JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

主夫のお仕事

2007年05月06日 | y-その他

連休も最終日、予報通り昼頃から雨が降ってきました。
「こりゃ、散歩もできないね」
てんで、ゴソゴソと趣味部屋の模様替えを始めました。
そしたらね・・・・

飾ってあるのはしょうもない物ばかりなのですが、神棚みたいな場所ができちゃったんですよ。(笑)
本当はしまってしまいたい物も多いのですけど、しまう場所がないという・・・・、まぁしかたありませんね。

片付けも一段落して、コルトレーンの「CRESCENT」なんか聴きながら、珈琲を飲んで一休みしていると、
「もう、夕飯の支度しないと間に合わないんじゃないの!!!」
「・・・・・・」
そうなんです。いかに連休であっても、今日は日曜日『料理当番』なのです。

「今日は、ハンバーグでもいい?」
「え~~~~、タケノコご飯にするんだと思って、お米用意しておいたんだけど」
(「だったら、米だけじゃなくて、炊いておけよ!」)

それにしても、タケノコというヤツは、どうしてこうまで次々と一気に集まってきてしまうのでしょうね。そういえば、昨年も糠集めとタケノコ茹でに、何回も奔走したのでしたっけ・・・、今年は今のところ去年ほど集まっていないので、このあたりで打ち止めだと助かります。

「タケノコご飯に、ハンバーグっていうのもなぁ・・・・・・・・・・!?」
ということで、今週の『料理当番、今日の一品』

え~説明しますと、ハンバーグを急遽、『和風っぽい、ロールキャベツもどき』にしてみました。いちおうレシピを
1.合い挽き肉に、卵、塩胡椒、醤油少々、パン粉(少量)、それに長ネギのみじんを入れて、具を作ります。(少し下味を強くしてください。)
2.具を茹でたキャベツで包みます。
3.次にアサリで出汁を取ったスープ(出汁を取ったアサリは、別に取っておく)を、塩、醤油、酒で味付けします。(後で少々煮込むので薄味に。)
4.鍋にロール・キャベツを並べ、3のスープで煮込みます。(アクは取ってください。)
5.最後にアサリを戻して出来上がり。
「コンソメのロールキャベツより、サッパリ系でけっこう旨いわ」
と、そこそこ好評でありました。
ちなみに、刻んだタケノコも具に混ぜようかと思ったのですが、タケノコご飯だったので止めました。きっと入れても美味しかったと思いますよ。

連休の最終日、結局は『部屋の片付け』と『料理』で終わったという・・・・・
まてよ、これって、まるで、ぜったい、『主夫のお仕事』ではないだろうか????

さて、今日の一枚は、昨日マイナー・レーベル、キャンディドの紹介をしましたので、同レーベルに残る秋吉敏子のアルバムにしてみました。
敏子がバークレーに通っていた頃、ジェリー・マリガンのグループで活躍したチャーリー・マリアーノは、同校の講師でありました。
二人が結婚した翌年、このアルバムは録音されています。

当初、敏子はバークレーを卒業したら帰国して、日本のミュージシャン達に何かを伝えることが義務だと考えていたそうです。
しかし、いざ卒業してみると、自分は何を身につけたのかわからない状態で、結局は夫マリアーノとのカルテットで、アメリカ国内のクラブに出演することになります。

そんな生活をおくっていた時の録音だからでしょうか、それともマリアーノの影響でしょうか、バリバリのハード・バップといったイメージのアルバムではなく、当時の敏子スタイルが確実に出たアルバムとは、私には思えません。
ただ、日本情緒とジャズとの融合に突き進む姿が、すでに敏子の演奏を変え始めていたとするなら、「TOSHIKO'S ELEGY」「LONG YELLOW ROAD」といったオリジナル曲は、まさにそれを感じさせる演奏ですし、特に「LONG YELLOW ROAD」は、思い出の道でもあり、以降の敏子が歩む道にも思え、名曲、名演であるとも思うのです。

その後、敏子は、マリアーノとの間に娘さんをもうけますが、1965年別居をへて離婚することになります。

TOSHIKO MARIANO QUARTET
1960年12月5日録音
CHARLIE MARIANO(as) TOSHIKO AKIYOSHI(p)GENE CHERICO(b) EDDIE MARSHALL(ds)

1.WHEN YOU MEET HER
2.LITTLE T
3.TOSHIKO'S ELEGY
4.DEEP RIVER
5.LONG YELLOW ROAD

おまけ、

雨水が葉に溜まり、大きな水玉になっておりました。なんだかとても可愛くて、写真を撮ってしまいました。


少子化に思う

2007年05月05日 | s-u

今日は『端午の節句』、こどもの日ですが、朝日新聞に「地方の少子化進む」の記事。「子供(15歳未満)の占める割合が、対前年で都市圏では多少なり上昇しているものの、地方での低下が目立つ」とのこと、総務省担当者は「働き手の都心回帰などで、都市圏では少子化が鈍っているのでは」との見解だそうです。

そんな記事をふまえて、私の身近で一昨日から昨日にかけて起きた、ちょっとした事例を紹介したいと思います。

ゴールデン・ウイーク=帰省ということで、我が旧友H.S君も妻子と共に東京から帰省をしています。
H.S君の奥様はとてもお若い方で(我々友人の中ではこの結婚を犯罪と称しております。笑)、しかるに子供は、彼にとっては孫であっても不思議ではないほどの幼い一歳の息子です。
その息子が、帰省をして環境の変化を敏感に感じてしまったのか、一昨日の晩、突然の発熱を起こしたのです。
その晩、私は例によっていつものバーで飲んでいたのですが
「バブ、夜遅くに悪いんだけど、どっか小児科の先生知らないかなぁ?」との電話。

当然のことでありますが、私などに電話をするより、救急病院に電話をする方が確実なわけですけど、この地域の総合救急病院に問い合わせたところ、二時間以上の待ち時間がかかる上に、診察に当たる医師も小児科医ではなく、内科医しかいないとの回答であったのだそうです。それで、せめて小児科医に対処方法だけでも訊けないかと、私にまで頼ってきたのであります。

「わかった」
ともかく、私の知る範囲であたってはみたものの、小児科とのお付き合いは、我が子供達の年齢を考えればすでに遠い昔、行きつけだった病院は廃業しましたし、我が家の近くにある小児科医院も、先生のご自宅までは存じておりません。

「そうだ!亡くなったI君の義理のお父さんは小児科医だったはず!」
失礼とは思いましたが、I君の奥様に電話をさせていただきました。
「ごめんねぇ、うちもお父さんが亡くなって、病院締めちゃったし・・・・・・あのね、開業医が仮にいたとしても、診察は難しいと思うの、今、医薬分離で薬を扱ってないでしょ、だから、対応が難しいってこともあるのよ。」
と言いながらも、考えられる病院を教えていただきました。

とりあえずは、その病院をH.S君に連絡し、私の役目は終わったのですけど、心配だったので、昨日、確認をしたら「けっきょく何処も診てもらえなかったものの、何とか熱も下がってきたので、これから今日なら診てもらえるという医者に連れて行くところだ」ということでした。

それにしても、なんだか田舎の医療事情をかいま見たようで、いい気分がしません。もちろん、二時間待ちとはいえ、総合救急があるだけこのあたりはマシだという考えもありますが、このあたりでも二時間待ちで、しかも内科医しかいないということは、もっと田舎に行けば、さらに適切な医療対応を望めないということで・・・・・。
産婦人科医の都市圏集中や、地方の医師不足など、安心して子供を産めない、子育てができない環境で、はたして少子化を食い止めることができるのでしょうか?

私が子供の頃、繊細な私は(笑)『熱性痙攣』いわゆる『ひきつけ』をよく起こす可愛い男の子でした。(大笑)
母は何度も、舌を噛まないように指を口の中に入れたまま、行きつけの医者に駆け込んだそうです。(しばらくしてからは、救急箱に割り箸にガーゼを巻いた『舌押さえ棒』を用意して、慣れた手つきで対応していたそうですが)
我が息子も、繊細な(しつこい!)父の血をひいたのか小さい時に『熱性痙攣』を起こす子でした。まぁ、母のアドバイスで慌てることもなく、対処できたのは幸いでしたけど、それでも最初の頃は右往左往したものです。

ともかく、我が子が、高熱を出したり、嘔吐したり、心配なことが起きれば、慌てるのが親として当然ですし、核家族化なればこそ、さらにそれは頻繁に起こりえることでしょう。医療技術が大幅に進んでいる現代に、それに対する医療対応が貧弱になっているというのはなんとも歯がゆいし、納得いきません。
昔は現在のようにシステマチックな体制ではなかったのでしょう、それでもこんな田舎であっても、もっと人間を人間として扱う医療が存在していたように思えてならないのです。

こんなこと、素人がとやかく言うことでは無いでしょうけど、他の地域格差はある程度しょうがないとしても、こと医療に関しては、全員が同等の、いや、最低限でもいいから、受けられる環境はできないものなのでしょうかね?
幸いにも、H.S君の子供は、大事にならずに済みましたが、ふと、そんな疑問を感じた出来事でした。

さて、今日の一枚は、じつに十数年ぶりに聴いたアルバムにしました。
何故このアルバムを引っ張り出してきたのか?
今日、NHK-FMで「今日は一日 ジャズ三昧」なる番組をやっておりまして、たまにはレコード、CDに頼らず、ラジオでも聴きながら読書でもしようかと耳を傾けていると、新宿のジャズ喫茶「DIG」そして「DUG」のオーナーであり、写真家でもある中平穂積氏がゲストとして登場されました。

「まだ、ジャズ喫茶を開店する前でしたけど、新宿のとあるジャズ喫茶で、たまたま同席されていた植草甚一先生とお話をさせていただくきっかけとなったアルバムなんです。」
と、このアルバムの「AIR」をおかけになったのです。

「いやぁ、アーチー・シェップかぁ・・・・・・・・んんんんんん、待てよ。ひょっとして今だったら、これ聴けるかもしんない。」
ということで、引っ張り出してきたのであります。
聴けました。(笑)
セシル・テーラーもそれほど聴いたというミュージシャンではないのですが、
「コルトレーンはいいけど、アーチー・シェップは完全に違うんだよなぁ」などと、当時のシェップを毛嫌いしていた私が、大丈夫、聴けました。

そもそも、この手はダメという方も多いかとは思いますが、これに限らず「昔ダメだったけど今は聴ける」みたいなのは、他にもあるかも知れませんよ。

THE WORLD OF CECIL TAYLOR
1960年10月12,13日録音
CECIL TAYLOR(p) ARCHIE SHEPP(ts) BUELL NEIDLINGER(b) DENNIS CHARLES(ds)

1.AIR
2.THIS NEARLY WAS MINE
3.PORT OF CALL
4.E.B.
5.LAZY AFTERNOON

追伸、
キャンディドは、小説『ジャズ・カントリー』の著者であり白人評論家のナット・ヘントフが監修を努めた、マイナー・レーベルです。現代音楽をやっていたセシル・テイラーは、彼から大きな影響を受けました。
そして、このアルバムがこんどはその後の前衛ジャズに大きな影響を与えたのです。


今夜は泣くと思います

2007年05月04日 | a-c

何だか朝から暑くなる兆し。

   でも今夜は 私 泣くと思います
   うらやましくて
   やっぱり
   うらやましくて
   うらやましくて
   うらやましくて
   今夜は 泣くと ・・・・思います
 ♪ 怜子 いい女になったね
   惚れられると 女は 本当に 変わるんだね ・・・・・ ♪

「朝っぱらから、中島みゆきの、しかもこんなに暗い歌を聴かせるヤツは、何処の何奴だ!・・・・・・・」
おもてから聞こえてくるんです。しかも大学生アパートの駐車場に止まってる車の中から。
今どきの大学生が、こんな古い中島みゆきを聴くのでしょうか?????

じつは、この「元気ですか」と「怜子」には、ちょっとした思い出がありまして。
学生時代にお付き合いをしていた彼女が、中島みゆき好きなのに、この曲だけはけして聴かなかったのです。
どうしてか?
私と付き合う以前、彼女はとある先輩とお付き合いをしておりましたが、どうもその方との別れにこの歌が大きく関わっていたようなのであります。私が付き合い始める前に、一度だけこの歌を聴きながら涙ぐむ、彼女の顔を見たことがありました。
えっ?その先輩に嫉妬しなかったのかって?
いやね、そのゴタゴタに乗じて、私は彼女を口説いた見たなところがあって・・・、つまりは「漁夫の利」みたな(笑)
ねっ、それじゃ責める理由がないでしょ。

ともかく、朝っぱらから、ちょっと酒臭い息を吐きつつ、そんなことを思いだしていたのであります。
それにしても、暗い歌だよねぇ

連休二日目は自宅でDVD鑑賞です。
朝からの歌で少々疲れ気味なので(笑)、気楽に観られる映画をということで「プラダを着た悪魔」を借りてきました。
内容云々は評論家の方々にお任せするとして、アン・ハサウェイは、なんとも可愛いお嬢さんですねぇ(鼻の下が伸びてるよ!)
「プリティ・プリンセス」の時もそうでしたけど、あの大きなお目々には『おじさんコロリ』てな力を感じます。
もちろん、メリル・ストリープも素敵でしたよ。(取って付けたよう)ああいうキツイおばさん役にはピッタリですよね。
素直に楽しい映画でした。

さて、今日の一枚は、こちらも何となく楽な気分で聴けるというか、ブルーノートに残るクリフォード・ブラウン、デビュー当時の演奏を選んでみました。

ブルーノートでのブラウニーのリーダー・アルバムは、10インチ盤を除けば、これ一枚きりということになります。(その10インチ盤とルー・ドナルドソン名義の10インチ盤の抱き合わせですから、リーダー作としてブルーノートに残っているのは、このアルバムのA面だけということになります。)

アルフレッド・ライオンとしては、もっと多くの録音をしたかったプレーヤーの一人だったのだと思います。だからこそ、交通事故でなくなった彼を惜しんで、このメモリアル・アルバムを出したのでしょう。

このアルバムのブラウニーは、ブラウン・ローチ双頭バンド時代に比べると、まだまだといった感じはしますが、若々しさというか、みずみずしさというか、そういったものが多いに感じられ、楽しさを与えてくれる一枚だと思います。

その真面目な人柄から、多くのプレーヤーに慕われ、確実にトップを走っていくだろうと期待された天才トランペッター、
彼の死を受け入れるために、多くの人が
今夜は 泣くと ・・・・思います
と、心で言っていたのだと思いますよ。

MEMORIAL ALBUM / CLIFFORD BROWN
1953年6月9日[6-10], 8月28日[1-5]録音
CLIFFORD BROWN(tp)
LOU DONALDSON(as) ELMO HOPE(p) PERCY HEATH(b) PHILLY JOE JONES(ds)[6-10]
GIGI GRYCE(as) CHARLIE ROUSE(ts) JOHN LEWIS(p) PERCY HEATH(b) ART BLAKEY(ds)[1-5]

1.HYMN OF THE ORIENT
2.EASY LIVING
3.MINOR MOOD
4.CHEROKEE
5.WAIL BAIT
6.BROWNIE SPEAKS
7.DE-DAH
8.COOKIN'
9.YOU GO TO MY HEAD
10.CARVING THE ROCK

ちなみに、8曲のボーナス・トラックが入ったCDもあります。

おまけ、
DVDを観終わった後、
「散歩行ってくるねぇ~~~」
と言って、いつものごとく1時間ほど歩いてまいりました。

 

 
散歩道はお花だらけです。

「・・・・・・・・あっ!今日は金曜日ジャン!散歩の日は土曜日と決めていたのに、ショック!」
ちょっと休みが続くと、すぐにぼけてしまう私、
今夜は 泣くと ・・・・思います


必要悪

2007年05月03日 | y-その他

「この歳になると」ということなのか、それとも、私だけのことなのかはわかりませんけど、酒を飲んでいて、ときおり熱く語り合ってしまうということがあります。
・・・・いや、まてよ。若い頃にもそんなことが間々あったような・・・・
そうでした、私が学生の頃は「論争を交わしながら一晩飲み明かす。」てなこともあったのです。まぁ、最近はあそこまで熱くはないですけど。

一昨日の晩も、何故か『必要悪』についてしばし語り合いました。
事の発端は『私立高校の野球特待生問題』

「しかし、笑っちゃうよなぁ、何をいまさらと思わねぇ?」とMさん
『特待生問題』そのものより、組織の在り方、態度に疑問を感じるという意見です。
「そうですよね・・・・・・でも何事もそうじゃないですか。例えば・・・・」

ちょっと前、知事の逮捕劇で始まった『談合問題』が、毎日報道トップを飾っていたときです。
地方においての『談合』らしきことを、まるでその時始めて知ったかのように振る舞う、マスコミ関係者や当事者の話を、嗤笑しながら見ていたことを思い出したのです。
ある意味、誰しもが何となくわかっていて、しかも公然と行われていたことが、ある日突然、それまで全く知らなかったような顔をして問題化され、その当事者となった人は、「間の悪いときに関係者だった」と不運を嘆く、ありがちなことではありませんか。

渦中の人は「悪いことだとは知りつつも・・・・」と言い訳をする裏には、「時に『必要悪』もあるのだ!」と自分に言い聞かせ、義務のようにそれを遂行する、それが現実でもあるし、職務でさえあるのだと、ある意味正当性を主張したいところもあるのでしょう。

「人間、何事にも、表があれば裏があると思っているし、それを受け入れている現実もある。つまり『必要悪』は存在すると認めてるってことじゃないの」
「う~~~~ん・・・・」
『必要悪』など無いと信じたい私には、なんとも腑に落ちない結論であります。

『談合事件』が表沙汰になったことで、地方の小さな企業はダメージを受けるでしょうし、交付金削減も合間って『死活問題』になっていることも事実でしょう。過剰化した企業が少ない仕事を取り合えば共倒れも必至・・・・・ならばと、さらに裏を探り合うのかも知れませんし、そんな利権に群がるヤカラも現れるのかも知れない・・・
「堂々巡りは果てしなく」、「『必要悪』もまたやもうえない」なのでしょうかねぇ。

おっとと、話は『特待生問題』でした。これはけして『必要悪』だとは、私は思ってないのですが、
今まで、黙認してきたことを、突然、今日から禁止と唱えて、被害を被るのは高校生だとすれば、解決を焦らない方が私はよいと思うのです。
なかには
「親の負担を考えれば、野球を頑張って、特待扱いなら高校へも行けるし、野球も続けられる」
って、頑張った子だっているんでしょ。
明確なルールを決めた上で、次期入学生から徹底して行く、てなわけにはいかないものなのでしょうか?

「来月から、特待扱いができなくなりましたから、学費諸々をお支払いいただくことになります。」
と言われても、私立のそれでしょ、キツイと思うなぁ
かといって、
「それじゃ、少なくとも野球部は退部していただきます。」
これもひどい

安易な目先の解決方法に走れば、「表があれば裏もある」的に、ここにもさらなる利権が生まれ、変なヤカラがたむろして、無くてもいいような『必要悪』を産む、てなことになるでしょう。
目先の解決ではなく、長いスパンで考えた恒久的な対策を、よくよく話し合って出してもらいたいものだと、子供の学費の支払いにもヒーヒー言っている貧乏オヤジは、思うのでありました。

さて、今日の一枚は・・・・ごめんなさい、単純に「野球の話だったから」と、ジャケット・デザインで選んでしまいました。
私の所有アルバムの中では、じつに新しい部類に入る一枚です。

私の場合、どうにも上手すぎるというミュージシャンを、ちょっと毛嫌いする傾向があるのかもしれません。(笑)ロン・カーター、トニー・ウィリアムスという二人も、そんな感じがあるのです。
というか、二人が参加していたマイルス・グループがあまり好きじゃなかったという、つまらない理由が根底にあるようにも思えますが

このアルバムも、当時めったに共演しない三人で、しかもライブだというのに、そうとは思えないほど質の高い演奏だと思いますし、まさに『夢の共演』的演奏ですから、悪かろうはずがありません。
ただ、私としては何だか出来上がりすぎていて、もっと面白味が欲しいというか・・・・
これって、贅沢すぎるのでしょうか?

ザ・グレイト・ジャズ・トリオという名は、1975年春、「ヴィレッジ・ヴァンガード」で三人が共演したことに始まります。その後、1976年5月に渡辺貞夫を加えたセッションで「I'M OLD FASHIONED」を録音し、翌年、またも「ヴィレッジ・ヴァンガード」での1週間公演を行うことになります。その時の録音がこのアルバム。


I'M OLD FASHIONED

ハンク・ジョーンズにとって、これが初のライブ・レコーディング(実際は、JATPで一度録音してるんですけどね、本人曰く「あれは、ライブ録音ではなく、ノーマン・グランツの趣味的録音だ。」なのだそうですよ。)。えっほんとに?って考えると何だか面白いですよね。

ともかく、私の感情的でつまらない不評を除けば、じつによいアルバムだと思います。

THE GREAT JAZZ TRIO AT THE VILLAGE VANGUARD
1977年2月19,20日録音
HANK JONES(p) RON CARTER(b) TONY WILLIAMS(ds)
1.MOOSE THE MOOCHE
2.NAIMA
3.FAVORS
4.12+12

おまけ、
せっかくのゴールデン・ウイークですので、昼からちょっとした贅沢をしてしまいました。スペアリブを焼いて、ビールをキューっと・・・・

昼間飲むビール、旨いですよねぇ~~~~
ん???ひょっとして、私にとって最大の『必要悪』は、アルコールだったりして(笑)


八十八夜

2007年05月02日 | a-c

我が地域ではウニ漁も解禁となり、立夏を間近に気温も上がって、いよいよ初夏という雰囲気です。
皮膚の下に『万年防寒着』を羽織っている私としては、徐々に散歩もうとましく思える季節が近づいてきたということで、心から喜べないわけですが・・・・
そんなことはお構いなしに季節は進み、気が付けばもう今日は八十八夜なんですね。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
・・・・・・・・・

私の八十七夜はまたも飲み過ぎの午前様でした。
「いゃあ、何だか今日は眠い・・・春眠暁を覚えずかぁ」
「あれだけ遅くまで飲んでれば、春じゃなくても眠いのがあたりまえでしょ!」

たしかに、明日が休日なんですから、八十七夜ではなく、八十八夜に飲めばいいわけで・・・・・・
だけどねぇ、連休明けの仕事日というのは、ほら、ちょっと疲れ気味でしょ。ついつい赤い提灯に誘われてしまうわけですよ。
えっ?それで翌日眠いって言っちゃダメだって?
ハイ、そのとおりです。

ところで、八十八夜は立春から数えて八十八日目ということはわかっても、どうして『夜』なのかって考えたことはありませんか?

あれに見えるは茶摘みじゃないか

って、夜は茶摘みはしないでしょうし、仮にしてても、あかねだすきに菅のかさは、無いと思うのですが。

そもそも、八十八夜は日本独自の農作業をにらんだ雑節でして、「この頃に遅霜が降りて、被害が出ることがあるよ」という警戒日なのであります。八十八夜の別れ霜、たしかに、昼には降りませんやね。
ここ何日かの気温なら、今晩は遅霜の心配は無いでしょうが、天候等々に影響されず、農家の皆さんの努力が報われますことを祈っております。
そして、農家の方も漁師さんも、美味しい食材を私の元へ届けていただければ、益々御酒が進むというもんで、
「おありがとうございます。」

さて、今日の一枚は、ソニー・クラークにしてみました。
以前、タイム盤の「SONNY CLARK TRIO」は紹介していたのが、なぜだかブルーノート盤は紹介してなかったんですよねぇ・・・・・きっと忘れていたんだと思います。(笑)
同じトリオでも対照的な二枚ですが、収録曲もタイム盤はオリジナルに対して、こちらはスタンダードとバップの名曲集といった感じです。

本国アメリカでは、名前すら知れていなかったといわれるクラーク。キャバレー・カードがもらえず、クラブ出演がほとんど無かったということもありますけど、最大の原因は早死ににあると思うわけで、つまりは、伴奏楽器としてのピアノのイメージが強すぎる時期に活躍し、ピアノが本当の意味で脚光を浴びる時期には、すでにいなかったわけですから、薬に手を出さなければ、度が過ぎなければ・・・・・
言ってもしかたのないことですよね。

日本人の大好きなクラーク節、「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」のシングル・トーンに集約されているように思います。
出しゃばらないピアニストが、出しゃばらないバックに引き立てられ、いつになく出しゃばった、そんなふうにも思える一枚です。

SONNY CLARK TRIO / SONNY CLARK
1957年9月13日録音
SONNY CLARK(p) PAUL CHAMBERS(b) PHILLY JOE JONES(ds)

1.BE-BOP
2.I DIDN'T KNOW WHAT TIME IT WAS
3.TWO BASS HIT
4.TADD'S DELIGHT
5.SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE
6.I'LL REMEMBER APRIL

最後は「四月の思い出」にひたりながら、5月最初の記事を締めましょう。