ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

安倍の本領発輝!!!

2013年12月08日 | 日本の課題
多くの国民、マスコミ、著名人たちの「反対」「慎重審議」の声を無視して、参議院で一昨日の午後に「特定秘密保護法案」が可決し、施行は一年後とのことだが、それまでに「秘密監視やチェック」のための内閣府に設ける機関などを整備して発効し、重大な秘密漏洩に対しては、最高懲役10年を課すという「悪法」が出来てしまった。

 衆議院てでの議論もさることながら、自民党と公明党の賛成多数と言う「数の暴挙」で、十分な審議が行なわれたという感じではなく、付け刃的答弁や見解で時間を費やし、森担当大臣という女性の少子化担当国務大臣が、いつのまにか「特定秘密法案担当相」となって、二転三転の答弁を繰り返し、答弁に詰まるとなんと元警察官僚らしき内閣官僚が答弁へのメモを差し出すといった感じで急場凌ぎの委員会、国会審議を通過儀礼の如く行い、衆議院可決の時と同様に、前日に「公聴会」なるものをパフォーマンス的に参議院可決前日にも行なうという儀式を終えて終焉の時を迎えた。

 1960年の安倍のじぃさんである岸信介元首相下での強行採決による「日米安保条約」の締結時の騒動を髣髴とさせる、国会周辺での「法案反対のデモやシュピレルコールの映像を見ながら、安倍首相とのコンビで自民党を操る石破幹事長がブログで表現し、後に訂正割愛したとされる、「デモはテロ」だとの暴言も真意を疑うが、彼らの本音かもしれないと思わざるを得ない対応ぶりの結末となってしまった様である。

 そもそも、「特定秘密保護法案」なるものは、先の「ねじれ解消」を目指した参議院選挙前の自民党のマニフェストには全く記されていないばかりか、選挙の争点にもなっていなかったのに、衆参両院での絶対的多数を占めた自民党と公明党の「悪がき集団」たちは、国民からの全面的な信頼や委託を受けたと「勘違い」、今回の様な「暴挙」を難無く行った。

 この法案の持つ背景には、安倍首相の目指す「国家像」があり、簡単に言えば彼にとっての「普通の国」、つまり「軍隊を持ち、最高責任者である首相が全てを決められる国」があると思われる。

 すなわち、戦前の日本の家庭に例えれば、「家」の中心には「親父」がいて、家族は全て「親父の言いなり」、そうした強権親父が何事も決めて進むという「非民主的」な家庭、親父の権威、家主中心の生活が理想としてあると思われる。

 言い換えれば、「強い親父」の下で従順に従い、三歩下がって「師の影を踏まず」といった「おしとやかで従う妻と子」という「家庭像」があり、あの「お坊ちゃま宰相」は、今回の「特定秘密保護法案」を皮切りに権力の中枢を自らと側近で固めて、「強い国」日本を「取り戻そう」としているのだ。

 時を同じくして、南アフリカの建国の父と尊敬される「マンデラ元大統領」の死が伝えられているが、彼はたとえ「反対の声」にも謙虚に耳を傾けて、時間をかけて協調、理解を通じて前進するという「平等の民主主義」をモットーに戦い、あらゆる民族、人種の平和な国家を目指したとされる方で、ノーベル平和賞を受賞しただけでなく、全世界の人々から尊敬される人権活動家であり、政治家であったと記憶されるでしょう。

 「アベノミクス」なる造語に誤魔化されて、「経済の復活」などより、非民主的秘密国家、戦前の治安維持法にも匹敵する「悪法」が世界的にも批判を浴びながら成立したことは、国民の一人として心からの怒りと共に,ユウツな時代の幕開けとならないことを祈りつつ、抗議したいと思います。
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八月、68年が経過。

2013年08月13日 | 日本の課題
 八月、お盆が近づき、何処も子供たちの夏休みやお盆の墓参り、そして帰省や旅行とお忙しいことである。

 私は仏教徒ではないが、やはりお盆のシーズンとなると、先祖の墓参りをしなければと思うのは、日本人の心情なのかもしれないが、キリスト教徒であつても、ご先祖さんを敬い、ご先祖さんあっての自分であることには間違いないので、この時期には墓参りをしないと何やら「バチ当たり」な気がするのである。

 ところで、八月六日の広島の原爆記念日、九日の長崎の原爆投下の日と続き、全国各地で「平和展」や「平和の集い」がさかんに催されているし、十五日の終戦記念日に向けて、新聞、テレビなどを中心に「戦争を振り返り、平和な日本を願う」ための特集記事やドラマやドキュメンタリー番組などがめじろおしである。

 そんなさなかに起きた沖縄県での米軍ヘリコプターの墜落事故に大きな関心が集まり、ちようど沖縄普天間基地への追加配備が決まっていた「オスプレイ」12機の岩国基地からの移送が1週間だけ延期されたのだが、すでに米軍の配慮?が終わって、沖縄普天間基地には合計24機もの巨大な怪鳥、オスプレイが駐留することとなったのである。たく 

 この問題のオスプレイの飛行訓練とやらも、日中だけではなく、夜間深夜に及ぶまで米軍側の勝手な主張で実施されていることも明らかになっているのだが、多くの住民の日常生活にも多大な不安と騒音と迷惑をかけている「飛行訓練」とやらが続く中で、日本政府はほとんど抗議などする意思もなく、アメリカ米軍のやりたい放題に辛うじて「遺憾の意」を表するだけと言う、情けない状況が続いている。

 今に至る戦後の日本政府の姿勢として、アメリカ軍への遠慮か配慮かはしらないが、どう見ても占領軍政策の延長としか思えないような米軍の施策に対して、情けないというよりも「言う術をしらない奴隷」の如き有様だと言わざるを得ない「日米同盟」とやらのしがらみの中に突入していて、特に沖縄県民には多大な迷惑と日々の不安を抱かせているとしか言いようが無いのである。

 戦後68年も経ち、いまだに第二次世界大戦後の日本の真の独立を確保できていないとも言える状況を容認してきた日本政府、特に戦後の日本の政治的指導者の大半を排出している自民党の責任と、無計画な「日米同盟」と言わしめてしまう「安保体制」の不備が何処まで続くのやらと危惧と共に、「大きな溜息」すら出るのである。

 東西冷戦時代を経て、ソビエト連邦の崩壊、ドイツベルリンの壁の崩壊を期に、大きな世界的緊張、戦争の危機は遠のき、新たな世界平和を維持するための構造の構築へと進みだすべき、今世紀にいまだに「日米同盟」とやらの二国間軍事同盟的発想の絆を第一義的に考えるという、前時代的手法や国際的条約の時代は過ぎていると思うのだが、こうしたこう着状態と言うべき、いまだに軍事的には植民地的状態から脱出すべき術を考える時期にとうに来ていると思うのである。

 いつまでも、沖縄に日本の米軍基地の約7割があり、しかも普天間基地の危険性の回避のために「返還する」と米軍が発表してからすでに17年が経ち、辺野古移転が条件だとの無理難題を掲げ、自民党政府も民主党政府も決断が出来ないままに、地元沖縄県民の真の願いである「基地の無い島・沖縄」を実現する方向への「大きな舵取り」を誰がするのか、戦後68年も経った今こそ、真剣にその答えを模索しつつ、米国との交渉を徐々にでも前進させねばならない時が迫っているのではないだろうか。
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「参院選」近づく。

2013年06月18日 | 日本の課題
 いよいよ、参議院選挙が来月下旬に行なわれるということで、町中に各党の政党ポスターや、公選法的にはどうも理解できない候補者と別の人との二人ポスターがいたるところに掲げられ、土日を中心に住宅街も各党の事前宣伝活動が盛んに行なわれるようになっている。

 一方、サミットで北アイルランドに行っている安部晋三首相は、早くも参院選後に国会の2/3の勢力を衆参両院で確保し、憲法96条の改正を最優先に可決し、順次自民党が想定する「新憲法」への改悪を具体的に成し遂げるための目論見を公に内外で公言している。

 今回の参議院選挙は、先の衆議院選挙で大勝した自民党が、アベノミクスとやらの実態の乏しいキャッチフレーズや経済政策の三本の矢などと巧みなマスコミ操作も含めて、如何にも国民生活が経済的にも向上するかの様な錯覚を生む如き、二枚舌いや饒舌で語ったりして、一般庶民にとっては、数年後に年収が150万円も増えるとか言う誘い文句に踊らされて、前政権を担っていた民主党の失態の逆風を上手く利用して、自民党の大勝という筋書きで進んでいる。

 果たして、国民生活の経済的な豊かさが向上するという「空手形」を信じる人がどれだけいるのかと言うと、さほど多くの人が真剣に検討した結果として、現在の安倍首相の独断の復古調の自民党と創価学会公明党を支持したいと思っているわけではなくかりとした、民主党に嫌気と失望感を抱き、ましてや他の少数政党の林立の中で、しっかりとした国民目線で現在の日本を少しでも改革し、新しい政策で国民をリードして行ってくれそうなグループが見つけられないために、「何処に入れても同じだし、誰がやっても変わらない」との失望感や虚脱感が国民の多くの心情を覆っているのが現状なのである。

 そうした政治不信の流れの中で、一昨年の東日本大震災と大津波の影響でメルトダウンという最悪の事態を招いた、東京電力福島第一原子力発電所の4基の原発事故と言う、とんでもない放射能汚染という状況を経験した日本なのに、安倍首相はインド、ベトナム、そしてアフリカ諸国や旧東欧の4ヶ国に出向いて、日本の高い原発技術を売るという暴挙を「積極経済外交」と称して続けているのである。

 また、アメリカとの軍事同盟関係を背景に、沖縄を中心としたアメリカの属国化した日本の米軍基地の現状を固定化するだけでなく、オスプレイをはじめとするアメリカ軍の戦闘兵器や技術の国内への持込に対して、イエスマンと化しているばかりか、まるで「戦争ごっこ」にいざ出陣かともとれるイデタチデご機嫌な表情さえ見せているのである。

 ある広島での被爆や戦争体験をお持ちの先輩たちが、本当に憂いをもって危惧されている、日本の憲法の改悪や戦争のできる国への準備ともとれる動向に対して、よーく考えてみることがとっても大切な選挙となるのである。

 絶対に自民党の暴挙を許してはならないのはもちろんだが、国民の多くがマスコミの一方的くりとな報道姿勢と言うべき実情に流されず、じっくりと自分で考える習慣を身につけて、家族や友人たちとも話し合うべきなのではないだろうか。

 自民党に危惧を抱くなら、民主党、公明党、維新の会、みんなの党、生活の党、社民党、共産党などの既成政党の選択肢があるではないかと言いたいのではなく、別な選択肢も生まれつつあるのである。

 国会レベルの選挙なので、非常に厳しいハードルがあると思うのだが、市民からの新しいグループである、反原発派もちろん、自然と地域と人と未来を大切に志向するグループである「緑の党」を私は今回の参院選では推奨する。

 バブルの崩壊、貧困格差の拡大、地域の衰退、借金の増大、原発推進の過去を繰り返す、「日本を取り戻す」をキャッチフレーズとする自民党と「安定は希望」などと自らの議員数の確保が組織政党としての希望だと公言する公明党との連立内閣に、私たちたら、の大切な日本を委ねてしまったら、子や孫の世代になってから、「じいさん、ばあさんたちの時代に間違った」と言われても、時は逆戻りしないばかりか、子や孫の時代が恐ろしい状況に
なりそうである。

 中国との尖閣問題、韓国との竹島問題、北朝鮮との拉致やミサイル、核兵器問題、そしてロシアとの北方領土問題と四面楚歌の日本だが、決して軍事力の増強や国軍を持つことで解決できる時代ではないのである。

 原発から脱却し、自然エネルギーに力を注ぎ、美しい国土と文化と゛人間性を重んじた、素晴らしきニッポンを持続し子孫たちにも残そうではありませんか。
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米軍占領下続く沖縄

2013年04月17日 | 日本の課題
 安倍晋三内閣となって数ヶ月、この間マスコミは日本経済再生という中で、「アベノミクス」という造語をもてはやし、如何にもデフレ克服で円安、株高の兆候が顕著で、内閣の支持率も上がり絶対的に国民に支持されているかのような錯覚を報じている。

 とんでもないことである。安倍首相の再登板はただ単に民主党内閣の至らなさが、国民に失望感を余儀なくさせ、昨年末の総選挙で自民党の大勝と橋下、石原がタッグを組んだ「日本維新の会」に風が吹いて議席を増やしたに過ぎないわけで、決っして絶対的な信頼や期待が国民、有権者の票になったわけではないと確信している。

 安倍首相の言動を見ていると、全く怪しい考え、理想が語られていて、まるでお山の大将にでもなった感じのおぼっちゃまぶりである。

 特に憲法の改正についての言及は、なんと憲法96条の「憲法の改正の条項」としての国会の2/3以上の賛成を要するという、とても重要な事項を過半数で改定、いや改悪との暴言が出ていて、自民党だけでなく維新の会の橋下や石原慎太郎を含む、改憲論者、いや右翼的思想の持ち主たちを背景に、大日本国憲法時代を再興したいとでも思っている輩達の画策が露呈している。

 彼らの主張の根拠は、戦後の日本国憲法は自立憲法ではなく、占領軍に作らされたものであり、わが国独自の自主憲法を策定しなければ、真の独立国とはなりえないというのである。

 それが改悪の根拠だというならば、憲法改定より前に現在も続いている日本中にある米軍基地、その内の7割以上が存在している沖縄の米軍基地の撤去を成し遂げてから言うべきではないただろうか。

 戦後の日本の経済的復興は、日米安保という日米軍事同盟のお陰で、日本が独自の軍事力に多大な税金を使わなくて済んだからだとの見解もあるが、私は平和憲法のお陰でもあると確信している。

 戦後、新日本国憲法第9条の戦争放棄のお陰で、日本国は国内だけでなく海外にも戦争という事態に対応した軍事的活動をすることなく、自衛隊と称する世界では日本の軍隊と称されている部隊、組織にも制約があり、文民統制と国会の承認という手続きを経てしか、海外への協力活動にも赴けないという縛りがあったお陰て、自衛官の戦争での死者、負傷者は紛争地でのテロや事故以外には生じていないのである。

 ともかく、自民党、維新の会などを中心とする現在の国会議員の勢力図で、過半数という民主主義の結論を出してしまうという暴挙に至らせてはならないばかりか、憲法という国の最高法規だからこそ、最低でも国民の代表だと当選すると豪語してやまない先生方の2/3以上の絶対的賛成を得ずして、憲法の改正はしてはならぬのである。

 どうも軽はずみに、その時代の権力者となった首相の一存や思慮深くない思いで、イッキに憲法改悪が出来るなんてことがあってはいけない。

 真に日本国憲法の改正が必要と言うならば、何をどう変えなければいけないのか、そしてその背景には何があり、国民の幸福と国の維持のために必要不可欠なことなのかどうかを、じっくり議論して、国民投票も踏まえて、慎重に時間をかけて議論すべき課題であることは間違いない。

 沖縄の嘉手納基地以南の米軍基地の返還について日米で合意したとか言ってはいるが、普天間基地の返還が約束されて以来、十数年経過しても戻っては来ないし、辺野古に新しい海上基地を米軍のために作らされるという新たな負担と、半永久的な米軍の占領下の沖縄を未来永劫続けることを約束した様な合意に、決っして国民の多くや沖縄県民は納得などするはずはなく、時の権力、つまり民主党時代も自民党政権でも全く同じで、世界のポリスを自認する米国に屈した、幼い自立出来ない日本の有様を、世界中の国々は不思議に感じているのだろうと思うのである。

 日本の独立国としての復権や沖縄の自立は、いまだまともではないのである。
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民主主義だろうか?

2013年01月31日 | 日本の課題
私たち戦後生まれの世代は、日本は民主主義国家として生まれ変わったと教えられ、その基本的ルールを定めた最高の規定が「日本国憲法」だと習いました。

 そして戦後も60数年が経ち、安部政権は憲法改正への必要性を徐々に語りつつ、国会での憲法改正に必要な可決条件の緩和、すなわち2/3以上の賛成ではなく、過半数の賛成で可能にしようと言いだしているのです。

 日本は本当に民主主義国家であると言えるのでしょうか。

 確かに地方自治体も国会議員も国民、有権者の投票によって選出されるという制度であり、間接的民主主義ならびに議員内閣制と言う形での政治家が討論、相談して物事を決めるという体制にはなっているので形式的には民主主義国家だと言えるのだろうと思います。

 しかし、その背景に潜む利害や意見の対立は、簡単に過半数つまり多数決という数の論理だけで決定していいのだろうかと思える物事もあり、本当に十分な議論や少数意見の尊重なども含めた「民主主義」の理想とはほど遠いと感じる実態があるように感じています。

 最近特に福島原発のメルトダウンという未曾有の原発事故に端を発っした「反原発」、つまり「原発いらない」という多くの住民の声を、何とか行政府である地方自治体や電力会社に届けようと、数多くの活動や運動が進められている中で、全国の原発立地の地域で、原発をめぐる住民投票をとの運動が展開され、その地方の自治体議会に対しての、住民投票をして下さいとの願いを込めて、署名活動がされて一定以上の署名が集約されて、知事あるいは首長の意見を添えて議会に提出されていたのにもかかわらず、全てが議会によって否決されているのが現状なのです。

 すなわち、住民の多数の方々が行政府である議会や首長が明確に示さない「原発の今後のあり方」などについて、明確な住民の意思などを尋ねようと試みているのですが、議会は一方的に住民投票の必要性を「いらない」と否定してしまっているのです。

 今朝のラジオで、皮肉まじりで隣の大国である中国は、世界のたくさんの商品だけでなく、ありとあらゆる物のコピーや偽もの作りが上手いが、民主主義だけは真似しようともしないし出来ないのだと言っていましたが、中国や北朝鮮の一党独裁や封建的な政治制度などを批判したりしているだけではなく、我々の日本がちゃんとした民主主義国家として、多くの住民、国民の民意が政治や行政にも反映できる可能性を、もう一度見直す必要性を強く感じています。

 政権政党が変わろうと、大手企業や既得権益的な事業が続いていても、住民、国民の将来への願いや夢を少しでも汲み取って、政治や行政サービスに活かせる様な手段や手法が、形だけで実際は取り入れられないという現実では困るのです。

 徳島の吉野川可動堰の住民投票による中止などの実績も一部にはありますが、長崎諫早湾干拓問題やダムは無駄と言うスローガンで一端は中止されていたダム工事、また大型公共事業や復興関連事業なども含め、本来ならば地元自治体や行政が住民の民意や願いを受け止めて、事業の是非を判断出来れば問題はないのただが、多くは地元の意思や想いとは関係ない利害や国が、工事の継続や予算の投入を決めてしまっているケースが多い様です。

 何でも反対意見を通せと言うのではなく、少数意見も含めて結論ありきの風土とも言えるような議会や行政の対応ではなく、謙虚に真摯に問題の重大さを指摘したりしている住民や専門家の意見にも耳を傾けて、議会や行政が自分たちの利や都合で「ノー」と決定するのではなく、じっくりと協議し、ものごとの是非を議論したり決定するという民主主義の有るべき姿を、もう一度模索しなければ、日本も隣の国を笑うことは出来ないのではないだろうか。
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とんでもない結果に!!!

2012年12月16日 | 日本の課題
衆議院総選挙、投票締め切りと同時の、午後8時からのNHKをはじめ民放各社もこぞって開票?速報とやらの番組が始まり、自民党、公明党がまだ開票率0パーセントなのに、過半数を制するどころか衆議院の480の総議席数の3分の2以上を占める320議席以上を獲得するとの見通しが語られ、続々と当選確実の候補者名と各党の獲得議席数がカウントされていて、とても視聴者の一人として有権者の一人として、見てはいられないほどの気持ち、すなわち「あぁ・・・とんでもないことになる」という暗い気持ちに苛まれる感じでテレビの実況中継を見たくない圧迫感に似た心境になって、パソコンをたたくこととなった。

 勝ったとか負けたとか言う、そんな感想ではなく、日本の政治と将来のあり方を含めて、我々の世代だけでなく今まで生きてきた国民の一人として、とてもやりきれないというべき暗雲の中に乗っていた旅客機が突然つっ込んでしまったかの様な、不安と危機感を感じざるを得ない、焦燥感にも似た感情にいてもたってもいられない苛立ちか怒りがこみ上げてきたのである。

 決っして、どの党が良いとか悪いとか、誰が正しいとか間違っているとかという様な批判や文句ではなく、一応民主主義の体制だと思っている、この国日本がいよいよ民主党政権への強い風当たりと批判があったとは言え、この様な憲法を改悪しそうな勢力と思われる候補者が多い、自民党を中心とする国体派?勢力に、衆議院の過半数どころか大多数を握られてしまうなんて、まるで「大政翼賛会的」とか言われる様な状況になってしまいそうなのである。

 安倍自民党総裁が選挙後の臨時国会で首相に任命されて、まず何を語るのかが非常に怖いとも感じているのだが、選挙中を通じて報じられていた「国防軍」とか「徴兵制」や、経済再生のためには大型公共事業の復活を柱に、国債発行、日本銀行への金融緩和の介入や権力的手法による政策が目白押しになる危険性を大変危惧するものである。

 「ああ、とんでもないことだ」との実感が悪夢の如き感じで、明日の朝には「えぇ、夢だったのか?」とでも大変貌を遂げるのならいいのだが、財界と自民党を中心とする保守勢力が結託して、強引な政治権力を多数の力で推し進めることになってしまうと、これからの世の中、特に子供たち、孫たちの世代が生きる時代の日本は、とんでもないニッポンになってしまうだろうと言う心配が大きくなったのである。

 大人の責任とか、良識ある有権者とか、いろんな言い方で少しは危惧は危惧として、「そんなに日本人も馬鹿ではないはず」だと自問自答はするのだが、今回の選挙結果についてだけは、敢えて言うが「日本の政治を悪くするのは日本人が愚民化してしまつた」からだと言わざるを得ない。

 ずっと昔に聞いた言葉だが、テレビ番組の内容を中心として「国民総白痴化」と言われたのだが、再び時代は繰り返すのかどうかはしらないが、テレビマスコミと大衆的ジャーナリズムを中心として、国民をどうも白痴的人種へと大きな力で誘導していたのではないだろうかとさえ、疑いたくなる様な結果が出ているのである。

 これからの日本の舵取りへの不安と大いなる危惧を感じる記事や報道も出だしてはいるが、現実は後戻し出来ないのだから、もう一度最初からやり直したいと思ってもおそいのである。

 ご高齢の戦争体験者のお話を選挙戦前に伺ったが、悲痛な面持ちで「日清、日露」や「第二次世界大戦」へ突き進む時代の、暗雲立ち込めた事態と同様の不安かを強く感じると仰っていたのだが、まさにその危惧が真実となる可能性が強まったといっても過言ではあるまい。

 民主主義の本質は多様な意見が議論できたり理解しあつたりすることでもあるのだが、この状況で大多数の議席を背景に、大政翼賛会とでも揶揄される様な権力的国会運営がなされて行くとすれば、憲法改悪が着手されて、とても言葉では表現し難い日本の将来が「力の政治」で、「再生」という名の「復活」や「復古」がのさばる時代へと突入し続けてしまうのではないだろうかと、老婆心ながら痛切に感じている。
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オスプレイという害鳥!

2012年07月18日 | 日本の課題
 国会での消費税値上げ法案を軸とした「税と社会保障の一体改革」なぞと命名された野田首相の不退転の決意での衆議院可決以来、民主党が分裂状態で、小沢一郎一派の「国民の生活が第一」なぞと名づけられた新党も含め、多数の離党者が出ている様で、参議院においては自民党との議員数が2に迫り、参議院での第一党の立場も危うくなりつつあるという状態゛だそうだが、そんなことは国民にとってどうでも良いことなのだ。

 そんな党利党略と時期総選挙や参議院選挙を如何に有利に戦って、自分自身の当選を得たいと願ってやまない、権力と国会議員とという利害にかじりついた様な議員たちの動向の陰で、またしても米軍の勝手な日本へのオスプレイと称された、垂直離着陸輸送機をめぐる問題が進行していて、もはや24日にも山口県岩国基地に、この奇妙な害鳥であるオスプレイが到着するという段階になって、漸く前原誠司民主党政調会長が、首相ら内閣執行部に対して苦言を呈した。

 この「オスプレイ」という名は、鳥の名前から命名されているらしいのだが、日本への配置が決定する以前から、米国内も含めてスペインや各地で墜落をはじめとした事故が相次いでいるという危険な両翼を広げれば、如何にも奇妙で安定性を欠くと感じられる大型垂直両方に飛んだり停止したりできるというヘリコプター的機能を併設した輸送機なのである。

 このオスプレイの日本の基地への配置は、特に沖縄の嘉手納か普天間と言う沖縄本島の人口密集地の米軍基地への配備を前に、まずは山口県の岩国基地での訓練飛行や試行を繰り返した上で、沖縄への配備をするという米軍の計画であり、日本政府も概ねこれを日米安保条約上の取り決めの範囲内として承認しているというのである。

 しかし、政権与党の民主党の前原政調会長は野田首相や藤村官房長官ら首脳は「山口県や沖縄県の民意を軽視しているのではないか」と語り、見通しの甘さを指摘し政府の対応を批判したとされている。

 ブログの冒頭にも掲載した沖縄タイムスをはじめ、琉球新聞も沖縄県の二大メディアであるマスコミは、堂々とトップ記事として、このオスプレイの配置に対する県民の反対行動などを報道し、防衛省、外務省などの対応のなさや野田首相、玄葉外相、森本防衛大臣らに対する批判や再検討を示唆しているのである。

 やっと17日になって、首相は首相官邸で森本防衛相、玄葉外相らと米軍岩国基地に搬入されるオスプレイを巡って協議したとされてはいるが、あくまで地元の理解を得るために、安全性を確認するまで試験飛行を認めないという消極的な姿勢で、つまり時間経過を待って理解を強要するという狙いだけであり、原発問題と同様に何を根拠に「安全の確認」がされたというのであろうか。

 つまり今までの各地でのオスプレイの事故に関して、米軍内部においても、その安全性について疑問を呈した幹部がいたらしいのだが、その人の提言は抹殺されて、現在は蚊帳の外に追いやられているらしく、常に日本でもアメリカでも反対分子として、その当時の推進派は、一部の反対勢力を無視して、大きな権力側の意向をごり押しするものなのだろう。

 そんな状況下での沖縄の米軍基地への危険な害鳥の様なオスプレイの配置の強行について、日本政府は反対は出来ないという前提で事は進んでいる様で、まるで親分に逆らったら痛い目に合うから、ここは我慢して時間を稼いで、そのうち国民は諦めてしまうだろうと言う様な、いつもの政府のごり押しというか自主性のない、曖昧な決断のままで成り行きを見るという姿勢なのだろうと推察する。

 核弾頭や中.長距離ミサイルなどの装備については米国との事前協議の対象とはなるが、このオスプレイ如きは事前協議の対象にもならない軽装備なのだそうですが、例え核の持込や中・長距離ミサイルの搬入においても何も阻止したり反対できない、今までの日本政府なのだから、アメリカには「舐められた」状態そのもので、安全性の懸念を払拭するために何でもすべてやると外相は語ったそうだが、何をどうやっても結論は同じという前提以外の何物も出てこない、言葉だけのその場凌ぎの発言にしか思えないのである。
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「民主自由党」になったら?

2012年06月14日 | 日本の課題
 国会では民主党が提案する「税と社会保障の一体改革」に対する自民党と公明党両党との三党による修正協議が続いていて、自民党がまとめた「社会保障制度改革基本法案」に対して、野田首相は最低限の民主党が政権交代時の総選挙で掲げたマニフェストを全面的に撤回はしたくないとの思惑から、またも民主党が修正箇所や内容について再修正を加えるなどの鬩ぎあいが続いているらしい。

 年金や医療制度などについての自民党案では「現行制度を基本」に見直すとされていたのを民主党は削除したそうで、自民党はそれでは受け入れられないとしていて、民主党側はマニフェストで掲げた最低保障年金制度や後期高齢者医療制度の廃止などの政権公約すら守れない可能性も秘めた形で、野田首相はまだ不退転の覚悟で今国会中に成立を目指して協議を続け可決に一挙持って行きたい姿勢である。

 しかし、今国会での税と社会保障の一体改革と呼ばれる議論というか党利党略を背景とした動向を見ていると、民主党内の小沢一郎元代表を筆頭とする消費税法案への反対の動きも含めて、与野党も全ての国会議員たちが、しっかりとした議論を本当に国民目線と社会的弱者を十分に見据えた上での制度改革や増税法案の議論をしているとは思えない混乱振りである。

 何が何でも消費税増税をしなければという、野田首相の一方的な姿勢に対して、国会議員選出時の選挙の一票格差の違憲状態をはじめ、定数削減や議員報酬の大幅な削減、そして公務員給与及び待遇における削減、天下り官僚の禁止や特殊法人などの整理、そして民主党政権がスタートした頃に出ていて、「コンクリートから人へ」とのキャッチフレーズの公共事業の削減など、ともかく消費税の値上げ前にするべきことがあると言われている諸問題のほとんどが解決していないままに、結局民主党は面子もマニフェスト公約もほとんどかなぐり捨てて、消費税増税を強行しようとしている様にしか見えないのである。

 私たち国民の目から見ると、民主党でも自民党でもどちらの政党が正しいとか支持するとかいう立場よりも、国民目線で十分に全ての国会議員が日本の将来と国民生活の安定、そして少しでも特に社会的弱者や少子高齢化に即した制度改革を進めていただきたいと願うのみなのであり、いっそのこと民主党や自民党の壁を超えて合体した「民主自由党」つまり、民自党」になってでも、真の改革を目指していただきたいと思うのである。

 何処かの他国だが、間違いなく日本語に訳すと「民自党」と称する政党があったと思われるが、日本の政治の歴史でも自由民主党の誕生までは、自由党と民主党があって合体して自由民主党が生まれたのだから、今回は民主党が少なくとも主導権を握ることができるのならば、民主自由党、すなわち民自党でも名は問題ではなく、実質的な国会決議が無ければ何も変らないし、前進しないのだから突き進んでいただきたいと思うのである。


 日本の国会の現状については、多くの識者たちが解説したり、評論家と称するこ人たちが論評はしているが、私たち国民、有権者にとっては、唯一の手段が衆参両院議員を選挙で選ぶ一票しか政治参加は出来ないのだから、もし国民目線で改革を推進するのであれば、はっきりとした現実的な社会保障制度改革と消費税増税問題についての再度のマニフェストを掲げなおして、思い切って「総選挙」を行うべしである。

 民自党の皆さん、そしてその他の野党の皆さん、あなたも次の選挙で落選覚悟でしっかりと仕事をして下さいな。
 
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島サミット

2012年05月27日 | 日本の課題
 日本と太平洋に浮かぶ島国、地域が集う「第6回太平洋・島サミット」が沖縄県・名護市で開催されて、昨日「沖縄キズナ宣言」を採択して閉幕した。

 ここ数ヶ月以上、テレビや新聞で見る現在の日本の首相である、野田佳彦氏の表情は殆ど厳しいというか、消費税をはじめとする国会論議や与野党論議だけでなく、民主党内の政局や突き上げもあって、さえない顔が続いていたが、この日本が主導する「島サミット」に限っては、ご機嫌という感じで笑顔が随所に見られた様子であった。

 太平洋・島サミットの参加国、地域は日本と赤道直下を含む南太平洋地域に位置するミクロネシア連邦、マーシャル諸島、ナウル、ツバル、キルギス、サモア、ソロモン諸島、バヌアツ、パプアニューギニア、パラオ、トンガ、クック諸島などのまだまだ発展途上の経済力の弱い国々、地域とハワイ州(米国)やオーストラリア、ニュージーランドなどで、今回初めて米国が参加し、フィジーは欠席したという。

 いずれにしても、三年毎に開かれている島サミットであるが、日本が主導的に提唱し、過去6回とも日本で開催し、その内今回も含む半分が沖縄での開催と言う特徴のあるサミットであり、昨年春の日本の東北地方を中心に大きな被害をもたらした大地震に伴う大津波なども含む海洋に囲まれた国と地域の多様な諸問題の解決と対策に対する協議を国際的に行うという目的の大切なサミットとなっているのである。

 特に今回は、昨年の日本の大地震と大津波の経験からの防災協力や海洋の安全保障に関する協力を盛り込んだ「沖縄キズナ宣言」と題する共同声明を発表し、特にアジアの大国にのし上がった中国の海洋資源目当てと覇権主義的な攻勢に対する、国際的ルールの順守などを求める背景を持つ、課題に対する確認が行われた模様である。

 日本は、今後三年間に最大5億ドル、約400億円の援助を提供し、米国などと連携し、島しょ国に太平洋災害早期警報システムの構築や、世界銀行と協力し、自然災害リスク保険を整備したり、海洋資源の持続可能な開発、管理、保全を確保し、国連海洋条約を順守し、天然資源開発で積極的な役割を果たすとの骨子を宣言の内容としている。

 尖閣列島だけでなく、南沙諸島をはじめとする東アジアや南太平洋周辺での中国や韓国、日本、そして関係国であるフィリッピン、ベトナム、台湾などとの領土問題などは、その多くが海洋資源の利権を巡る争いであり、特に中国の覇権主義的攻勢は、ここ数年顕著に積極的かつ洋上での挑発的行動にまで及んでいる現状があり、米国も極東アジアである、この地域での防衛ならびに安全保障面での対応にシフトしつつある課題を重視しているのである。

 こうした太平洋・島サミットに参集している国、地域の内のフィジー、ミクロネシア、トンガ、バヌアツなど五カ国はサミット開催を牽制するが如く、中国共産党指導部の序列第四位の人民政治協商会議主席が、これらの国々と地域の政治家視察団と北京の人民大会堂で会談したと、中国新華社電は伝えていて、中国は各国の事情に即した発展を尊重し、各国の経済発展と民生改善を支持するとして、サミット関係国である日本、米国を意識した政治的パフォーマンスを行っている。

 いずれにしても、確かに21世紀に入って12年目の世界経済と日本を取り巻く環境、資源開発、軍事的緊張など、多様な課題が山積する現在において、この太平洋・島サミットも重要な関係国会議となっていることは間違いないのだが、どうも野田首相の久しぶりの笑顔を見ていると、今後の中国、韓国、台湾をはじめとする日本の国益とリンクする東アジアの国々との外交的政策も友好な交流はいいことだが、厳しい領土問題や利害対立に対して、強いリーダーシップを発揮し、日本を代表する発言ができるのかと疑心暗鬼にならざるを得ない、「ノー天気さ」を感じてしまうのは私だけではあるまいと思うのであった。
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保幼一体化って?

2012年05月11日 | 日本の課題
 長年の懸案として問題視されていた厚生労働省管轄の保育所と文部科学省管轄の幼稚園の、所謂「保幼一元化」の課題が、いつのまにか民主党政権下では、「保幼一体化」という言葉に変身し、「総合こども園」を創設するという政策に化けてしまっていた。

 野田首相の消費税増税を柱とする税と社会保障の一体改革と銘打った看板施策の関連法案の中の「子育て支援」関連3法案の審議が衆議院本会議で始まり、幼児教育と保育を一体的に提供するという「総合こども園」の創設などを巡る議論が改めて始まった模様なのだが、ともかく保育所の所謂「待機児童」の解消に役立つものなのかどうかという一点のみの話題となっている様である。

 そもそも保育所は、仕事を持つ母親を中心に、核家族化した現代の社会の中にあって、子どもを預かって貰えるところがなければ、仕事に行けないというジレンマの中で、何処でもいいから子どもを預けたいと願う若い家庭の要望を全て受け入れることが出来ない状況で、「待機児童」という形で保育所の定員の空きを待っているのが、全国で2万数千人を超えているという現実がある。

 一方の幼稚園はと言えば、幼児教育機関として朝から昼過ぎを基本にした就学前の子どもたちの受け入れを中心に行っているために、早朝や夕方など仕事を持つ家庭にとっては十分な保育時間がないために、預けるというよりも就学前教育としての期待の方が大きいプレスクールといった感じである。

 すなわち、保育所は生活の場としての家庭の延長という考え方を基本に始まったゼロ歳児から就学前児童までを受け入れる託児所的機関であり、就学前の3歳から3年間を教育するという幼稚園とは、そもそものスタート理念や考え方が異なる場所であったのである。

 しかし、少子高齢化が勢いよく進むわが国において、経済的背景も含めて若い男女の子育て環境が大きく変化していて、特に都会では両親や祖父母に幼いわが子を見てもらうという形は薄れていて、仕事をすることで家庭生活の生計を助けなければならないという普通の若い家庭にとっては、子どもをともかく預かってくれなければ話が始まらないといった現状が増加しているのである。

 そうした「現代世代向けサービス」の目玉として政府が位置づけているのが、新たな子育て新システムの導入として語られるものなのだが、もともと自民党と公明党の政権時代に立ち上がった「保育サービス量の拡大」という方針に、民主党の保幼一体化をくっつけて政策化したものらしく、当初目指していた保幼一元化は、幼稚園団体などの反対で断念された様で、幼稚園はそのまま存続することも可とし、少子化で経営が困難になった幼稚園や新たに株式会社やNPO法人の参入も良しとする「総合こども園」という名の「ごちゃ混ぜ子ども園」がイメージされている。

 このことで、現在監督官庁である厚生労働省、文部科学省に加え、新たに総合こども園の管轄として内閣府が所管となることやら、乳幼児を預かる施設が5種類に分かれる実態もより複雑化したという感じであり、担当大臣として?の政府の少子化対策担当相は、現在は小宮山洋子厚生労働大臣が兼務している形だが、民主党政権誕生以来の二年半で、なんと9人目という状況を知って、如何にも混乱といい加減な政策だと思ってしまうのである。

 一番の問題だと野党が指摘しているのが、総合こども園は0~2歳児の待機児童の8割を占める困った現状を解消する切り札となるのかどうかが疑問であり、小宮山厚労相は財政的措置で、こども園が0歳児からの受け入れをしやすく支援したいと言ってはいるが、ともかく消費税の値上げによる7000億円の財政見通しが立たない限り、絵に描いた餅状態の施策なのである。

 私が感じる問題点は、子どもを預けるという観点のみの乳幼児、子育てであっていいのかという議論が十分なされないまま、何処かで預かれとは、子どもの自立や権利と親の扶養義務まで、全て金で解決するしかないという風潮では困るのである。


 
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