4月24日、父が息を引き取りました。老衰。96歳、年男の大往生、苦しむこともなく幸せな最期でした。
父の社会的な貢献度はその息子に比べたら遥か彼方で光燦然と輝くものでした。障害児教育に情熱を捧げ、小学校校長を務め上げ、退職後も社会福祉協議会会長として働き続けました。定年退職の年に妻を亡くし、妻が地元で切り開いた太極拳の組織化に尽力、、、文句のつけようがありません。
一方で親子でありながらこうも価値観の違いがあるのかと悶々としたことが何度あったことか。はっきりと自我に目覚めてからの自分の歩みの中では、父の言動は自分にとっては反面教師そのものでした。あくまでも家庭内でのことなのでしょうが、私や私にそっくりな次女は随分と反発して来ました。
父の社会的な貢献度はその息子に比べたら遥か彼方で光燦然と輝くものでした。障害児教育に情熱を捧げ、小学校校長を務め上げ、退職後も社会福祉協議会会長として働き続けました。定年退職の年に妻を亡くし、妻が地元で切り開いた太極拳の組織化に尽力、、、文句のつけようがありません。
一方で親子でありながらこうも価値観の違いがあるのかと悶々としたことが何度あったことか。はっきりと自我に目覚めてからの自分の歩みの中では、父の言動は自分にとっては反面教師そのものでした。あくまでも家庭内でのことなのでしょうが、私や私にそっくりな次女は随分と反発して来ました。
【妻に遺影にしてくれと手渡していた一枚。いい笑顔でした】
が、、、。
人は死ぬとゼロになる。お坊さんが話される魂云々の話はさておき、一旦全部ゼロになる。36年前に母が亡くなった時に感じた同じことを父の臨終の時も感じました。色々な感情を一度フラットにして父の96年の生涯を想うことが出来ました。
孫達がじいちゃんを慕い、感謝の言葉を口にし、涙を流し、そして最後は笑い合ってじいちゃんをいじりまくっていたこと。私がずっと思っていた祖父のあるべき姿を実現していました。息子として一番心配していたことが全部拭い去られた最期の時でした。ホッとして嬉しくなり、清々しく心が晴れました。
お疲れ様。そしてやっぱり色々ありがとうです。そして、やっぱりこれは「祭り」でした。
おつかれさま!
反発もたくさんしてきた方だし、なんとも言い表せない不思議な気持ちだけど、
死は生を意識させてくれる人生の大仕事なんだと感じさせてくれた!
たくさんの想いと共に、お疲れさま!
色々あり過ぎたけど、最期はいわゆる感情を超越した感覚だったのかな。
とにかくホッとしたし、みんなを呼び寄せてくれて楽しい時をプレゼントしてくれて偉かったよね。
「死は生を意識させてくれる人生の大仕事」
まさにこの通りだったなぁ。彩も色々あったからね。
それら全部まとめて色んなことを考えさせてもらえたね。感謝。