび野分晴

プロ野球楽天がパ・リーグ優勝を決めたことに関し「東北の人々に夢と希望を与えることができた。快挙だ」星野監督いわく「少しでも東北の人々にあの大震災の痛手をやわらげてあげたいとやって来た」との談話があった。


今が見頃の七竃

2013-09-24 19:16:52 | Weblog

七かまど街を明るく色づけり

ナナカマドは主に 東北地方では街路樹としてよく植えられている高さ7~10m程度になり、夏には白い花を咲かせる。葉は枝先に集まって着き、秋にはあざやかに紅葉し、赤い実を成らせる。実は鳥類の食用となる。果実酒にも利用できる。 備長炭の材料として火力も強く火持ちも良いので作られた炭は極上品とされている。北欧などでは魔よけにもなっていると言う。ナナカマド」という和名は、"大変燃えにくく、七度竃(かまど)に入れても燃えない"ということから付けられたという説が、広く流布している。その他に、七度焼くと良質の炭になるという説や、食器にすると丈夫で壊れにくい事から、竃が七度駄目になるくらいの期間使用できるという説などもある。とネットにあった。リハビリに通う病院の途中に例の市営の住宅の前に三本の大きな「ナナカマド」の木がある。私は今迄大口さんの手入れの行き届いた庭の花だけに目をやっていて、「ナナカマド」の木に気が付かなかった。紅い綺麗な実がなって初めてナナカマドの木に目が届くと言う鈍感さだ。最初は「ナナカマド」の木と思い思い、自然界にうとい私は撮った写真と花図艦と見比べて「ナナカマド」と確信する。夏には白い花を咲かせるはずであるが、何時もの通リ道でありながら、未だに見た覚えがない。来年の夏こそ忘れないで白い花を写真にしてブログにしたいと思う。

 


今日は秋分の日

2013-09-23 15:41:14 | Weblog

 我あるは先祖のおかげ秋彼岸

 今日は秋分の日、「秋の彼岸の中日」。俳句で、単に「彼岸」と言えば春の彼岸を指す。作句の時には注意するようにと、たいていの入門書には書いてある。秋彼岸の句には「彼岸」そのものに深く思い入れの句は少ないようだ。秋の彼岸は背景的に扱われる例が多く、たとえば来たるべき寒い季節の兆を感じるというふうに……。これにはむろん「暑さ寒さも彼岸まで」の気候的な根拠もあるにはある。が、大きな要因は、おそらく秋彼岸が農民や漁民の繁忙期と重なっていたことに関係があるだろう。忙しさの真っ盛りだが、墓参りなどの仏事に事寄せて、誰はばかることなく小休止が取れる。つまり、秋の彼岸にはちょっとしたお祭り気分になれるというわけで、このときに彼岸は名分である。勝手に休むと白い目で見られた時代の生活の知恵である。我が家は毎年「おはぎ」を造り、孫達が仏壇に御供えしお参りをする。意味がわかっているか分かっていないのかさなかでないですが、大好きな「おはぎ」を食べられるのが楽しみらしい。 

     


秋彼岸楽しみのおはぎ食べるかな

孫がいて家が明るき秋彼岸



懐かしの黒沢明映画三昧

2013-09-22 20:31:20 | Weblog

 (日暮)や鳴かず言はざる(猿)(ほと)となり

風まかせ無気力に舞ふ秋の蝶

 今日は懐かしの黒沢 明監督の豪華三本立て、しかも、三本1000円で見られる有難さ。9:30からの市民会館での上映に間の間に合うように、家内から車で送ってもらった。家内は今日はのっぴきならぬ用事があるとかで、一緒に観賞出来なかった。私は多感な十代後半か二十代前半の頃だと思いますが、今日の三本のうち二本は鑑賞していまる。すでに五十年近く経ちますので頭の奥でうる覚えの状態だった。映画の印象場面をブログにしようと思い、今日は一眼レフカメラを持ち込み張り切りましたが、館内でビデオ、カメラ撮影が禁止の放送が流れましたのでカメラ撮影をやむなく諦めた。当たり前と言えば当たり前のことである。最初は「志村喬さん」主演の「生きる」でしたので、今日のブログはこの「生きる」に絞って考えたいと思う。地方の役所の市民課長の毎日無気力な縦割り行政の中で生きる中年男の役だった。映画を見ているうちにだんだんと頭の奥から黒沢監督の狙いが蘇って来た。私はこの映画を見て以来、何となく役人を信用しなくなった。学校を出たての新職員は地域の発展と住民の為に公僕となって役所で頑張ろうと青雲の志で役所に入るのだが、相変わらず革新性を嫌う古い役所の体質が、革新性を志すと、余計な仕事をするなというかに、先輩が足を引っ張る雰囲気が蔓延していると聞く、そんなため青雲の志がいつの間にか「無気力」状態となる。極端かもしれませんが、役所というところは余計な仕事をすると嫌われるようである。そんな分けで、私は役所上がりの首長は大反対である。ITが進んだ現代社会の今でも縦割のたらいまわし行政が残っているのではと思う。どんな有名大学を出て頭が良くも長い間、役所というぬるま湯にどっぷり漬かった役人が、今の力が亡くなった疲弊した地方を革新し、住民に希望を持たせるような地域造りに、熱意があるわけもない。首長になったからと言って三十年もぬるま湯にいて、なーなーとやって来た仲間の職員の意識改革をさせることは土台無理な話である。従って無気力首長になる事は目に見えている。民間企業で大変な思いをして生きて来た私にしたら大反対は無理からぬことである。映画の続きですが、その無気力三昧の市民課長さんが癌を患い、数ヶ月の余命と悟り、今迄無気力さから一転して、子供の為に遊園地の造成を役所へ陳情を重ねる市民は、その度に役所のたらい回しに合い、呆れかえっていた。そこで彼は市民の為に、自分の余命を全て遊園地建設に奮闘し、住民に感謝される結末であるが、彼の喪式の宴の中で、助役初め、無責任な課長連中の護身状態が微妙に描き出されていた。最後は各課長どもは「無気力」状態から脱皮し、市民の要望を大変な思いと努力で成し遂げて亡くなった主人公の市民課長に見習い、役所の改革を誓うのですが、最後の画面に、役所の机に向かうと、元の黙阿弥に戻った革新性が微塵もない無気力な新課長がいた。

 


手打ち新ボクチ蕎麦

2013-09-21 14:04:44 | Weblog

村おこしおらがエースの「ぼくち蕎麦」

 江戸時代の将軍家に献上された飯山復活事業に取り組む「そば集団」トガリン村は、23haのそば栽培を行っています。「オヤマボクチ」をつなぎに使った「信州ぼくちそば」はボクチの稀少性とそば打ちの難しさから、一般的には普及せず「幻のそば」と言われています。平成25年北陸新幹線飯山駅開業に合わせ、オヤマボクチの栽培から手打ちそばまでの「マイそば」事業をスタートし、張り切っている「戸狩温泉」トガリン村の面々、今日はその「ぼくち蕎麦」の新蕎麦祭りと題して沢山の御客さんの前で手打ちそばの実演披露でした。以前からこの「幻の蕎麦の手打ちの蕎麦」実演をみたく心待ちにしていましたので、早速家内と車を飛ばした。手打ちしたばかりの「幻の蕎麦」を舌つつみすることが出来た。新蕎麦だけあって、しかも地元産の蕎麦粉100%の「十割蕎麦」不味いわけがない。少し硬めで、新蕎麦の香りといい、その、のど越しの良さが最高だった。蕎麦好きの私はスルスルと数分で一人前を頂いた。もう一人前と思いはしましたが、いくらカロリーの低い蕎麦でも一日1440カロリー制限がある自身に気が付きグット我慢でした。

 

 新蕎麦やうすきみどりの一番粉

新蕎麦の香の恋しきはさらに増し

 同じ「オヤマボクチ」を繋ぎとした「幻の蕎麦」である「富倉蕎麦」は飯山市富倉地区の高齢化が進み、手打ちする生産者が、だんだんといなくなっております。すでに「限界集落」も生まれ、有名でした「富倉蕎麦」が残念至極ですが、無くなろうとしております。その点この「蕎麦集団」トガリン村の担い手は若く将来性があります事に安堵している私である。地方独特の良き食文化の伝統を伝え続けることの大変さを身にしみた日となりました。


中秋の名月

2013-09-20 04:27:49 | Weblog

名月や濁世を洗ふ如きかな

名月や並び見る孫背丈伸ぶ

 

                   2013年9月19日19時15分撮影

  昨夜の中秋の名月は見事な満月となった。中秋の名月は必ずしも満月とは限らないらしいい。一昨年、昨年、今年と3年連続で満月でしたが、来年以降はしばらく「少しだけ欠けた名月」の年が続くようである。次の中秋の名月が満月となるのは8年後だそうだ。孫のお兄ちゃんと二人並んでの名月の鑑賞でしたが、ふと、気が付くとお兄ちゃんは、このところまた急に背が伸びたことに気が付いた。お兄ちゃんと二人で雲ひとつない満天の中秋の名月を眺めていると、お兄ちゃんから、中秋の名月ってどんな意味があるのとか、このまんまるい月は幾日経ったら丸くなるのとか、爺としては答えにまごつくばかりでしたが、成長する孫と、こうして満月を眺めることの小さな幸せをかみしめた、2013年思い出の中秋の名月観賞となった。

名月や松本城に浮く墨絵

 

 

 


久々の水墨画教室と萩の花

2013-09-19 09:35:28 | Weblog

萩の花すべりの鈍い重い筆

 

 昨日は久々に水墨画教室に出席した。9月28(土)29(日)の両日「飯山市芸術文化協会」の創立30周年記念事業の一環で私共、水墨画も出品展示することになっているらしく、展示作品の製作で「水墨会」のメンバーの皆さんは真剣に取り組んでいた。私はしばらく教室から遠退いていたため、恥ずかしながら、記念事業のイベントを知らなかった。仕方無く、以前友人が鍋倉高原のブナの木の雪解け時の「根明け」を撮ってくれた写真を、暇つぶしで画いていた完成まじか画を出そうと決めた。気楽なつもりの画は、今一も二もじっくり行かないけれど、時間が無いため諦めの心境で参加することにした。9月27日が作品搬入の日ですのでその日に間にあうように、裏打ちをお願いしてきた。

 

 

 

紅萩に見ゆむらさきにそぞら冷へ

  

教室の南窓際の山の傾斜に、秋になると何時も目にする紅い萩の花が奇麗だった。もう時期が過ぎたのか花びらは紫掛かっていた。どうも紅萩は見頃が過ぎると薄紫となると、何かの観賞俳句の本で読んだ記憶がある。


政治学者姜尚中さんの講演

2013-09-17 08:38:02 | Weblog

 先見へぬ世は何処へ秋時雨

秋の灯や悩むこと尚楽しけれ

 若い時代から政治に感心がありはしましたが、政治を司るまでの気がありませんでした。今になると無茶なことをしたとつくづく思うのであるが、若さ故に三~四ヶ月も、大事な仕事を放擲して、選挙運動に没頭した時期があった。将来の地域の発展の為と、裏のない純粋な高揚心からであったと今でも自負している。すべて無茶な懐かしい思い出である。姜尚中さんが言うように、私共の時代人は多いに責任があるのですが、高度経済成長に浮かれた時期ががあった、しかしその後、二十年もデフレ経済にあえぎ、グロバリー社会とやらで、地方はガタガタの状態だ、若者が思う仕事が無く、先の見えない時代にあえいでいる。霞が関の苦労の知らないエリート官僚とこれまた本当の痛みを知らない世襲の政治家は常に上から目線で国民が見えていない、見るふりをしているだけである。自分さえよければと言う、場当たり主義で、日本の将来を大きく考えビジョンを持って実行出来る本者が現れない。今の政治家と官僚にもっと信用性があるなら、将来に希望を持ち苦しいことも、負担も我慢が出来る国民だと思うのだが、今の貧困政治では国民が安心して任せることが出来ないため、将来不安が増すのだと思う。淋しい限りである。私は以前から、東大出のエリートでありながら、自らの生い立ちからか、目線が常に国民に置いている、政治学者、姜尚中(カン・サンジュン)さんの芯のある人柄としっかりとした政治理論に感心を寄せている一人である。


兄ちゃん小学校初めての運動会

2013-09-15 16:41:12 | Weblog

新たなる目標出来た運動会

 昨日は兄ちゃんの小学校初の運動会の日だった。この数日お兄ちゃんの浮かない様子に気が付いた私は、兄ちゃんこの頃調子が良くなさそうだけど、何か気になることあるのかね、と聞いてみると、兄ちゃんは暗い顔つきで、僕、いくら頑張っても「かけっこ」がどうしても憲ちゃんに勝てないんだよな、僕は一番背が高いんだから、負けると恥ずかしいよと言った。確かに兄ちゃんはパパとママも背が高いので、一年生の中で頭が抜けて大きいらしい。そこで、すかさず私は、背が大きいからと言って足が速いとは限らないんだよ、いつか、憲ちゃんに勝ってやると言う目標が出来て良かったじゃないか、一番だと安心しちゃうけど二番だから、頑張らなけりゃと言う気になるもんだよ。憲ちゃんにどうやったら勝つか良く考えて頑張ったらきっと勝つ時が来るよと言うと、兄ちゃんは「そうだね僕頑張って憲ちゃんに勝つんだ」と、晴れ晴れとした顔になった。運動会の当日は暑い日でしたので、私は見に行けなかったが、婆の話では、兄ちゃんは頑張ったけれど二番だったと言っていた。「兄ちゃん頑張ったね」と褒めたら兄ちゃんは「僕、練習して憲ちゃんに勝つんだ」と言っていたようだ

 

 老骨の席も総立ちの運動会

 

 

 現時代の少子化で飯山小学校全校で何人いるか知りませんが、お兄ちゃんの一年生は二クラスで59人だそうだ。今年入学した小学生は全市でたった126人と聞く、飯山小学校の一年生は59人だから残りの67人は他の六校に分かれている計算となる。これには、さすがに驚いた。私の飯山小学校の同年生は記憶では確か三百人近くいた。50人ぎゅうぎゅう詰めで六クラスあった。廊下を歩けば肩が当たるほどだった。喧嘩ばかりしていた私は、喧嘩する相手に不足はなかった思い出が詰まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋の味覚大きな栗戴く

2013-09-14 07:43:31 | Weblog

 破れそな大きな栗をいただけり

栗剥くや初心に戻ること成らず 

 裏の和菓子屋さんの御主人から、御自分で丹精込めて造っている、はち切れそうな大粒な艶のある栗を頂く。御主人は自ら栗の毬をとり、干して、皮を向いて渋を取ればすぐ食べられるまでにして届けてくださった。栗が大好きな私にとって宝物を頂いたという感触であった。歳時記では栗はブナ科の落葉高木で、イガに包まれた実がなるとあった。この和菓子屋さんの御主人のことを少し紹介しますと、彼は確か私より三歳年上の先輩である。若い時代は東京銀座の有名和菓子舗で修業され、職人になられてから、本場京都初め全国の有名菓子店に職人として廻られたと聞く、縁があって四〇年以上前に、私共飯山へ養子に来られた。自ら和菓子の店「梅月」を立ち上げた以来の御付き合いである。彼の確かな腕の味が評判となり、人口の少ない田舎で2店舗経営するようになりました。今では息子さんが後継され余裕の人生を送っていなさる。和菓子「梅月」の御主人を見ると、全てが基本をしっかりなさった方は成功の道が開けるのだと改めて思う。御主人は「栗おこわ」などの祝い事の注文が入ると、自ら丹精を込めた栗をタップリ混ぜこんで、ふっくら炊き上げた栗おこわは評判である。一石二鳥の言葉はぴったり当てはまると言う分けだ。


秋の蝶

2013-09-13 08:00:12 | Weblog

風生ればかぜの儘なる秋の蝶

(かぜうればかぜのままなるあきのちょう)

 

 

 昨日リハビリーの帰りに数日前に話題にした、知り合いの大口さんが手入れが届いている花畑に足を踏み入れると、ガザニアの花に黄色の蝶が留まっていた。ハットした私は慌てて持っていたコンパクトカメラで少しぼやけましたが写真に撮れた瞬間、大きな徳をした思いに駆られた。こんな小さな喜びがうれしい。蝶はじめ蜻蛉など昆虫の名にうとい私は帰宅して、早速は図鑑で調べると写真に撮れた蝶の名はモンキチョウではないかと推察した。

 

 

 

 

 美しき羽の傷みや秋の蝶

羽の破れかかった秋の蝶の写真がネットにありましたのでその写真に句を入れて見ました。図鑑で調べるとこれも確かではないですが多分、スジグロシロチョウではないかと思われます。秋の蝶は歳時記では秋蝶、老蝶とも言われる。立秋を過ぎてから見かける蝶のことで、春や夏の蝶にから比べると いくらか弱々しい印象を受けて、冬が近くなるとその数もめっき り少なくなる。


映画観賞会

2013-09-12 10:29:47 | Weblog

名画座のいきなはからひいわし雲

秋晴れやいきなはからい名画来る

 

今朝の新聞に報道された、市民有志の粋な計らいに感謝している。私は「世界のクロサワ」と言われた黒沢明監督の大ファンだ。確かまだ小学校の頃だと思いますが、髭面の三船敏朗の印象が強かった「七人の侍」が、いまだ薄々と頭の奥に残っている。上映する予定の中で「生きる」「酔いどれ天使」の二本は鑑賞した。黒沢作品の代表作は必ず「三船 敏郎」さんが登場した。そうそう「志村喬」さんも三船さんと共演している。黒沢作品は時代劇が主だったが「志村喬」さん主演の映画「生きる」は強く印象に残っている。思いもよらずに、一日に黒沢映画三本も見れるなんて夢のようだ。体力の方は大丈夫かと少し心配であるが今から楽しみにしている。