ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

愛妻の日だそうですよ。

2008年01月31日 | 季節の話題
 世の中、いろんな記念日や「○○の日」が毎日、何かにかこつけてあるのだが、今日は「1.31」の1月の1をI、アイと呼んで、31はサイで、「愛妻の日」とこじつけたみたいな日なのだそうである。

 いつから始まったのか、誰が提唱したのか、まったくわからないのだが、いきなり「妻に感謝して花を送ろう」なんて言うのだから、たぶん「花屋の陰謀」としか思えないのだが、なんと日本には「愛妻協会」なるものもあって、「1月31日」は「愛妻の日」で早く帰ろうなんて呼びかけているのである。

 世の男性諸君。特に奥様がおいでの諸君!、こんな日を知っていましたかな。

 うちの奥さん曰く、「一年に一日だけなの?/?/」

 それもそうですが、世の男性、だんな連中の多くは、日ごろからの「愛妻家」だと思うのですが、なかなか日本の男性としては、「愛妻家」なんて言われるだけで照れてしまう方が多いのではないでしょうか。

 いまさら、自分の奥さんになかなか「ありがとう」とは言いにくいもので、かしこまって、もじもじして・・・、「何か言いたいことでもあるの?」なんて、奥さんに先に言われてしまったら、なおさら言い出しにくくなって、「別に・・・」となってしまうのではないでしょうか。

 「愛妻協会」のホームページによれば、本日1月31日は、「早く帰ろう。少なくとも8時までに」を筆頭に、「名前で呼ぼう」「ありがとうと言おう」「2メートル以内に寄って目を見つめて」などと、事細かな指示というか、「愛妻の日」の五箇条の様な指針が記されている。

 何も、日ごろの感謝を言ってはいけないとは思わないが、なぜに今日と言う日に言わねばならないのか、まったく根拠がないばかりか、誰にも日常生活のリズムや感情があるのだから、そういった必要性?を感じたとき、すなわち素直に言いたいときに表現できればいいはずである。

 今までの「母の日」「妻の誕生日」「結婚記念日」などとバレンタインデイに
いただいたチョコのお礼の「ホワイトデイ」なんぞでもいいから、どんなきっかけでも「妻への感謝」を表現できればいいのではないか。

 どうしても押し付けの「愛妻の日」なるものを否定したがっている様にしか見えないかもしれないが、商売のための陰謀や作戦にだけは乗りたくないし、テレビマスコミのニュースなどに連動されて行動したくないだけである。

 世の夫、だんな様方は、さぞかし年中「愛妻家」であると信じているし、「恐妻家」も逆な意味で、最高の「愛妻家」であることに間違いないのである。

 私なんぞは、有機八百屋をしている関係で、いつも「野菜を愛する」「愛菜家」であると自認している。なーんちゃって!!!<失礼しました。
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中国産餃子食中毒

2008年01月30日 | 感じたこと
 またまた出ました。食の不安を煽る様な事件です。

 千葉や兵庫で販売された「冷凍中国産餃子」で食中毒になり、五歳の女の子が重体になっているとの報道が先ほどありました。

 JTの子会社ジェイティーフーズが輸入し、生協連合などを通じて販売された「手作り中国餃子」などを食べた人が、激しい嘔吐やめまいを感じる症状を起こし救急車で運ばれたと言うのである。

 原因については、輸入業者と生協が中国の工場に急遽社員を派遣して調査にあたるそうだが、今のところ日本では使用が禁止されている有機リン系の農薬反応が餃子のパッケージから検出されたらしい。

 昨年の中国ダンボール肉まん事件も含む多種多様な中国食品の不信感が高まっているさなかに、決定的な事件がまた起きてしまった。

 まだ真相を全て究明するには時間がかかるだろうが、業務用も含め、食品店や生協などで販売された中国河北省の天洋食品製の各種「冷凍食品」が日本の輸入業者19社を通じて大量に販売されていた現状である。

 それにしてもどうしてこういう事態になったのだろうか。

 食品偽装の大問題のきっかけとなった昨年の「北海道ミートホープ社」の「牛肉百パーセント」商品が、豚、鳥、ウサギ肉などや細切れの腐った肉まで混ぜていたとんでもない実態が暴露され、先ほど元社長の裁判でも本人が偽装の全てを認めたという。

 元ミートホープ社長は逮捕時に「消費者が安い商品を求める」からだとの見解を述べ批判されていたが、一理あると言えないことはない。

 騙した者が騙された人が悪いと言うのは如何なものかとは思うが、安い商品を求める消費者がいるから、業者がコストが安い中国産を国産と偽ったり、内容を偽装してでも、安い原価の商品を多売して「金儲け」をしようとするのである。

 「食品」や「農産物」の適正価格なるものは難しいが、それなりの品質管理と「人が食べる大切な食物」を生産しているという自覚があれば、「農薬問題」や「原材料の吟味」なども、責任ある表示を正々堂々とできるはずなのである。

 「中国産食品」に対する問題が、これから再び「バッシング」の様にマスコミを中心として波状攻撃されるが、決して「中国産」だけではなく国産も含めて、全食品の「安全・安心の食材」としての生産、加工、安全基準、見きわめ方、買い方、食べ方と表示の義務など、出来るだけ細かに報道してもらいたい。

 誰もが毎日食する「大切な食物」の安全性について、この機会にしっかりとした認識に基づいて考え直す必要があることを、今回の事件が間違いなく示唆してくれている。

 「安物買いの銭失い」とよく言われているが、これからは「安物食品の健康被害」とならない様に、皆さん「自衛」のための「学習」をしようではありませんか。

 
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はっぴいウインターを!

2008年01月29日 | 季節の話題
 大寒が過ぎて、京都も本格的な冬の寒さの到来と言った感じですが、北海道の旭川地方は最低気温が氷点下20度を下回っていたり、日本海側の地方では雪が大量に降り積もっていて、厳しい冬をお過ごしのことと思います。

 日本列島は南北に長く三千キロほどある関係で、南の沖縄諸島では20度を越す気温の冬であったりして、同じ日本なのに南北で40度以上も気温が違うという、とんでもない寒暖差があるのが現実です。

 もうすぐ節分、立春を迎えるという今日ころ頃、今年は多くの年賀状の整理をするにも、27日の年賀はがきのお年玉の抽選が終わらなければ、整理も出来ないという感じで、やっと昨日たくさんの年賀状を調べてみても切手シートしか当たっていない現実を知ってがっかりで今年の年賀状シーズンも終わりました。

 しかし、昨年暮れにいただいた「喪中につき賀状は失礼します」という、いわゆる「喪中はがき」が40枚を超えたし、親友、知人の愛すべき伴侶たちが亡くなった友人が多くいたので、今年は「寒中見舞い」という形でも出そうと思っていた。

 もうすぐ一月が終わろうとしている今日、「寒中見舞い」は、立春までの期間に出さねばとの思いで、一気に準備して年賀状以来のパソコンとの格闘と宛名書きに没頭したのである。

 「寒中お見舞い」とは、そもそもは家族や親戚の方々を亡くされた方が出されるのが常なのかもしれないが、私にとっては大事な友人たちが昨年のご不幸による寂しさから少しでも早く気分を変えて、新しい年に新しい気分で明るく元気になってほしいとの願いからの「寒中見舞い状」を印刷して明日投函することにした。

 誰にもいつかは訪れる親しい人々や家族の死を乗り越えて、新しい出発をするということはなかなか難しいことだとは思うが、誰もが明るく元気に仕事や家事、仲間との語らいなどに戻って、その人らしさを取り戻せたらと思うのである。

 ハッピーウインターと題したが、寒い季節の上に、心までもが寒いと人間は、なかなか元気には始動しにくいものである。

 厳しい寒さの「冬」だからこその、きりっとしたシバレル様な空気を感じて、五感と心身をシャキットさせて、人間の本来持っているすばらしい感性を全て見開いて、しっかりと足元と行く末を見つめてほしいと願うものである。

 冬空にくっきりと見える「オリオン座」をはじめとする冬のドラマチックな星座たちや、遠く北極圏では見えるといわれる「オーロラ」のカーテンの様な天体ショーを瞼に浮かべながら、自分らしさと周りにいる家族や仲間に感謝しながら、一歩、一歩と歩みを始めていただきたいものである。

 「寒中お見舞い申し上げます」。このガリバー通信を読んで下さった全ての人々に心からの、すばらしいハッピーウインターをと祈りたいと思います。
 
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冬のイチゴ

2008年01月28日 | 季節の話題
 皆さん、「冬のイチゴ」ってお好きですか。

 そうでしよう。年中イチゴがスーパーにも並んでいて、特にクリスマスシーズンから節分に掛けてのこの時期に「イチゴ」が販売されていますよね。

 でもよーく考えてみなくても、イチゴって普通は5月頃に実をつける植物のはずなのに、最近はどうも冬が一番売れるようなので、ほとんど全てがハウス栽培で生産されているのです。

 石油、ガソリンが値上げになって、灯油価格も現在は18リットルなんと、1700円もするのに、たくさんの灯油を使って、消費者のため?いや高く売れるので、生産者は、この時期に「冬のイチゴ」を生産、出荷しているのです。

 いつの頃からかわかりませんが、農産物や果物の「旬」という感じがなくなってきている様ですが、果たしてこんな「食べたいものを旬に関係なく提供する」ことが、まかりとおっていていいのでしょうか。

 かく言っている私も、週末の有機八百屋で、この時期は高いイチゴを仕入れて少しですが、お客様のニーズにこたえ提供しているのですから、偉そうなことは言えませんが、やっぱり可笑しいですね。

 年中、イチゴのショートケーキやらイチゴの入ったケーキが好まれているので、洋菓子屋さんだけでなく、和菓子屋さんの「イチゴ大福」なども含めて、お菓子メーカーがイチゴを所望するのはやむ得ないことかも知れませんが、自然な気候と植物の習性からすると、人間の勝手で「冬のイチゴ」は生産されているといえます。

 八百屋の立場から言うと、野菜の「トマトやきゅうり」も典型的な「夏野菜」であり、人間の体を冷やしてくれる役割をしているわけなのですが、色合いと食感からか、必ずこの季節でもお客さんがトマトやきゅうりを求められます。

 私は「夏野菜」ですから持っていませんと断るのですが、スーパーには売っているのに、なんで仕入れないの?と聞かれてしまいます。

 たぶん、農産物の「旬」よりも、食卓やおかずの色合いとして欲しいから求めるといった感じで深くは考えておられないのだろうと思いますので、やむおえずハウス栽培の「ミニトマト」などはニーズにこたえようと仕入れています。

 しかし、本当に野菜も果物も、その植物としての自然の姿、一番育ちやすい季節に太陽の恵みと水と肥料、ただし化学肥料や農薬を使わない自然に一番近い栽培方法で生産されたものが、一番美味しいことは間違いないと思います。

 「冬のイチゴ」に代表される、人間の勝手な要求に対して、「売れるから作る」という、金儲けの思想が、どんどん「食物の旬」をなくし、消費者としての私たち人間の体の健康と味覚をも混乱させていっている様に思います。

 石油の高騰も手伝って、一粒100円もする様な「冬のイチゴ」を、みなさんも今後も食べたいと思われますか。

 ぜひ、自然な農産物の「旬」を知って、一番美味しくて栄養もあり、体に役立つ野菜や果物を、一番出荷の多い季節に、安く買って食した方がいいのではないでしょうか。
 
 
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「棄権」は「危険」なのだ。

2008年01月27日 | とんでもない!


 全国各地で各種イベントが開催されたことだろうと思うが、私個人の下にも、本日午後のほとんど同時刻に開催の興味あるイベントのお知らせが4つも舞い込んでいた。

 月曜から金曜まではフリーター仕事で、ほとんど時間が自由にならないために、土曜日の移動販売中に都合をつける場合と、日曜日に体が自由になる場合に出来るだけ自分の関心のあるテーマに足を運ぼうと思っているが、一度に4ヶ所は無理である。

 老いた母親の顔を見に大阪に足を向ける日を除けば、月に2日ほどしか自由な時間がつくれないのだが、今月最後の日曜はたまたま集いが重なってしまった様である。

 今朝は大阪で開催される「アリランのうた 沖縄からの証言」の上映会に参加して、母親のところにも立ち寄ろうと思っていたが、茶の間の机に家人が出しておいてくれた本日のお誘いのチラシを見て、急遽変更して宇治へと向かった。

 「平和のための戦争展」で、立命館大学国際平和ミュージアム館長の安斉育郎さんの「核の力・私たちの力」と題する講演を聞こうと思ったからである。

 他のお誘いも興味のあるテーマだったが、「報道と人権」についてテレビ朝日報道ステーションのディレクターの報告を交えた集い、「格差社会を撃つ」と題する元成田空港建設反対闘争に関わった編集者の講座などは行くことができなかった。

 私が宇治の「戦争展」に向かった、もうひとつの理由は、いつも土曜日の午後に立ち寄って、しばしの憩いの場としている小さなお店、「ゆめハウス」の面々が、出張喫茶コーナーを出しているためでもあった。

 講演の開始自国より早く会場に着いたので、「ゆめハウス」の面々と会話を交わしながらの珈琲タイムを楽しんだ後、安斉先生のユーモアと手品を交えた有意義な講演を約2時間近く聴いた。

 安斉先生は、まず最近テレビの視聴率を稼いでいる「危ない霊脳番組」について、信じるのは勝手だが騙されるなと忠告をされ、スプーン曲げや手品を実演し、全てに仕掛けや裏があると指摘された。

 そして核論は、映画「ヒロシマ・ナガサキ」に関して、広島・長崎に投下された「原爆の実態」と原爆を投下したアメリカ政府に追従する日本が国連での「核兵器使用禁止決議」に反対せず「棄権」する「危険」を語られた。

 もともと安斉先生は「核問題の専門家」なので、真の「国際貢献」とは何なのだろうか。インド洋上での給油活動を再開した日本の今後の歩み。憲法を改正しようとする米政府の思惑に追従する日本政府に対しての怒り。

 結局日本人は、歴史的に「水戸黄門」や「大岡裁き」などの「お上」が変えてくれると信じてきたが、政府公権力はあてにはならない。一人ひとりは「微力」でも「無力」ではないのだから、「市民が変える」努力をしなければいけないと、温かく力強く語られたのが印象的であった。

 アブステイン、つまり「棄権」では何も変わらない。「黙っている」ことは「危険」なのだ。
 
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大阪府知事選挙

2008年01月26日 | 日本の課題
 我が故郷でもある「大阪府知事選挙」の投票日が明日に迫り、選挙期間としての17日間が今日で終わった。

 ご存知の様に、33年ぶりに国政の与野党の3極が対立する形で、各々の主力候補者を推薦または支持する形で選挙戦は戦われたらしい。

 しかし、この間私も大阪に何度か足を踏み入れたが、ほとんど選挙カーに出くわすこともなければ、選挙戦たけなわといった盛り上がりを感じることは全くなかった。

 テレビマスコミや新聞紙上では、今夕のニュースとして有力三候補者の選挙戦最後の「最終舌戦」とやらを大見出しにして報じているが、果たして府民有権者の関心の度合いは如何だったのだろうか。

 ともかく明日の投票日に結果がでるわけだが、写真の如く「大阪府知事選挙」の歴代の投票率を見ていると、どんどん関心が薄れてきていると言わざるを得ない。

 何も、府知事選挙だけでなく、全ての選挙と言っても過言ではないくらいに、総選挙、参議院選挙、地方議会選挙も低投票率を更新している府県、市町村が目白押しではないだろうか。

 特に、都道府県の知事や議会議員選挙に関しては、最近特に二重行政と言われる問題点が指摘されていて、一方では「道州制」なるものの議論や検討もなされていると聞くが、なかなか改革、進展をみない現状の中にある。

 多額の公共工事や第三セクターを含む投資的事業の付けが厳しく、東京都を除いては何処の道府県も「借金地獄」に陥っている現状がある。

 簡単に「財政再建」などと言える程度の借財ではなく、次代の世代に多額の付けを回しているというのが現状であり、相当思い切った構造的財政カットをしなければ、普通の家庭や会社に例えてみれば、すぐに個人破産や倒産を招く状況なのである。

 3候補とも、それぞれの政策と問題点を語り、「税の無駄使いはやめよう」「このままでは大阪は夕張市になる」「こんな人を知事にしていいんですか」など、最後の舌戦は8時まで、特に主要ターミナルでは続いていたのだろう。

 前回の府知事選挙の投票率が辛うじて40%を少し越えたとこだったことと比較して、今回の選挙が盛り上がったとすれば、明日の投票率は少なくとも50%を越す状況でないと困るのだが、投票率が上がると苦戦になる候補者と喜ぶ候補者とがいるというのも可笑しな話である。

 いずれにせよ、我が故郷「大阪府」の新しい知事として、道州制がほんとに計画されているとすれば、最後の知事となる可能性もある、今回の「知事選挙」に、ともかく大阪府民は「選挙に行かなければならない」のである。

 「ああでもない、こうでもない」と感想や勝手な思いをいくら抱いていても、「変える」ことの出来るのは、府民であり、選挙権のある人たちだけなのである。

 経済だけではなく、ほんとうに「生き易い」世の中、大阪にするために、誰をトップリーダーにするのがふさわしいか、真剣な一票をお願いしたいものである。
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老害にならないために。

2008年01月24日 | 日本の課題
 私も一昔前なら立派な「老人」と言われる年の仲間入りをしたわけだが、いたって頓着なく元気に仕事と趣味と家族に支えられて毎日を生活させていただいている。

 世は「年金」「医療」「介護」「格差」「不景気」など多くの「生き難い時代」を象徴するような事象や課題が山積みとなっていて、これからの人生を与えられた「いのち」を全うするまで、心豊かに平々凡々でも「生きがい」を感じつつ明るくつつましく生きて行けるかどうかが心配な御仁も多くおられるのではないだろうか。

 幸い、私の場合は16年間の小さな市の地方議員を4期やり終えて還暦を迎え、縁あって声を掛けていただいた小さな事業所の外歩きのおっさんフリーターとして働き出して、ようやく8ヶ月が過ぎたところである。

 週5日間のパート労働者としての勤務と、金曜と土曜は以前から続けている有機農産物と無添加食品の移動販売の「やおやガリバー」を自営しているので、結構毎日、毎日少し疲れる程度の心地よい労働をしているわけである。

 そうした仕事と、その合間に見えてくる「超高齢化時代」への足音と光景に何となく大きな不安と厳しさを感じざるを得ないのが、最近の正直な心境なのである。

 自分も含めて団塊の世代の社会的リタイアが始まり、まだまだ元気で仕事以外の世界で大活躍されている方々も多いが、年金を貰うことで生活は何とかできるが、生活のハリや生きがいや生活のリズムや充実感を何処で感じておられるのか、少しお節介だが心配な向きが多く見受けられるのである。

 多くの女性は年老いてもほとんど心配要らないのだが、会社人間として長年働きプライドと共に引退した、まだまだ元気なお父さんたちが、毎日が日曜日となって家人となった場合の動向が気にかかるのである。

 私が仕事で訪ねる家は留守宅も多いのだが、奥さん、主婦の方々は、それなりに世間話や社交性を日常生活で身についておられるので、普通の会話が成立するのだが、「年老いたおっさん」はなかなか話すらまともに出来ない場合があるのだ。

 「おっさん」たちの動向、行動性を見てみると、散歩、スーパーへの買物の付添い、パチンコやスロットなどの常連、近所や公園への犬の散歩、車の洗車や大工仕事、片付け、庭弄り、家庭菜園、歩こう会などの同好会、スポーツ新聞をモーニングを注文しての朝からの喫茶店など多種多様である。

 でも結局、究極の「暇つぶし」をしているだけなら、さぞかし心は満たされないのではないだろうか。

 社会的に「老害」と言われないうちに、積極的に情報を集め、自らが積極的に関われる「別な世界」を見つけなければ、世間からは隔離された「引きこもりのおっさん」や「粗大ゴミ」や「濡れ落ち葉」と揶揄されるような存在となってしまう危険性が非常に高いと思われる光景をたくさん見る。

 どうぞ、「老害」とならない新しいリタイア後の人生のステップを引退前にソフトランディングさせるべくいろいろと準備してもらいたいものである。
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小さな思い、マイ箸

2008年01月23日 | 感じたこと
 「地球温暖化抑制」という大きな課題は、ささやかなみんなの心がけ次第で、少しづつ近づくまのではないだろうか。

 日本は1990年当時のCO2排出量の6パーセント抑制が目標値として義務付けられているのに、現在は当時より約13パーセントも排出量が増加している現状が報告されている。

 日本だけではとうてい地球温暖化へ向かっている「現代生活」を二酸化炭素の排出抑制の目標を掲げただけでは、とうてい目標に達しないのはあたりまえである。

 しかも、現在日本の達成したと言われている抑制量の多くは、排出権取引や海外での技術指導、緑化協力などによる約5%強の排出量の数字上の削減値だけであり、残りの7%強を、どうして抑制目標値に近づけることが出来るのだろう。

 今日も国会では、日本のCO2排出量の約8割が企業活動と行政などの公的機関からのものであるとの指摘から、政府が企業と抑制目標値を定めて、二酸化炭素の排出抑制に本腰を入れなければ、全く効果がないとの指摘に対して、福田首相は現在はそんな考えはないと答弁していた。

 結局、財界、政府は、本腰を入れて「地球温暖化抑制プラン」の実現に積極的に行動しようとはしていないのであり、企業活動を中心とする経済優先のスタンスを変えようとはしていないのである。

 私は決して経済活動をストップさせるべきと訴えているのではないが、現在の国や地方自治体の「地球環境の温暖化抑止策」では、へそで茶を沸かす程度の効果しかなく、世界的には全く影響が目に見える形にはならないことは間違いない。

 すなわち、日本の生活を思い切って「三丁目の夕日」の如き昭和30年代に戻すくらいの思いで、エネルギー消費について抑制しない限り、少々の自動車の利用の抑制や冷暖房の2,3度の抑制などでは追いつかないのである。

 みんなが本当に切実に「地球環境温暖化」の問題について考え行動していると派思えない現実が一杯見え隠れしているのである。

 あの「再生紙」だと信じて使用していた印刷用紙やコピー用紙も大手各社が古紙の含有率を誤魔化していたことが判明したり、大手自動車メーカーや企業が海外での植林活動や森作りをしていると宣伝しているが、果たして企業として生産したり販売している「物の地球へのリスク」と比較すれば、なんとも笑わざるを得ないパフォーマンスとしか見えない。

 そんな中、庶民の「マイ箸」運動が密かに広がっているが、私も以前に一度試みたのだが、長続きしなかった経験から、今年は外歩きの営業仕事で、昼食は外食が多いので、「マイ箸」を持参して出来るだけ「割り箸」を使わない様にしている。

 今年に入って今日で五度目なのだが、平和堂系列のスーパーなどでお弁当を購入し、レジ袋と割り箸を貰わなかったら、エコポイントとして5ポイント付けてくれたのである。

 ほんと、ささやかなことだけれど、少しでも何かに役立つ「お手伝い」をしようと思っているのである。

 無駄をなくす努力は、身近な物、レジ袋、割り箸、包装紙などを断り、ペットボトルの飲み物購入を避けてマイ茶ボトルを持参したり、電気、ガス、水道、ガソリン消費を少なくすること等、個人、個人が心がける以外に、地球温暖化抑制の可能性への光は見えて来ない。
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ピンクのランドセル!!

2008年01月22日 | 季節の話題
 毎年、この季節になるとテレビCMに新入学を待ちわびる、ぴかぴかの一年生のための勉強机やランドセルが登場する。

 時代を反映してか、多機能のキャラクターで飾りあげた勉強机は影をひそめて、シンプルで成長に合わせて伸縮できる長期間使用できる物が発売されていて、保護者のみならず世のおじいちゃん、おばぁちゃんたちの目に留まっている。

 またランドセルは、進学する学校によっては、いわゆるランリュックト呼ばれる、黄色の既製品が学校での販売で統一されていて、思い思いの色や形の自由な選択でのランドセル選びができない場合も多い。

 その上、なんと昨今の子供を取り巻く不安や事件から、子供たちを守るためのグッズとしての防犯ベルや笛が常備された物や、中にはGPSという地球を回る人工衛星による、場所の確認装置のついた優れものまで出ていて、相当高価な防犯安全性を最優先したランドセルまで販売されている。

 少子化と言われて久しい日本社会だが、一方では一人の子供に関わる大人たちが両親だけでなく、父方、母方の祖父母を合わせて6人または、叔父や叔母まで入れるとたくさんの大人たちが財布の紐を開けてプレゼントする等、ビジネスチャンスとばかりに宣伝している節もあり、賑やかなことである。

 そんな新学期、進学の春を控えて、心うきうき待ち遠しい子供たちの思いが伝わってくる様な作文を、先日朝のラジオ番組で聞いた。

 もう25年以上続いている、朝日放送ラジオの「おはようパーソナリティ道上洋三です」の子供の作文コーナーで紹介されて「ピンクのランドセル」にまつわる話である。

 年長児童の女の子が先日、希望のピンクのランドセルをご両親に買ってもらって、大変うれしいとのことであったが、まだそのランドセルは箱にシマワレタままだと言うのである。

 箱から出すには、まだ彼女のお手伝いをするたんびに貰えるお母さんからの○が足らないというのである。

 お母さんは○が百個溜まったら、ランドセルを箱から出して背中に背負ったり、中に本などを入れて歩いてみてもいいが、まだ駄目だと言うのである。

 お手伝いしてもらえる○は、玄関の靴を並べること、おばぁちゃんをトイレに手を引いて連れて行くこと、朝一番に新聞を取って来ることなどで、まだ○が5つ足りないんだそうで、お手伝いを頑張ると彼女は書いているのであった。

 早く100個の○を貰って、お兄ちゃんみたいにランドセルを背負ってみたいと作文を締めくくっていたのである。

 なんとも可愛い女の子の思いが伝わってくる作文に、私自身の孫はランリュックの小学校への進学なので、新しいランドセルは不要なので、初詣代わりに行ったお宮さんで新入学への安全祈願に購入した?「ランドセル型」のお守りをプレゼントしたのである。

 私の孫のK君は、男の子なのでピンクのランドセルではなくて、黒い小さなランドセルであった。
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星の王子様。

2008年01月21日 | 感じたこと
 皆さん、「星の王子様」はご存知だと思います。

 フランスの飛行士であり、作家アントワーヌ、ド、サンテグジュベリが1943年にアメリカで出版した、世界的に有名な児童文学的な絵本です。

 世界中で約5000万部以上、日本でも600万部以上が売れたという、超ベストセラー本ですが、今までに日本では三回のブームがあったそうで、1980年代に研究者たちによる「星の王子様」論が盛んになり、2000年にはサンテグジュペリ生誕100周年でブームが起こり、一昨年には日本での翻訳出版権が切れたので、岩波書店の唯一の「星の王子様」以外の翻訳本がたくさん出たのです。

 あの独特の作者自身が描いたと言われる「星の王子様」の姿形とウワバミが飲み込んだ象が見えない、独特の造形などと共に、子供の心を失ってしまった「大人たち」に向けてのメッセージがいっぱい詰まった児童文学的作品であると思います。

 最初に作者は、「大切なものは目に見えない」と語り、大人は誰もが子供だったのに、子供の心を持ち続けている大人は少ないと嘆いているようです。

 作者自身が飛行士として1935年にリビア砂漠で墜落事故を起こした経験に基づいて、物語の最初は、砂漠に墜落した「ぼく」が主人公として始まります。

 周囲一千マイルには人一人いない砂漠のど真ん中に、一週間分の水しか残っていない「ぼく」が、一人の小惑星から来た「少年」と出会います。

 その「少年」をフランス文学者の内藤濯さんが、「王子」と訳したところから、原題の「小さな大公」が、日本語訳では「星の王子様」として親しまれる様になったようです。

 この少年の住む小さな小惑星には、三つの小さな火山とバオバブの芽とどこかの星から飛んできた種が咲いた「バラ」がありましたが、その「バラ」と喧嘩した少年が旅に出て、七つ目の星「地球」にやってきた話です。

 地球にやって来る前に訪ねた六つの星では、

 ①自分の対面を保つことに汲々とする王

 ②賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋

 ③酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む飲兵衛

 ④夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家

 ⑤一分に一回自転するため、一分ごとにガス灯の点火、消火を行っている点灯夫

 ⑥自分の机を離れたこともないという地理学者

 たちに出会って、最後の星の地理学者の奨めで「地球」にやってきたのです。

 地球では、へびやキツネに出会い、愛と仲良くなることなどを学んで帰って行くというお話しでした。

 この六つの星の、それぞれの「勝手きままな人たち」が、今の地球上に、たくさんいるのではないでしょうか。

 ジュベリも、たぶん第二次世界大戦下のナチスドイツ、イタリア、大日本帝国などをイメージしながら、「ぽく」が「星の小さな王子」から学んだことを、今じっくりと再び考えたいものですね。
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