ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

新幹線の開業に伴う第二回ハーフマラソン

2014-09-29 12:54:36 | Weblog

 新幹線地方創生秋の空 (女心と秋の空)                                          

飯山市では北陸新幹線の開業に向かって、今迄かなりの予算で開業イベントを行って来たように思っていますが、他力本願ではありませんが、「大山鳴動して鼠一匹」(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)「前の事ばかり大げさで、実際は大したことない」、期待はずれとなる。と言うう意味ですが、そうならないことに祈る気持ちでいっぱいである。

 

 

 野沢を出発点とした第二回ハーフマラソン大会のゴール時点に行くと次から次へと選手がゴールされていた。2000人募集のところ2000を越えた参加者だったのこと、各選手は好天に恵まれ北信州の自然を充分に満喫出来たことだろうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 写真の右側の人はハーフマラソンを無事完走されホット一息している方のようなので、「何処から来ました」と聞くと、埼玉からですとおっしゃった。私は「随分と遠くからですね、どうして今日のハーフマラソンを知ったのですかと聞くと、「少し前に飯山に在住の叔父さんから電話いただきまして知りました」と言う。話しを聞くに、どうもこの青年はマラソンが趣味のようで、かなり遠くの大会に参加しているとのことだった。「大学時代は箱根駅伝にも選手として出たんですよ」と信じられないことをさらっと笑って言って抜いた。これにはさすがの私も驚いた。「何歳ですか」と聞くと「もう45歳ですよ」と答えた、これにまた驚いてしまった。何時も走っている人は10年以上も若く見える者だと痛感した次第です。

 

 

 

  

 

 

 

 信越自然郷は新幹線飯山駅を中心に半径20Km圏域の飯山市・妙高市・中野市・山ノ内町・信濃町・飯綱町・木島平村・野沢温泉村・栄村のおすすめ観光スポットを紹介する。今日はハーフマラソンにちなんで各市町村の名産品を各ブースで紹介しがてら試食販売をしていた。秋晴れの好天の為か沢山の御客さんがブースで買い物していなさった。ランナーに人気のあったブースは、信濃町の特産りんごをジャンケンで販売していた。大きな袋に詰まった林檎をお客さんがジャンケンに勝つとたった100円で販売していた。遠方から参加した方は美味しい信州林檎をお土産にでもするのだろうと想像した。

 

 

 


運動会

2014-09-28 13:07:00 | Weblog

 どの子にも日差し遍き運動会

父母たちの重荷忘れた運動会

 昨日は秋晴れの清々しい好天に恵まれた中央幼稚園の運動会でした。

  

 

 

 次男坊のお兄ちゃんは年長で幼稚園最後の鼓笛隊の行進だ。最後だと思ったのか、普段明るく、暴れん坊のゆーちゃんは少し緊張気味のようだった。写真左端の前から二番目が次男坊「ゆうーちゃん」だ。間違いなくリズム感良く太鼓を打っていた。ゆーちゃんは成功でしたが漏斗胸の手術をした為、激しい競技に出られなく鼓笛がただ一つの運動会の参加種目であった。ゆーちゃんには良い思い出となる運動会であろうと思う爺である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あーちゃんがお母さんと出る競技、走って行って、先生の机の上から自分の好きな兜を選んで、お母さんと同じ兜を被りゴールに走つて順番を競う競技のようだった。あーちゃんは少し緊張気味でしたが、ママとにこにこして競技を楽しんでいるお子さんが印象的だった。あーちゃんは家では賑やかで明るいのですが、知らない人前に出るのは少し苦手なようだ。そんなわけで友達の輪の中にすーっと入って行けないところがある。そんなところは、お母さんの小さな頃とそっくりだなーと思う爺であった。

 

 

 

 

 

 

           

   お父さんとお母さんと一緒のテントをいろいろな形に変身させるので、このことを何と言うんだと、傍にいた、幼稚園の先輩のおにいちゃんに聞くと「メリーゴーランド」というんだよ、はてな?「メリーゴーランドと言えば、遊園地で馬が回っている遊戯機でその馬に乗って楽しむことだと思っていましたが、そういえばそのメリーゴーランドの天井のデザインと同じだ。ここから来ているのか、馬に乗っているのがお子さんで馬が両親と言う分けだ。


飯山雪国大学文化講演会

2014-09-27 16:16:04 | Weblog

 病持ちにかずけてならむ木槿かな

 

元女子マラソン・陸上競技長距離走選手で、現在はスポーツジャーナリスト・レース解説者・タレントなどで活動中である。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。佐々木七恵さんとともに1980年代前半の日本における女子長距離走の第一人者の増田明美さんの「自分という人生の長距離ランナー」のテーマでの講演会があった。増田さんの若い時代の選手時代の印象は余り美人でなく暗いイメージでしたが、今日の増田さんは、美しくなり、明るく人生を満喫していなさるように見えた。ロサンゼルスオリンピックから女子マラソンが初めて採用された1984年、初の日本女子代表として参加し、16K時点でリタイヤしてしまった。オリンピックから帰り、成田空港のロビーで会った心ない人に「増田明美国賊」と怒鳴られてしまった。期待されていた初の日本代表が途中リタイヤをして後ろめたい心に、輪を書いて「国賊」と罵倒されたことが若い増田さんの心が大きく傷ついてしまった。その後、走る気力を失い、会社の寮に三ヶ月間閉じ込んでしまった。だが、再び走るきっかけとなったのは千葉の実家のお母さんが、全国からの励ましと再気を促す言葉が詰まった、何回となく送られてきた手紙を見て「そうだもう一回挑戦してみようと決意」しグランドに戻ったと言うエピソートを話された。励ましの中には、70歳代の苦労と苦労を重ねられた中小企業を経営された方からは「増田さんマラソンも長いけど人生はもっと長いんだよ、凹んだことあっても立ち上がって頑張れば必ず光が見えてきますよ」またある人から「明るさ求めて暗さ見ず」の一言が増田さんの再気のきっかけになった言葉だと話された。増田さんは俳句を詠むことを以前から知っていましたが、俳句をたしなむ方の質問の答えの中に俳人「黛まどか」さんとの御付き合いを話され、こんな句を紹介された。増田さんのお祖父さんは陸軍将校でいなさったので靖国神社に 祀られているので一家で靖国神社に参拝した折に詠んだ句「靖国の祖父の御霊や百日紅 (さるすべり) 」を紹介された俳句を齧る私としては中々敬句だと思った。百日紅の花言葉は「・恋愛名言 ・男心・駆け引き ・結婚相手 ・恋愛ソング・恋愛おみくじ」だ。きっと靖国神社にお参りした当時は、増田さんはまだ独身で結婚を望んで居たろうなと想像する。講演の中では、増田さんは41歳の晩婚で只今50歳だそうだ。夫婦中の良さのユーモラスないったんを少し話された。本日増田さんの講演会に出席し勇気と感動をいただき、私も病気にかずけて塞いだ毎日を送ってはならない、前を向いて、「明るさ求めて暗さ見ず」で行こうと改めて思った。

 

 


燕帰る

2014-09-26 07:46:18 | Weblog

いつの間の空虚となりぬ帰燕かな

 

 

 燕達の、賑やかな囀りと空を忙しそうにスピートを上げて舞う姿がいつのまに消えたことに気が付き、日本で二回孵った燕達は一家で五〇〇K南へ渡る。なぜ渡るのかとふと思う。定見はなく様々な説があるようですが、「食物説。より多くのエサを求めて渡る」説と暖かい土地を求めて南の暖かい国へ渡る説、総説としては

氷河説。かつて地球が氷河期にあった時代に渡りをするようになった。氷河期には北半球など多くの地域の地上が氷に閉ざされた。鳥たちはやむなく食べ物を求めて、暖かい土地に移動した。氷河期に移動を繰り返しているうちに、渡りの習性がついた。

  • 大陸移動説。地球は大昔、大きな一つの大陸であった。それが次第に分かれて、現在の6大大陸になった。渡り鳥の習性も、この大陸の移動と関係があるという説。があるとネットに説明があった。

 

 

 

               

    和定食の旨い季節や燕去る

 私は何時も思いますが、燕が帰る季節の頃は和食が上手い季節となります。天然のきのこ類の吸い物はじめ焼マツタケなど最高の贅沢だ。またこの季節はお刺身が美味しい。マグロ初め鯛など海の冷たさからか脂が乗って歯ごたえがあり、しっとりとしたやわらかい味がたまらない。特に日本人に欠かす事が出来ない新米を楽しむことが出来る。また写真にもあります胡麻どうふなどは採りたての胡麻を使うと風味が一段と良いのがうれしい。温度感から言って秋風の吹く少し冷える時期が特に和食は美味しい

 

 

                                             

                                                                     中野市内の食堂でいただいた定食


晩秋の気配

2014-09-25 09:30:33 | Weblog

 

紅葉の励げみ合ふよにはじまれり

晩秋や間に間に染まる木立ちかな

 

 

 先日朝の歩行運動のコースを気分転換に変えようと、久し振りに運動公園へ車を走らせ針湖池の周りを歩いた。正確ではありませんが一周約一キロある。以前は四週するにさほど疲労感がありませんでしたが、昨日は三週で疲労感がどっと訪れた。体調なのか、それとも心臓の衰えなのか心配となる。考えて見ると、このごろ何時ものコースでも疲労感を感じ取っていた。ちょっと早足で歩いたからだろうと軽く思っていましたが、心配なので次回の診察日に主治医に聞いてみようと思う。主治医からは余り無理しないように歩いて下さいと言われていたことを思い出した。私の心臓の状態から歩き過ぎなのかなとも思ったりもした。明日からは歩く距離を短くして見ようと思う。家にいる時は心臓に負担が無いためだろう、この頃の体調はすこぶる良いので喜んでいた矢先のことである。


隣組の若き知人との別れ

2014-09-24 09:14:20 | Weblog

秋深む無念無念で天に召す

身に入むや先立ちし子の母ごころ

 つい先日、私の家の三件隣の方が、まだ四十七歳の若さで亡くなれた。誠に痛恨の思いである。彼のお母さんとは長いお付き合いですが、亡くなれた息子さんとは、挨拶程度でしたが、幼少のころから知っているせいか、人ごとのような気がしないでいる。逝った一人息子を亡くしたお母さんを思うと二重に心が痛む。彼はお父さんが設立された建設関係の会社を引き継いで経営されていた。近年の建設不況にもかかわらず良く経営されていなさるなと常々思っていた矢先の若くしての死であった。四十七歳と言えば人生の半ば、今迄いりいろ経験されこれから本当の実力を発揮する年頃だと思うと、彼の無念さを痛感する。御冥福を心から御祈りする。

 

 


稲刈り始まる。

2014-09-21 12:09:24 | Weblog

 朝の陽に染まる稲穂や頭垂れ

朝風に稲刈る音の乗りにけり

 

 

 今朝歩行運動から帰って、なんとなく時間を過ごしていると、朝明けの窓から薄い秋の日差しが入り込んで来た。私が年に数回訪れると、何だか自然に心が癒される大好きな田園風景はそろそろ稲刈りの時期かなと思い立ち、急いで車を走らせた。その場所に着くと、一部稲刈りが始まったばかりだった。しっかり実乗った田圃に朝日があたり、生き生きとした稲が眼に入り込んで来た。ただ残念だったのは田圃の端の家々のバックが朝霧がかかって山と空が見えなかったことだった。先回、この場所に来たころは、確かブログにもした覚えがありますが、すくすく育っている青田の時期だと思う。朝の微風に乗って何処か遠くから稲を刈る機械の音がかすかに耳にした。こんな朝早くから稲を刈る農家があるんだなと思い思い大好きな田園風景と別れをして来た。


コスモス

2014-09-18 11:00:38 | Weblog

コスモスの泛かぶみゆき野明り生む

コスモスや風を転がせ千の笑み

 花を愛でながら千曲川沿いを真っすぐ進む「フラワーロード」 飯山市の中心部、千曲川左岸堤防上を走る国道117号線は、信号が少なくフラットなため、ある程度スピードに乗って走れる快適な道路。しかも、千曲川の氾濫を抑えるために道路幅が広く取られてサイクングロードとして最適である。自転車大国であるデンマークの整備された道を彷彿とさせる。とサイクリング愛好家が飯山市の国道117のバイバス道路を称賛している記事がネットにあった。私も車でしばらくの間、国道117のバイバス道路を走っていないので、ロードの道の駅の近くにコスモスが盛んに咲いているだろうと思い、久しぶりに車を走らせた。ところがどっこい、ロードの両側に花ひとつ無かった。市は予算が無く、来年の五月の菜の花まつりの時期までロードに花を咲かせない方針なのかと疑問に思った。ネットに乗る位に117のバイバスロードの花は一年中切らすことなく、ドライバーの心を癒していたことだろうと思うと残念至極である。仕方なく道の駅を過ぎて少し行くと、畑に入る取り付け道路を下りてしばらく農道を走っていると、写真のコスモス畑を発見、農家も高齢化が進み、畑を全部耕すことが出来ないのだろうと思う。草だらけにしてはと思ったのか、かなり広い畑一面コスモスの花で埋まっていた。農家の粋な計らいに癒された。


客待ちタクシー

2014-09-16 12:41:16 | Weblog

 秋めきてタクシー緩り客を待つ

秋うらら木々ほのかに色を付け

 今年の北信州は暑い夏の日がいつの間にか通り過ぎたような気がしている。広島初め全国各地では一時間に60~80㎜という集中豪雨に会い「土石流」の発生で家が崩壊され、その上命までとられた人が読出するという痛ましい事故が起こった。信州南木曽でも「土石流」での被害が痛ましかった。被害者には申し訳ありませんが、私共、北信州は雷雨の警報は何回となく出ましたが予報に反して大雨らしい雨に出会わなかった。数日前、リハビリの日でしたので、出かけますと、何時も13:45分からですが、その日だけは先生の都合で15:00からだった事をうっかり間違えて何時もの時間に行ってしまった。余りにも待ち時間がありますので、家へ引き返そうと思いましたが、朝から予定どうり事をし終えて閑人となった私は家へ帰ってもすることがない。調度天気が良く心地よい秋風の吹く日でしたので、病院の玄関先の椅子で、コーヒーでも飲みながら何も考えずにボーットするのも良いと思い立ち、自動販売機の(意外と美味しい)コーヒー飲みながら、来院んする人や病院から出て行く人達を見ながら、あの方はどんな病気の患者さんなのか、それとも見舞いにおいでの方なのかと勝手気ままに想像を膨らましたり、知り合いと出会い、何となく話ししながら時間を過ごすことが出来た。ふとその間一時間半以上だと思いますが、病院の前で二台のタクシーがじっと客待ちしていることに気がつく。お客さんは一向に乗らない様子、今のタクシーの運転手さんは、ほとんど能率給と聞く、運転手さんをみると、二人とも働き盛りの年齢と推察した。こんなのんびりと効率の悪いことをしていて日当になるのかなと、人のことながら勝手に心配したりもした。車の運転が出来ない人達は、各市町村の福祉バスを利用する患者さんが多いと思うのだが、わざわざお金の高いタクシーを使わないだろうと思っている矢先に、一台のタクシーに乗ろうとする老夫婦を発見。多分見ず知らずの人達と乗るより気づかいのいらないタクシーが良い人もいるのだと思った。それとも一日に数本しかない福祉バスの時間に合わなかったのかと勝手に思っても見た。タクシーの御客さんの老夫婦は支度からしてかなりのお金持ちに見えた。ただボーットした一時間半の空間だった。


夜明けが遅くなる

2014-09-15 06:36:16 | Weblog

 中秋の朝の空気のうまさかな

薄灯り独りで占める秋の朝

 毎朝4時半少し前に準備体操を済まして歩き始める。日に日に朝明けが遅くなって、秋深くなっていることを感じとっている。写真のように暗い時間ですので街灯便りに歩く。歩きはじめは足が不自由の為一キロ位までゆっくり歩き、足を慣らしてから、健常者より少し遅いですが、普通に歩ける。思えば二年前、部屋にあるトイレから出ると、孫が置いて行ったオモチャに足を引っ掛けてふらふらとしベットの角に頭をぶつけたので、その夜日赤病院の形成外科の先生に縫って戴き一晩で無事退院となりましたが、その後、頭が割れるほどに痛くなり、左足の動きが鈍くなっているので、自ら「北信病院」の神経内科で診察してもらいに行く、脳のMRIをとって戴くと「急性硬膜下血腫」とのことだった。先生に「リハビリ」入院をお願いして二十日位のリハビリと治療入院となりました。杖を使えば完全ではありませんが歩けるようになったので退院となり、翌日から杖を使い使い歩く練習に半年ほど励んだ結果、今では健常者より遅いですが、杖に頼らずに普通に歩けるようになったことがうれしい。毎朝四キロの道のりですが、一時間二〇分で歩いている。歩いた後、朝風呂に入り、朝食後、一時間三十分位のベットでの熟睡後の目覚めが気持ちよく堪らない。最高の贅沢な時間を楽しんでいるこの頃である。


再び歩いて世界一周

2014-09-14 11:07:39 | Weblog

 サイネリア老いを知らずの 卒寿かな

 

Tさんに今朝もあったので写真を撮り直す。

 私の向かい側を通り去るTさんに「おはようございます」と挨拶した後に、急にTさんのことを今日のブログの話題にしようと思いたち、通り去るTさんを写真にしようと思いましたが、すでに遠くを歩いていなさった。従って写真が良く撮れなかった。翁は後半年で九十歳になると言う。只今は大きな目標を持ち日々努力されている、詳細は百歳に向かってもう一度歩いて世界一周と言う翁のブログを開けてみてください。驚くことに翁は昨日の歩いた距離は16、736歩で16.736Kmである。一日、朝と夕方の二回歩くそうですが、雨の日はカッパを着て、旅に出れば旅先で時間を捜しては必ず歩くことにしているとのこと、先日、翁と話をしますと、この頃体力が落ちて歩く時間が予定よりかかるので、このままの様子だと百歳までに「二回目の世界一周」が出来ないかもしれないと悩んでいなさった。私とT翁とは長いお付き合いで、色々なことを御指導いただいた中です。確か数カ月前にTさんのことをブログにしたと思いますが、T さんは戦後若い時代は先生をしておりますしたが、何か考えることがあったのでしょう、先生を止め「青果業」に転じていろいろ努力され、ついに「産地青果市場」を設立され、会社をかなり大きくしましたが、来る時代(未来)を予測され、ライバル市場と合併し、役員として頑張った人です。青果市場を惜しまれながら退職され、その後大きな目標を持って、中国の農家に「林檎」の育成を指導された。今では中国では林檎は大きな農業収入源となっているようです。翁は若い時代から、未来に対して鮮明な目標を持ち必ず実行された。その間、日中友好協会の発展に寄与された。中国に行きますと「国賓」として敬われるそうだ。サイネリアキク科。和名は「富貴菊」、サイネリアの花言葉は元気 、屈強、元気がからみつく秋の季語である。

 

 

 

 


実のりの秋の代表栗沢山いただく

2014-09-12 16:02:56 | Weblog

大粒の栗の渋煮やうまかりし

七十余年無骨に生きて栗を食む

 

                                栗の渋皮煮

頰ばりて顔まんまるに栗ごはん

      隣の中華店の御夫婦から秋の味覚代表の栗を沢山いただく、聞くところによると、御主人の兄さん夫婦が年をとり、栗落としと栗拾いが面倒になったので、気の済むまで持って行けと言うことらしい。写真の籠に入れた栗の三個分くらい下さった。早速家内は焼栗にしたり、栗ごはんと、栗の渋皮煮にした。栗の渋皮煮が沢山出来たので、瓶に詰めて食器棚に仕舞い込んだ。栗ごはんは、もち米を2~3割混ぜたのでふっくらともちもちとした甘い栗ごはんが出来た。孫達はお代わりする位に沢山食べてくれたようだった。私もあまりにも美味しい栗御飯と渋皮煮でしたので家内を褒めながら聞いてみると、家内の母からの伝授だそうだ。それを聞いた瞬間、あのにこやかな義母の顔が浮かんできた。

 


梔子の花.

2014-09-08 15:52:39 | Weblog

 人情の男二人の梔子の花

くちなしの花  石原裕次郎 & 渡哲也

                                           写真はネットから

 石原裕次郎と渡 哲也さんとの深い友情関係に、こんなエピソートがある

渡哲也が日活に入社した時に、先輩俳優への挨拶回りをした時の事です。先輩俳優は、事務的対応だったが、石原裕次郎だけは違った。
食事の手を休めただけでなく、立ち上がり、貴方が渡さんですね?頑張って下さい!と握手して対応しました。これが出会いです。出会った後も石原裕次郎は、何かと渡哲也を気にかけてました。一緒に飯を食べよう。酒を飲もう。洋服を持って帰れ(背格好がほぼ同じ)。等と言ってくれてました。下着以外は、ほとんど貰ったそうです。中でもよく着たのはセーターだったとあります。ピンクのスーツ上下まで貰った事もあるそうです。
その後、石原裕次郎の映画興行が失敗し、多額の借金を背負いました。何かと気にかけてくれてる石原裕次郎が困ってると思い、渡哲也は当時サラリーマンの四年分の年収に相当する全財産180万を持って、皆様のお茶代に使って下さいと差し出しました。石原裕次郎は、渡哲也の厚意は、涙が出る位に嬉しかった。この涙を見て石原プロに入社をする事を決めたと渡哲也は著書で語っている。

 

 

 

 

 





 

 

 

  

 


飯山市長選に思う。

2014-09-06 09:28:42 | Weblog

 街頭に明日を熱つす法師蝉

 

 

 明日はいよいよ飯山市長選の投票日です。私は、江沢きしお候補は、前回の初挑戦で惜しくも当選できななかったので、一回限りで東京へもどるだろうと思っておりましたが、想像に反して、彼はこの四年間、再び市長選への挑戦に供え、奥さまと離れ単身で自炊しながら飯山に住み付き、今日までコツコツと選挙運動に没頭された。彼は総務省大臣官房審議官のエリートの仕事を捨てても、急激に人口が減少し活気がなくなる、生まれ故郷飯山の将来を本気で憂いているのだと思った。私の大きな反省である。彼の息子さんはこんなことを言っている「父が昔から、国のために、地域のために深夜まで働いている姿を見てきました。先日の日曜日、起業家の先輩たちと一緒に、飯山で政策パンフレットを一軒一軒配布してきました。行く家々で、お父さん来てくれたよ、期待してるよ、と声をかけていただきました。四年間、真面目に八千世帯を訪問して、声を聞いて、それを反映して行こうとしてるんだと、胸が熱くなりました」。江沢候補の息子さんは東京で何か事業をしているらしい。江沢候補は中央官庁に長く働き、沢山の人脈を持っていると聞く。その人脈を最大限に協力戴くことが出来たらと思う。彼は長い経験に基づいたことだろうが、具体的な市民に分かりやすく、飯山の将来に希望のもてる政策を訴えていることに感銘を覚える私である。