十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

稲の花

2008-10-16 | Weblog
地震あとを過ぎたる列車稲の花   鈴木幸子
                               「滝」10月号<滝集>
岩手県南部を震源とするM7級の大地震、「岩手宮城内陸地震」が起こったのは、
今年6月14日朝のことだった。そして今、稲の花が香る季節。
幸いにも鉄道に被害はなかったのか、それともやっと復旧したのか・・・
日々の生活の中の見慣れた風景に、いつもとは違う安堵感を覚えている作者なのだ。
日本の稲作文化を支えてきたのは、自然の恵みでありながら、
同時に、大地を揺るがす地震の国でもあるのだ。(Midori)   

稲の花

2008-10-15 | Weblog
あめつちの阿吽や稲の花開く   鈴木三山
                             「滝」10月号<滝集>
梵語において、「阿」は口を開いて最初に出す音、「吽」は口を閉じて出す最後の
音とされる。そこから、それぞれを宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。
転じて、相互の微妙な調子を阿吽の呼吸ともいう。
そして、自然が隠し持っているエネルギーを「あめつちの阿吽」と捉えた作者だ。
三山さんの一句目に、「長靴の破れ田水の沸きにけり」がある。
稲の花が咲くまで、「あめつちの阿吽」だけでない作者の決して語らない苦労を思った。

水羊羹

2008-10-14 | Weblog
地獄図や膝にすべりし水羊羹   内山貴美子
                             「滝」10月号<滝集>
地獄図は、文字どおり地獄で罪人が呵責に合うさまを描いたものだが、
聖衆来迎寺の六道絵が最もすぐれたものとされているらしい。
水羊羹を、口元に運ぼうとして膝にスルリと落ちれば、あ~あ天国から地獄へ・・・?
現世の地獄もいろいろあるが、こんな経験は誰でもあるものだ。
「地獄図」と日常のちょっとしたハプニングの取り合わせが、とてもユニークな作品だ。(Midori)

炎暑

2008-10-13 | Weblog
戦ひの終らぬむくろ炎暑かな   古屋河童
                             「滝」10月号<佳作抄>
この一世紀の間、日本で、世界中でたくさんの戦いがあった。
第二次世界大戦後、63年を経た今もなお、海外には100万人以上の
戦没者の遺体が放置されていると言う。今年も終戦記念日には戦没者追悼式が
行われているが、遺族にとっては決して終ることのない「戦い」なのだ。
炎暑の中、放置されたままの「むくろ」がある限り、戦争は終っていないことを知る。
感情の抑制された作品に、河童さんの深い思いが伝わった。(Midori)

草笛

2008-10-12 | Weblog
鳴りさうで鳴らぬ草笛旅半ば   村上幸次
                            「滝」10月号<滝集>
一枚の草の葉を唇に添えるだけの草笛は、それだけにとても難しい。
何度吹いてみても、空気の漏れる音がスースーと鳴るだけ・・・
いつしか、すべての条件が揃った瞬間、空気の振動が草笛に変わる。
そのときの作者の成就感は、決して小さなものではないだろう。
旅はまだまだ半ば、きっと草笛を吹きながらまた何かに挑戦している作者だ。(Midori)

白桃

2008-10-11 | Weblog
白桃や還らぬ人のハーモニカ   加藤信子
                             「滝」10月号<滝集>
最近、あまり見かけなくなったハーモニカだが、父がよく、「ラ・クンパルシータ」を
吹いてくれたことを思い出す。和音の伴奏の快活なリズムが、いまだに耳に蘇ってくる。
掲句、「還らぬ人」とだけでは、誰とも限定できないが、大切な人のハーモニカであることに
変りはない。そのハーモニカの音色は、やはり今も信子さんの心に聴こえてくるのだ。
上五に配された「白桃」に、今を艶やかに生きている作者を思った。 (Midori)

紫苑

2008-10-10 | Weblog
むらさきは妹のいろ紫苑かな   谷口加代
                             「滝」10月号<佳作抄>
「むらさきは妹のいろ」とは、どんな妹なのだろうか・・・
薄むらさきで一重の花を咲かせる紫苑は、どこにでも見られる秋の草花だ。
紫は昔から高貴な色とされているが、「紫苑かな」とあれば、
紫苑のように慎ましく、健気で可憐な人に違いない。
「むらさき」「いろ」のかな文字には作者の優しいまなざしを感じた。
  紫苑といふ花の古風を愛すかな  富安風生
妹のいろ、むらさきをどんな色より愛する作者なのだ。(Midori)

コスモス

2008-10-09 | Weblog
コスモスやいつも風ある坂の家   中鉢益生
                              「滝」10月号<滝集>
散歩のたびにふと見上げてしまう家は、よくあるものだ。
「や」で切れていれば、坂の家にコスモスが咲いているとは限らないが、
きっとコスモスが風に揺れていたのだと思う。
坂の家には、風が季節ごとの香りをいつも運んでくれる・・・
コスモスに風はつきものだが、どこか新鮮な雰囲気に惹かれた。(Midori)

晩夏光

2008-10-08 | Weblog
晩夏光背中の砂を払ひけり   小林邦子
                            「滝」10月号<滝集>
晩夏の太陽が輝いている海辺だろうか・・・
砂浜に寝転がれば、さまざまな記憶が蘇ってきたのだろう。
真夏のきらめきもいくらか褪せた光の中、過去を払拭するかのように、
背中の砂を払っている作者の姿を思った。
何かを諦め、何かに解放された思いが、少しわかる気がした。(Midori)

爽やか

2008-10-07 | Weblog
過労です医師の言葉のさはやかに    池田愛子
                                   「滝」10月号<滝集>
明るく振舞っていても、内心は何か深刻な病名でも告げられるのではないかと、
はらはらドキドキの作者だ。医師の表情のかすかな動きも見逃すまいと、
さすがに緊張の色を隠せないでいるのだ。
医師の「過労です」の一言は、緊張が安堵と喜びに変わる瞬間だ。
きっと、心も晴れやかに過労も吹っ飛んでしまうに違いない。(Midori)

2008-10-06 | Weblog
黒蟻やシルクロードの仏たち   森田美乗
                             「滝」10月号<滝集>
果てしなくつづく砂漠の道、シルクロードは、東洋から西洋へと絹を運んだ道だ。
そして、仏の教えを東洋の国、日本へと運んだ仏の道、「ブッダロード」でもあった。
東西の文化を融合させ多くの仏教文化を生み出したのは、シルクロードなのだ。
そんなシルクロードを歩む「黒蟻」の姿は、まるで修行者のようだ。
季語の選択が見事に決まって、悠久の時の流れを感じた。(Midori)

2008-10-05 | Weblog
大皿を重ねガレージセール夏   牧野春江
                             「滝」10月号<渓流集>
一読して、夏らしい大きな構図に、燦燦と降りそそぐ太陽の光を感じた。
「ガレージセール」とは、不要になった物を、自宅のガレーなどに並べて売ることだが、
アメリカでは日常的に行われている合理的な習慣だという。
「ガレージセール」という言葉に、不思議とアメリカ西海岸の白い家屋を
想像させられたのは、やはり、偶然ではなかったようだ。
言葉が巧みに配置され、夏のエネルギーいっぱいの魅力的な作品だ。(Midori)

2008-10-04 | Weblog
昼月へ木の肌濡らし蝉翔てり  酒井恍山
                           「滝」10月号<渓流集>
蝉は、成虫になるまで数年かかり、羽化してからの寿命はわずか10日ほどだ。
掲句、誰でも一度は経験したことがある光景であるにもかかわらず、
何と詩情豊かに詠まれていることだろうか・・・
昼月に翔った蝉は、永遠の命を得て、鳴き続けているに違いない。
恍山さんの優しいまなざしが光っている作品だ。(Midori)


繊魄

2008-10-03 | Weblog
繊魄やゆつくりと巻貝を出る  石母田星人
                           「滝」10月号<渓流集>
繊月は細くなった月、三日月などの総称だが、同じ意味に「繊魄」がある。
見慣れない「魄」という言葉だが、かつて、人が死ぬと魂と魄に分かれると
考えられていた。魂は天上に、魄は地上にとどまる魂だという。
巻貝をゆっくりと出て行った「魄」が、月となって輝いている・・・
独自の美意識によって創りだされた世界はとても幻想的だ。
難解な言葉の中に、謎を解くキーワードが隠されていそうだ。(Midori)    

*繊魄(せんばく)

かまきり

2008-10-02 | Weblog
かまきりのむくろ荒野を荘厳す  菅原鬨也
                            「滝」10月号<飛沫抄> 
荘厳とは、サンスクリット語を語源とし、「美しく飾ること」を意味するが、
仏教では「しょうごん」と読み、特に仏像や仏堂を美しく厳かに飾ることを言う。
カマキリが、次の世に命をつなぎ、そして骸となってもなお荒野を荘厳する・・・
カマキリの祈りにも似たその姿に、孤高の魂を見る思いがした。
仏教に造詣の深い「滝」主宰の格調高い一句だ。(Midori)

「滝」のホームページ http://sky.geocities.jp/himatu2008/index.html