ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

エイプリルフール!

2005年03月31日 | ファミリーイベント

 
 早くも2005年の1/4の3ヶ月が終わろうとしている。月日の経つのは、ほんとに速い。一月行って、二月は逃げて、三月去ってとはよく言ったものだ。

 そして迎える4月1日。子どもの頃から何となく愉しみにしている日でもあるのだが、なかなかエイプリルフールと称される、「嘘をついてもいい日」を具体的に愉しむことが毎年出来ないでいるのは、私だけではないだろうと思う。

 毎年、4月1日の午前中に一回は、誰かに罪のない嘘をついてみようと思うのだが、後腐れのない、かわいい嘘というのか、冗談だよと、後で笑えるような嘘が思いつかない内に、時間が経ってしまって、あぁ、今年も何も実行できなかったとなってしまうのである。

 しかし逆に、見事にエイプリルフールの罠にはまってしまって、してやられた経験ならあるのである。

 それは、もう20数年前のことだが、私が東京は杉並区浜田山に居住していた頃の話であるが、朝いつもの様に出勤のために、仕事の事務所が渋谷にあり、仕事上始業時間が比較的遅かったのだが、9時30分頃自宅を出て、井の頭線の最寄の小さな西永福という駅まで歩いて行ったのである。

 何故か、その日は駅の時計が故障していて、9時40分頃なのに、まだ8時台を示しているのである。少し首をかしげながらも、何の疑いもなく電車に乗って15分くらいで終点の渋谷駅に着いて、いつもの様に急ぎ足で改札を出て、職場に向かおうとして、渋谷駅の時計を見た。

 何と渋谷駅の時計も、まだ9時前を指しているのである。自分の左腕にはめてある愛用の腕時計は既に10時5分前で、急ぎ足で歩いて、やつと始業時間の10時に間に合う時刻である。

 しかし、しかし京王線の全ての駅の時計が何故狂っているのかと、最初は不思議に思ったのだが、「あ、やられた!」と気づいたが後のまつりであった。その当時は今の様に携帯電話もない時代なので、駅の公衆電話から自宅に電話をかけると、「何時気づいたん?、西永福の駅で何で気づけへんの・・・」と電話口で妻の声。

 まんまとしてやられたのである。自宅の3つ4つはあると思う時計を全て1時間早めて、僕が起きる前に私の腕時計も1時間早めてあったのである。夜は遅くなる仕事だったため、朝は起きて急いで朝食だけ済ませて、何の疑いもなく家を出たというわけである。

 あまりにも見事にひっかかったために、私自身も怒ることもできず、1時間早く出勤しただけで、何ら他人に迷惑をかけたり、謝らなくてはいけないような事態は生じなかったので、笑うことしか出来なかったのだが、全くの不覚であり、奥さんの作戦勝ちの「エイプリルフール」完全エピソードとなってしまったわけである。

 それ以来、私自身もチャンスがあればと数年は、仕返しではないが笑えるような見事な、これぞエイプリルフールを仕掛けたいと思っていたのだが、その日が4月1日であっても、「冗談として笑えるような嘘」を演出する余裕もなく、時間が経過してしまい、夕刻や夜間のニュースや番組の話題として、そうか今日はエイプリルフールだったんだと、遅くに認識することが度々であったような気がする。

 いよいよ明日はと、前日の3月31日に、記してはいるが、さて明日の午前中に、何か愉しいひらめきやアイデアが浮かんだら、実行してみたい密かに思っているが、一晩寝ると忘れてしまうかもしれないだろうと、少し不安も抱きながら、床に付くまでの貴重な時間に、ちょっぴり企画を考えてみようと思っている。

 このブログを家族が今晩から明日の午前中だけは読まないことを祈りながら、真剣に愉しいアイデアを搾り出したいものである。

 エイプリルフールを愉しもう!

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メジャー5年目のイチロー

2005年03月30日 | プロスポーツ

 アメリカ大リーグ、シアトルマリナーズのイチローの進化が続いている。

 昨年大リーグ史上、最多安打を記録したイチローが今シーズンは、オープン戦開始後18試合全てにヒットを放ち、しかも打率何と5割をキープしていて絶好調なのである。

 4年間の大リーグ経験で、もう推しも推されぬ大リーグにとってはなくてはならない、トップスターの仲間入りしているイチローだが、5度目のシーズンを前に、新たな進化を証明する如く、とてつもない記録を続けているのである。

 早や、ニューヨークタイムス紙によれば、米大リーグで半世紀ぶりの打率4割は可能という、打撃コーチのコメントが紹介されて、本人も「投手に完全に抑えられる確率は30%、残り70%の中で、どれだけヒットに出来るかがポイントだ」と自信のコメントも紹介されているのである。

 記事では、イチローが日本の国民栄誉賞を二度辞退していることを例に引き、「彼の野球人生でまだ成すべきことが、たくさんあるためだ」と結んでいるのである。

 驚くべき進化と可能性を秘めたイチローの打撃に今年も、我々日本の野球ファンだけでなく、全世界のスポーツファンが熱狂したり、冷静に期待したりしながら、彼の半世紀ぶりの偉業達成を注目することになるだろう。

 昨年の262安打のメジャー年間最多安打新記録でも、MVPには選出されなかったイチローだが、今シーズン4割を越える打率を最終的に達成できれば、5年目にして大リーグの最優秀選手賞を獲得することは間違いないのではないだろうか。

 この4割打者になることは、どれほどすごいことなのだろうか。平均で5打数2安打、すなわち5回のチャンスの内で2回は確実にヒットするということだから、少しでも野球をやった経験のある人や、野球のルールや技術に詳しい方なら、察しがつく難事業であるのである。

 ちなみに、大リーグ史上では1941年にテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)が打率4割6厘をマークして以来63年間に4割に肉薄した選手は3人いたが、いずれの大打者も4割には到達していないのである。

 イチロー選手は、昨年度年間最多安打を記録した時、後半戦では4割2分9厘の打率を記録しており、今シーズンのオープン戦での好調ぶりを考えると、年間4割の偉業を達成する期待がますます高まっているのである。

 1980年に3割9分を記録して、現在野球殿堂入りを果たしている、かつての大打者ジョージ・ブレッド氏は、イチローについて「広角に打ち分けることが出来、足も非常に速い。今は投手の分業化が進み、打率4割の壁を破るのは、とても難しい環境にあるが、もし偉業を彼が成し遂げたとしても驚くことはない」と大記録に挑む資質を備えたイチロー選手を評価している。

 またブレッド氏は、「イチローが打率4割に挑むのが大いに楽しみで、野球界にとっても素晴らしいことだ」と期待を寄せ、「4割を打てる存在がいるなら、それはまさしく彼のことだよ」と絶賛している。

イチロー自身も、夢の4割について「ファンに出来ると思われるような選手になりたい」と話している。

 全世界中の野球ファンが注目する中、日本のプロ野球界が送り出した、世界のスーパースター、イチローには今シーズンも目が離せないだろう。

 
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反対討論!

2005年03月29日 | ちょっと可笑しいよ

 
 地方都市の市議会3月定例会の最終日、来年度予算を中心とする議案などの採決が本会議としての議場で行われた。

 私は、来年度予算に反対の立場からの「反対討論」を保守系議員の賛成、共産党の反対、自民党の賛成の各々の討論の後、無所属ではあるが市民派的会派を代表して、反対討論を行った。私の後、民主党党籍の無所属女性議員も賛成討論を行ったので、5名もの議員が討論を行うという珍しい議会となった。

 というのは、日頃の議会での議事進行は、大抵は、議案の審査を行った常任委員会や特別委員会の委員長報告の後、議長が「質疑はありませんか」と問うて、保守系与党と自称する議員が「なーし」と答え、次に議長が「討論はありませんか」と問うても、同様に「なーし」という空しい通過儀礼で採決に入ってしまうのが大半なのである。

 しかし、地方財政が厳しい状況下で、地方自治体の行財政改革が問われる現状での、来年度予算については、7日間に及ぶ予算特別委員会の審議も、通算35時間近くを費やして、私も含む8名の議員が質疑を行った上での、本日委員長報告後の「討論」に5名の議員が立ったことは、良かったと思っている。

 私は4期目の議員であるが、ずっと無所属市民派的議員として、政党や組織に所属したり、各種団体などの推薦やバックのない議員として、この14年間、生活者住民の視点に立っての問題提起や提案をし続けているので、今回も歯に衣を着せずに、市長の施政方針と来年度予算に対しての問題点を列挙して、反対討論をしたのである。

 その主な概要は次の通りである。

 施政方針演説を聞き、民間企業の社長だった市長の才覚からの新しい発想や手法での、沈滞した行財政改革の具体策と予算執行を、多くの住民は期待してきたが、10年経っても全く前年度を踏襲するだけの旧態依然とした言い回しや美辞麗句を並べただけで、市長としての市政改革に対する意欲や、自らの明確な政治理念や信念で、市役所を本当に市民の役立つ所として機能させようとする気概が感じられない、通りいっぺんの行政文書の朗読であったことに、市民の一人として残念であり、失望感を拭えない気持ちです。

 市長、助役を初めとする理事者及び幹部職員の予算委員会での答弁、見解は、改革への積極的な姿勢を感じさせるような発言はほとんどなく、その場しのぎの言い逃れ的発言や、従来通り行うという形式的な答えが大半で、検討、研究すると言う返答においても、誰が何時までに責任持って対応すると言った具体的見通しや目標年次を明確にした答弁はありませんでした。

 行財政改革の必要性や市民参画、情報公開、説明責任などは、言葉としては語られていますが、真剣な取り組みへの姿勢はまだまだ不十分であり、地方分権、地方財政の困難な時代に突入しているにも拘わらず、市の地方自治体としての独立、自主の市民自治を計画的に進めるための基本理念としての「市民参画自治条例」などの制定の心構えもなく、時の経過と共に、後4.5年で基金が底をつき大変なことになると理事者が公言するに至っては、全く自治体経営の責任者は誰なのかと疑心暗鬼にならざるを得ません。

 この様な調子で「反対討論」を展開し、採決が行われたが、何の波風も立たず、共産党と我々の反対だけで、保守系会派と自民、公明、民主の市長与党と称する勢力の数の力で、来年度予算案は多くの問題を問題とせず可決されてしまった。

 しかし今回、来年度予算に対する「付帯決議」が始めて賛成全員で可決したことは、従来の「なぁなぁ」の出来レースの様な予算案可決と違った、ひとつの提言が前回一致で付け足されたことに意義があった議会となった。

 その付帯決議の内容は、昨今の学校の内外における、児童、生徒らの被防止へ、学校施設の安全対策の徹底を補正予算においてでも、早期に対応することを要請する議会の意思を明確に成文化して、本会議で決議したのである。

 市民の視点や生活者住民の声や指摘を謙虚に受け止めて、行財政改革で市役所、公務員のスリム化をまず推進して、市民のニーズの優先度と財政的バランスを長期的見通しの中で鑑みて、積極的な市民サービスに邁進してもらいたいものである。公務員は市民の公僕であり、市長は会社の社長で、株主住民に喜ばれる住民サービスとしての配当を期待したいと思うのである。

 


 
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全国最多の議員数!

2005年03月28日 | とんでもない!

 とんでもない!何のために合併したん?と言いたくなるできごとである。 
 秋田県の旧大曲市と周辺7町村の合併で出来た大仙市(人口約9万8千人)の議会が全国最多の136名の議員を要して、初議会を普通の議場では開催不可能なので、文化センターを貸し切って開催された様子が、一斉に今夕の新聞紙上に写真入で掲載されている。

 全く馬鹿げたというか、「あほか」としか言いようのない実体が全国に恥ずかしげもなく報道されているのである。ここ数年の政府の進める地方自治体の合併奨励で、全国的にたくさんの合併が次々とされてはいるが、多くの自治体でその理由を、まず財政難としている場合がほとんどである。

 それなのに、合併して東京都議会議員数(定数127)を越える全国最多の議員を、合併に関する在任特例として適用した、この愚かな自治体のかかる経費は、9月までの6ヶ月で何と約3億円になると言うから、全くあきれて物が言えない恥ずかしい既得権の税金無駄遣いであるとしか言いようがない。

 大曲市の市議に加えて、旧7町村の町村議員が全て市議会議員になれると言うことで、この在任特例を適用しただけらしいが、たった6ヶ月間でも、市議会議員としての経歴を残して、次の選挙には立候補を断念したり、落選しても前市議としての誇りを抱きたいという議員さんたちの思惑だけである。

 市民、住民の思いなんか全くそっちのけでの愚行としか言いようがないのではないだろうか。

 全国の自治体の合併においては同様の在任特例を適用したところは他にもあるが、もういい加減に、こんな特例は廃止して、税金の無駄遣いを止めなければ、いくら自治体合併しても、肝心の自治体の行財政をチェックすべき議会が全く機能しないことは明白だろう。

 地元では合併はコスト削減が狙いなのに、全く逆行する特例適用に反対論も続出し、市民団体が大仙市の有権者の4割にあたる、約3万2千人分の反対署名を集めて、法定合併協議会に提出したり、7議員が特例適用に反対して辞職したそうだが、市議会議員バッジほしさに適用に踏み切った様である。

 9月末迄は、この136定数で臨時議場を借りて定例議会を開催し、10月から定数が30になると言うのだが、新聞の見出しでは「過去の負の遺産!?」とまで書かれて笑いものになっているのである。

 このような実態が露呈したのは、何もこの秋田県大仙市だけの特殊事情だとは思えないと考えるが、議員の大半は、選挙の時だけは「市民のために」とか「住民と共に」と選挙公約や選挙カーから大声で叫んでいるが、実際議員になってしまうと、自分達のためと市長や首長のご機嫌取りに走り回るタイプの議員がかなりいるのである。

 議会で質問を多くすると、遠慮したほうがいいのではと言う議員がいる。何故、誰に遠慮すべきなのかと問えば、「別に誰のためとは言っていない」と歯切れが悪い返答である。つまり、このタイプの議員は行政側、市長や理事者に迷惑をかけまいとして、遠慮を口にする議員たちなのである。

 ちっとも市民に配慮をとか、議員同士のルールとかが問題なのではなく、与党と称して市長や幹部行政職員に護摩を擦っているに過ぎない輩なのであり、市民の税金の無駄遣いなど、何の問題とは感じていないのである。

 たぶん、この秋田県の大仙市においても、大半の与党と称する保守系と思われる議員さん達の集団が、自分達の役得としての議員資格と、議員報酬をいただくことに重きがあっての、在任特例の適用を固守したのだろうと思われるのである。
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比良八講荒れじまい

2005年03月27日 | 季節の話題
 3月26日に毎年行われる滋賀県大津市界隈での「比良八講」をご存知でしょうか。

 私は大阪生まれで現在京都に住んでいますが、言葉として「ひらのはっこうあれじまい」は聞いたことがあったのですが、しっかりとその内容を知る機会がありませんでした。

 先日、「もうすぐ春ですね」と話していると、「暑さ寒さも彼岸まで」とは昔の人はうまく言ったものだと感心しながら、やはり奈良のお水取りが終われば、春になるでしょうなんて言っていると、ある奥さんが3月26日の「ひらのはっこう」のことを話されて26日までは春は来ないなんておっしゃるんです。

 「春はセンバツから」とも言うし、いろんな地方での「春」を待ち遠しい季節の言い方があるんだなあ、と思いながら、この「ヒラノハッコウ」が何のことやらと考えていたら、京都人の人が「比良の八講荒れ仕舞い」のことを少し教えてくださいました。

 湖国近江の伝統行事として、毎年3月26日に「比良八講」という一大信仰行事が行われ、奈良の二月堂のお水取りと並ぶ、関西地方の「春を告げる」季節行事であることがわかりました。

 比叡山延暦寺の衆僧や山伏たちがほら貝などを吹きながら、浜大津港まで華やかに練り歩いて、現在は比良八講船となる「客船ビアンカ」で浜大津港から近江舞子を目指し、湖上では水難者のご回向法要を行い、琵琶湖の浄水祈願も行われるとのことです。

 また近江舞子では琵琶湖の一大水源である比良山に対する、報恩感謝の護摩供養が行われるそうで、多くの参拝者や観光客が尺八衆や稚児娘達も交えて参加されるようです。

 琵琶湖に春を告げる「比良八講」の時期に、比良山から吹き降ろす季節風が強くて、この風を「比良八講」とも呼び「比良八荒」とも書く比良おろしであり、湖上にも強く吹くため、「比良八講荒れ仕舞い」と言って、その後は穏やかな「春」の到来となると言われているのである。

 この荒れた風のために、昭和16年(1941)には、四高ボート部遭難事故も起きており、比良八荒によるものと言われています。

 奈良東大寺二月堂での修二会は若狭から水が運ばれ、この比良八講は修三会と呼ばれ比良山系打見山で取水された水が主役の行事です。この比良山系から僧侶や修験者らが丁寧な取水作法で取水した「法水」を琵琶湖の湖面に注いで、物故者の供養や湖上の安全を祈願する「春を告げる」行事なのです。

 この法要の頃に寒気がぶり返して突風が吹いて琵琶湖が大荒れになることがあり、これは琵琶湖と比良山との温度差で突風が起きるそうですが、これを近江の人々は「比良八講」と呼び、この日を「比良の八荒、荒れじまい」の日として、この法要が終われば湖国にも本格的な春が訪れるとされています。

 今年は、ほんとうに三寒四温の典型的な春への日々が繰り返されて、奈良のお水取りで一端寒の戻りも経験して、この「比良の八講、荒れじまい」で最後の突風が吹いて寒気が戻り、その翌日から、やっと本当の春へと気候が変る様を実感しました。

 あちこちの桜の蕾も膨らみかけて、少し萎縮しかかっていましたが、今日の温かさで再び大きく蕾を膨らませて、四、五日後には「桜の花」の咲く、見事な春の到来を目にすることが出来そうです。
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イランに負けた!

2005年03月26日 | プロスポーツ
 昨夜は深夜まで衛星放送画面のテレビにかじりついて、FIFA国際サッカー連盟のワールドカップ、ドイツ06年大会へのアジア最終予選、イラン対日本を見たが残念ながら1-2で惜敗してしまった。

 日本は1年ぶりの国際A代表復帰の中田英寿をはじめ、ヨーロッパのプロリーグで活躍する小野、中村、高原の4人を先発させて、他には中澤、福西、三浦、玉田、加地、宮本、楢崎というベストメンバーに近い布陣で戦ったが、負けてしまったのである。

 終始ゲームはイランが先行する形であったと言っても過言ではない展開で、前半25分にイランの9番ハシェミアンに先制点を許し、日本は後半21分にゴール前のこぼれ玉をうまく福西がシュートして一時は同点としたが、9分後には再びハシェミアンに勝ち越しの2点目を入れられて、ずるずると敗戦へのムードに入り込んでしまった様である。

 ジーコ監督は後半2点目を入れられてから、柳沢、小笠原、大黒3選手を交代投入したが、どうもうまく機能せずに、格付けでは少し上とは言え、実力差が際立っているわけではないイランに不覚にも惜敗する形で負けてしまったという感じであった。

 私はサッカーに関して素人だが、どうも中田英寿の司令塔としての指示やコミュニケーションが充分機能していたとは思えなかったのである。

 個人的技術力は、日本選手は個々人素晴らしいものを持っているが、国際試合を前に2週間程の合宿をして、強豪イランに挑んだが、何か足らないというか、ひとりひとりの実力が相乗効果になって、素晴らしく機能するまでには至っていなかったようである。

 いつもはJリーグのお互い違うチームのライバルとして戦いながら、欧州で活躍する4選手も全く異なったリーグや地域環境の中で孤軍奮闘しているに過ぎない様に思えて、特に中田英寿のチームをまとめチームの司令塔として、お互いの実力を重ねた以上の力や結果を運ぶような神通力を、もはや持ち合わせてはいないと感じたのである。

 ある週刊誌の見出しをちょっと見ただけだが、選手間にも中田の司令塔としてだけではなく、チームを統率し技術的にも他の選手を圧倒するような輝きやパワーは以前と比べて低下しているように感じている選手が多いようで、もうひとつ団結力に欠けている感じだった。

 W杯ドイツ大会のアジア最終予選B組のあと2チームの、バーレーン対北朝鮮も昨日戦い、バーレーンが勝利を収めたため、まだ1/3終了時点だが、イランとバーレーンが1勝1分でトップに並び、日本は1勝1敗で3位となっている。

 しかし今後のバーレーン戦2試合と、アウェイ北朝鮮戦とホームで再度戦うイラン戦を予測すれば、このBリーグでは少なくとも2位にはなれると確信しているので、06年ワールドカップへの出場は出来ると思っている。

 しかし実力は互角でもアウェイの不利な環境で勝ち抜くための司令塔の信頼感と統率力の欠如を少し感じているので、不安がないわけでもないのである。

 先の北朝鮮戦で、ロスタイムに勝ち越しの決勝点を入れた、大黒選手のラッキーボーイ的存在感も今回は全く機能しなかったことも残念であったが、ジーコの選手起用の交代やチャンスの好機の見極めも少し遅いような気もしているのは、私だけではないと思う。

 ともかくイランの首都テヘランのアザディースタジアムには10万人のイラン人が、国技に近いサッカーの国代表を応援するため集まっている中で、日本人サポーターは約1000人と言う、アウェイの典型的劣勢の中ではあったが、もうひとつ連携プレイがうまく機能していなかったことをきっちり反省とチェックして、次のバーレーン戦に備えてほしい。

あの「ドーハの悲劇」と言われる、93年の最終予選でイランに昨日と同様の1-2で負けたことを思い出してしまうのだが、いやな予感に当たらないような戦いを今後してほしいと願うのみである。

 

 
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いよいよ開幕!

2005年03月25日 | プロスポーツ
 いよいよ開幕!と書けば、多くのブログファンは「愛地球博」と言う名の愛知万博と思う人が多いだろうと思うが、私は「万博」自体に大いなる疑問を持つひとりとして、敢えて「万博」という国家的プロジェクトではなく、昨年からの大きな動きと改革の途上にある、「プロ野球・パリーグ」の開幕を書く。

 私は幼い頃から50年の生粋の阪神ファンであると同時に野球を愛する一人として、プロ野球機構が昨年年6月の突如発表された近鉄のオリックスとの合併問題から始まった、プロ野球改革の第一歩を見守りながら、約9ヶ月を経て、いよいよ始まる問題のパリーグに、まず注目をしてみようと思っているのである。

 一昨年から言うと、日ハムが北海道日本ハムファイターズとなったことを皮切りに、今年は、オリックスバッファローズ、福岡ソフトバンクホークス、そして新球団、東北楽天ゴールデンイーグルスの3球団が名前が変ったり、新加入し、来年には西武ライオンズも球団の経営が変ることがほぼ明らかになったことで、何と千葉ロッテマリーンズだけが変らないという、大きな変化を経たパリーグになったのである。

 しかし、私はこの「新生パリーグ」の開幕に注目するのには、大きな理由がある。

 今日、大阪の駅ポスターなどで、あの合併球団、その名も「近鉄バッファローズ」と「オリックスブルーウェーブ」を足して2で割っただけの名前の「オリックスバッファローズ」のファンの行方が大変心配なのだが、ポスターのメインは、何と元阪神タイガースの「北川博敏」選手であった。

 柔らちゃんの旦那の谷佳知選手でもなければ、仰木彬監督でもなくて、近鉄バッファローズの一昨年の優勝の劇的な立役者でもある、愛すべき笑顔の北川選手がメインで、同じく元近鉄の大西宏明外野手が一緒に小さくレイアウトされていたのである。

 阪神ファンとしては、元阪神のプレーヤーが、こうした形で脚光を浴びるのは、何とも嬉しいもので、嫁にやった親父が娘の奥さんとしての成長した姿に再会したような喜びである。

 そうした気持ちで、パリーグの各球団の陣容を選手名鑑を頼りに、よーく見ていくと、いるわ、いるは、元阪神タイガースの選手達が、どの球団でもスター選手になれる位置で巣短スタンバッテいると言っても過言ではないのである。

 今や誰もが知っているし、押しも押されぬスーパースターは、まず日ハムの「SHINJYO」として登録されている,新庄剛志であり、同チームには、坪井智哉、山田勝彦、伊達昌司らもいるのだ。

 列挙すればキリがないが、嬉しいついでに主な阪神タイガースから移籍した選手を上げると、ライオンズでは、平尾、高波両選手がいて、マリーンズには、平下選手、バッファローズには北川のほかに、塩谷もいるし、新球団楽天には、何と田尾監督をトップに川尻、山村、星野おさむ、関川、そしてカツノリまで5選手も移籍しているのである。残念ながらホークスには見つからなかったが、パリーグ5球団の元タイガースの著名な選手だけで、1チームの先発メンバーをラインナップできるぐらいなのである。

 パリーグの開幕を「楽天イーグルス」の田尾監督を中心とした元阪神選手を主体に、大いに応援したいと思っている。先発で起用されるであろう関川浩一を筆頭に川尻哲郎の先発も見たいし、星野おさむの代打もあるだろうと期待している。ただ山村宏樹投手とカツノリ捕手の活躍の機会はあまりないだろうが、大阪泉尾高校、同志社大学を経て、中日、阪神、西武でプレイした田尾安志監督には、ぜひ多くの元阪神スター選手としてエールを送りたいものである。
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センバツ開幕

2005年03月23日 | テレビマスコミ

 
 第77回選抜高校野球大会が阪神甲子園球場を舞台に始まったが、雨天のため試合は明日以降へ順延となった。夕刻のテレビニュースを見ながら、感慨深い思い出が甦ってきた。

 ちょうど今から40年前の「選抜高校野球大会」に私も出場?しており、前日の予行練習と開会式当日、加えて決勝戦と3日間、甲子園球場の土を踏んだのである。

 今回も開会式の入場行進の先頭は、前年度優勝の愛媛済美高校だが、今年は選抜に選ばれていないので、ボーイスカウトの持つ「済美」のプラカードの後に、主将ひとりの寂しい入場をしていたと思うが、私も40年前同様の前年度優勝高のプラカードを持って入場したのである。

 1965年春の選抜高校野球大会は、前年度優勝高は、あの今はプロゴルフ界の重鎮である、ジャンボ尾崎が主戦投手として活躍した徳島海南高校であり、私はボーイスカウトとしてのお手伝いで参加して、幸い背が高かったために、一番先頭となり、この年の徳島海南高校の主将と共に先頭で入場したのである。

 その日は帰宅後、現在のようなビデオ装置やまともな記録写真もないために、夕刻のテレビニュース映像の自分の姿をチャンネルを替えながら、テレビの前で一生懸命シャッターを切って、何枚かの思い出写真を撮った記憶が鮮明に残っているのである。

 私の甲子園の土を初めて踏んだ記憶には、もうひとつとんでもない大きな出来事の記憶が付随しているのである。

 選抜開会式の前日は甲子園球場で、開会式の予行練習をしており、その年も毎日新聞社の主催の関係で、開会式当日の朝刊を飾る予定の「きょう選抜高校野球大会開会式」の記事に添える、人文字などの写真撮影がヘリコプターを使って行われていたのである。

 昼下がりの甲子園球場に集まった大会関係者と選手一同の上空を何度も旋回しながら、毎日新聞社のチャーターしたヘリが飛び、球場内に描かれた人文字の撮影を繰り返し行って上空へと旋回した時、カメラマンがヘリから突然墜落し、バランスを崩したヘリコプター自体も阪神国道の上に墜落延焼するという、大事故が起きたのである。

 私は大事故を目撃し、カメラマンの墜落とヘリの墜落延焼を今も映像を伴った鮮明な記憶として覚えているのである。

 翌朝の新聞には、殉職した○○カメラマンが撮った最後の写真として、球場内の光景とカメラマンが大の字のように墜落している様子とヘリ延焼現場が克明に報道されていたのである。

 その年の選抜高校野球大会決勝戦は、市立和歌山商業と岡山東商業が戦ったのだが、後にプロ野球界で選手として活躍し、コーチや監督を経験して野球解説者となっている2人の有名選手がおり、私は彼らと共に甲子園の最後の経験をしたのである。

 市和商の4番の後の阪神監督「藤田平」と岡山東のエースで大洋ホエールズのかみそりシュートのエース「平松政二」の二人であった。

 雨にたたられて、明日から実際の戦いが始まる第77回のセンバツ高校野球であるが、春はセンバツからと言われる「春の風物詩」となっているが、人に歴史あり、また歴史は小説より奇なりであり、40年前のセンバツの歴史にも、あまり表には出ないエピソードというか、隠れた悲話がるものなのである。

 今年のセンバツに出場する高校生諸君の溌剌とした姿と、選手宣誓を自分流ですがすがしくやった、北海道駒大苫小牧の林裕也主将の「高校野球って素晴らしいと実感しながら、甲子園という夢の舞台に挑みます」という言葉に、新鮮さと40年前の思い出をリンクさせながら、明日からの試合を熱い高校生の気分で見守り、声援を送りたいと思っている。
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地球交響曲

2005年03月22日 | 世界の問題
 やっとガイアシンフォニー、「地球交響曲」第5番を観ることができた。

 2005年春になって第五番を観たのだから、最初の地球交響曲との出会いから15年の年月が過ぎていて、映画「地球交響曲」制作がライフワークのようになっている監督龍村仁さんにとっても、世界の政治、経済、環境問題も、この間大きな変化をした15年ではなかったか。

 私が「人間いきいき地球人の会」という個人主宰の活動ネットワークを始めたのが1989年であり、ほぼ「地球交響曲」の最初の制作、上映と時期を同じくしているので、この15年の年月の経過には、感慨深いものがあるのである。

 日本はいわゆるバブル経済と言われる、戦後の高度成長経済の右肩上がりの最頂点が崩れて、日本人も漸く「経済優先」だけの経済、産業活動を見直して、地球環境や自然と人類の共存を少しは意識できるようになってきた時代に突入したのではと思うし、アメリカではベトナム戦争後、再び湾岸戦争から、9.11事件を経て、アフガンやイラク戦争の泥沼に突入している時期になっている。

 こんな愚かな地球上の人類の生き様に、大いなる警鐘を鳴らしながら、次代への賢者のアッピールを含んだ、映画「地球交響曲」は多くの示唆に富んだ、独立プロダクションの意欲的秀作であり、全国の自主上映などで、180万人が鑑賞しているのである。

 監督龍村仁は、京都の老舗「龍村織物」の御曹司ではあったが、あの天下のNHKで、矢沢永吉を中心とするロックバンド「キャロル」のドキュメンタリー作品を撮った後、NHKを退社して、フリープロデューサーとして活躍する道を選んだ人である。

 今回の第五番の大きなテーマは「生命の摂理」、つまり「誕生と死」であり、自然分娩による赤ちゃんの誕生を、ある女性産婦人科医と共に克明に追うと共に、これまでの地球交響曲に出演した著名人、ジャック・マイヨール、野澤重雄、星野道夫の3人が既にこの世を去っているので、彼らに追悼の意も込めて七夕の灯篭に3人の名を銘記して川へと流す日本的習慣も描いていた。

 今回初めて出演したのは、アーヴィン・ラズローと石垣昭子さんで、石垣さんは沖縄県、西表島で自然の食物から布を織り、染める過程を順次、お弟子さんとご主人と共に見せてくださっていた。

 アーヴィン・ラズロー氏を初め、数人の今で地球交響曲に出演した、ダライ・ラマ、佐藤初女さんらが再登場する映画の中で、母なる地球が産みの苦しみを経て、40億年前に生命を誕生させて以来の生命史を、子である人類の誕生に至る、十月十日の短いうちに経験した上、胎内から出てくる「赤ちゃん」の誕生を描いているのである。

 現代の地球は、この「地球交響曲」が訴え、主張しつづけているベクトルとは逆方向に進んでいるいる様に感じるのだが、私たちの小さな「気づき」と「努力」によって、まだ「間に合うかも」しれない「地球の再生」を目指して、人類のひとりひとりが人生の生き方、歩み方を見直す機会になればいいと思う。

 著名な、この映画の登場人物の残された、一言、ひとことに各々が感銘を受けたり、感動を覚えて、与えられた「生命」を感謝しながら、人と自然との「ナチュラル」な関係性の中で、「生かされる」人生を模索し、いきいきと「地球人」いや「地星人」として生きて行ければ幸いだと思うのである。

 「全ての存在は繋がっている」地球誕生から生命の誕生、そして「私」の誕生は、時空を超えて繋がっているのである。
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素人のミュージカル

2005年03月21日 | 地域の話題

 春分の日の昼下がり、わが町で音楽教室を主宰しているグループが、「たのしい3つのミュージカル」と題して、手づくりのミュージカルを近くの町のホールで上演するので、楽しみに出かけて鑑賞した。

 過去にも、わが町にちなんだ「一休さん」や「かぐや姫」をテーマにした、創作ミュージカルを市内の会場で文化祭などで披露しているグループなので、期待して出向いたのである。

 「白雪姫」「森は生きている」「シンデレラ」の3本立ての上演だったが、前半の2本の作品は、どうも地元の音楽教室の何と二歳半から中学生くらいが主体のミュージカルというより学芸会的な出し物で、まったく退屈というか、孫や子どもの舞台を楽しみに来られたご家族にとっては、嬉しく愉しい舞台だったかも知れないが、私には見るに耐えない内輪受けだけの出来栄えだった。

 しかし最後の作品「シンデレラ」は、何とか鑑賞に堪えられるというか、主役のシンデレラ役の女性も、音楽大学の学生であり、歌う声や発声も練習された成果も感じられる、素人とは言え、愉しく鑑賞できる作品となっていたので、ほっとしたのが正直な感想であった。

 この音楽教室の生徒さんたちを中心とした創作ミュージカル上演の試みは、約5年前から続けられており、全くのずぶの素人だった人たちも、一定の歌とお芝居の練習を重ねられて、堂々と「宝塚歌劇団」よろしく演技と歌をそつなくこなしておられたと思えた。

 出演者の中には60歳代の女性たちも数人おられて、きれいな舞台衣装に身を包んで演じておられるのだが、どう見ても近所のおばさんにしか見えない感じで、何でシンデレラなのにと違和感を感じてしまう部分もあって、失礼かもしれないが申し訳ないと思う。

 しかしながら立場を替えて考えれば、60歳を越えても堂々と舞台に立とうとする意欲や好奇心を持った女性たちは大したものだし、素人ミュージカルと割り切って大目に見て、鑑賞しなければならないのかも知れない。

 ともかく3才未満から60歳を越える、素人の老若男女が歌と台詞を覚えて演技することは、大変なことである。さぞこの3ヶ月間、寝ても覚めても、この日の上演のために練習を繰り返して、緊張気味の中で初舞台だった人もいると思うと、ひとりひとりの気持ちは何にも変え難いくらいの面持ちだったと察することが出来るのである。

 観客席で見るだけの立場からの好き勝手な感想と、舞台に立って演じ歌う立場とでは、月とすっぽんほど温度差というか、感じ方は違うだろうし、演ずる側の人たちの緊張感と責任感は並大抵の心境ではなかったと思える。

 今日の上演にこぎつけられた企画者、音楽教室のスタッフを初め、舞台制作などの裏方さんたちと出演者全ての方々のご苦労と、上演日を楽しみに練習の日々を過ごしてこられた皆さんのご努力をイメージしながら、拍手と喝采を送らざるを得ないだろう。

 何事も最初の一歩があって段々に上達して、いずれは素人のはずなのに玄人はだしと言われるような演技力と歌唱力の備わったミュージカル集団に成長するかもしれないと、心から期待とエールを送り続けたいと思いながら会場を後にしたのである。

 素人集団のミュージカルもいずれは玄人はだしになるかもしれないよ。
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